第二次世界大戦中、ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺について初めて知ったのは、中学生の時だった。世界にはいろいろな人種がいる。なぜナチスドイツがユダヤ人を迫害虐殺した理由は、詳しく学べなかった。恐ろしいことがあったのだとは思ったが、歴史の一事実として受け入れていた。高校の時、カナダのキリスト教の全寮制の高校へ留学した。英語のクラスの教師があまりにも人種差別的で驚いた。私は、キリスト教を愛の宗教と思い込んでいた。ある日、その教師は、いかにユダヤ人がカナダで嫌われているか話した。彼の話は、感情論であって、学術的な点は何もなかった。生徒も反論するでもなく聞き流していたので尚更びっくりした。他の授業では、常に生徒は、先生に意見や質問をぶつけていた。日本の学校では、決して見られぬ風景だった。だからユダヤ人について、英語の教師が語った時、何事も起こらなかったということは、生徒は先生と同意見だったと言わざるを得ない。私が思うに、キリスト教徒の多くは、イエス・キリストを裏切ったユダの血を引くのがユダヤ人ということからの宗教的な縛りから逃れられないのかもしれない。カナダにいて、あちこちでユダヤ人の人種的偏見や差別的な話を耳にした。
カナダ留学から帰国した。日本では、ヘドバとダビデの『ナオミの夢』が大ヒットしてオリコン1位になっていた。日本にはユダヤ人に対して偏見や差別意識がないことを、何か誇らしげに感じ、『ナオミの夢』を良い曲と受け入れていた。
カナダでユダヤ人が嫌われているのを知った。そして私自身もカナダで心ない人種的差別に何回も遭った。今でもカナダへ留学した最大の成果は、人種的差別を経験したことだと思っている。これは私の世界観人生観に大きな影響を与えている。
そんな私だが、その後結婚して離婚して二人の子どもを引き取って、育てた。そして再婚した。妻の海外勤務に同行した。4番目の任地は、チュニジアだった。そこでパレスチナの難民キャンプがあった跡地を見た。チュニジア建国の父と呼ばれるブルギバ大統領が、パレスチナのアラファト議長の要請でチュニジア国内に難民キャンプを設置して難民を受け入れていた。その後、イスラエルとパレスチナが和解してパレスチナ難民は、パレスチナやガザ地区に戻った。チュニジアの難民キャンプも、ご多分に漏れず住居環境が良い所ではなかった。私たち日本人は、住みたいところに住める。住む所を自身で選択できることは、幸せな事だと思う。世界の紛争地帯では、自分が生まれ育った場所から、逃げ出さなければならない人々が大勢いる。宗教の違い、イデオロギーの違い、領土の奪い合いに翻弄され、住んでいた地を離れなければならない事態に追い込まれる。
10月29日の日曜日私は、いつもの通り4時に起きた。ラグビーのワールドカップの決勝戦を観るためだ。前の日寝る前、妻に「明日の朝、ラグビーの決勝戦4時から観よう」と言っておいた。前の週からずっと「ラグビーの決勝戦いつ?」と私に何回か尋ねていた。4時に目覚まし時計が鳴った。妻に「さあ、決勝戦観よう」と起こした。しかし結局妻は、寝床から出てくることはなかった。私はひとりで観戦した。素晴らしい試合だった。結局、1点差で南アフリカが優勝した。試合を観ていて思った。戦争なんてしないで、スポーツで闘うことができないものかと。ラグビーみたいに厳格な審判がちゃんといて、公平に暴力などの規則の違反を取り締まる。国際的な審判であるはずの国連のいうことなどロシアも中国も北朝鮮もイスラエルもハマスも聞こうとしない。国連は、存在価値を否定しないが、機能できていない。国際問題にラグビーの審判やビデオ判定までする機構はできないものなのか。