団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

資産公開

2008年10月30日 | Weblog
 国会議員の資産公開なるものがある。見事に税理士や会計士などの専門家の手が入った資産数値が毎回発表される。

 またバスジャック事件が起きた。犯人は中学2年生だという。このような事件の犯人は、マスコミによって過去の卒業文集などに掲載された文章を公開される。私はふと思った。国会議員の資産公開などに興味はない。議員の小学校、中学校の記念文集の文章の公開だけでもよい。国民は議員の人となりを知る糸口になるかもしれない。議員が大人になってから言ったり書いたりしていることは、ほとんど選挙に当選するためだけのつくりごとであろう。聴いていても読んでも、面白くない。

 北京オリンピックの女子ソフトボールで日本チームが見事金メダルを獲得した。投手の上野由岐子選手の熱投に感動した。上野投手は、中学の卒業式に生徒を代表して式辞をのべている。「私の夢は、オリンピックで金メダルを取ることです」 その夢は実現した。凄い人である。

 多くの人の夢は、途中でシャボン玉のように消えてしまう。文集の中の言葉でなくビデオに記録されていた式辞であることも迫力と説得力を持っている。 オリンピックのメダリストや犯人の文集をまたたくまに取材するぐらいのメディアが、国会議員のものを取材して記事にすることぐらい簡単なことであろう。そんな特集をどこかの新聞か雑誌で読んでみたいものである。

 安倍元首相が去年の9月に辞任して、今度福田首相が任期を全うせず、たった1年で辞任した。大騒ぎするメディアの中で福田首相の子供の頃の作文をスクープしたところはない。もしかしたら子供の頃すでに「僕はあなたとは違う」というようなことを書いているかもしれない。だれの人生にでも純粋で実直な年頃はあるに違いない。

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差し入れ所

2008年10月27日 | Weblog
 私が小学生に入学した頃、家の近くに裁判所が市内中央から移って来た。近所の子供たちが遊び場にしていた営林署の隣だった。広い前庭がある3階建ての立派な建物だ。裁判所と聞いただけで、営林署よりずっと広い庭で遊ぶ子供はいなかった。その隣に高い塀に囲まれた拘置所もあった。

 私の家の国道をはさんだ反対の通りに住んでいたしげるちゃんの両親が差し入れ所なる店を始めた。それまでは自転車屋だった。入り口に「指定 差し入れ所」と書かれたノレンがかけられた。

 好奇心のかたまりだった私は、親に根掘り葉掘り差し入れ所のことを問うた。私以上に好奇心が強く、常にアンテナを張りめぐらして、町の情報収集に余念ない父親は、わかりやすく説明してくれた。拘置所というのは、裁判で判決が下された人と違って、取調べのために一時的に身柄を拘束されているだけなので、刑務所よりずっと規則がゆるく、中に入っている人は、お金さえ払って許可を得れば、差し入れ所を通して食べ物や本や新聞などを手に入れることができる。なぜ差し入れ所が指定された店だけに限られているかと言うと、もし逃げようとして、そのための道具などを手に入れようとしてもできないようにするためだという。ナイフや武器を差し入れ品の中に隠さないように、もし何かが起こったら指定を取りやめることで対処できる。しげるちゃんは、しばらく町の子供の人気者になった。いろいろな差し入れ品にまつわる面白い話しをしてくれるからだった。

 セネガルのダカールで刑務所の門の前にお昼時になると、多くの女性が布に包んだ洗面器を持って並んだ。男性はひとりもいなかった。セネガルの刑務所では食事が出されないので、家族が届けるのだそうだ。この光景を見たとき、なぜか“指定 差し入れ所”のしげるちゃんを思い出した。暑い日差しの中、子供を背中に背負った女性もたくさんいた。刑期がどのくらいなのかもしらないが、毎日食事を届けるのはたいへんなことであろう。貧しい国で刑務所に入ることは、家族への負担も大きい。それでも必死に刑務所の中の家族を支える女性たちの苦労はいかほどのものか。愚かにも罪をおかし、服役する男の身勝手さに腹が立つ。貧しさは、どこまでも負の連鎖を引き起こす。

 日本の刑務所では、3食が公費で賄われ、罪を犯し服役する人々の生活は保障されている。その安定した生活を刑務所で送りたくて、わざわざ罪を犯す人もいるそうだ。世界同時経済危機が引き金になり、世界中の刑務所にも大きな変化が起こると推測される。日本の刑務所は、すでに収容可能人数を超えている。外国人の服役者も増加の一途をたどっている。民間企業が下請けで、刑務所の経営を始めたという話しを聞いた。法を守り、真面目にまともに生きていれば、国に余計な出費をさせることもない。

 世界はますます複雑になり、嫌な事件が続いている。私が還暦まで何とか刑に服することもなく生きて来られたことに感謝したい。

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ヨーグルト

2008年10月22日 | Weblog
 直文会(ちょくぶんかい)という元学習院大学教授山本直文(なおよし)先生主催のフランス料理の会は、月一回私が住んでいた地方都市で開かれていた。もう35年も前のことである。

 山本先生には最初の私の結婚式の仲人をしてもらった。たぶんその理由で、山本直文先生の送り迎えを私が担当し、車を運転した。片道約1時間ちょっとだった。往復2時間の先生と二人だけの時間は、私にとって素晴らしい個人レッスンとなった。先生は話し好きで助手席に座って多くのことを語って教えてくれた。先生の軽井沢の家は、旧道の紀伊国屋スーパーの近くだった。フランス料理の会が終わって軽井沢に着くのは午後10時を過ぎていた。先生は奥さんと二人で暮らしていた。通りから30メートルくらい奥まった平屋建ての苔のむした小さな家だった。先生は私にいつも上がってお茶を飲んでいきなさい、と言ってくれた。あまりすすめてくれるので、何度か寄らしていただいた。先生よりずっと若くてきれいな奥さんも気さくで親切にしてくれた。夏だった。畳の部屋の真ん中にコタツがあった。そこでお茶をいただいた。コタツの中で私の足が、箱のようなモノに触れた。先生は「ヨーグルトの菌を飼っているんですよ」とニコニコ教えてくれ、反対側から手を伸ばして箱を移動させてくれた。

 「君はヨーグルトを毎日食べているかな?」と先生が尋ねた。「いいえ」と私は答えた。「カナダで勉強したと言ったね。カナダは移民国家だからヨーグルトはあまり食べないはずだ」 先生の言うとおりである。私はカナダでヨーグルトを食べたことはない。店でヨーグルトは売っていた。私はずっと学校の寮に入っていたので、学校の食堂で出されたものしか食べなかった。友人の家に招待されたこともたくさんあったが、一度としてヨーグルトをいかなる形でも出されたことはなかった。人びとの会話の中にもヨーグルトという言葉がでてくることは、ほとんどなかった。

 先生が「とにかく私の言葉を信じて、これから一生ヨーグルトを食べ続けなさい。毎日ですよ。いつかきっと私がなぜこう言ったのかわかる日が来ますよ」私はその日以来、できるだけヨーグルトを食べるようにしている。まだ先生がなぜああ言ったのかは、はっきりわからない。テレビの宣伝などを観ていると、健康に良いらしい。先生は1982年享年92歳で亡くなられた。

 先生からいただいた山本直文著『仏蘭西料理要覧』柴田書店発行を持って、再婚した医務官の妻について6ヶ国で暮らした。セネガルでパリの1つ星レストラン元シェフから本格的なフランス料理を習った。この本のおかげでどれほど助けられたか判らない。それ以後、赴任した国々で多くの人びとを招いてもてなすことができた。人との出会いは、素晴らしい。ヨーグルトを食べるたびに、『仏蘭西料理要覧』を開くたびに、山本直文先生を思い出す。

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鶏卵

2008年10月11日 | Weblog

 10月17日金曜日投稿分

 私
は糖尿病である。運動療法と食事療法を21年間続けている。糖尿病の私でも制限なく食べてもいいモノがある。卵の白身と貝の牡蠣である。制限なく、という表現がとても嬉しくさせる。ところが卵の白身だけ売っていることはない。アメリカには客の要望によって、料理を注文する時、白身だけを使うようにできるそうだ。

 昔のように2世代、3世代がひとつ屋根の下に住んでいれば、年寄りは黄身を若い世代に譲り、自分は白身だけ食べることも可能だ。黄身に多く含まれるコレステロールは必要栄養素なので成長期の子供が食べることは大いに結構なことである。黄身を孫に食べさせるためだけに同居など実現するわけがない。妻が私より若いからといっても、すでに妻だって年齢的にコレステロールは控えたほうが良いので、黄身の行き所がなくなる。黄身の処分に困る。

 聞くところによるとキュピーマヨネーズなどのマヨネーズ製造会社では卵を黄身と白身と分けて、黄身だけをマヨネーズに使っているそうだ。分けた白身をどうしているのだろう。使い道はいくらでもあるだろうから、違う製品に使っているのだろう。何とか白身だけの製品がいろいろできるといいのだが。生の白身だけを販売してくれるといいと思う。しかし一度割った卵を再び商品として扱うのは、生ものなので難しいらしい。それでもきっと技術力で白身だけ入手できる日は来ると信じる。一時期黄身のない白身だけの卵を鶏が産んでくれるように改良できればいいのだがと妻に話した。妻は「自分の都合だけで鶏の生態系を壊すのは良くない。卵を食べなくたって死にはしないわ。自然が一番」と鼻の穴を広げて言った。

 でも温かいご飯に卵をかけて食べたい。たとえその卵に黄身がなくても!「君には黄身が食べられない糖尿病の患者の気持ちがわからないのだ」「君が糖尿になるから黄身が食べられないんじゃん。いい気味だ!」と言いあいながらご飯にプリンプリンの黄身をのせて混ぜて食べようとしている妻の夢を見そうである。妻は決してそんな意地の悪い人ではありませんが。


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人生に疲れた

2008年10月11日 | Weblog

 10月14日(火曜日投稿分)

 父親を包丁で刺し殺した14歳の女子中学生が「人間関係や家族関係に疲れた」と言ったそうだ。驚いた。日本では中学生でもう人生に疲れてしまっている。いやはや何をかいわんやである。情報過多はここまで来てしまった。

 この中学生に人間関係や家族関係の何がわかったというのだ。冗談もいいかげんにしなさい!と私は言いたい。 人生に疲れる前に、ぜひ世界を見て欲しい。糸川英夫ロケット博士は、妻が外務省に入省した時、色紙を書いてくれた。“最后の一時間まで、世界はあなたを必要としている”今でも玄関の良く見えるところにかざってある。人間として生まれてきたのである。家庭の中だけで自分の命を完結してしまわないで欲しい。子供はいつか親から離れて自立する。子は親離れを、親は子離れをしなければならない。動物を観察すれば、よくわかる。動物はある時期まで子育てをすると、一転して敵の如く子供を自分から突き放す。そうすることで子供たちに生きる術を学ばせる。かわいい子には旅をさせろ、という。

 私は結婚後10年もしないで離婚し、2人の子供を不安と不信のどん底に落としたろくでもない父親だ。息子を高校から他県の全寮制高校へ行かせた。娘を8歳でアメリカの友人家族に預けた。救いようのないダメ父親なりきに考えて、2人の子供を旅に出させた。一緒に暮らしていたら、親子共倒れして家族崩壊していたと思う。子供を離婚して男手ひとつで育てていて、危機的状況を何度か経験した。どんなに非情な親に思われてもよい、そう決心して子供を手元から離した。離す条件として子供たちに手紙を息子には一週間に一回、娘には毎日書くと約束した。約束を一回も破らなかった。破れなかった。私には強い負い目があった。手紙を書くことで負い目をすこしでも軽くしようとの私のずるい魂胆だった。毎月の二人への仕送りは、私の刑罰のようだった。その重圧に押しつぶされそうになり喘いだ。そんな日々が42歳まで続いた。離婚から13年後、私は今の妻と劇的な出会いをした。13年間の時間が私を大きく変えていた。修羅場をくぐりぬけ、別のような人間にいつしかなっていた。今の妻との結婚が決まった。奇跡である。二人の子供たちもたくましく成長した。彼らは何度かグレそうになったり、挫折しそうになったが、ふたりとも大学を卒業した。私のふたりの子供を大学卒業させる、という大きな目的は達成された。子供たちも私の再婚を喜んでくれた。

 何回もの人生の破滅寸前の危機をみんなで乗り切った。私たちの難局の乗り切り方だけが正しい方法だとは思わない。こんな馬鹿らしい苦労はしないほうが良いに決まっている。でも私たちのだれ一人として、「人生に疲れた」などとほざかなかった。

 現在日本には問題が山積している。親子、家族問題も多い。惰性で親子関係を続けるのでなく、“かわいい子には、旅をさせろ”を単純に信じて、鬼のような親になるのも一方法である。殺し合うよりは、距離を置いて、お互い、客観的に親子関係を見てみることの方がまだ救われる。私はそうして家族全員が救われたと信じている。これだけのろくでもない人生を送ってきたが、私はまだ人生に疲れてはいない。


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手作り厚焼き玉子

2008年10月08日 | Weblog

 今回の事故米の被害は、広がる一方である。私が腑に落ちないのは、事故米をでんぷんに加工して学校給食の卵焼きやオムレツに使われていたことである。以前から私は、学校給食の必要性はすでに終わっていると思っている。だいたい学校給食で“手作り厚焼き玉子”とはどういうことなのだ。正月のおせち料理じゃあるまいし。

 卵焼きにでんぷんをまぜること自体が許せない。給食センターという調理工場を持ちながら、他の食品加工工場で大量生産された“手作り厚焼き玉子”を140万食も生徒に出すなどもっての外である。だから学校給食は、もう終わらせなければならない。“手作り厚焼き玉子”の名前自体が噴飯ものだ。手作りでもなければ、純粋な玉子でもない。“工場で機械がつくった利益幅が大きい卵焼き風でんぷんが主成分の色つきお焼き”が正しい名前であるべきだ。

 大人が料理して食べることを面倒くさいと、出来合いのおかずを買って食べているなら仕方がない。これから育ち大人になっていく子供たちに有害な食を強制することは、あってはならない。 私は、食事が子供の教育に重要な影響を与えていると思う。自分たちで育てた野菜を中心とした食事をしている家庭の子供たちは、キレル子供が少ないというデータがあるそうだ。

 
日本の給食を根本から変える時期に来ていると確信する。今のような給食業者から給食を引き離すべきである。料理も立派な教育である。子供たちが自分たちで調理するのが一番良い。できることならその食材の多くを自給自足することは、これからの日本人に大変有益なことである。地方には放置された田畑がある。そこを借り受け子供たちが米も野菜も作る。鶏も育て卵も得る。厚焼き玉子でなくてもよい。どんなに薄かろうが、自分達が育てた鶏の卵で玉子焼きを自分たちで焼く。それほどの教育があるだろうか。

 子供たちに本当に必要な訓練は、毎日の日常生活をどう生きていくかである。自分でできることは、自分でやる。その自立心を学校が提供する日々の訓練で培われることは、有意義である。

 日本の学校には、プールがある。体育館がある。図書室もある。世界的にこれほど恵まれた環境で勉強できる子供たちは、ごく一部の先進国だけである。何もかも文明化され文化的で先端技術を駆使して近代化することはない。

 食料を育て調達し、調理することは、原始の時代から人間の基本であったはずである。勉強も大切である。学力テストの全国順位よりも、学校生活の生徒たちへの良い影響力のほうがはるかに大切な事だと私は考える。日本の学校給食を子供たちに返すべきだと思う。世界恐慌の再来と思われるような世界経済の減速と停滞が始まった。日本がいつまで飢餓と無縁の国家で有り得るかは、誰にもわからない。まず子供たちが生き抜く術を学ばねばならないと私は考える。


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平手打ち

2008年10月03日 | Weblog
 本屋である本を探していた。最近本屋でイスを置いていて客が立ち読みならぬ、すわり読みをさせてくれる本屋があちこちにある。角のイスに大変お年を召したおじいさんが寝ていた。やせている人だった。オヤオヤこんな所で寝ているのと、私は静かに角を曲がった。その少し先に私が探していた本があった。

 突然「パシーン パシーン」と音がした。私が顔を上げて角に寝ていたおじいさんの方を自動的に見た。これまた大変にやせたおばあさんが、おじいさんの顔を平手で「おじいさん、どうしたの?目を覚ましてください。おじいさん。おじいさん」 そう言いながら「バシーン バシーン」と再び平手打ちをおじいさんの両側の頬に打ち下ろす。おじいさん、まったく反応なし。

 どこからか60歳ぐらいのおばさんがあらわれ、さっとおじいさんの手をつかみ脈を探っている。「脈がありません」 だんだん人だかりがおじいさんのまわりに大きくなる。肩をゆすり、相変わらず平手打ちを打ち込むおばあさん。「脈がありません」と声をあらげるおばさん。

 男性店員が駆けつける。すでに携帯電話を耳にあてている。「はい、駅ビルの中の○○堂書店です。お客様が意識を失って倒れています。はい、わかりました」 店員、おばあさんに向かい、「すぐ救急車が来ます」と大声で言った。聞いているのかいないのか。おばあさんまた強烈な平手打ちをおじいさんに見舞う。「おじいさん、おじいさん、起きてくださいな」

 心配そうな顔、顔、顔。他の店員も集まってくる。携帯電話をした男性店員が「もうすぐ救急車がきますので、大丈夫です」とだれにでもなく説明した。

 人垣が散り始めたその時、突然おじいさんが目をあける。おばあさんが「大丈夫ですか?」「ん!」と言うやいなやぴょんと立ち上がる。そしてひょこひょこと出口に向かって歩き出す。私は(おじいさん、それはまずいよ。今救急車が来るよ。大騒ぎになっているんだよ。もう少しここに腰掛けて待っていたら。店の人がせっかく救急車呼んだんだしさ。最近救急車、出動が多くて大変なだってよ)と不満に思う。

 携帯の店員さん、ふたりの後を追いかける。歩くのが二人とも早い。すでに80歳後半とお見受けする。顔色がふたりともすこしミドリ色がかっている。やせこけている。ふたりで助け合って生きているのだろうけれど、傍から見ていると何だか危なっかしい。だいたい人様の親切を受けておきながら、それに対する礼を尽くせないのは、問題である。

 長生きは素晴らしいことである。人の手を煩わせないことも立派なことである。しかし限度がある。無理をしないで、受けられる援助を受けるべきだ。だれでも歳は取るのだから。

 本を買って外に出ると駅のホールで救急隊員とあの老老夫婦が話していた。救急隊員「一応病院へ行って診察を受けられたらいかがですか?」元気に「私は救急車を呼んでいません」と声を荒げるおじいさん。横でそうだそうだという顔つきでおばあさん。私はさっきの本屋での出来事は、あの芸達者な二人の芝居だったとしたら・・・とよこしまな推理をし始めていた。

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