団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

夫婦問題 辞書を読む夫婦

2007年11月30日 | Weblog
 電車の中で並んで座席で国語辞書を読む夫婦がいた。向かい合いの箱席に座っていたのは、その夫婦と私の3人だけだった。言語学者かな、とも思ったがごく普通の方のようだった。その柔和な風貌に誘われて、旦那さんが顔を上げたとき、つい質問してしまった。

「辞書をお読みになっていらっしゃるんですか」「はい、そうです。変な夫婦だとお思いでしょうね」「いいえ、そんなことは思いません。ただ珍しいので、その関係のお仕事をなさっておられるのかと思いまして、お尋ねしました」奥さんが言う。「50年も夫婦でいると、話すことがだんだんなくなってくるんですよ。そこで辞書を読んで知らない言葉を見つけておじいさんに話すんですよ」おじいさんが続ける。「日本語はたくさん言葉がありますね。どんどん新しい言葉を見つけます。私はずっと何を勉強していたのでしょうね」おばあさん、「私たちは学者なんかではありません。おじいさんは公務員だったし、私は専業主婦です。年金生活者で時々こうして“大人の休日”の割り引き切符で旅行しているんです」 世界のいろいろな国を旅行した。鉄道の旅行も多くした。車内で辞書を読んでいる夫婦に出会ったことはなかった。

 日本人は車内でもよく本を読む。英国などでは新聞を読む人が多かった。発展途上国の普通列車では、乗客は快活に話し、笑い、食べる人々が多い。列車の中はそれぞれの国の国民性を顕している。 辞書を読む夫婦には、正直びっくりした。ごく一般の人がこれだけ知的な生活をしている日本はおそろしい国である。私も日本の活字文化の程度の高さを誇りに思っている。日本では自由に本が書け、買え、読める。図書館も整備され日本中どこでもだれでも利用できる。素晴らしいことである。

 辞書を読む夫婦が「知らない言葉を見つけて、そのことをお互いに話す」と言ったことにとても感動した。私は、人間は話すことが人間の務めだと思っている。夫婦という関係は、他のだれからも聴けないお互いのよい点を繰り返し言い合い認め合い、終いにはその言葉通りの人にお互いがお互いのためになることだと思っている。辞書を読んでいた夫婦は、その通りの仲のよい夫婦だった。

 私はとても爽快な気分になれた。妻にこのこと話してあげることができる。

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社会問題 嘘

2007年11月29日 | Weblog

 おばあちゃんは言った。「嘘は産まれる時は、こんなに小さいけれど、しまいにはこーんなに大きくなって、嘘をついた人を食べちゃうんだよ」 親指と人差し指をくっ付けるぐらいにして、口をゆがめ、目を細めたと思ったとたん、カッーッと見開き両手を思い切り拡げ、口も大きくあけて、嘘の大きさを強調した。お話し上手のおばあちゃんはいつもこう私に諭した。身振り、手振り、顔の形相で話しに緊張感と真実性を高めた。

 もし今おばあちゃんが生きていたら、このところの防衛省事務次官、元防衛庁長官たちの言っていること、白い恋人、赤福、比内鳥、吉兆の報道をどう評価するだろうかと思う。どれもおばあちゃんの言う小さな嘘が大きくなって、嘘をついた本人を食べてしまいそうである。 私見では、公務員というのは、誰かが大きな声で「あなたは間違っている」と指摘するとそこで間違いを修正できるが、誰も何も指摘、意見しないと、それを正と感じてしまう人びとの集団だと思う。政治屋は公務員とは違って普段から大きな声に慣れているので、声に屈することはまずない集団である。いずれにせよ腐敗していることには変わりはない。

 最近の悪いことをする日本人は、法律が全てであり、正式にしかるべき手段をとって、しかるべきところで、しかるべき判決が出ない限り、犯罪と認めないかのようである。司法側にも限界があり、何もかも調査し証拠固めして裁くという具合にはいかない。予算不足、人材不足、時間不足のナイナイ尽くしが、その傾向に拍車をかける。

 おそらく怖いおばあちゃんの話しを腐敗公務員、政治屋、会社経営者は、子ども時代に聞けなかったのだろう。それともおばあちゃんの話し方が上手でなくて嘘をつくことを最初からなめているのだろう。つくづく思うことは、家庭の教育、躾は大切だ、ということである。 私は小さい嘘を数え切れないほどついてきた。その度におばあちゃんの怖い顔を思い出した。「
おばあちゃん、今のところまだおばあちゃんの怖い話しが効いているようです。私を食べるほどに成長した嘘はありません。これからも嘘はなるべくつかないようにします。良いお話を上手にしてくれてありがとう」


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孫問題 ジジの死

2007年11月28日 | Weblog
 息子の嫁の父親が今朝亡くなった。息子が電話してきた。息子に伝えた。「孫二人にちゃんとおじいさんの冷たい額に手を置かせなさい。それだけは絶対にさせておくように」「わかっている」と息子は電話を切った。 孫達はむこうのおじいさんにも可愛がられていた。それは孫達の彼のことを私に話してくれる話し方でわかる。山登りが好きで健脚である。孫を連れてよく川の土手を散歩したという。7年ほど前に咽頭ガンの手術を受けている。今年転移して食道を摘出した。ほとんど食事はできず、点滴だけで命をつないでいた。

 むこうのおじいさんは、今回身を投げ出して孫達にものすごいことを教育してくれる。人間は死ぬ、ということである。命には限りがあるということだ。孫達はおじいさんの冷たい額にさわり、人が死ぬとどうなるかを実体験する。いままで一緒に歩き、話し、笑い、叱られ、泣き、誉められ、抱かれ、チューしてバイバイしていたおじいさんが冷たく硬直し、動かない。呼べど騒げどまったく反応しない。全てが止まった。孫達の記憶だけに留まる。

 息子の曾祖母が亡くなった日、私は息子に同じことをさせた。息子、6歳の時だった。89歳で大往生した私の祖母だ。息子は「おばあちゃん、冷たいね。大おばあちゃんありがとうね」と額に手を置いたまま独り言のようにつぶやいた。あの日から、息子が変わった。

 いつか必ず私にも順番がくる。孫がいくつになっていようが、孫達の手を私の額に置いてもらう日がくる。そのときはもう私の遺伝子が彼らの体の中を縦横無尽に駆け巡っている。良いことも悪いことも一緒くたである。孫達が切磋琢磨して私の悪い遺伝子を改善してくれと祈る。今朝むこうのおじいさんは、大役を果たして命果てた。残りひとりのおじいさんになったこちらのおじいさんは、秘かに決意を胸にする。合掌。

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両親問題 蒸しパン

2007年11月27日 | Weblog
 義父は食べ物の好き嫌いが激しかった。特にカボチャ、ジャガイモは大嫌いだった。牛肉も乳臭いと言って食べなかった。

 海外に私たち夫婦が暮らし、私たちが休暇で帰国すると、義父は喜んだ。温泉へ行ったり、車で旅行したりした。 わずかな年金で慎ましやかに暮らす義父は、一回2千円の予算で遊ぶパチンコが唯一の娯楽であった。妻と2人の娘、女ばかりに囲まれていた。そこへ私が加わった。ずいぶん気が楽になったと言っていた。いつも私を大事にしてくれた。朝、新聞が届くと先ず私に手渡してくれた。遠慮しても、それは受け入れてもらえなかった。配達されたばかりのインクのニオイが気持ちよい朝刊を、先に読ませてもらった。 仕事人間で家庭は二の次とした。妻の話によると、朝早くから夜遅くまで会社で働き家にはほとんどいなかったそうだ。そんな義父は、家に入り年金暮らしになるとカドが取れたという。確かに優しい人だった。

 私たちは帰国して義父の家にお世話になっているときは、食料品は全て私たちが買うことにしていた。厳しい義母と違い、私たちは限られた期間での滞在なので、海外では食べることのできないものを値段にお構いなく買った。義父は私たちの買い物に同行した。普段は義母だけ店内に入り、義父は駐車場の車の中で待つ人だった。あちこちスーパーの中を歩き回り、「これも頼むよ」とポンとカゴに入れた。普段は少ない年金で質素に我慢の生活をしている。私たちの極短期間の贅沢に便乗して義父も楽しんでいた。入れる物だってちっとも大したものではない。

 私がどうしても忘れられないモノは、蒸しパンである。義父は戦争中、そして戦後のひもじかった食生活の話をよくしてくれた。カボチャやイモが嫌いなのも、その苦しかった思い出がそうさせていたに違いなかった。それなのに最後のポンは、いつも『蒸しパン』だった。きっと義父は『蒸しパン』に何かの思い出をダブらせているのだろう。その理由を尋ねることもしなかった。私は義父が、感慨深げに『蒸しパン』を静かにちぎって食べる姿を忘れない。今年の2月に義父は逝った。いつしか私も時々蒸しパンを買って、静かにちぎって食べるようになった。

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社会問題 斧

2007年11月26日 | Weblog
 最近子どもが親を殺すのに斧を使う事件が続いた。
 私は驚いている。今の子どもが斧を普段の生活で使っているとは思えない。なぜ、斧を使うのか。私の推測では、憎しみが強い場合、ナイフや包丁などを凶器にするより、もっと凶悪な斧という残酷なものに至っているのだと思う。情報だけはどんどん入ってくる。経験のない情報は危険である。インターネットやマンガやアニメで得る情報は、実際のものとは別なものである。

 斧といえば私にはこんな思い出がある。カナダの学校では家庭科で料理の実習で生きたニワトリを使った授業があった。日本の学校では絶対に考えられないことである。この経験に基づいて、先日今通っているシナリオ教室の宿題にニワトリを斧で処理して料理をして客にもてなす話を書いた。講評に書いてあったことは、日本の倫理規定でこのような残酷な場面は使えません、だった。私は日本という国はおかしな国だと思った。斧で親の首をはねるのは確かに残酷である。人は生きるためには、食べなければならない。食べるためには殺生もする。カナダの学校教育ではニワトリをどう殺して、どう処理して、どう料理して食べるかをきちんと教える。

 日本では嫌なことは専門の業者にまかせて、学校の家庭科では最終段階の調理だけを教える。産地偽装、賞味期限改ざん問題が日本に多い。おそらくほとんどを業者に丸なげしてやらせてしまう日本の構造に問題があると思う。

 カナダの一般家庭では冬の暖炉用に薪を自分達で用意する。斧の出番である。最近では電動のこぎりを使うことが多いそうだが、昔ながらに斧を使って薪づくりする家庭もある。こうして汗を流して、斧で暖炉にくべやすくした薪が冬、人びと癒す。斧は決して人の首をはねる凶器ではない。人びとに温かさと安らぎを与える演出に使われる道具である。カナダに殺人事件がないとは言わない。恐ろしい凶悪殺人事件もあるだろう。異常な凶悪犯はどこの国にもいる。しかし、子どもが自分の親を殺すという事件はあまりないと聞いている。

 私は実学を重んじる。できるだけ、子どもは多くの経験をするべきだ。斧だって教材になる。自分が斧で薪を汗流して準備して、暖炉でその薪が燃え、じっと燃える薪から上がる炎を見ながら、人を斧で殺そうと思う者がいるだろうか?

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孫問題 サッカーボール

2007年11月22日 | Weblog
 セネガルはサッカーの盛んな国である。子どもたちは原っぱでサッカーを真剣にやっている。ほとんどの子ども達は裸足である。サッカー靴をはいている子はいなかった。サッカーのゴールもない。線さえ引かれていない。しかし子ども達の頭の中にはりっぱなゴールもグラウンドも白線もある。グランドに芝生も生えていない。石ころだらけのデコボコな地面だけがある。それで十分、子ども達のイメージトレーニングは、フル回転となる。右へ左へパスを蹴り、走る。連係プレイもたいしたものである。審判はいない。リーダーとおぼしき少年が、大声で叫ぶ。スローイン。試合が再開する。笛さえない。ユニフォームも着ていないので、私には敵味方の区別もつかない。しかし彼らの目には、敵は一目瞭然。

 先日、東京へ孫の所属しているサッカークラブが試合をするというので観戦に行った。まだ6歳である。チーム全員おそろいのきれいなオレンジ色のユニフォームを着て、背中には背番号まで付いていた。サッカー靴を履き、サッカー用の靴下をはいている。プロのチームにも引けをとらない。完璧である。しかしセネガルの子どもたちと決定的な違いがある。ボールへの執念である。くらいつく、あきらめないボールへの思いが希薄なのである。可愛いと騒ぐ親たちのゲームでしかない。見ればボールもきちんと空気圧が計られたきれいな色つきボールである。

 セネガルの子ども達は、テレビで観る世界のサッカー大会の晴れ舞台しか頭にはない。いつかあのグラウンドで思い切り自分がプレイしている姿しかイメージしていない。セネガルだけでない。世界中にそういう子ども達がいる。

 私は日本の豊かさが、日本の親の過保護、過干渉が障害になっていると強く感じた。セネガルで見た子ども達のサッカーを見ている親は一人もいなかった。 そして何より伝えておきたいことは、サッカーボールがボールでなかったことである。彼らのサッカーボールは手製のものだった。発泡スチロールやビニールをひもで結わえだけのいびつなものであった。セネガルは先のワールドカップで前々回優勝したフランスを破った。手製のボール状のものがゴールに弾丸のようにシュートされるのを見て、私も頭の中の架空のサッカー場にいた。驕るな日本。子どもに罪はない。  バンザイ人間!万歳脳みそ!BANZAI人間の可能性!

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国籍問題 日本人だらけ

2007年11月21日 | Weblog
ローマへ行ったら、どこへ行っても日本人だらけ・・・
パリのルイヴィトンの本店へ行ったら、日本人ばっかし・・・
ニューヨークでミュージカルを観に行ったの、観客は日本人、日本人、日本人・・・
ハワイはここは日本?と思うほど日本人だらけ・・・
オーストラリアのエアロックへ登ったら、頂上にいた人の半分は日本人・・・
みなさん不満げにそう言う。

 私は海外に住んでいた時、日本人に出会うと嬉しくて仕方なかった。「こんにちは、どちらからいらしたんですか?」で会話を始めて、多くの人と話すことができた。日本人は金太郎飴のようにだれでもよく似た民族だといわれる。アメリカ人だって負けてはいないと思う。

 ひとりでアメリカの国内便の飛行機に乗ると、やはりひとりで旅するビジネスマンとよく隣り合わせになる。だいたいニューヨークからサンフランシスコ間で隣の人の今までの人生を聞き、彼の家族とも知り合いになれたと思うほど写真を見せられ、話を聞かされる。彼らの共通点は自分の話はしても、こちらの話を聞く気持ちがまったくない。私だけが運悪くそういうタイプのひとに当たるのかと、友人達に聞いてみると、やはり彼らも私と同じ事を感じている。

 国民性はおもしろいものだ。テレビ、教育、食べ物いろいろな要素がその国民性を形成するのだろうが。ただアメリカ人から外国でアメリカ人に会って、アメリカ人がどこにでもいて嫌だと聞いたことはない。愛国心が違うのだろうか。日本は建国2000年を過ぎた古い国、アメリカは建国300年を迎えていない新しい移民の国である。世界の警察と自称し、紛争地帯へも積極的に軍隊を派遣する。星条旗のもと、自国民が人質にされたり、攻撃を受ければ命がけで報復救出作戦を決行する。多くのアメリカ映画の最も感激し、ジーンとくるシーンである。

 海外の危険地帯に日本人が暮らしても、何かあったら日本の政府が助けてくれるだろうと期待する日本人はいない。日本の大使館でさえ、何かあればまずアメリカ大使館に助けを求める。自国民を海外で自力で救出できない情けない国家である。

 そんな国の国民が、海外で同じ国の人びとに出会うと、嫌悪感を持つ。同胞を守ろうという愛国心の基本がすでに欠如している。つまり日本は自分の命は自分で守れ、自分だけがたよりで、自分さえよければの個人主義連邦国になりはてた。

 それでも私は日本人が好きだ。理由は自分が日本人だからである。ただそれだけである。

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親子問題 スクーター

2007年11月20日 | Weblog
 私の父は長い自転車時代のあと、スクーターを買った。

 野球好きの父は自分でもチームを作って監督をしていた。私が小学生の時、地元の高校が全国高校野球大会の長野県大会で決勝戦へ進出した。私をスクーターの後ろに乗せて40キロ離れた松本の県営球場まで応援に行った。青木峠という難所といわれていた未舗装の悪路を父はものともせずに走った。車が追い越していくと前が見えなくなるほどの土ぼこりが立ち上った。私は怖くなり後ろから父を羽交い絞めにするほどしっかりへばりついていた。曲がりくねった道は登りも下りも急坂だった。松本の球場に着いた時、私たちは全身砂ぼこりに被われていた。

 父の応援は物凄い。まるで自分が監督のように、いちいち大声で指示めいたことを叫ぶ。私は父の隣で身を小さくしていた。応援どころではない。そんな時ファールボールがスタンドに飛び込んできた。ちょうど私たちめがけて飛んできたらしい。父は私に覆いかばうように私の前に立ち、素手でボールを捕まえた。周り中から拍手が起こった。父は誇らしげに静かにボールを球場のボールボーイに投げ返した。

 父はチームの選手の名前を知っていた。大応援団の応援にも負けない声で選手の名前を呼んで大声を出していた。チームは結局優勝し、甲子園出場を決めた。父は涙を流して喜んだ。熱い人だった。

 帰りのスクーターでずっと父の背中を見ていた。とても大きく頼もしく思えた。同時に不安が私を襲った。私が小さい時から父は私に並々ならぬ期待を抱いていた。言葉に出していったわけではない。ただ私が勝手にそう受け止めていただけかもしれない。走っても投げても打っても父は凄かった。身長は低かったが、何もかも熱い思いで超えていた。

 ずいぶん幼い頃から私は父のようにはなれないとわかっていた。運動会のかけっこ競争でもいつもビリだった。鉄棒で逆上がりもできなかった。水泳も遅かった。

 そんな父の背中にくっついて、40キロの往復父を抱きしめて走った。結局父のような野球選手にもなれなかった。入部した中学の野球部も2年生の後期に父に黙って退部した。ことごとく父の期待に答えられなかった。挙句に高校2年でカナダへ留学してしまった。

 今でも町でスクーターを見かけると、あの時の父の背中を思い出す。私もすでに還暦を迎えた。

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社会問題 ホームレスのおじさんと犬

2007年11月19日 | Weblog
 散歩中の私がいつもの順路の八百屋の角を曲がった。八百屋の店主とそっくりなテリヤと日本犬の雑種の八百屋の犬が、狂ったように唸り吠えていた。私は最終の電車で東京から帰ってきて、ここを歩いて通るとよくこの犬に深夜に吠えられていた。ホームレスのおじさんは、もうこの辺にいついて一年くらいになるだろうか。一年前の服装となんら変わっていない。他のホームレスと違ってこのおじさんは荷物が少ない。いつもリュックを背負っている。リュックには傘が縦に刺してある。以前は鮮やかな紫色だったと思われる野球帽をかぶっている。今ではすっかり色あせている。ジャンパーの色も消えている。でもなぜか着こなしはいい。スラックスにスニーカーをはいている。歩き方も軽快である。身長は160センチと小柄である。年齢は私と同じくらいだろう。どこで寝泊りしているのかはわからない。最近駅には猫を連れたおばさんのホームレスがいる。この人が来てから、このおじさんは、駅から離れた。

 おじさんが犬に向かって真剣な面持ちで話しかけている。それはまるで周りで聞き耳を立てている人間に言っているかのようだった。「なあ、ワンちゃん、おこっちゃだめだよ。人を姿、外見で判断してはいけないよ。私だって良い時はあったんだよ。今はこうしているけれど、悪いことは何もしていない。家がないだけだよ。ワンちゃんは家があるだろう。ワンちゃんは幸せだぞ。幸せな人はかわいそうな人を驚かしたりしていけないんだよ。ワンちゃん、分かるかい。分かったら今度私がここを通ったら吠えないでおくれ。吠えるとまたお説教しなければならないからね」 

 このおじさんがどんな過去を生きてきたかは、わからない。でもきっと真面目に生きてきたのだろう。そんな気がする。おじさんはワンちゃんに手を振ってまた歩き出した。私は《話したいなあ、こんなおじさんとゆっくり話したい》そう思っても実行する勇気がない。私も、姿、外見でおじさんを評価してしまっているのだろうか。意気地なし、そう自分に言って、おじさんと反対の方向へ散歩を続けた。

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社会問題 イジメ

2007年11月16日 | Weblog
 きれいな黄緑色の毛虫を見つけた。桜並木もすっかり秋の準備に入り、そろそろ葉が色づいてきた。

 保育園に通っていた時、私は毛虫チャンピオンになったことがある。保育園はお寺にあった。大きな寺で境内に松の木がたくさんあった。この松の木にたくさんの毛虫がつく季節があった。何の幼虫かはわからない。体長3~4センチ、まばらに毛が生えていて、色はカバの皮膚のようだった。見栄えはよいどころか薄気味わるかった。4歳から6歳の保育園児はちょうど生意気盛りで競争心が強かった。誰が始めたのか掌に何匹の毛虫を乗せられるか競う遊びがあった。それ以前は境内の池の中のイモリのつかみ取り競争がはやった。イモリは黒地に鮮烈な赤の混じる怪奇な生物である。素手でつかむ、これが肝だめしになるのである。このイモリの次が毛虫の出番となった。私はイモリも素手でつかめた。毛虫もその勢いにまかせて素手でつかんだ。何匹掌にのせたのか覚えてはいない。とにかくチャンピオンになれた。逃げだしたり、泣き出した子もいたのだが、私はとにかくチャンピオンになった。

 虫を観察するのが好きだった。石をひっくり返してシケ虫、ハサミムシ、ゲジゲジ、タマヤスデ、ムカデの世界に思いをはせた。蟻のあとを追った。ミミズにおしっこをかけてチンチンを腫らしたこともある。オケラに友達のオチンチンの大きさを教えてもらったこともある。そんな経験が毛虫を素手でつかんでも平気でいさせたのだと思う。電車の線路にカエルを並べて、轢かれるのを観察したこともある。カエルのお尻に点火した2B花火を差し込んで、空中に放り上げたこともある。トンボの羽をむしったりした。子どもの残虐性をいかんなく発揮していた。

 これは私の言い訳でしかないが、私たちの年代の子どもは、虫や小動物への残虐行為というか、虐待から自分達を他の子ども達へのイジメを回避していたと思えて仕方がない。散歩をしながら虫や小動物を見て、過去に犯した罪を省みる。未だに黄緑色の毛虫を見て、なぜこの毛虫がこんなきれいな色なのかと思い、孵化してどんな成虫になるのだろうと思いを馳せる。過去の罪を反省しながら、生命の神秘に関する畏敬の念を強く感じる。そうやって、私は今日も図々しく生きている。妻が突然叫ぶ、「ゴキブリよ」 私は駆けつけ、ハエたたきで撃ちとった。未だに殺生は続く。

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