酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「さようなら原発 さようなら戦争大集会」で種を蒔く

2016-09-24 02:24:40 | 社会、政治
 度重なる台風の襲来で日本全国、夥しい浸水や土砂災害が発生した。犠牲になった方に弔意を表すと同時に、被災地の一日も早い復旧を祈っている。潤いと親和をもたらす水は、制御不能の畏るべき力も秘めている。時に、人間の醜さと悪を暴くことさえあるのだ。豊洲新市場の地下空間に強アルカリ性の水がたまり、福島第1原発では台風16号の影響で汚染地下水が地表面に達した。

 勉強不足ゆえピンポイントで問題点を指摘するのは難しいが、「もんじゅ」廃炉が決定した。政府は核燃料サイクルを維持し、「原型炉」からASTRID(フランス)との共同研究による「実証炉」への移行を見据えているとのこと。反原発に長年取り組んでいる知人は、<見えていることに騙されてはいけない>と話していた。

 「さようなら原発 さようなら戦争大集会」(22日、代々木公園B地区)では、オルタナミーティングのスタッフとしてブース設営と物販を担当した。あいにくの雨で参加者も少なく(主催者発表で9000人台)、デモも中止になったのは残念だった。

 「原発のない未来へ! 全国大集会」(3月26日)でもブースを出展した。当日、それぞれ司会とオープニングアクトを務めた神田香織さんとジンタらムータが、オルタナミーティング主催イベント(4月26日)の告知を兼ねてブースに足を運んでくれた。好天に恵まれ、カップルなど通行人も展示物を手に取るなど、なかなかの盛況だった。

 今回は悪天候で売り上げはいまひとつだったが、補って余りある成果があった。俺の目標である<人を繋ぐ>を形に出来たからである。福島の子供たちの保養施設「沖縄・球美の里」のスタッフに出展をお願いし、Tシャツと缶バッジ(ともに宮崎駿デザイン)、2017年のカレンダー(広河隆一撮影)がブースに並んだ。「デイズジャパン」のイベント企画担当者も足を運んでくれた。

 集会でアピールした蛇石郁子郡山市議、声を掛けておいた杉原浩司氏(武器輸出反対ネットワーク代表)もブースを訪れた。展示物をしげしげと眺めていた青年に尋ねてみると自主映画のディレクターで、ドキュメンタリーの上映館を探しているという。「ソシアルシネマクラブすぎなみ」の主宰者でもあるオルタナミーティング大場代表と今後に向けて話が進んだ。

 原発、そして東京五輪≒豊洲と、体制側は金と権力をよすがに結びつき、肥大していく。抵抗する側はというと、お利口でこだわりのある人が多過ぎて、塊にならないうちに勢いが落ちていく。これでは、向こうの思うがままだ。さらに、日々の活動がハード過ぎて、外に目をやる余裕はない。課題と闘う<当事者>たちは大抵、経済的に厳しい状況に置かれている。

 反原発集会に数万人が集まっても、福島の70年をテーマにした「あいときぼうのまち」(13年)の上映館には閑古鳥が鳴いていた。政治とカルチャーの乖離を縮めたいと考え、オルタナミーティングに協力するようになった。俺に出来るのは、〝種を蒔く〟ぐらいだが、今回のブースでの出会いがケミストリーを生むことを願っている。

 原発廃炉費用に電気代上乗せで対応するという経産省の方針に反対する識者のアピールが、スピーカーから漏れていた。もっともな意見だが、違和感を覚える。緊急の課題はすべての原発をストップすること、そして体内被曝した子供たちに適正な治療を施すためことだ。いずれも莫大な費用が必要になる。

 広瀬隆氏はかつて、<原発廃炉こそが唯一の目標で、東電、そして東電を支援する銀行や保険会社を潰しても意味がない。電気代上乗せで廃炉が前進するなら、負担を受け入れるのも選択肢>と語っていた。〝反原発のシンボル〟である広瀬氏の現実的な意見は、黙殺される結果になった。

 言葉の貧困は反安倍側にも蔓延している……。俺は最近、そんな風に感じている。政権に対峙する側はまず、〝敵と味方〟を峻別する二元論を克服すべきだと思う。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« NAJATの集会に参加して... | トップ | 「K――消えた娘を追って」~... »

コメントを投稿

社会、政治」カテゴリの最新記事