団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

大晦日に思うこと

2020年12月31日 | Weblog

  今年が今日で終わる。今年も1年365日、1日24時間、1時間60分、1分60秒を何とか生き続けることができた。

 朝5時にラジオが、5時5分に目覚まし時計が鳴りだして起床。下着だけになって体重を測り日記に記録する。5時45分から朝食。玄米のご飯、納豆、焼き魚、味噌汁、ブルーベリー入りのヨーグルトとバナナ半分。

 6時38分に家を出て、車で妻を駅まで送る。7時5分前に帰宅。コーヒーを淹れて、チョコレート1個と混合ナッツ小鉢に一杯を食べながら飲む。9時から天気が良ければ散歩。目標の5千歩を目指す。

 11時30分テレビでニュースを観ながら、昼食。前日の夕食の残り物をオカズにご飯1杯。12時30分からお昼寝20分。午後3時30分からラジオで『辛坊治郎のそこまで言うか』を5時25分まで聞きながら漢字パズル。5時30分から夕食の準備。6時28分に家を車で出て駅へ妻を迎えに行く。7時にNHKテレビのニュースを観ながら晩酌と夕食。体操を20分。歯間ブラシ3種、フロスト、歯ブラシ2種で20分歯磨き。風呂に入り日記を書いて10時に就寝。こうして毎秒毎分毎時間毎日毎月が過ぎ1年となった。

 私の日課は土日祭日週日ほぼ変わらない。今年はコロナ禍で、私は家に籠り、夫婦二人だけの毎日だった。日本に帰国する前、13年間5ヵ国で暮らした。コロナ禍での家に留まっての自粛生活は、あの海外での生活のようだった。家の中だけが自分たちの世界で、外ではよそ者だった。海外での経験がコロナ禍で役に立つなどとは思わなかった。日課に大きな変わりはないようにみえる。実は失われた時間がある。友人知人家族との会食である。去年、毎週最低1回は誰かを招いて会食を楽しんでいた。この時間を奪われたのが悔しい。それでも時間は容赦なく過ぎる。今自分を守っているのは、黙々と繰り返している小さな同じことの繰り返しだと思う。

 そうすることしかできない自分が切なくもあり、誇らしくもある。

 


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年の瀬

2020年12月29日 | Weblog

  26日(土)から妻が年末休暇に入った。今年は妻の休暇が私を緊張から解き放してくれた。東京の病院への通勤は、コロナウイルスが蔓延する渦中へ自ら飛び込んでいくかのように思えた。妻の休暇中は、二人そろって自粛生活することができる。

 年末年始の休暇ぐらいゆっくり休んでいればよいのに、妻は計画を立てていた。27日は大掃除と冷蔵庫の中の整理。28日、二人で歯医者検診。28日が集合住宅のゴミ出し最後の日なので、それまでにゴミをまとめて出す。

 私が育った家庭では、年末の大掃除は家族全員で朝から働いた。家中の畳を庭に出し、棒で叩いて埃を払った。畳の数が多く大仕事だった。床に敷いてあった古い新聞紙を除去して床を掃き、何か白い薬を撒いた。その上に新しい新聞紙を敷いた。叩いて少し陽に当てた畳を元に戻した。全部の部屋の畳をやり終えると、もう夜になっていた。2日かがりの大掃除だった。母ちゃんと姉ちゃんは、二人で家中の障子紙を張り替えた。あれだけ大掛かりな大掃除だったので、全部が終わると家中が見違えるようだった。そんな明るくきれいな家で毎年正月を迎えた。

 今、私が住む集合住宅の家には、畳が1枚もない。床はすべて板張りである。寂しい気もするが、あの重労働から解放された感は、捨てがたい。まずクイックルワイパーで壁や家具、照明器具、絵画などの埃を落とす。クイックルのモップと拭き掃除専用のアイロボットを共用する。家具の下もクイックルを使うと面白いように溜まった埃の塊が取れる。アイロボトットは、黙々と行ったり来たりしている。コードレスのハンドクリナーで、アイロボットやクイックルやホウキが取れないゴミや埃を吸いとる。以前は床のオイル塗りも自分たちでやっていたが、業者に頼んでいる。今年はコロナのせいで、それもできていない。来年にはやれるといいのだが。風呂、エアコンは、毎年ダスキンに清掃を頼んでいるが、それも今年はできない。

 妻の休暇のお陰で、いつもは一人だけで黙って散歩をするのだが、二人で散歩できる。二人だと時間も距離も苦にならない。散歩する人が増えた。一人での散歩が一番多いが、なかには夫婦も散見する。いつも夫婦での散歩を目にすると羨ましいと思うのだが、妻が休暇だとその思いも消える。早く妻が退職してくれればと思うのだが、何せ歳の差婚なので、それはまだ先の事だ。それまで私の命がもつのか心配である。

 28日には二人で歯科検診に出かけた。電車を乗り継いで行った。病院も歯科医院へ行くのも小心者の私は恐ろしい。妻はそのような素振りを見せない。PCR検査を受けて“陰性”だったこともあるが、私のように訳もなく何もかも恐れることはない。歯科検診の結果、私は来年には総入れ歯にしなければならない程、歯槽膿漏が進んでいると言われた。80-20運動(80歳で自分の歯が20本残っている)が私の目標だったのだが。

 昨日高校の同級生からメールが来た。高校のクラス担任だった中島恒夫先生が28日朝亡くなったという訃報だった。90歳だった。私がカナダへ留学する前、壮行会で『出船』を歌ってくれた。朗々たる歌声を忘れない。

 『船のやうに 年逝く人を こぼしつつ』 矢島渚

 


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イージス艦より病院船

2020年12月25日 | Weblog

  まだ新型コロナウイルス感染がダイヤモンド・プリンセス号だけに留まっていた頃から、日本で病院船の建造が取りざたされた。2月12日には衆議院予算委員会で厚生労働大臣が病院船の検討を示唆した。続いて防衛大臣も自衛隊に病院船の保持に関する調査を指示した。これで日本にも病院船が、と期待したが、またたち切れになった。平成25年に病院船建造の調査費が計上されたが、膨大な建造費と運行経費がかかり過ぎるということで廃案になった二の舞になった。しかしコロナの第一波が収まり始めると、いつのまにか病院船の“病”の字も出てこなくなった。ダイヤモンド・プリンセス号内での感染は、船内の全船一括空調装置のダクトを通して拡がった、という事実が原因の一つとして考えられる。

 日本は災害が多い国である。地震、台風、豪雨、大雪。事が起こるたびに学校の体育館などが避難所に使われる。劣悪な環境である。最近では段ボールの仕切りやベッドなどと改善もみられるが、酷い状況に変わりはない。もし自分があのような環境に避難するようになったら到底我慢できないであろう。

 政府が病院船の保持を検討しても予算がない、と一蹴されてしまう。それなのにアベノマスクに400億以上、コロナ禍で国民一人当たり10万円給付で1兆円以上、福島の洋上風力発電設置に600億円かけたが、計画断念で撤去費が600億円、原子力発電所の使用済み核燃料の処理費用に原子力委員会の試算は、7兆円~11.9兆円。さらに最近、国内2か所に設置予定だったイージス・アショアを断念してイージス艦2隻の建造を決めた。イージス艦は1隻の本体の建造費が1720億円これに武器などの付帯設備を加えると2500億円になり、さらに運用費が上積みされる。億だ兆だと気持ち良いくらい巨額な数字が踊る。

 中国や北朝鮮が日本にとって脅威であることは事実である。軍拡は歯止めがかからないものだと、私は思う。向こうが改良して高性能なミサイルを造ったから、こちらはそれを打ち落とす迎撃用のミサイルを持たなければ…と果てしないイタチごっこになる。防衛は重要だ。しかし戦後アメリカに日本から留学した多くの学生がアメリカに着いての感想が「こんな国と戦争して勝てるわけない」だったように、国力の差は歴然であった。無理をしても戦争に勝てない。国は先の展望を持たなければならない。逆転の発想が必要である。

 私は日本が病院船大国になって欲しいと願っている。軍備に金を使うより、病院船を多く持って、世界に貢献する。造船はかつて日本の主幹産業だった。船を造る技術は、世界屈指である。加えて医学、精密産業、科学産業など科学技術が秀でている。結集して最先端の病院船を持つ。今回のような世界的規模の新型コロナウイルス感染の蔓延が起きても、自国以外の国のコロナ禍に手を差し伸べる国はない。原爆やミサイルで他国を攻撃できても、コロナ禍で困っている国に手を差し伸べる国はない。みな自国の事で手一杯なのだ。

 世界の多くの指導者が、自国民に同じ目線で訴える。日本の指導者は口下手で演説も説得の訴えにも、心ここにあらず。ならば行動で国民に訴えるしかない。自分たちが金をもらえば嬉しいから、国民にも金を配っておけばいいではすまされない。1年先、10年先、100年先を見越した政策が必要である。病院船大国も一つの選択肢である。運用費用がどうの言うなら、運航を『国境なき医師団』に任せるとか、日本の資金が豊富な新興宗教団体に委託するとかの案も考えられる。病院船そのものを医科大学にするのもいい。病院船の補給基地を尖閣諸島にするのも有りだ。世界が軍事支援でなく、日本に医療援助を求めるのが理想だ。そういう日本になれば、中国もこれ以上、手を出せなくなるのでは。コキゾウの夢で終わらせないで。動けニッポン!

 


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知りたい、教えて!

2020年12月23日 | Weblog

  月曜日に妻が勤務する病院でPCR検査を受けると言った。病院からの要請で病院関係者全員が受けるという。普段から家にこもる私は、妻の東京への通勤にビビッている。自分でどれほど気をつけていようが、新型コロナウイルスが妻に付着して、家の中に持ち込まれたら…。妄想が妄想を生む。先日、私は初めてコロナに感染した夢を見た。どうやら心配し過ぎて、頭がおかしくなったのかもしれない。

 火曜日の夕方、病院に勤務中の妻からメールがきた。PCR検査の結果は、陰性だった。メールで報告を受け、「陰性」の文字を見た時、ウルっとなった。小心者の私は、結果を知るのを恐れていた。もし…の妄想は、私の頭の中でグルグルかけまわり私をもてあそんだ。陰性なら即刻知りたいが、陽性なら…。心臓に問題を抱える私にはきつかった。でも陰性と知って、心に溜まっていたコールタールのような妄想が消え始めた。

 テレビもラジオもマスコミは、なかなか私が知りたいと思うことを伝えてくれない。先日、テレビでコロナに感染して重症から回復した人のインタビューを観た。私が知りたかったのは、その人がどうやって感染したか、だった。そのことに聞き手は触れなかった。ただ感染した人がどれほど苦しかったかばかりが、取り上げられていた。感染が会食してだったのか、カラオケなのか、家庭内での感染だったのか、どのような感染防止策を講じていたのか、手洗い・ウガイ・マスク・3密回避は効くのか。ただ苦しかった、死ぬかと思ったでは、私にとって脅迫のようなものだった。

 テレビやラジオで頻繁に出てきて、意見を述べる医者たちに不信感を持つ。一番的確な意見を述べられる医者は、今、最前線で患者を救おうと懸命に診療している現場の医者だ。あちこちのテレビ局を掛け持ちで出演している医師たちは、どの程度この医療崩壊が叫ばれている現場に身を置いているのか。中には開業医でずいぶん遠くの自分のクリニックからテレビ局まで来ている医師もいる。

 医師コメンテーターだけではない。朝から晩まであちこちの局で、ワイドショーがコロナ問題を取り上げている。医者でもない学者でもないタレントたちが、騒ぐだけの番組が多い。何人感染した、重症者が何人、亡くなった方が何人と数字ばかりで、視聴者がどうすればいいかという対策が伝えられない。「しっかり」「きっちり」の言葉だけが目立つ。国、都道府県から発せられる勧告に、「…と思われる」が多い。もう思われる段階はとっくに過ぎている。

 最後の頼みであるワクチン報道にも疑問が多い。疑問には答えが必要。例えばワクチンを何人分どこどこの製薬会社と契約したとの報道。でもいくらという肝心な数字がない。たまたまヨーロッパのどこかの大臣がツイッターでポロリ情報を出してしまった。アストラゼネカの1回分225円、モデルナ1860円、ファイザー1520円だそうだ。このツイッターは出されて30分後に削除されたとか。故意なのか否かは不明。

 欧米ではワクチンが闇ネット上で販売され始めたという。もちろん偽ワクチンで詐欺だろう。やっと完成したワクチンの争奪で国内が混乱をきたすという、ダスティ・ホフマン主演の映画『コンテイジョン』が現実になりつつある。コロナも恐いが、読者や視聴者が知りたいことを伝えないマスコミや無策で指導力のない国家は、もっと怖い。

 


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継続は力なり

2020年12月21日 | Weblog

18日金曜日東京の病院へ3カ月検診で行ってきた。コロナ禍以前だったら、東京へ行けるという喜びでウキウキした気分で出かけた。最近第3波のコロナ感染拡大で東京の感染者数は増加している。普段自宅にこもっている私は、極端に憶病になっている。コロナも恐いが、糖尿病の悪化も恐い。どんなに気をつけていても、目に見えないウイルスをどこで体内に入れてしまうかわからない。ましてや病院内での感染も多い。できるだけの用心をして出かけた。

 血液検査の後、今私が一番懸念している脚の血管検査を受けた。検査室に呼ばれた。検査担当は、女性の検査技師だった。「体重と身長を計るのでこちらへ」と誘導されて待合室の隅にある体重と身長を計る計器に案内された。「靴は脱いでください。靴下は履いたままでいいです」 計った。私は毎朝体重を測り日記帳に書き込む。寒い日だったので厚着していた。朝計った時より2キロ多かった。身長は前回より2ミリ縮小していた。老化現象だ。計測が終わって、靴を履こうとした。「そのまま検査室へどうぞ」と検査技師に言われた。私は信じられなかった。病院という一番衛生状態に気を遣うべき場所で、靴下で床の上を歩く。そうでなくても今、コロナというウイルスでマスク、ウガイ、手洗いを喚起されている。ここは病院でしょう。

 検査室に入った。「ズボン下は脱いで、ズボンを履いてください。靴下も脱いでください。上はそのままでいいです」 そう言って技師は、私の周りにカーテンを回した。コキゾウは、服と靴下を脱いだり履いたりするのが難儀する。毎朝「オトットッ」と右へ左へ大揺れしながら、時にはよろけ、足がズボン下の途中で引っかかる。ズボンを脱ぐだけならいい。また履くのが面倒。靴下も厚手の長い膝までくるのを履いていたので、脱ぐのに一苦労。裸足で床を歩いてベッドに横になった。ウイルスって手や喉だけから侵入するのではないでしょう。もう少し病院なら衛生環境に気を遣ってくれ、と音にしない声で叫んだ。

 検査は、脚の血管の硬さと血管の詰まり具合を数値化するものだ。両脚のふくらはぎと両手の上腕にマンシェット(空気を送り込んで脚や腕を締め上げる巻物、血圧を測るとき巻くのと同じ)を4個装着。「2回計ります」 私は感情がすぐに顔の表情にあらわれる。靴下のまま待合室を横断させられたこと、ズボン下を脱ぐように言われたこと、裸足で検査室をあるいたこと、それらが私の表情に強く出ていた。機械が作動して、両手両脚を締め上げ始めた。マンシェットの下だけでなく、頭の血管もぶちぎれそうになった。これ以上我慢できない、と思った瞬間、マンシェットから空気が抜け始めた。止めていた息も同時に戻った。まさかこの技師、私の不機嫌への懲らしめをしているのではないだろうな、と疑った。2回目、これさえ我慢すれば終わる。終わった。あれ、外さない!また空気が送りこまれた。2回終わったよね。結局4回。私は、不愉快全開で検査室を出た。

 主治医の診察。「脚の血管の詰まり、改善してきましたね」 問題の右脚前回0.67が0.76に左脚前回0.79が0.94。脚の血管の詰まりがわかってから、2年。まったく変わらなかった数値が動いた。私は散歩に医師に勧められた特別な運動を毎日欠かさず続けてきた。途中5回の検査を受けていた。前回まで「可もなく不可もなく。悪化はしていないが改善もない」とずっと言われていた。今回は違う。コロナの恐怖も、靴下のまま待合室を横切ったことも、ズボン下だけを脱いでまたズボンを履いたことも、裸足で検査室の床の上を歩いたことも、消えた。嬉しかった。医師に「これ以上悪化したら、脚の切断もあり得ますよ。運動療法しかありません。あなたの努力次第です」と言われて2年。コキゾウは、私の体は、滅びゆくばかり、と決めつけていた。時間はかかるが、継続は裏切らない。


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五七五の宣伝文句

2020年12月17日 | Weblog

  人生の早いうちに自分が売るのは下手で買うのは上手とわかった。買うのが上手といっても、値段の交渉がうまいとか言うのでなく、売り手の口車に簡単にのったり、宣伝文句を鵜呑みに信じてしまうのである。

 民放テレビも民放ラジオも、番組は提供会社によって成り立っている。当然、提供会社は、自社製品を秒単位まで計算した猛烈な売り込みを仕掛けて来る。仕方なくその宣伝攻勢に目と耳をさらしている。ほとんどが取るに足らないつまらない宣伝である。中には私の買い気を刺激したり、琴線に触れてくるものもある。

 妻がロシア領サハリン(旧樺太)へ転勤になった。サハリンで車は、日本と反対の右側通行である。にもかかわらず、日本の右ハンドル車が圧倒的だった。日本から輸入した中古車である。乗用車ばかりではない。トラックも商用車のバンも多い。トラックもバンも日本の会社名店名が書かれたまま走っていた。海外で日本の風景から突然切り取られてきて出現したようでドキッとする。ある日ユジノサハリンスクの通りでトラックに書かれた「あっ」と声を思わずあげた日本語を見つけた。一瞬目を疑った。まさか。何と私の出身地上田市の上田製菓の配達車だった。小学校の給食にパンが必ず付いていた。そのパンは、上田製菓のものだった。この会社の配送トラックに『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』とあった。あの『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』をユジノサハリンスクで読んだ。すでに50年以上前、小学生の時の給食のパンの配送車の『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』を読んだ日に戻った。

 コキゾウは、過去を選別することなく断捨離している。それでも忘れられないことはある。私が小学生の時、米ばかり食べていると体に良くないと言われていた。学校給食にご飯が出されることはなかった。コッペパンがご飯代わりに出された。『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』は、強烈に私の食生活に影響を与えた。“愛”と“パン”は、私の心の中で化学変化を起こし、定着した。誰が考えて作ったか知らない。物覚えが悪い、記憶力の弱い、この私が73歳になっても、まだスラスラ言えるのだから凄い。

 私は、自分でもあきれるくらいミーハーである。とにかく外からの影響を受けやすい。信念という確固たる自我を持てないようだ。この歳になって、自分の性格を変えることはまず不可能。だからこのままでいるしかない。天邪鬼で頑固で短気。これを最大限生かして余生を楽しむつもりでいる。

 それにしてもテレビラジオでの宣伝、DMによる宣伝攻勢が止まらない。DMはゴミ箱に直行。テレビラジオの宣伝は無視シカトを決め込む。これだけ進んだ世界で、いまだに遅れているのは宣伝の世界かもしれない。数うちゃ当たる、は古い。アマゾンなどで商品の検索をすると、いつの間にか画面にその商品の宣伝が次々に出て来る。恐ろしや。通販で物を買うと、その会社からのメールが頻繁に送られてくる。

 宣伝洪水の中で、心に残る、自分に良い影響を与えて来る宣伝文句は少ない。昨夜、熱い風呂に入って、『日に一度、パンをかかさぬ、母の愛』指を折って数えたら、えっ、五七五。ずっと気が付かなかった。これって俳句と同じ語調になってるじゃん。覚えやすいわけだ。


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居眠り・うたた寝

2020年12月15日 | Weblog

 私は子どもの頃から寝るのが好きだった。正月が近づく、といってもすでに10月頃から、「♪もういくつ寝ると お正月…♪」の態勢に入り、正月を特別な想いで待っていた。正月が来る日を待ちわびる想いが、まるで睡眠導入剤のように心地よい眠りを誘った。小学生高学年の時、テレビドラマ「人間灯篭」を観た夜から、私は死の恐怖にとらわれた。夜が恐くなり、柱時計の振り子の音がまるで、死へのカウントのように感じた。眠れぬ夜を半年ほど経験した。寝ることが死を連想させ、寝たら死んでしまうと恐れていた。そのことを仲が良かった宮原君に話した。「何言ってるの。僕たちの未来は、これからなのに、爺さんが考えるような事考えない方が良いよ。まだまだ死ぬなんて先の先の事だから」 明るい宮原君の意見に感心した。でもまもなく同級生の小松君が急死して、クラス全員で小松君の葬式に参列した。あの晩からまた寝るのが恐くなった。宮原君も相当参っていた。時間は、人を変える。そんな死への恐怖も、クラスの美津子ちゃんに対する恋心のようなものが芽生えると消えた。思春期の始まりだったらしい。寝る前に、美津子ちゃんに明日会った時、どう振舞うか考え、夢で逢えるよう願いながら寝たものだ。

 あれから中学、高校、大学と月日は流れ、結婚して二人の子供を授かった。しかし最初の結婚は離婚の結末となった。二人の子供を男手ひとつで育てた。子供は学校が終わると私の仕事場に来た。事務室で宿題をやっていた。私の仕事が終わるのが9時、車で自宅戻る途中、子供は後部座席に立って私のシートに手を巻き、持たれかかっていた。しばらくすると二人は立ったまま寝ていた。天使のように寝ていた。その寝顔が私に決断させた。このままなら全員がダメになる。長男は全寮制の高校へ、長女はアメリカの友人一家に預けることにした。すでに二人とも大学を卒業して、家庭を持っている。

 縁あって再婚した。妻はまだ働いている。私はひとりで留守番している。それこそ三食昼寝つきの生活である。今年前半から始まったコロナ騒動で、友人たちと会うこともなく、買い物も家の近所で済ませるので東京へ行くことも病院へ行く以外行くこともない。ほとんど喋ることもなく日中ひとりでいる。簡単な昼飯を食べてソファに座り庭を見ていると、いつの間にか眠ってしまう。これが気持ち良いのである。長い沈黙か独り言の時間が過ぎて妻が夕方帰宅する。私が用意した夕食がすぐ始まる。妻の晩酌に付き合う。私はアルコールが入るとすぐ眠くなる。食事が終わって、椅子に座っていると、瞼が重くなり、こっくりし始める。これがまた、まどろむほどに気持ちいいのだ。今の私にとって“こっくり”も“まどろむ”も“居眠り”も“うたた寝”も幸せを表す言葉である。

 このところ寝つきが悪くなった。妻は勤務と遠距離通勤の疲れのせいですぐ寝てしまう。寝息を聞いていると、心が安らぐ。でも私は中々寝付けない。以前のようにバタンキューで朝までノンストップで熟睡ができない。やっと寝たと思うと目が覚める。時計はまだ2時半とか3時。

 これが原因で昼間の居眠りが楽しめるなら、夜の悶々も我慢できそうである。歳を取るということは、悪いことばかりではない。

 

 


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渡部建さん、宮崎謙介さん

2020年12月11日 | Weblog

 最近ニュースでファンでもない興味もないタレントの渡部建さんの会見を観た。全部聴いたわけではないが、聴いた限りでは、会見の仕方が下手だなと感じた。相手の発言をさえぎり、ダラダラ話し、泣いたり、質問なのか糾弾なのか、目がうつろで、お行儀が良くない、きちんと話せない、聞けない、一貫性がない、決めつけが激しい、礼儀も何もあったものではない。会見は、議論ではないが、ここに議論のルールというフィンランドの小学5年生が書いたものがある。会見の模様をピタリと表している。

  議論のための10のルール:①相手の発言をさえぎらない。②話す時は、ダラダラ喋らない。③話す時、怒ったり泣いたりしない。④わからないことはすぐに質問する。⑤話をする時は、相手の目を見る。⑥話を聞く時は、他の事をしない。⑦最後まできちんと話を聞く。⑧議論をひっくり返さない。⑨どのような意見も間違いと決めつけない。⑩議論は礼儀正しく親切に。

  テレビに出まくる芸人やタレントの多くは、テレビカメラに映る、テレビカメラに撮られる度胸だけだと、私に思えることが多い。テレビでは、ワイワイガヤガヤやってるが、実は中身が薄っぺらである。渡部建さんの会見は、議論ではないが、10のルールを一つずつ渡部建さんの会見に当てはめてみると理解しやすい。渡部建さんだけでなく、質問する記者たちにも、このルールは当てはまる。

  日本の教育は、高水準なものだと思う。しかし正しい議論の仕方が、学校教育の中に組み込まれていない。残念だ。芸能人、政治家、役人、経営者どの職業に就く人でも、議論やスピーチの訓練は、必要である。最近ドイツのメルケル首相がコロナ感染の拡大に関するスピーチは、素晴らしかった。日本の首相、官房長官のあのシラッとした、目が泳いでいる話し方とは違う。

  渡部建さんが何をしたかに興味はない。私はカナダで学生時代暮らした。ネットフリックスやアマゾンプライムで観る映画やドラマは、留学時代の生活を彷彿させる。私が留学中に感じたのは、人間が性欲を持つのは、自然なことだということだった。高校はキリスト教の厳格な全寮制だった。ここではもちろんモーゼの十戒にある“汝、姦淫するなかれ”をはじめとした、がんじがらめな校則があった。あのような厳しい学校があるのは、他が厳しくないからである。アメリカでもカナダでも多くの家庭に招かれて滞在した。親の子供の性に関する態度に共通性を私は見出した。自分もそうだったから子供がそうでも当たり前。とても自然でわかりやすかった。

  私が日本で通った高校は、いわゆる進学校だった。見方のよれば、日本の高校の方がカナダの厳格なキリスト教の高校よりもっと修道院のように思う。日本の高校にも性に関してませた生徒がいた。性の経験を自慢げに話していた。世間では、そういう生徒を不良と呼んだ。アメリカやカナダの多くの子は、日本でいう不良なのだろう。宮崎謙介さんの不倫のニュースを観て、日本の高校での性体験を自慢していた生徒とダブった。

  ネットフリックスでもアマゾンのアメリカ映画やドラマでも、トイレでの殺しやセックス場面が多い。渡部建さんもアメリカ映画やドラマの影響を受けたのではと思ってしまう。性に関しても犯罪行為は、もちろん許されない。芸能人であれ誰であれ、法を犯さない限り私生活に、なにびとであっても立ち入るべきではない。日本での渡部建さんの会見を観ていて、どうして男と女の関係だけを、こんない厳しく取り上げて、男と男や女と女の関係は取り上げないのだろう、と思った。テレビには、多くのLGBTや性同一症の人が出演している。彼ら彼女たちの性スキャンダルは、まずマスコミは取り上げない。平等であるべきではないだろうか。不思議に思える現象だ。

 アメリカ人の友達の父親の性に対する言葉「自分たちもそうだったから。自然なことだから」と、 私が日本で預かって半年同居したアメリカ人高校生が避妊具を私に見せて「お母さんが私に持たせて、絶対、女性を妊娠させてはダメよ,と言われた」と彼が言ったことを思い出す。日本の人口が増えない理由の一つに、行き過ぎた性の抑制と罪悪感のような不自然さがある気がしてならない。


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エベレストとZoom

2020年12月09日 | Weblog

私のパソコンのモニターには、文章だけでなく、画像も映る。昨日、一枚の写真とZoomでの動画が、映し出された。

 一枚の写真は、カナダに住む知人からだった。彼女とは妻がネパール在任中に知り合った。彼女はネパールのエベレストを望む「ホテル・エベレストビュー」を立ち上げた宮原巍さんの下で働いていた。宮原巍さんは、昨年11月24日カトマンズで亡くなった。遺体はエベレストビューで荼毘にふされた。彼女からのメール:「…昨年エベレストビューの元ボス宮原さんが亡くなり丁度11月で1年でした。日本で手術されたのですが、スキルス胃がんで痛みの症状がなく発見された時はステージ4でした。私も看病に数か月通いましたが最後はネパールへ戻りカトマンズの病院で亡くなりました。遺体をエベレストビューまでヘリで上げてそこで火葬にしましたが、亡くなれば全てが「無」だと昇って行く煙を見ながら感じた事がついこの間の事のようです。…」 添付されていた写真は、息が止まるほど、綺麗だった。そしてそこに煙がヒマラヤの高い峰々のトンガリを押さえ宥める様に立ち昇る。

 宮原巍さんは、上田市の近くの青木村で生まれた。私たち夫婦と同じ上田高校出身である。当時カトマンズの日本人会の会長でもあった。ネパールで暮らした3年間、大変お世話になった。思い出はたくさんある。写真の中の立ち昇る煙に、私の想いを込め、頭を垂れる。

 その後、今度は高校の同級生の友人N君からメールが来た。N君からZoomをやってみようと誘いを受けていた。しかしこの1カ月、良く眠れず、頭痛や風邪で体調がすぐれず、Zoomデビューを先延ばしにしていた。私は録音された自分の声、撮影された自分の顏、姿が嫌いだ。恥ずかしいこともあるが、とにかく好きでない。

 N君は優しい。メールで何度も丁寧にZoomの使い方を教えてくれた。12月8日午前10時にZoomで会うことを決めた。ついにその時がやって来た。私はパソコンの前に座った。画面にはポストイット。「入れ歯を忘れるな!」 そうだ、入れ歯を入れなければ、洗面所に走る。鏡で入れ歯の具合を点検。O.K。パソコンの前に戻る。まごまごしているうちに10時4分になった。携帯電話が鳴った。同時に画面にN君が大写しで登場。指示通りに操作して、画面を2分割に…。できた。二人が画面の半分半分にいる。N君「顔が半分しか映っていないんだけど、もっと上にできる?」と言う。座高が子供の頃から高い私である。どこがいけないのか!そうだ。使っているバランスボールだ。バランスボールはゴム製で空気を入れてある。体重で沈む。背筋を伸ばして、顔を上に向けた。「良くなりました」

  こうしてあれほど敬遠してきたZoomなのに、気が付いたら1時間以上N君と会話を楽しんだ。終わった。今日は記念すべきZoom初挑戦の日となった。持つべきは良き友である。こうしてパソコン音痴の私が何とかZoomを使えるようになった。はやぶさ2号も凄いが、私のZoomデビューもそれに匹敵するぐらいの事件だ。

 綺麗なエベレストビューの荘厳な景色に立ち昇る尊敬する宮原巍さんの荼毘の煙。画面に2分割されたN君と私の動く顏、届くリアルタイムの声。写真と動画が、私の喜怒哀楽を優しく揺すって覚醒させた。


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鴨ネギ

2020年12月07日 | Weblog

  携帯にメールが入った。孫の一人が中学でサッカー部に入っている。コロナ禍でもあり、なかなか試合を応援に行けない。孫は結果をメールで知らせてくれる。私の楽しみである。いつものように喜び勇んで来たメールを開いた。「ご本人様不在の為お荷物を持ち帰りました.ご。(注:私の打ち間違えではありません。原文のまま)確認ください。http:……… 080-…―…― 12月2日」

 これ絶対におかしい。コキゾウは、妻のキツイご達しを思い出す。「変なメールが来たら、絶対にページを開けたらダメ。電話は留守番電話にしておいて、相手を確認できない限り、受話器は上げない。わかった。ちゃんと守ってね」 お達しのお陰もあって、脳と手が別の動きをするのを止めることができた。脳でわかっても、手が勝手に動くことの多い今日この頃である。

 妻の誕生日が近づいていたので、子供達から知人友人から誕生日とお歳暮を兼ねた小包がこのところ増えていた。私はある宅急便の会社の会員登録をしてあるので、配達があるときは、その会社からメールが入る。しかし上記のメールには、会社名がない。怪しい。“持ち帰りました・ご。” 更に怪しい。電話番号が携帯の番号。携帯電話は、使い捨て出来る安いものが犯罪に使われている。これはアメリカ映画で学んだ。メールのアドレスがhttp.

になっている。宅急便や郵便局がこんなアドレス使うはずがない。もっと怪しい。

 こうやってコキゾウの脳はフル回転。時間が経つにつれ、怒りが雨後のタケノコのようにニョキニョキ顔を出してきた。不審者や犯罪に関わる人物から身を守るために、玄関のドアの鍵は3重になっている。玄関だけが犯罪者への扉ではない。電話やパソコンさえ、彼らの侵入口になっている。便利なようで実は、危険な世の中になっている。

 私はコンピューターとかSNSとかラインとか、そっち関係の事には疎い。だから何かあると有料の専門家に来てもらう。以前、私の手が勝手にパソコンのキーを押してしまい、大切な原稿を一瞬にして消してしまった。今でもあの消えた原稿の事を思うと、心臓がピクピクする。もう二度とあの経験は、御免こうむりたい。どんな細かいことでも専門の人を呼んで診てもらう。今回は電話で相談した。明らかにこれはフィッシングの一種で、メールで返信したり、電話をかければ、向こうの思うつぼとなる。高額な請求だけならまだしも、パソコンから情報を抜き出される恐れもあるそうな。

 妻の携帯にも同じ文言でメールが入った。妻はずっと前から携帯を持つのをやめたいと言っている。しかしそれを私が説得した。なぜなら地震や災害や事故が起これば、連絡は携帯が一番だと思っているからだ。東日本大震災で妻は病院で一夜を明かした。いつあのような災害が、再び起こるか分からない。今回のおかしなメールの文面を読んで、私も携帯を持つのをやめようかと思い始めている。

 ある営業の担当者が「金持ってるお人好しと気の弱い人は営業の絶好の鴨です。あっさり人を信用するし、失敗しても我慢してくれる」と言ったそうだ。私は「金持っている人」ではないが、間違いなく「気の弱い人」である。私はいい鴨、でもネギまでは背負わない。負けてなるものか。戦いは続く。

 


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