団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

イスラエルとパレスチナ

2023年10月30日 | Weblog

  第二次世界大戦中、ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺について初めて知ったのは、中学生の時だった。世界にはいろいろな人種がいる。なぜナチスドイツがユダヤ人を迫害虐殺した理由は、詳しく学べなかった。恐ろしいことがあったのだとは思ったが、歴史の一事実として受け入れていた。高校の時、カナダのキリスト教の全寮制の高校へ留学した。英語のクラスの教師があまりにも人種差別的で驚いた。私は、キリスト教を愛の宗教と思い込んでいた。ある日、その教師は、いかにユダヤ人がカナダで嫌われているか話した。彼の話は、感情論であって、学術的な点は何もなかった。生徒も反論するでもなく聞き流していたので尚更びっくりした。他の授業では、常に生徒は、先生に意見や質問をぶつけていた。日本の学校では、決して見られぬ風景だった。だからユダヤ人について、英語の教師が語った時、何事も起こらなかったということは、生徒は先生と同意見だったと言わざるを得ない。私が思うに、キリスト教徒の多くは、イエス・キリストを裏切ったユダの血を引くのがユダヤ人ということからの宗教的な縛りから逃れられないのかもしれない。カナダにいて、あちこちでユダヤ人の人種的偏見や差別的な話を耳にした。

  カナダ留学から帰国した。日本では、ヘドバとダビデの『ナオミの夢』が大ヒットしてオリコン1位になっていた。日本にはユダヤ人に対して偏見や差別意識がないことを、何か誇らしげに感じ、『ナオミの夢』を良い曲と受け入れていた。

  カナダでユダヤ人が嫌われているのを知った。そして私自身もカナダで心ない人種的差別に何回も遭った。今でもカナダへ留学した最大の成果は、人種的差別を経験したことだと思っている。これは私の世界観人生観に大きな影響を与えている。

  そんな私だが、その後結婚して離婚して二人の子どもを引き取って、育てた。そして再婚した。妻の海外勤務に同行した。4番目の任地は、チュニジアだった。そこでパレスチナの難民キャンプがあった跡地を見た。チュニジア建国の父と呼ばれるブルギバ大統領が、パレスチナのアラファト議長の要請でチュニジア国内に難民キャンプを設置して難民を受け入れていた。その後、イスラエルとパレスチナが和解してパレスチナ難民は、パレスチナやガザ地区に戻った。チュニジアの難民キャンプも、ご多分に漏れず住居環境が良い所ではなかった。私たち日本人は、住みたいところに住める。住む所を自身で選択できることは、幸せな事だと思う。世界の紛争地帯では、自分が生まれ育った場所から、逃げ出さなければならない人々が大勢いる。宗教の違い、イデオロギーの違い、領土の奪い合いに翻弄され、住んでいた地を離れなければならない事態に追い込まれる。

  10月29日の日曜日私は、いつもの通り4時に起きた。ラグビーのワールドカップの決勝戦を観るためだ。前の日寝る前、妻に「明日の朝、ラグビーの決勝戦4時から観よう」と言っておいた。前の週からずっと「ラグビーの決勝戦いつ?」と私に何回か尋ねていた。4時に目覚まし時計が鳴った。妻に「さあ、決勝戦観よう」と起こした。しかし結局妻は、寝床から出てくることはなかった。私はひとりで観戦した。素晴らしい試合だった。結局、1点差で南アフリカが優勝した。試合を観ていて思った。戦争なんてしないで、スポーツで闘うことができないものかと。ラグビーみたいに厳格な審判がちゃんといて、公平に暴力などの規則の違反を取り締まる。国際的な審判であるはずの国連のいうことなどロシアも中国も北朝鮮もイスラエルもハマスも聞こうとしない。国連は、存在価値を否定しないが、機能できていない。国際問題にラグビーの審判やビデオ判定までする機構はできないものなのか。


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新幹線

2023年10月26日 | Weblog

  先週日曜日午前9時から三宅裕司のサンデーヒットパラダイスの『HELP!!』のコーナーの投稿:「ジャンボ機内でCAが叫んだ『この中にどなたかお客様は乗っていませんか?』 めっちゃガラガラ 倒産寸前 (山梨県 ソラシドウ投稿)」 『HELP!!』は日常生活で遭遇しそうなピンチから非日常のピンチまで、ピンチの状況をリスナーが投稿するコーナーである。3時間の放送の中に『ワガママ怪獣 やだモン!』『世界のマコさま!』とこの『HELP!!』が面白い。毎週録音して時間がある時に聴く。

  「ジャンボ機内…ガラガラ…」を聴いて、大笑い。テレビはどの局もお笑い芸人だらけ。彼らは、漫才もコントもやらない。タレントとしてテレビに出演する。漫才もコントもおろそか。結局俳優や歌手のようにテレビに出たい普通のタレントを目指す。だからか面白くない。三宅裕司のようなコメディアンが少ない。私は、テレビやラジオに笑いを求める。三宅裕司も面白いが、投稿してくるリスナーには、お笑い芸人を凌ぐお笑いのセンスを持つ人たちがいる。

  「ジャンボ機内…ガラガラ…」を聴いて、妻から聞いていた話を思い出した。妻は新幹線通勤しているので、新幹線に関する情報がリアルタイムで私の耳に入る。コロナ発生後、新幹線はガラガラだった。それこそ三宅裕司のサンデーヒットパラダイスの『HELP!!』の「ジャンボ機内」のようだったのだ。

  5月にコロナを第2類から第5類に移行した。海外からの旅行者も自由に入国できるようになった。妻の日々の新幹線情報でも車内の混雑が日ごとに増えていった。そうして、今では外国人旅行者の乗客が、日本人より多い時まであるという。新幹線は、外国人旅行者に人気がある。新幹線に乗車すること自体が、日本観光の目玉である。私のアメリカの友人たちも、格安で手に入るジャパン・レイル・パスの恩恵を十分楽しんでいた。とにかく安い。日本人が値段を聞けば、驚く。7日間乗り放題で29650円、14日間47250円21日間60450円。10月から値上げされたが、それでも7日間乗り放題で50000円、14日間80000円、21日間10万円である。このところの円安を考慮すればこれでも安い。

  ジャパン・レイル・パスは、ヨーロッパで始まったユーロパスの日本版であろう。以前多くの日本の若者たちは、ユーロパスでヨーロッパを旅行した。現在ユース(若者)の7日間(乗車日を分散可能1カ月間有効)で288ドル(約43000円)である。日本の50000円(約334ドル)は、少し高く感じるかもしれない。でも、これだけの円安なので、外国人旅行者にとって、まだまだ憧れの新幹線での旅は、魅力的でお得であろう。

  多くの外国人旅行者が日本に来てくれることは、喜ばしい。政府は、外国人旅行者の受け入れを奨励するが、最近ではオーバーツーリズムが問題化している。出たとこ勝負、先延ばし、海外諸国の模倣が常套手段である日本政府。受け入れの態勢の改革が急がれる。日本は、人手不足と言われている。一方私が住む町のパチンコ店には、日中でも老人でない客が大勢いる。労働者不足が本当か疑問。求職があっても、働く気がない人も多いのだろう。議員たちの海外視察とやらが多い。何を視察しているのやら。政府は、給付金とかを、近々ばらまくらしいが、どうせなら失業者に海外旅行をしてもらう援助も一案だ。議員より学ぶことが多いと思うのだが。


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土壇場の大逆転

2023年10月24日 | Weblog

  事の始まりは、10月11日の将棋だった。藤井聡太竜王(21)は、永瀬拓矢王座(31)を永瀬王座の勝ち寸前で、大逆転勝利した。98%永瀬王座の勝利目前での逆転だったという。テレビのニュースで、勝負が決まった瞬間、永瀬王座は、頭をかきむしった。悔しさが伝わった。私は、将棋を知らない。ただニュースで解説者が言う「98%」とか「奇跡」の言葉に、えらいことが起こったのだと思った。それにしても若干21歳の藤井竜王がいかに凄い棋士であるか思い知らされた。

 将棋の大逆転のことが薄らいできた10月20日、今度はアメリカの大リーグでも大逆転があった。エンジェルスの大谷翔平選手が故障者リストに入って、出場できなくなった。その後、私もアメリカ大リーグへの熱が冷めてしまった。早朝にアメリカ大リーグの野球を観ることがなくなった。20日の朝、テレビをつけると、アメリカのア・リーグの優勝決定戦の第5戦が中継されていた。アストロズ対レンジャーズ。なんとなく観ていた。8回デッドボールをきっかけに、両チームが乱闘寸前になった。結果3人が退場させられた。試合が再開された。9回2点リードされていたアストロズ。走者2人を置いて、1番のアルトゥーベ選手が打席に立った。アルトゥ―ベ選手は、身長168センチで大リーグの中で、最も身長が低い。しかし2塁手としての守備も良く、また打者としても好成績をあげている。そのアルトゥーベ選手が、逆転となる3ラン本塁打を放ったのだ。アストロズは、5対4で勝った。

 10月22日、ラグビーワールドカップフランス大会では、イングランドと南アフリカの準決勝が行われた。早起きは3文の得(徳)。朝4時からの試合を妻と観た。妻は、相撲とかラグビーのような激しく体をぶつけあうスポーツが好きらしい。相撲観戦と同様、にわか解説者ぶりを発揮して、私のテレビでのラグビー観戦を弥が上にも盛り上げてくれた。妻が指摘した通り、イングランドの守りは、固く南アフリカは、苦戦していた。前半戦が終わった。12対6でイングランドがリードしていた。後半戦になってデ・クラーク選手が登場。巨体強健な選手がスクラムを組む。ボールはイングランド。レフリーの笛。スクラムが動く。デ・クラーク選手は、身長170センチ。しかし気性の激しさは、巨体選手に引けを取らない。スクラムの上に飛びかかる。弾き飛ばされる。すぐ立ち上がってタックルの餌食を探す。倒されてもなお食いついてゆく。妻が喜ぶ。朝の4時台に我が家は大騒ぎ。どちらを応援しているわけではない。ラグビーという激しいスポーツに、規則で決められた範囲でぶつかり合ってボールの争奪戦を展開する。レフリーは、絶対的な権威を持つ。試合が進む。両チームトライがない。後半38分南アフリカの初トライで2点差まで追い詰める。スクラムから相手の反則を誘った。約50メートルのペナルティキックを決めて逆転。16対15の僅差で南アフリカが決勝進出を決めた。

  妻は大興奮。何だか日曜日一日のエネルギーを使い切った気分。でもスポーツはいい。ラグビーのノーサイドと試合後に敵味方なしの状態は、人間社会の理想である。ロシア、中国、北朝鮮、ハマスにイスラエル争いが絶えない現状世界。平和に向かって何かの手段とか偉人の出現で、世界がこの土壇場での大逆転は有り得ないだろうか。あって欲しい。


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四国と最上川の船頭

2023年10月20日 | Weblog

  山形の最上川で川下りをした。船頭は女性だった。山形の民謡を唄い、道中の案内も上手かった。途中船が戸沢という所で停まった。そこでお土産の販売があった。名物は、キムチだという。東北の山形でキムチ!不思議に思った。後で船頭の説明で納得。船頭は、韓国出身だと話した。村には、20人くらいの女性が、韓国から嫁いで来ているそうだ。韓国から嫁いできた女性が、村おこしに積極的に参加している。最上川の観光川下りにも船頭として活躍している。何とも頼もしい。

 数日前に『四国の山中にヒマラヤ民謡?…ネパール人…川下り…』のネットニュースのヘッドラインを見つけた。四国・ヒマラヤ民謡・ネパール人・川下りから山形のあの韓国から嫁いで、川下りの観光船の船頭を連想した。かつて住んだ国カナダ、ネパール、セネガル、セルビア、クロアチア、チュニジア、ロシアの名前がニュースやテレビ番組で出てくると、私は、敏感に反応してしまう。最近、サッカーで日本はチュニジアと対戦した。バレーボールは、セルビアと。試合を観て、選手の顔を見て、その国に住んだ時に出会った人々の今を思う。試合そのものより、感傷に深く沈み込んでいる。

 『四国の山中にヒマラヤ民謡?…ネパール人…川下り…』の記事を読み進む。「四国・徳島の吉野川上流。日本有数のラフティング(川下り)の名所でアジアののどかな民謡が響いていた。ゴムボートを操縦してヒマラヤの民謡を披露するガイドの男性はネパール人だ。」“川下り”“民謡”“ガイド”どうしても山形の韓国出身の女性船頭と重ってしまう。

 そういえば、ネパールに住んでいた時、ラフティングに誘われたことがあった。ネパールでは、感染病にかかったり、雨季に外のコンクリートの上で滑って転倒して骨折したり、交通事故に遭ったりしていた。危険に囲まれているようで、ラフティングでさらに危険な目に遭う勇気がなかった。友人のアメリカンスクールに通っていた子息がラフティングに参加して楽しかったと聞いて、若者の冒険心を羨ましく思ったものだ。

 外国に暮らして、現地の人々と接していると国民性から、この国の人は、こういう仕事に向いているかもと、多々思う。ネパール人は、山岳ガイドやラフティングに向いていると思う。セネガル人はダンスが上手だった。スタイルが良くモデルで世界の舞台で活躍する人もいる。セルビア人は、テニス、バスケットボール、サッカー、バレーボールなどスポーツに強い。屈強な体格や精神から、こんな人に警護をしてもらえれば心強いだろうと勝手な想像をした。ラグビーの日本チームは、これからの日本の理想的未来図に思える。

 日本は、閉鎖的な国家である。多くの混血児が差別に苦しんでいる。今でこそ、八村塁、ナオミ・オオサカなどが国際的な選手になった。手のひらを返したように彼らを「日本の…」と声高に褒め「日本の…」を強調する。実際八村もオオサカも幼少時の差別経験を口にしている。

 今ネパール人は、日本に12万人いる。四国でラフティングのガイドの仕事だけでなく、多くの職業に従事している。まだまだ日本は、外国人の受け入れに多くの欠陥を持つ。法整備が必要。特に厚生労働省の『外国人実習制度』は、廃止するべきである。あれは現代版奴隷制度だと私は思っている。もう日本は、エライ国ではない。共存共栄のために、外国から喜んで期待に胸ふくらませて、働きに来てもらえる国を目指そう。


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いい薬です

2023年10月18日 | Weblog

 私は、私の父親の姉を“東京のおばちゃん”と呼んでいた。優しく兄弟だけでなく、その甥や姪の面倒見が良かった。私の母が亡くなった後、しばらく“東京のおばちゃん”が私を預かってくれた。私の姉も高校を卒業すると、“東京のおばちゃん”の家に下宿して会社に勤めた。“東京のおばちゃん”は、私にとって別世界の憧れの人だった。

 “東京のおばちゃん”が上田に来る時は、東京から珍しい物をたくさん持ってきて、私たちを喜ばせてくれた。“東京”は、私にとってまるで日本ではない外国のような気がしていた。私は、今まで東京で学んだこともなく、働いたこともない。東京都民になったこともない。そのせいか未だに東京へ行くと、何もかもが新鮮で胸躍る。通勤で毎日東京へ行く妻は、少しも東京を良い所とは思っていない。

 “東京のおばちゃん”は、健康に気を付けていた。ある時、目に良いからと『八つ目ウナギ』の瓶入りの錠剤を持ってきてくれた。『八つ目…』と聞いただけで、何か怪獣のようで気味が悪かった。結局、私たち子供が飲むことはなかった。東京の浅草へ行った時、『八目鰻本舗』という大きな看板を目にした。ああ、“東京のおばちゃん”は、ここであの錠剤を買って、上田に持ってきてくれたのだと気配りをありがたく思った。

 晩年、体調をくずして短期間上田に療養のために滞在した。とても電車で東京に戻れないというので、私が車で東京へ送った。車の中で、私の父親の子供時代、東京で働いていた頃の話、母との結婚の馴れ初めなど話してくれた。そして東京に着いて、車を降りる時、私の手に1万円札を渡して、「ありがとね。たぶんこれが最後だと思う。これで『アリナミン』を買いなさい。おばちゃんの遺言だと思って、アリナミンを飲み続けてごらん。」私は、その1万円を何に使ったか覚えていない。アリナミンを買わなかったことは確かである。酷い甥だ。おばの言葉通り、それから1カ月もしないで亡くなってしまった。

 あれからすでに50年以上経ってしまった。私も持病の糖尿病の合併症で、心臓バイパス手術を受けた。あちこちの血管が詰まって、ステントをカテーテル治療で入れた。いろいろな処方薬やサプリメントを服用している。正直、ジャディアンス以外効いているという実感がない。サプリメントは尚更である。テレビのサプリメントの世田谷食品や富山常備薬のコマーシャルを観ると腹が立つ。ビールのコマーシャルと同じで、信憑性がない。ひょんなことから、“東京のおばちゃん”が言ったアリナミンを飲んでみようと思った。さっそく薬局で小瓶を買って飲んでみた。体調に変化が現れた。かったるさが消えた。目にも変化があった。腰痛も軽くなった。信じがたかった。妻は、「保険適用されているから次回の診察の時、聞いてみたら」と言った。3カ月に1回の糖尿病の検診の時、主治医にアリナミンのことを聞いた。処方されることになった。

 今、1日2錠を服用している。太田胃散のコマーシャルで「いい薬です」がある。私が効き目を感じることができる薬は、睡眠薬・ロキソニン・リンデロンくらいだった。アリナミンも私の「いい薬です」に加わった。

 私はコキロクになって初めて“東京のおばちゃん”のアリナミンの効き目を実感できた。


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イノシシの親子

2023年10月16日 | Weblog

  散歩は、朝5時に家を出るようにしている。猛暑が続き、とても昼間歩くことなど不可能だった。10月に入って、やっと気温が下がって来た。夏、朝5時といえば、もう明るかった。どんな熱帯夜であっても、早朝は気温が下がって歩きやすかった。9月末から日の出の時間が少しずつ遅くなった。住む町の今日の日の出の時間は、5時50分。5時はまだ真っ暗で道路の街灯が煌々と辺りを照らし出している。

 日の出時間といえば、サハリンにいた時のことを思い出す。釣りをしたくて、現地のガイドを探した。リンさんという妻の現地採用の運転手の父親を紹介された。リンさんは、釣りはもちろん、山菜採りや狩猟に精通していた。例えば、釣りに行く日は、まず日の出の時間、海の満潮干潮の時間を調べてから決めた。釣り場に到着する時間を計算して予定が組まれた。今のように携帯電話やパソコンで何でも検索できるような時代ではなかった。現地にいた時は、リンさんが日の出は何時、満潮は何時、干潮は何時と言うのを当然のこととして受け流していた。どうやってリンさんがそれを知ったのか、もう知ることはできない。

 サハリンにはヒグマがいる。釣りや山菜採りに入った川や山では、ヒグマに襲われる危険があった。リンさんは、いつも私にヒグマに襲われた話を聞かせた。私が恐がるのを見て、喜んでいた。山菜採りやキノコ採りの時、リンさんはひとりでずんずん奥へ奥へと入って行ってしまった。私は、恐る恐るできるだけ平らで木々の無い場所に留まった。それでも誰もいない山奥なので山菜もキノコも日本では経験したこともない程、採れた。物音がすると私は、固まった。往々にしてそれは、リンさんが突然私の所に戻って来て音がしたのだった。リンさんは、山に入る時は、猟銃を持って行った。私を無理とおっぱなして、気にかけていないふりをして、実は、常に守ってくれていた。そういう配慮ができる人だった。

 妻は、サハリン勤務を最後に、前職を辞した。日本に帰国して、終の棲家を温暖な地の集合住宅に定めた。ヒグマはいないと思うが、猿や狸やリスがいる。住み始めてまもなく、妻が朝起きてベランダに十数頭猿がいたのを見つけ、大声で叫んだ。雨宿りで一晩過ごしたようだった。マーキングが凄くて、ベランダは異様なニオイがした。役場に電話した。驚いたことに猿被害対策部署が設けられていた。それだけ猿の害が多いのだ。言われたことは、マーキングのニオイを消すことと、ゴム製の蛇のおもちゃを置くことだった。夏網戸にしていた時、子猿が網戸を開け、台所に入り込んだのを、やはり妻が見つけた。妻の金切り声に驚いた猿は、網戸から逃げた。

 1年に5,6回猿の集団が裏の竹林や我が家のベランダに来る。ガラス戸に体当たりしてくることもあるが、観て見ぬふりをしていれば、1時間も過ぎれば、また移動して去っていってしまう。今では36匹の大集団になっている。

 10月13日、夕方駅に妻を迎えに行った。集合住宅の前の坂道を上がって来ると、頭にヘッドライトと腰にもライトをつけてジョッギングしている男性がくるくる回っていた。何しているのと思った瞬間、私の車のヘッドライトが動くモノを照らし出した。まさか。イノシシの親子。母親と2匹のウリボウだった。ジョギング中の男性は、イノシシを見て逃げようとしていたのかもしれない。熊でもイノシシでも子連れは危険だ。何事もなく3匹のイノシシは、道路を進んでいった。この辺にイノシシがいるとは聞いていたが、自分の目で見たのは、初めてだった。

 次の日から散歩のコースを変えた。自分が今住んでいる場所が、サハリンの山中のように感じる。


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車検

2023年10月12日 | Weblog

  車検が終わった。総額で57420円かかった。24カ月定期点検代23100円。継続検査(完成検査測定料含む)ブレーキフルード 取替6820円。ブレーキ クリーニング2200円。エンジン スチーム洗浄3300円。小計46420円。これの他に検査手続き代行料11000円。法定費用重量税16400円。自賠責保険料17650円。印紙代1600円。総費用93070円 前受け金35650円 支払額57420円。

 今乗っている車は、トヨタのヤリスだ。妻の送り迎えと買い物に使っている。遠乗りは、しない。コキロクになっても、まだカッコイイ車に乗りたい気持ちはある。しかし身の程も知っている。長距離運転は、不可能。腰がもたない。なによりも運転に自信がない。集中力、視力にも問題がある。自家用車は、間違いなく金喰い虫。新車購入にも金がかかる。維持費もある。ガソリン代もこのところの原油価格の高騰で負担が増えた。

  毎年、次々と新しい車がでてくる。乗ってみたい車もある。私の運転免許証は、後期高齢者なので3年ごとに更新しなければならない。認知機能検査とやらが心配。そうでなくてもこのところ“私はだあれ、ここはどこ?”状態におちいったり、数秒前に閃いた良いアイデアも瞬く間に宇宙の果てに飛んで行ってしまって、戻って来ない。認知機能検査では、計算の試験があって、「173―7=?」「65―7=?」のような問題が出題されるという。無理無理。そんな計算できない。ああ、恐ろしい。計算が苦手だ。新車どころか、次の免許更新さえできるか分からない。免許更新ができなかったら、免許なしで使えるシニアカーにしなければならないかも。でもシニアカーで妻を後ろに乗せて、駅まで送り迎えも楽しそうだ。

  車検を終えて車が戻った。暑い日だった。妻を迎えに駅へ行った。エアコンを入れたのに、車内の温度が下がらない。妻が乗り込んできて、「暑くない」と言った。妻は暑がり。「エアコンおかしいんだ」と私。聞いているのかいないのか。妻は、エアコンの操作ダイヤルを回したり、スイッチを入れたり切ったりした。帰宅して妻は、トヨタへ電話した。担当者が来て見てくれた。冷房のダイヤルの中心部にある押しスイッチが切れていたと言われた。私は、怒りを覚えた。なぜなら車検に出した車、車検が終わったら計器類など出した状態のままで戻って来ると思うのが普通でしょう。私は、エアコンを何も考えずに、何も操作することなく使っていた。エアコンが使えるようになって、私の怒りも冷やされた。

  車検が終わって数日後、車の後部に20センチ四方に擦り傷があるのを見つけた。疑った。まさか車検の時、傷つけられた。ビッグモーターと同じ事をトヨタもやってんのと疑った。妻に傷を見せた。車の名義は、妻になっている。妻は言った。「トヨタに傷つけたのかと聞いたって、やってないと答えるに決まっているでしょう。それより保険使えるか聞いた方がいい」

  トヨタの担当者が来て、車の傷を見てくれた。擦れ具合と傷の高さから、スーパーに置いてあるカートだろうとも言った。修理代は約10万円かかるそうだ。万札が空中に舞い上がるように消えてゆく画が頭に浮かぶ。私は、自分で車の後部を擦って傷つけた覚えがない。ぶつければいくら私でもまだ認識できる。でも自分がぶつけたのではないと証明できない。こんなでは、カッコイイ新車なんて絶対無理。分相応をわきまえよう。


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ジャニーズ問題

2023年10月10日 | Weblog

  ジャニーズ問題がニュースになるたびに、私は、自分が性被害に遭いそうになった中学生の時の事を思い出す。同時に塾で教えていた時、家庭教師を依頼されて教えた女子生徒のことを思い出す。彼女は、小学生高学年の時、教師からの性被害に遭い、以後学校へ行かなくなった。すでに大学受験できる年齢になっていた。時の経過が少しずつ彼女を変えた。絵に興味があって、美大で絵を学びたいとの希望を持った。それには、まず大検(大学入学検定試験)を受けなければならない。そこで彼女の弟と妹が通っていた塾で教えていた私に両親が相談に来た。私は、彼女の家庭教師になった。

 最初、彼女は、私に警戒していて中々打ち解けなかった。男性に拒否反応があるようだった。ある日、ひょんなことから私の中学生時代に教師から受けそうになった性被害の事を話した。その後、彼女の態度が変わった。大検の受験勉強も進んだ。彼女は、大検に合格して、見事、美大に入学した。私は、彼女に接していて、彼女の人生を狂わせた、罪深い小学校教師を呪った。この教師は、その後、児童への性加害で逮捕された。数十年の間、この教師の餌食になった児童が多数いたことが判明した。

 今、毎日のようにジャニー喜多川による性被害問題が、ニュースになっている。ジャニーズ事務所が記者会見をした。見ていて聴いていて腹が立った。笑止千万。そもそも今回のジャニーズ問題を最初に取り上げたのは、英国のBBCである。それまで日本のマスコミは、ジャニーズ事務所を聖域として、どのマスコミも踏み込んで報道することは一切なかった。ところが世間にこの事件が知られると、手のひらを返してジャニーズ事務所を敵視するようになった。風見鶏もいいところだ。私見では、記者会見はBBC一社で十分だった。

 妻がチュニジアの日本大使館の医務官だった時、日本の外務省の外務大臣官房総務課要人外国訪問支援室長だった松尾克俊が公金横領で逮捕された。松尾は、約6年間の在任中7億円以上の公金を横領したとされている。(実証されたのは5億円) 競馬馬、マンション、ゴルフ場会員権などに使った。愛人も囲っていた。ある日妻が怒って帰宅した。外務省の職員全員がその階級によって金額を決めて、松尾の横領した額を返済するという通告が来たという。妻は、どうしても腑に落ちなかった。普段は、生え抜きの外務省の職員でないとして、冷遇され、こんな時には、まるで初めから外務省にいた職員のように扱って金額を押し付ける。理不尽この上ない。なにゆえ、一個人が自分の快楽追及に盗んだ金を使っておいて、真面目に働いている他の職員が、尻ぬぐいしなければならにないのと妻は怒っていた。

 この件から、私は、なぜジャニーズ事務所に所属するタレントたちは、事務所が記者会見をする前に、性被害を受けた元同僚タレントたちに義援金という形で、金を集めて見舞金を支払わないのかと疑問に思った。おそらく生き馬の目を抜くような競争の世界で、他人の事に関わっていられないのであろう。所属タレントの年間所得がどのくらい凄い額であるかは、周知の事実である。所属タレント人数は、約300人。年間売り上げ高は、約1000億円。現在被害を申し出ている元所属タレントは、325人いるという。累計所属タレント数を把握するのは困難であろう。性被害を受けた割合は、相当な率である。ジャニー喜多川の卑劣さが隠れた犠牲者、特に現在も事務所に所属しているタレントもいるはずである。犠牲に遭ったか遭わなかったかは、喜多川の好みか、タイミングだけだったであろうと推測する。だれでもが喜多川の餌食になっていても不思議はない。日本という世界で最も性被害に甘い社会であるが、ジャニーズ事務所所属タレントの真摯な行動をまず期待したい。金銭で失われた人生を取り戻すことは不可能である。しかし金銭で謝罪の尺度は測ることも可能である。

 同僚タレントだけでない。マスコミ各社も見舞金を出し合って、性被害撲滅基金を設けでもして、反省の態度を形で表すべきである。海外のメディアに、先を越される体たらくを深く反省するがいい。

 どう生きても、危険が至る所に散らばっている。私も中学生の時、あの音楽教師に犯されていたら、私の人生は、全く違うものになっていたに違いない。


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京都の苔寺の比ではない

2023年10月06日 | Weblog

  福井富山旅行から戻って2週間が過ぎた。平泉寺白山神社で見た苔の印象が色濃く残っている。あの静寂の中で吸い込んだ空気がまだ私の肺に残っていてくれる気がする。日課にしている朝5時からの散歩の道すがら、この夏の猛暑で焦げて枯れた苔をあちこちの日陰で見る。緑を奪われた失った苔は、ものがなしい。福井だってご多分に漏れず今年の猛暑は、ひどかったであろう。それなのに、平泉寺白山神社の苔は、前回訪れた時と同じく、しっとり重厚に辺り一面を被っていた。私は、その霊気に優しく包まれた。自分がどんな悪人であったとしても、許してもらえる気持ちになっていた。それほどまでに平泉寺白山神社の苔の海を讃えるのは、私のひとりよがりかも知れない。そこで誰か作家が何かこの苔の事を文章にしていないか調べてみた。あった。白洲正子と司馬遼太郎の平泉寺白山神社の苔についての記述を見つけた。

 【白洲正子『隠れ里』264ページ「越前へ取材に行った時、友達から、平泉寺にはぜひ行って来い、参道がいいし、苔も美しい。京都の苔寺の比ではない、とすすめられた……平泉寺について、私の知識は皆無であったが、よほど大きな寺だったらしく、方々に礎石や石垣が残っており、杉の林は全山苔でおおわれている。それも排気ガスと観光客で傷めつけられた京都の寺院とちがって、季節として決していいとはいえないのに、ビロードをしきつめたようにふっくらと盛り上がり、木漏れ日に光る景色は実に美しい。」】

 白洲正子(1910―1998)が平泉寺白山神社を訪れたのは、ずいぶん前になる。私が初めて平泉寺白山神社を訪れたのは、5年前の2018年である。その時でさえ、平泉寺に観光客は、私たち以外に誰もいなかった。白洲正子が訪れた時も、きっと閑散としていたに違いない。私は、白洲正子に「京都の苔寺の比ではない」と言って平泉寺へ行って苔を見るように勧めた友人を凄い人だと思う。文面から白洲正子も友人の言った事に同意しているようにみえる。京都と聞くだけで、私は、劣等感からか卑屈になる。京都と何かを比較しようとさえ思わない。こともなげに「京都の…比ではない」と言い放った白洲の友人とはいったいどういう人なのか。

 【司馬遼太郎 『街道をゆく 18』ページ182 183 「…画伯が指先でふれている苔は、杉苔でもなかった。京都の名刹の庭などにはえている苔は叡山苔などと美称される杉苔だが、ここの苔はそれよりもなりが大きく、毛状の苔葉は小鳥の羽をみるような感じで、横にしっとり臥せている。『勝山市史』によれば、この境内を色濃くかざっている苔は、主としてヒノキゴケ、ヒメオキナゴケ、スギゴケであると書かれているが、この苔がそのうちのどれにあたるのか、よくわからない。ともかくも、すぐれた苔が育つのに、この境域は絶好の条件がそなわっているにちがいなかった。」】

 司馬遼太郎(1923-1996)は、苔のことを客観的書いている。白洲の友人のように「京都の苔寺の比ではない」とは言っていない。でも何事にも辛口な司馬遼太郎が、平泉寺白山神社の苔を褒め愛でているように、私には読み取れる。

 嬉しい。私だけが平泉寺白山神社の苔に魅せられているのではない。ひとりよがりでないようだ。色々な意見を聞いたり読んだりして、自分と同じような考えた方、感じ方をしている人がいることが分かると、暑い日に喉が渇いて冷たい水を飲むように気分が晴れる。


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パトカー追跡

2023年10月04日 | Weblog

  午後の買い物に車で出かけた。人呼んで『黒いスーパー』。そのスーパーの外壁が黒いのでそう呼ばれている。中型のスーパーである。住む町の他の店には売っていない、東京まで行かなくてもそろう商品が多いので、使っている。

  このスーパーの難点は、駐車場にある。10数台ずつ3か所に設けられている。入り口が2か所。出口が1か所。2か所は、道路から歩道を越えて、直接パーキングスポットに入れる。歩行者に気を付け、対向車にも注意しなければならない。

  そんな駐車場の空きスペースに私が車を入れようとした時、背後から猛スピードで私の車を追い抜いた箱型の黒い軽自動車。ぶつかる、と思った瞬間、軽自動車は、対向車線にハンドルを切った。すると今度は、けたたましくサイレンを鳴らしたパトカーが来た。パトカーも相当なスピードだった。「前の車、止まりなさい」。サイレンの音をかき消すような怒鳴り声。軽自動車は、交差点を右に曲がった。信号は赤。道路の他の車両は、すべて路肩に避難している。軽自動車に続いて、パトカーも赤信号の交差点をタイヤを軋ませながら、通過。黒いスーパーの駐車場の入り口は交差点を右折した所にある。スーパーに入ろうとしていた車に軽自動車がぶつかりそうになった。何とか軽自動車は、よけて通過。パトカーじゃ、「ほら、危険だろう。止めなさい。止まれ!」と絶叫。サイレン、スピーカー、エンジン音、タイヤの軋み音。軽自動車とパトカーは、静かな住宅街の奥に行ったようだ。

 やれやれと思っていると、今度は黒いスーパーのすぐ近くにある百円ストアの狭い小路から黒い軽自動車が歩道の段差で大きく跳ね上がって、道路に着地。そのまま再び黒いスーパーの方へ向かって来た。そのすぐ後を、パトカー。「危険だろう、止まれ、止まりなさい」の連呼。私が駐車した隣の車から私と同じくらいの年齢の男性が降りてきた。誰に話しかけるでもなく、「馬鹿だね。逃げ切れるわけがねえのによ」と言った。私は「そうですよねえ。逃げ切れるわけないですよね」と言いかけたがやめた。

  私は、すっかり忘れていた苦い過去を思い出した。上田に住んでいた時、私の悩み事を相談していた私より5歳年上の人がいた。東京出身で上田に工場がある会社に勤めていた。私は、彼の人となりや多才なところと常識的な生き方を羨望していた。突然、彼は離婚した。二人の子どもがいた。奥さんは、埼玉の実家に戻った。彼から電話が来た。別れた奥さんに荷物を車で届けるので、一緒に行ってくれと頼まれた。世話になっていたので行くことにした。碓氷峠を越えて、群馬県に入った。国道18号線を走っていた。すると後ろからパトカーがサイレンを鳴らして迫って来た。「クラウンの運転手さん、路肩に車を停めてください」 私は、彼が車を当然停めるだろうと思った。彼は停めようとするどころか、逆にアクセルをふかして脇道に入った。まさか彼が逃げるなんて。小心者の私は、震えが止まらなかった。

  結局20分ぐらい逃げ回って、パトカーに捕まった。パトカーの警察官は、彼を逮捕するのかと思ったが、驚くほど優しかった。

  私の友人は、離婚という大きな人生の節目に気持ちが荒んでいたのだろう。私も自分の離婚で経験した。黒いスーパーの前を駆け抜けた黒い軽自動車がどうなったか知らない。ただ「馬鹿だね、逃げ切れる…」と言ったおじさんの言葉が耳に残っている。人が正気を失うには、それぞれの理由がある。馬鹿な事をしでかさないように、あと少しの人生を辛抱したいという教訓を得た。


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