団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

Tシャツ水着

2008年08月28日 | Weblog
 今回のオリンピックの水泳で英国のスピード社の水着が話題になった。日本の競泳陣の選手の多くは、日本のスポーツ用品の会社と契約を結んでいて、その会社製の水着を着ることを要求されている。ミズノの契約選手である平泳ぎの北島康介選手が「泳ぐのは選手で水着ではない」の名言を吐いた。そして彼は結局、スピード社の水着で2個の金メダルと1個の銅メダルを獲得した。たいした選手である。

 私は心臓の手術を受けてから、人前で水着になるのに気が引ける。糖尿病の運動療法の一環でスイミングスクールに通ったことがある。私の命を救った手術跡に感謝こそすれ、恥じることはない。しかし他人の目には決して快いものではないことも理解できる。そこで私はロシアのサハリンで買ったTシャツ水着を着て上半身を被うことにした。スイミングスクールの講師には、理由を話し、了解を得ていた。私は時間厳守を心がけている。朝9時に始まるクラスなので、10分前にはプールに出ていた。スイミングスクールには講師以外のスタッフもいる。プールの点検をしていた女性スタッフがTシャツを着たままの私を見つけて首にかけていた笛を吹いた。「Tシャツを脱いでください!」

 私はとっさの行動や言動をとれない、もたつきやすい人間である。しどろもどろしていた。そこに私が所属するクラスの講師、あこがれの田中先生がさっそうとしたスカイブルーの水着で現れた。「いいのよ。この生徒さんは特別な事情でTシャツを許可されているの」 先生は女性スタッフに私に代わって、説明してくれた。 田中先生ありがとう。こうして私は救われた。

 今、Tシャツ型男性水着が売れているそうだ。私のように胸に大きな手術跡がある人が、日本にはどんどん増えているのか、とはじめは心配になった。ところが売れている理由は、気になる大きなお腹を隠す、つまりメタボ対策なのである。隠す、という理由は同じである。隠すものが何であれ、Tシャツに注目した水着メーカーは偉い。これで私も安心してTシャツ水着を着ることができる。

 今の町に引っ越してから、また最初から胸の手術跡の説明するのが嫌で、スイミングスクールには入りなおしていなかった。来月からさっそくスイミングスクールに行こうと思う。スポーツクラブに通う30~40代の男性の多くが、Tシャツ水着の愛好者だという。待てば海路の日和あり。世の中は動いている。

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田舎の夜

2008年08月25日 | Weblog
 今住んでいる家の周りは一日中にぎやかである。私がセミ時雨といったら、妻がこれは時雨でなくて豪雨だから、セミ豪雨と言うべきだと提案した。

 海の近くに住む私たちが、盆を田舎で迎えるために長野へ行った。長野の田舎は、山々に囲まれた盆地である。妻の実家は、田園地帯の端の丘の上にある。到着した日、気温は35度を記録した。暑い日だった。山の際まで住宅がびっしり建てられている。

 しばらくして気がついた。静かなのである。セミも虫も鳴いていない。風を取り入れるために窓という窓、全てが開け放たれている。屋外の暑さのわりに、室内はクーラーもないのに涼しい。セミの鳴き声がない静かさが余計涼しく感じさせる。

 夜が来て蚊取り線香に火をつける。ありきたりの豚の蚊取り線香入れから煙が立ち上る。2年前に亡くなった義父の仏前に提燈がともされている。夜になってもあたりの静かさに驚く。そして窓からやさしく吹き込む田んぼの上を渡ってきた風が気持ちよい。いつしか長い道のりの運転の疲れもあり、固いせんべい布団にタオルケットだけの寝具も気にせず、すとんと眠りにつけた。

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トルコキキョウ

2008年08月20日 | Weblog
 夏の暑い昼下がり、田んぼが続く田舎道をKさん(92歳)が自転車に乗って家に向かってペダルをこいでいる。麦わら帽子をかぶり、しっかり自転車のハンドルを握っている。Kさんの後ろに軽自動車が近づいてきました。運転しているのは、S病院の看護師Uさん(31歳)です。助手席に白衣を着た女医のY医師(36歳)が乗っています。SさんはKさんの耳がほとんど聞けないのを知っていて、クラクションを元気よく鳴らします。

 まわりは田んぼだけです。田んぼの稲はもうすぐ穂をだしそうなくらい大きくなっています。田んぼの向こうは山です。ここは盆地で山々がぐるっと取り巻いています。入道雲がむくむく起き上がって空高く昇り始めています。Kさんはそんな景色を見ているのかどうかはわかりません。何となくよたよたしている感じですが、バランスをくずす事はありません。軽自動車の二人がニコニコ、Kさんを見守っています。軽自動車のドアに“S病院訪問診療部”と書いてあります。

 まもなくKさんは、勢いよく水が流れる農業用水路の小さな橋を渡り、大きな農家に入ります。後ろをつけてきた軽自動車も橋を渡り、広い庭に入り、納屋の前に停まりました。U看護師が元気よく車から降りて、後部からドクターバッグを取りだしました。“バタン”と大きな音をだしてUさんが後部扉を閉めました。

 Kさんはひょうひょうと自転車を押して玄関の中に入れます。病院の二人にはまったく気がついていません。 奥の台所からお嫁さんが、飛び出してきて、頭の手拭いを取り、手に持って病院から来た二人のところに駆け寄ります。「すみません。わざわざこんなところまで来ていただいて」お嫁さんが家の中に向かって「おばあちゃん!Y先生が往診に来てくださったわよ」と叫びました。

 玄関の三和土(タタキ)の向こうの座敷でおばあさんが乾いた洗濯物をゆっくりたたんでいます。「それはそれは」と立ち上がります。Y先生とUさんが三和土の上にお嫁さんが用意してくれた椅子に座りました。小さなテーブルの上に血圧計や体温計などが置かれています。Y先生は聴診器を首にかけました。奥からおばあさんが身支度を整えながらやってきます。

 そこへ突然Kさんが孫のママゴトに使っているビニールの椅子を持ってあらわれました。KさんはチョコンとY先生の前に座ります。作業着の腕をゆっくり捲り上げます。まくられた腕は陽に焼けた手とは違って真っ白です。おばあさんがイス取りゲームで負けた子のようにキョトンとしています。Uさんもいつものことかとニコニコしながら血圧計をKさんに巻きつけました。Y先生が聴診器の先の部分を、巻いたマンシェット(血圧計の腕に巻く部分)の中に入れ、空気をシュポシュポ送り込みます。Kさんは真剣な顔をしています。結果が出ました。Y先生が数値をKさんに見せます。Kさんがしわくちゃな顔をもっとしわくちゃにして微笑みます。健康そのものの120-80に大満足です。Kさんイスから立ち上がり、深々とお辞儀してどこかへ行ってしまいました。

 Y先生とUさんはおばあさんの診察を終えて、片付けて車に乗り込もうとしました。そこへトルコキキョウを抱えたKさんが走りより、Y先生に渡しました。すかさずお嫁さんが「じいちゃんが育てたトルコキキョウです。はぶきですがどうぞ」と言いました。Kさんは渡すとすぐにまたどこかへ行ってしまいました。 Y先生はトルコキキョウを見るといつもあの日のKさんのことを思い出します。 (写真:トルコキキョウ)

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6時54分の女性

2008年08月15日 | Weblog
 妻は最寄りの駅から7:02発の電車で出勤する。家の駐車場を6時48分に出ることにしている。駅近くの横断歩道に6時54分ごろ到達する。そこで毎朝ひとりの同じ女性を見る。年齢は確実に60歳を超えている。少し猫背、身長は150センチ前後である。職業は予想がつかない。きちんとした身なりで清潔感が滲み出ている。白髪の混じった肩までのびた髪の毛には、櫛が通っている。バス停のまわりの空き缶やタバコの吸殻を拾って片付けていることもある。やろうと思ってもなかなかできることではない。身なりから考えても、きちんとした清潔好きな人なのだろう。季節ごとに洋服も変わる。どこでどんな職業についているのかも、彼女の歴史も、家族のことも何もわからない。それはそれでよい。ただ6時54分ごろ、元気であの横断歩道の近辺にいてくれれば、私は安心安堵できる。毎朝の日課のようなものなのだろう。単純な繰り返しの日常のひとコマである。彼女は私を知らない。これからも知ることはないと思う。

 テレビでも同じ時間に同じ人が出演していると、そのことがいつの間にか生活の中で習慣化する。同じことの繰り返しは、単調ではあるが、ある種の安心も与えてくれる。

 英国紳士は、毎日同じ時間に起き、同じ食べ物、同じ列車、同じ席、同じ新聞を同じ順番に読む、同じ仕事、同じランチ、同じティー、同じパブ、同じ夕食、同じ時間に就寝するという。誇張や馬鹿にしていることもあるとは思うが、そういう生活を求める気持ちも理解できる。それを人間の理想的な一生とする人びともいる。そこまでいかなくても安定は、心地好いものである。

 カナダで私が学んだ学校のマックスウエル学長は、毎日決まった時間に決まったところを通過する散歩を続けていた。夏は砂漠のように高温で乾燥し、冬はマイナス45度になる。そんなことは一切関係なくマックスウエル学長は、とぼとぼとゆっくりした足取りで歩いていた。寮の窓から学長を見かけると、それが行きか帰りかで何時何分かわかった。私が在学していた頃、87歳と聞いた。学長は97歳で亡くなり、亡くなる前の日まで散歩を続けていたという。

 どんなことでも毎日続けることは難しい。私にも何か毎日続けられることがあればと願う。そのことでだれかが私を見ていて、見ている人を安心させたり、励ましたりできたらどんなに素敵だろう。どんな小さなことでも毎日続けることは、凄いことだとオリンピックを観ていて思う。結果を見るより、私は自分のそして周りの人々の人生の過程に注目していたいと思う。

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6億円

2008年08月12日 | Weblog
 徳島県の土地改良組合の60歳の女性会計係が6億円を横領した。テレビでは連日ワイドショーがその事件をとりあげている。

 腹立たしい。私の腹の中では「うまい事やりやがって」という羨望の汚らわしい考えも嘘偽りなくある。しかしある番組でその息子とやらと電話で接触し話しているのを聞いて、その気持ちはすっぱり消えた。

 この母と息子は、人間としてクローンである。母の品性、知性、倫理は完璧なまでに息子に刷り込まれている。見事としか言いようがない。この母にしてこの子あり。親子とは実(げ)に恐ろしきものかと再認識した。

 親は子供を躾けることもできるが、子供を堕落腐敗させることもできる。子は忠実に親の日常の生き様を、自分の中に取り込む。気がつけばクローンの出来上がりとなる。

 キャシー・ライクスの『骨と歌う女』に「弱者を食いものにして生きているこの下司どもは、いったいどういう連中なのか。大部分は、正規の教育をきちんと受けたり、世間でまっとうに働いたりする根性も知能もないやつらさ。女を食いものにするのは、心の奥底で女をおそれているからだ。教育がなく、自分に対して幻想を抱き、多くの場合、肉体的なコンプレックスがあるため、刺青をしたり、あだ名をつけたり、徒党を組んで共通のニヒリズムを強めたりしている」というセリフがある。この事件でこのセリフを思い出した。

 日曜日の午後6時から日本テレビ4チャンネルの『バンキシャ』のレポーターが、6億円横領事件の女性会計係の息子との電話でのやりとりを放送した。いったいあのような母親の息子はどんな人間なのかと大変な興味を覚えた。息子の話し方には、品性も知性も倫理も感じなかった。ただ感情に支配される肉塊であった。言葉遣いが汚い。お金の使い道も実に不愉快である。沖縄や東京のクラブで豪遊したとほざく。一本800万円のシャンペンを開け、どんちゃん騒ぎをしたとうそぶく。

 子供を幼稚園から大学まで修めさせるのに1800万円かかるといわれている。男が空けたシャンペン2本とちょっと分である。この1800万円で親はどれだけ皆苦労していることか。

 このレポートを観ていて気になることがあった。この息子、甘やかされた子供の特質である“キレやすい”が顕著で、捨てゼリフをわめいてすぐ電話を切る。そしてまたかけてくる。つまり普段まったく胸襟をひらいて語り合える人間がいない、“誰でも良いから”グループに属しているのである。この男が子供時代、あの両親と食事時どんな様子だったのか、何となく光景が見えるようである。

 貧しい国々で年間の現金収入が100ドルに満たない人びとがいる。時を同じくしてホリエモンの保釈金が6億円と報道された。いったいこの国の金銭感覚はどうなっているのだろう。“狂”という字しか私の頭に浮かばない。

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花火

2008年08月07日 | Weblog
 今日は私の住む町の花火大会である。日本の花火は最高だ。花火といえば、ネパールで夢見たことを思い出す。

 ネパールの首都カトマンズは盆地にある。標高八百メートル。この標高はちょうどマラリアの媒体である、ハマダラ蚊の繁殖できない位置になる。ネパールを旅行していると不思議に思うことがある。なぜ、わざわざこんな不便な山の高いところに、ひとが住んでいるのだろうかと。答えは蚊から逃げるためだ。インドやイギリスが、軍事力でネパールを支配下に置けなかったのは、印ネ国境のタライがマラリアの発症地帯で軍隊の侵入を拒んだからだ。中国がネパールを取れなかったのは、ヒマラヤの山々が要塞になり中国軍の侵入を拒んだ。カトマンズは要塞のような首都である。

 飛行機でカトマンズ国際空港に着陸するときは、窓から下を見ないほうが良い。盆地の底に向けて降下する機体は、山の頂上スレスレである。この頂を出来るだけ低く越えないと、空港の滑走路の長さをフルに活用できない。着地角度のキツイ着陸である。いつも晴れていれば事はもっと容易だが、カトマンズ盆地は雷雨、濃霧、気圧変化、乱気流、風向多変、突風など問題だらけである。

 その盆地に三年暮らした。大洪水、停電、断水、赤痢、肝炎、寄生虫いろいろ経験した。人々の生活は、いまだ日本の室町時代並という人もいる。しかし、人間味の実に深い人々が暮らす地である。カースト制度が根強く残っている。一般庶民の生活の貧しさは目を覆うばかりである。私に夢がある。カトマンズで気候のいい冬、花火大会をやるのが夢である。カトマンズの真ん中を流れるバグマティ川の中州から、空高く次から次へと花火を打ち上げる。

 イラクのバグダッド、チグリス・ユーフラテス河で花火大会を。アフガニスタンのカブールで。パレスチナで。いかに人殺しが無意味で悲しいことか。人びとに平和を訴えるために、紛争の地に花火を届け、打ち上げるには途方もない時間、費用がかかることだろう。誹謗中傷、非難、無理解、妨害を嫌と言うほど受けるだろう。しかし同じ火薬でも殺人とためと観賞用とは雲泥の差がある。継続は力という。何といわれようとひたすら花火にした火薬を世界に広げる。100年かかるかもしれない。1000年かかるかもしれない。ODAの美名に隠れて、賄賂をばら撒くぐらいなら、発想の転換で花火の効果に期待したい。

 北朝鮮は買いたいという国があれば、へミサイルでも武器でも、危険をかえりみず古い設備の悪い船で世界中に送り届ける。アメリカ、ロシア、フランス、中国、イギリス、皆、武器輸出大国である。核兵器も所有する。日本は武器を輸出しない。日本には平和憲法もある。ならば花火を日本からの平和のメッセージとして送ったらよい。花火輸出専用船で世界中へ平和の花火を配送する。人々を感嘆させる美しい花火を届けたらいい。花火を安全に輸出できる船舶やシステムを日本ならつくれる。

 一瞬の花火の美しさを提供したい。世界の希望を失いかけている貧しい人びと、醜い憎悪と復讐に明け暮れる紛争地帯の人々の瞳の中に、美しい日本の花火を映したい。そして私はそこで叫びたい。「玉屋!」「鍵屋!」「平和万歳!」「人間万歳!」と。私の真夏の夜の夢だけで終わってほしくない。

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手紙

2008年08月04日 | Weblog
 電車の箱席で、斜め前に座った男性が、手垢でよごれボロボロになっている封筒からきれいに折りたたまれた手紙を出す。彼は進行方向とは逆向きの席に座っている。手紙を持つ右手の肘を器用に窓のふちに乗せていた。ヒゲ面の目が光る。手紙を読み進むほどに顔全体が和む。男はふと顔を上げ、海の方を見た。私もそれとなく海を見た。窓からはどんよりした相模湾が見える。男はため息をついた。目が潤んでいるようにも見えた。男は目を太平洋から手紙に戻し、静かに手紙を折り目に合わせて畳み始める。

 私は自分が読んでいる本を、小道具として男に私が見ているのを悟られないよう、うまく使っていた。男が顔を上げそうになると、私は目を本に戻す。私の目は字を追ってはいない。チラッと盗み見をしては男の動きをさぐる。男が頭をさげる。私が目を上げる。

 男の服装は、旅人のようでも仕事の途中というふうでもなかった。しばらくすると男は、再び封筒から手紙を出して、読み始めた。手紙の字がチラッと見えた。どう見ても子供の字であった。男の子供なのか?そうなら男の年齢から逆算すると、ずいぶん昔の手紙ではないだろうか。孫の手紙だろうか?

 電車がトンネルに入った。男は固まったようにじっとしていた。トンネルを出ると、陽の光が眩しそうに男の顔に当たった。男は目を細める。私がその男と対座していた17分間で、男は4度手紙を出しては読み、畳んで封筒に入れることを繰り返した。

 ファンケルという健康食品の会社のテレビCMを観た。男の子が2人いる単身赴任している父親が妻と子供と夕食を食べている。妻が発芽米のご飯を「体に良いんだって」と夫によそって差し出す。男の2人が寂しそうな顔をして、一人が「あと何分で行っちゃうの?」と聞く。「もう少し時間があるさ。ゲームをしよう」と父が言う。駅から新幹線の電車が発車し東京を出て行く。電車の中、父が手紙を封筒の中から出して読む。子供たちが描いた父と一緒に過ごした絵。父は顔を上げ、目を潤ませ、窓の外を見る。そんなコマーシャルである。

 このコマーシャルを観た時、私は電車の中で会ったあの男のことを思い出した。たとえ男の子供が書いた手紙にせよ、孫が書いた手紙にせよ、あの男にとっては大切な手紙であったに違いない。

 近頃は携帯電話をいじりまわす人ばかり目につく。携帯でこんな光景をつくりだすことはできない。手紙だからこそ、あの迫力が私を釘付けにした。手紙を読む男性がとても羨ましく思えたのは、あの男が読む文章が、あの男の心を強く掴んでいたからに違いない。

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