「辞書をお読みになっていらっしゃるんですか」「はい、そうです。変な夫婦だとお思いでしょうね」「いいえ、そんなことは思いません。ただ珍しいので、その関係のお仕事をなさっておられるのかと思いまして、お尋ねしました」奥さんが言う。「50年も夫婦でいると、話すことがだんだんなくなってくるんですよ。そこで辞書を読んで知らない言葉を見つけておじいさんに話すんですよ」おじいさんが続ける。「日本語はたくさん言葉がありますね。どんどん新しい言葉を見つけます。私はずっと何を勉強していたのでしょうね」おばあさん、「私たちは学者なんかではありません。おじいさんは公務員だったし、私は専業主婦です。年金生活者で時々こうして“大人の休日”の割り引き切符で旅行しているんです」 世界のいろいろな国を旅行した。鉄道の旅行も多くした。車内で辞書を読んでいる夫婦に出会ったことはなかった。
日本人は車内でもよく本を読む。英国などでは新聞を読む人が多かった。発展途上国の普通列車では、乗客は快活に話し、笑い、食べる人々が多い。列車の中はそれぞれの国の国民性を顕している。 辞書を読む夫婦には、正直びっくりした。ごく一般の人がこれだけ知的な生活をしている日本はおそろしい国である。私も日本の活字文化の程度の高さを誇りに思っている。日本では自由に本が書け、買え、読める。図書館も整備され日本中どこでもだれでも利用できる。素晴らしいことである。
辞書を読む夫婦が「知らない言葉を見つけて、そのことをお互いに話す」と言ったことにとても感動した。私は、人間は話すことが人間の務めだと思っている。夫婦という関係は、他のだれからも聴けないお互いのよい点を繰り返し言い合い認め合い、終いにはその言葉通りの人にお互いがお互いのためになることだと思っている。辞書を読んでいた夫婦は、その通りの仲のよい夫婦だった。
私はとても爽快な気分になれた。妻にこのこと話してあげることができる。