酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

映画「21世紀の資本」~冷酷な世界にさよならを叫ぼう

2020-06-11 22:53:47 | 映画、ドラマ
 藤井聡太七段が渡辺明棋聖(3冠)の王手の連続をかわし、初タイトル戦を制した。指し手は冷酷なスナイパー、表現はシャイで謙虚……。このアンビバレンツが藤井の魅力だと思う。心身のダメージがあったのか、中1日の王座戦予選でプロ同期の大橋貴洸六段に屈した。藤井は決め手を与えない大橋を苦手にしており、対戦成績は2勝3敗になった。

 警官による黒人男性殺害への抗議が、米国から世界に波及している。差別を背景に<1%>の利益のみを追求してきた建国以来の政策の歪みは隠し切れない。日本も同様だが、悪い材料しかないのに株価は一定の水準を保っている。仕事先の夕刊紙記者に尋ねたら、<コロナ禍対応で財政出動が世界の空気。リスクが小さいとみて、資金は市場に流れている>……。<99%>の生活実感と無縁の株価を指標に景気を語る政治家は<1%>の代弁者とみていい。

 久しぶりに映画館(新宿ピカデリー)に足を運び、「21世紀の資本」(2019年、ジャスティン・ベンバートン監督)を観賞した。13年に発刊されたトマ・ピケティの経済書をベースに製作されたドキュメンタリーで、著者のみならずイアン・ブレマー、ジョセフ・スティグリッツ、ポール・メイソンらがコメントを寄せている。

 ハードルが高いとみて原作を読まず、時評をまとめた「新・資本論」でお茶を濁した。ピケティは同書でタックヘイブン規制と法人税アップに繰り返し言及している。<格差と貧困の拡大が民主主義の基盤を揺るがせ、排外主義の蔓延と好戦的ムードを醸成する>との主張は映画にも表れていた。

 フランス革命、産業革命、非人道的な植民地政策、富を蓄積する大英帝国、アメリカ独立と奴隷制、2度の世界大戦、大恐慌、ナチズム、ニューディール、ベルリンの壁崩壊、新自由主義、リーマン・ショック、中国の経済成長etc……。本作は経済を軸に据えた近現代史講座の趣がある。

 本作に重なったのは石川啄木の<はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る>だ。<1%>が常に<99%>を収奪する構図が、時空を超えて共通しているを再認識する。実写フィルムや「プライドと偏見」、「ウォール街」、「エリジウム」、「怒りと葡萄」といった映画のシーンが効果的に挿入され、本作のメッセージを補強していた。

 サイモン・クズネッツが提唱した<トリクルダウン>が本作のキーワードだ。アベノミクスでも用いられたが、<富裕層や大企業に行き渡った富が、次第に中下流層に滴り落ちていく>現象だ。サッチャー、レーガン、鄧小平が自信満々で語っていたが、欺瞞であったことは歴史が証明している。

 「21世紀の資本」でピケティが立てた仮説は<資本収益率は経済成長率を上回る>……。土地、貯蓄、株など資産が生む利益は経済成長以上で、格差は広がる一方になる。政治権力をも併せ持つ資本家が構造維持を図るのは英国貴族階級以来、現在まで変わらない。

 <法人税アップや福祉重視で富を正しく分配するのが自由と民主主義への道>という考えがアメリカで広まっている。ピケティと近いといえるが、左派、ラディカルの立ち位置でポスト資本主義を志向するマイケル・ハートや斎藤幸平は、「資本主義の買い慣らしを志向している」とピケティに厳しい。自身の能力を発揮する手段を民主的かつ自律的な方法で管理することを目指さない限り、現状を変革出来ないというのが彼らの主張だ。

 その辺りの議論は俺の手に負えないが、本作に生ぬるさを感じた。だが、それはピケティのせいではない。想定外のコロナ禍が格差をさらに広げ、独裁社会に至る危険が増したからだ。啄木の歌で私は〝ぢっと手を見た〟が、手を挙げて怒りを訴えないと板子一枚下の地獄に吸い込まれてしまう。

 本作は私たち<99%>が何百年も間、冷酷な仕組みに取り込まれていたことを教えてくれた。エルヴィス・コステロのアルバムタイトルではないが、今こそ「グッバイ・クルエル・ワールド」と叫ぶ時だ。世界中で声が上がっているが、日本人はおとなしい。怒るという感情を失くしてしまったのか。

 「新・資本論」やインタビュー、そして本作に触れる限り、〝論理の人〟ピケティを衝き動かしているのは、正義感と怒りだ。だからこそ共感を生むのだろう。
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