団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

魔法瓶とお地蔵様

2021年09月29日 | Weblog

 私の父は毎朝、仏壇のご飯と水を取り替えた。神棚に柏手を打ち、東の太陽に向かって頭を垂れ、仏壇の前で線香をあげ目を閉じた。父は家族の誰にも父と同じ事をするように強制することはなかった。ご飯を器に盛ることも、水を取り替えて備えることもさせなかった。父の一連の行動は、まるで神職者のようだった。当時食糧事情が悪く、米は配給に頼っていた。朝だけは必ずご飯は炊いていた。今思えば、仏壇に温かい炊き立てのご飯を上げるためだったに違いない。夜はうどんやスイトンの日も多かった。私が物心ついた頃から毎朝続いていた。その光景は私の目に焼き付いている。

 

 散歩の途中でお地蔵様の前に魔法瓶が置いてあるのを見た。魔法瓶とお地蔵様。面白い組み合わせだと思った。魔法瓶をお供えした人は、きっとお地蔵様に冷たい水をと置いたのだろう。何しろ今年は猛暑が続いていた。そろそろ秋の気配があちらこちらに迫ってきている。冬になれば、きっと温かいお茶が魔法瓶に入れられてお供えされるのかもしれない。私は、父が貧しくても炊き立てのご飯を仏前にお供えしていたのを思った。魔法瓶をお供えした人と、父は同じような気持ちを持っているのかもしれない。

 

 日本の高度成長期が始まると、我が家にも電化製品が入ってきた。まず電気炊飯器。これによって母親の家事は、一変した。毎朝、炊き立てのご飯を仏壇に供える父のための母の手間が省けた。そして3種の神器と呼ばれたテレビ、洗濯機、冷蔵庫と続いた。魔法瓶もあった。私は電化製品のそれぞれの虜になった。学校の宿題そっちのけで、年が変わるごとに増えていった電化製品を観察することに夢中になった。魔法瓶という名前に感心した。お湯が必要になるたびに、ガス台でヤカンに水をいれて沸かしていた。母ちゃんが言った。「魔法だよ。お湯がずっと冷めなくて。助かるよ」

 今、魔法瓶は家庭で使うより、会社や学校や行楽で使うことが多くなった。我が家でも魔法瓶を使わず、お湯が必要な時は、電気ポットを使う。お地蔵様の前に置かれた魔法瓶は、小さなものだ。魔法瓶は進化してきた。お地蔵様は、ずっと昔から場所を変えずに座り続けている。お地蔵様がある場所は、昔の街道沿いである。いつからあるかはわからない。古いことだけは間違いない。

 

  今朝、お地蔵様の前を通ると、魔法瓶がなかった。我が家でも冷房も暖房もいらない快適な温度になった。お地蔵様にも魔法瓶はいらなくなったのだろう。これから気温が下がったら、今度は温かいお茶を入れた魔法瓶が置かれるかもしれない。この先、それを確かめるのが楽しみである。

 

 今日29日、自民党の総裁選挙が行われる。誰がなっても政治は変わらない。期待もしない。私も路傍のお地蔵様の気持ちになって時代の移り変わりを見ていよう。そんな私にも仏前に炊き立てのご飯を供える、お地蔵様に魔法瓶を置く、そんな気持ちで毎日飽きもせず、優しく接してくれる妻がいる。

 


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山鳩・猿・犬・猫

2021年09月27日 | Weblog

  朝5時15分までに散歩のために家を出るようにしている。9月に入って日の出の時間がどんどん遅くなってきている。妻が出勤する日は私ひとりで散歩する。玄関を出て道路を歩きはじめる。まだ暗い。山の方から山鳩の「デデッポーポー」とドスの効いた鳴き声が聞こえて来る。子供の頃、山鳩とかドバト言っていたが、キジバトが正しい。生まれ育った信州でも朝や夕方に「デデッポーポー」をよく聞けた。機関車の「シュッシュポーポー」と同じように「デデッポーポー」も子供たちがよく口にした。「デデッポーポー」を聞いて、子供時代のことを思い出しながら散歩に出かける。

 

 26日の日曜日の朝、妻も一緒に散歩した。家を出たのが6時過ぎていたので、「デデッポーポー」は聞けなかった。家を出て川沿いの歩道を二人縦に並んで歩いていると歩道の柵から身を乗り出して、土手の植物を食べている大きな猿がいた。妻は恐くなり固まっていた。歩道は川側にしかない。仕方がないので反対の車道の隅を歩くことにした。息を凝らして猿と目を合わせないように妻の前に立ちはだかって歩いた。何ということか、道路側の植え込みの中から、出て来る出て来る。大きいの、中ぐらいの、小さな子猿、20匹以上の猿の軍団である。多勢に無勢。もし一斉にこの猿の軍団が私たち二人を襲ったら、成す術がない。じっと軍団が通り過ぎるのを待った。普段の10倍くらいの早足で軍団から遠ざかった。振り向くことさえしなかった。

 川に沿った歩道から、商店街に入った。なだらかな下りの坂道である。猿の恐怖で会話が途切れていたが、息も元に戻り話し始めた。ひとりの散歩は、歩くだけ。話すことはない。妻との散歩の楽しみは、歩きながらの会話だ。話していると歩く距離も時間も短く感じる。それが私には何より嬉しい。

 家の近くの橋に来ると、小さな犬を連れた女性と出会った。この女性は、毎朝今は使われていない会社の研修所のビルに住み着いた野良猫に餌を持ってきてあげている。犬と猫が嬉しいそうにたわむれる。その様子をいつか写真に撮りたいと思っていた。カメラを持っていなかった。急いで家に戻り、私だけカメラを持って、ビルの前に向かった。猫は餌を食べ終わり、女性と犬もその場を去ろうとしていた。「犬と猫の写真撮ってもいいですか?」と女性に尋ねた。返事はなかったが、犬と猫を近づけさせたり、写真を撮りやすいように気を配ってくれた。そしてどうしてこういうことが始まったのかを話してくれた。女性は家で猫と犬を飼っていて、この犬はもともと猫と仲が良く、ある日ビルの前にいた猫に近づき、猫とじゃれるようになったそうだ。写真を撮ろうとする私を、犬も猫も警戒した。当たり前であろう。私はただの通りすがりの一見の者。

 家に戻ると妻が「いい写真撮れた?見せて」と言った。デジタルカメラは便利である。撮ってすぐ写真が見られる。仲の良い犬と猫が写っていた。仲良きことは良き哉。

 山鳩に猿に犬に猫。豊かな自然の中を散歩することによって、短時間で出会える。夏のセミ、今盛んなコオロギや鈴虫。もうすぐ始まる衆議院選挙のための街宣車を見たり、大音量でがなる、できもしない公約とやらを聞いたりするより、心穏やかでいられるのはなぜだろう!

 


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海洋放棄

2021年09月21日 | Weblog

東日本大震災でメルトダウンした福島第一原子力発電所では、毎日ウランを冷却するために使った約140トンの排水がでている。現在は排水をタンクに貯蔵している。政府はこの貯まった排水を海にパイプを埋めて、処理を施して2023年から海中に放出すると決定した。

 私は原子力や放射能についての知識はない。このニュースを聞いた時、かつて暮らしたアフリカのセネガルの下水処理の話を思い出した。セネガルの首都ダカールは人口約105万人(2011年)である。妻の前任者からの引継ぎで魚や貝類は、できるだけ食べないように言われた。理由は、ダカールの下水は、フランス植民地時代に海の沖まで埋められたパイプから、処理されないまま放出されているので、魚が汚染されているというのである。肝炎や赤痢などの病気が多かった。

私は妻の前任地のネパールで肝炎を発症して、セネガルに全治しないまま移った。海のないネパールでは新鮮な海産物を食べられなかった。『地球の歩き方』にダカールでは海産物が美味しいとあり期待していた。刺身はあきらめ、焼き魚、煮魚にして食べた。それでも病気や感染の心配が、湯呑の底の茶渋のように消えなかった。

住んだ家は、大西洋の海岸のすぐ近くだった。シェパード犬2匹をネパールから連れて赴任した。犬の散歩は、もっぱら海岸の砂浜でさせた。赤道に近いので年中気温が同じくらいだった。海岸では海風が気持ち良かった。海岸に太いパイプがむき出しになっていて、海の中に続いている場所があった。それがダカールの下水の排水だった。沖の水の色が異様だった。犬も海に鼻を向けてクンクンしていた。何かを嗅ぎ取ったかのようだった。多くのセネガル人がその海で泳いでいたが、私は海の中に入る気さえ起きなかった。

福島の第一原子力発電所からの汚染水は、入念に科学的に処理されて海洋放出されるという。専門家が安全な放出だとも解説した。でも私は信用できない。なぜなら原子力発電所をあの場所に造ると決定する前に、地震や津波を想定していたのである。地震と津波が起こったら、あれは想定外だったと言った。いくら原子力発電が優れていようが、人間が制御不能な状態が起こったのである。私のような無知な者でも、汚染水の処理もできず、使用済み核燃料の処理のめども立っていない現状をみれば、原子力がいかにまだ手出し無用な分野であるかと受け止める。

自民党の総裁選挙の4人の候補者の公開討論会で、4人がそれぞれ原子力発電に関する意見政策を述べるが、どれも中途半端。コロナ、外交、経済、少子化に関しても彼らのどの人が総裁になっても、これまでと変わる期待が持てない。

菅首相は、「安全安心」を多用したが、安全も安心も国に与えられるものではなくなった。日々の生活の中で私は、モヤシの下ごしらえや魚のウロコを引きながら、妻の「美味しい」を期待しつつ、私たち夫婦の、今日の、この瞬間の安全安心に全集中する。


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前立腺超音波検査

2021年09月17日 | Weblog

  昨日、定期健診を受けに東京の病院へ行ってきた。今回は、検診に前立腺の超音波検査を追加して受けることになっていた。私が住む所から東京までは、電車で90分である。コロナ前、検診や受診のたびに東京へ出られるのは、不安でもあり楽しみでもあった。診察や検査で何か異常や悪化が見つかるのではという心配。でも受診後、デパートや好きなレストランへ行ける喜びがあった。今は違う。コロナは、不安と心配を蔓延させて、私たちの生活を変えてしまった。

  電車は空いていた。乗客は老若男女問わず全員がマスクをしている。この光景は、どうみてもおかしい。普通ではない。ワクチン接種後、少し気が楽になったが、デルタ株の出現で、ワクチン接種を受けていても感染の危険があると知り、楽になった気持ちが、逆戻りして元の状態になってしまった。電車の中の風景も東京の人混みの状況も、目に見えないウイルスの霧に覆いつくされた恐怖の絵図に思えた。

  年齢が年齢なので、恐いのはコロナだけではない。同年配の知り合いが前立腺癌で何人も手術を受けている。医学の進歩で前立腺癌は、すでに不治の病でなく、早期発見できれば治せるようになっているという。前立腺癌になった知り合いも皆、手術後元気になっている。

  何年も前に、私の妹がくも膜下出血で倒れ、大手術を受けた。手術後、執刀医が、心配して駆けつけていた私たち兄妹を集めて手術の結果を報告してくれた。最後に「くも膜下出血は遺伝的な発症確率が高いので、ご兄妹の皆さんは、是非、脳の精密検査を受けることを強くお勧めします」と言ってくれた。妻も検査を受けたほうが良いと言った。検査を受けた。危険な箇所は見つからなかった。

  妹のくも膜下出血の時、医師に言われた通りに脳の精密検査を受けた。その時の経験で早期発見早期治療を心掛けるようになった。今回前立腺の検査を受けようと思ったのは、同年配の知り合いの手術の話を聞いたからである。治せる病気は治してもらう。ダメなら覚悟を決める。後であの時ああしておけばよかった、などという後悔はしたくない。

  検査を受けた後、主治医から結果を聞いた。今のところ問題はないと聞き、ほっとした。糖尿病の血液検査でも毎日5千歩以上歩く運動と薬の効果が出ていて嬉しかった。やっと日々の努力が数字に反映してきている。

  今、日本のマスコミは自民党の総裁選挙のことでもちきりだ。日本は政治も経済も病んでいる。失われた30年と言われるが、誰が首相になっても変わらなかった。これだけ医学や科学が進んでも日本の政治は旧態依然。1923年関東大震災の後、自由民主党の石橋湛山は「日本国民は、わっと騒ぎ立てることは得意だが、落ち着いて善く考え、共同して静かに秩序を立て地味の仕事をすることには不適任である。データの整理や予防策など科学化して将来に備えなければならない」と書いている。もう百年も前にである。医学は進んだ。予防策を科学化して更に発展を遂げている。その結果私の命は、救われた。政治はまったく変わっていない。いや後退している。残念でならない。日本の首相は、石橋湛山が言ったことを肝に銘じて人選して、国民が自ら決めるべきだ。その日を来るのを夢見て、これからも早期発見早期治療を目指したい。


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いい加減なジジイとバアサン

2021年09月15日 | Weblog

 以前9月15日は敬老の日だった。今は9月の第3月曜日に変わった。

 タモリさんが、健康ケアに関して取材されて「後期高齢者なんですよ。どういう意味かというと『いい加減ジジイだぜ』と。いままで健康にまったく気を使っていなかったんですけど、やらなきゃなと。散歩してます。仕事も健康ケアも」と答えたという。タモリさんは、確か私と同じ年齢である。“いい加減ジジイ”の“いい加減”の表現にタモリさんらしさを感じた。“いい加減”とは、適当、ほどほど、深く考えず無責任なこと、相当、かなり、だいぶんなどの意味がある。タモリさんの言う、いい加減には、それぞれの意味が含まれていると思う。

 私も“いい加減ジジイ”の“かなり”の意味での実感を持つ。朝、靴下が立ったままでは履けない。けんけんして倒れそうになる。眉毛の一部が狂ったように急成長して、他の眉毛との伸びる歩調を崩す。まつ毛の数が減り、長さも短くなり、眼球レンズに触れる。耳たぶの裏に1本シメジのように長い毛が生える。散歩しているとあちこちの関節が音を発する。うがいしようと上を向くとふらつく。うがいの水が、意に反して、食道に不法侵入してしまう。誤飲の始まりか。

 2021年9月1日時点の統計によると百歳以上の高齢者が8万6510人になったという。そのうち女性が88.4%だそうだ。百歳以上は1950年に約100人、1965年には198人しかいなかった。なんという増え方だ。私の家系に100歳を超えた者はいない。私も100歳まで生きられる可能性はない。生きたいとも思わない。51歳の時、狭心症で心臓バイパス手術を受けた。手術前、私は『辞世帳』を大学ノート1冊に書き上げた。それが原因なのか、それから後の命は、“オマケ”と受け止めている。私を含めて、多くの老人が長生きできるのは、医学の進歩によるものだ。もちろん生活環境や食生活の改善もある。感謝なことである。

 去年の冬に始まった新型コロナウイルス感染拡大で団塊世代の私たちは、自分たちの健康寿命の終盤の重要かつ貴重な2年間を失った。ともすれば悲観的になるが、考えてみると、この2年間タモリさんがいう健康ケアは、100点満点をもらえるのではないか期待してしまうほど優等生だった。とすれば、もしかしたら、万が一にも、私の寿命は失われた時間分伸びた可能性がある。そう思うと鼻歌が出てきそうになる。

 夫婦で楽しみに観ているドラマがある。英国BBC制作の『ニュートリックス』だ。英国で視聴率30%を超えた超人気番組だという。“いい加減ジジイ”と“いい加減バアサン”な私たちが、3人の“いい加減ジジイ”な元刑事の活躍に心躍らされる。この3人の個性を私の同年配の友人に当てはめながら毎回楽しんでいる。

日本のテレビ番組は、タケシだダウンタウンだナイツのような一部が偏重され過ぎだ。テレビドラマもつまらない。私が『ニュートリックス』を観て感じる共感を持てない。私もいい加減なジジイだが、日本のテレビ番組は、もっといい加減な未熟状態である。私がテレビや政治に求めているのは、共感である。


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NHK教育テレビとオンライン授業

2021年09月13日 | Weblog

  小学校2年生の孫と電話で話した。夏休みが終わったのに、対面授業ができず、分散登校になったという。登校しない日は、オンライン授業を受けているそうだ。彼の母親、私の長女もこの1年半以上会社に出勤することなく、家でオンラインを通して仕事をしている。孫はオンラインの授業がつまらないと言った。娘は先生が画面慣れしていないので、しどろもどろで孫が集中できず、すぐに飽きてしまうという。

 孫や娘の話を聞いていて思った。日本には世界にないNHK教育テレビがあるではないか。なぜこれを使わないのか。そもそもNHK教育テレビは日本全域に教育的テレビ番組を流す目的で設けられたのである。コロナ禍で教育格差だ学習プログラムの未消化だの学校閉鎖だと、まるで政府の緊急事態宣言とまん延防止等重点措置発令の繰り返しと変わらない。今こそ文部科学省は、各学年の履修科目別にNHK教育テレビを通じて全国に放送すべきである。文部科学省は教科書の選定を行っている。選定だけで事は済まない。生徒たちの習熟度を知ることも重要である。学校の教員の職務を軽減するためにも、NHK教育テレビを活用した授業を展開して欲しい。

 私の高校の同級生と先日ズームで話した。勤めていた大学を退職した同級生は、まだ別の大学で教鞭をとっている。コロナでオンライン授業をしているそうだ。教えている彼のようなベテラン教授でさえ、オンライン授業に懐疑的だった。学生たちは、彼よりもっと不満を持っていると言った。大学生さえそうなら、小学2年生なら尚更であろう。同級生は、いろいろな場所で講師として話をするほど、話が上手である。地元の市から請われて、小学生や中学生の科学教室でも講師をしていた。何度も繰り返して、呼ばれるのは、子供達に人気があるからに違いない。コロナでそれも中止されてしまっている。

 日本のテレビ局はNHKも民放も出演者の選定に問題が多い。ドラマの配役も下手としか言いようがない。テレビのコメンテーター、特にコロナ関係の専門家と呼ばれる人はひどい。ある医者が、コロナで精神的に不安になったりストレスを感じたら、テレビを観ないでいることだと言った。正論だ。政治も行政も配役といえる任命に問題が多い。それは選定が人物でなく、別の要素によるからであろう。

 学校が閉鎖されて、オンライン授業になっても、学級担任の授業もあり、NHK教育テレビによる日本全国広域同時放送による授業もある。子供達の集中力は、ずっとはもたない。変化が必要。NHK教育テレビの出番である。パラリンピックのテニスで金メダルをとった国枝選手による体育の授業で、国枝選手の体の鍛え方を学ぶ。音楽の授業でMISIAと教科書の楽曲を歌う。山中伸弥教授の理科の授業。教科書の内容に当てはまるNHKの多くのドキュメンタリーは、貴重な記録が多い。その活用もできるはず。誰を選ぶか、どの映像を使うかこそ、文部科学省とNHK教育テレビと腕の見せ所になる。

  コロナ禍だからこそ、今しかできないことをする。コロナは悲劇である。しかしこの試練は、必ず生徒、学生の教訓になって彼らの将来に良い影響を与えるに違いない。そのためにも日本が持つ資源(人的、科学的、インフラなど)を最大限活用するべきである。NHK教育テレビは立派なその一つの資源である。


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暗闇の踊り場

2021年09月09日 | Weblog

  「キャアッ」と叫ぶ声。上から下まで白の女性。両手で白いマスクをしている顔を覆い、身のこなしよく後ずさりした。ドキっとすると同時に心臓が止まってしまったかのように、私はのけぞり壁に手をぶつけた。「ごめんなさい」 私もすかさず「すみません」

 8月に暑い日が続いて、日中の散歩が危険だと、朝5時から散歩するようになった。早朝散歩を始めた頃、日の出は4時後半で5時にはもう明るくなっていた。9月に入って、日の出は5時前半に変わった。このところ気温が急に下がってきた。昼間に散歩できそうだったが、せっかく習慣づいたので早朝散歩を続行することにした。火曜日、散歩を終えて集合住宅の玄関のドアを、今日も散歩できたと力強く押し開けた。ホールを抜けて、階段へ。エレベーターがあるが、私の部屋は2階なので、歩いて階段を上ることにしている。

  あとちょっとで家に入れる。階段の途中に踊り場がある。踊り場の壁には空間があり、そこに雨風を防ぐ、シャッターがある。雨の日が続いていたので、シャッターが閉まっていた。だから踊り場は真っ暗。踊り場にあと一段。そこで「キャアッ」。目の前に白ヅクメの人。頭に大きなひさしのついた、農家の女性が作業中にかぶるような白い帽子、顔の4分の3を隠す白いマスク、長袖の白いジャンパー、白いスラックス、白い運動シューズ。私は、その日気温が低かったので、黒のパーカーに濃紺のジョギングパンツに顔を覆う大き目の白いマスク。黒と白。どっちものけぞる。お互い謝って通り過ぎた。

  女性は、上の方の階に一人で暮らしいる。私より年上だ。推定80代後半か。それにしても健康で、朝の散歩を日課にしている。まだ大きな乗用車を運転する。正直、私は彼女の踊り場での身のこなし方に、恐れ入ったのである。こちらは、声こそ出さなかったが、驚き方は尋常ではなかった。その証拠に驚いた瞬間、よろめいて壁に手を当ててしまった。この壁、痛い壁なのである。石英のような鋭角の縁のある細かい石が埋め込まれている。そこに体の一部を当てようものなら、痛いのイタイのって。今回も私の手は数か所出血した。体だけでない。服でもバッグでも当てると裂けたり、傷がつく。手摺が付いているので、普段はしっかり手摺を握って、上り下りしている。でも咄嗟に落下から身をまもろうと、今回は触れてはならない壁に手をついてしまった。手を怪我したが、階段コロゲ落ちからは身を守った。

  踊り場は何故あるのだろうと調べてみた。踊り場:階段の途中に設けられた幅の広い平坦な面のことです。 階段の方向転換や、小休止、転落の危険を緩和するなどのために設けられます。デパートなどでは休憩場所 ...。なるほどと思った。暗闇の踊り場は恐い。しかしその役目はこなしている。

  説明には、経済や政局や社会状況にも使うとあった。確かに今の自民党の総裁選挙にしてもコロナの感染状況にしても、“踊り場”である。

  どんなに今暗闇の中であろうと、明るい方向への転換する踊り場であることを願う。


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民生委員

2021年09月07日 | Weblog

  友人が民生委員をしていて、このコロナ禍ずいぶん苦労していると話してくれた。

  民生委員とは。民生委員法第14条に民生委員の職務の規定がある。

1.住民の生活状態を必要に応じ適切に把握しておくこと2.生活に関する相談に応じ、助言その他の援助を行うこと3.福祉サービスを適切に利用するために必要な情報の提供、その他の援助を行うこと4.社会福祉事業者と密接に連携し、その事業又は活動を支援すること5.福祉事務所その他の関係行政機関の業務に協力すること6.その他、住民の福祉の増進を図るための活動を行うこと

  私はかつて民生委員の世話になったことがある。離婚して私が二人の子供を育てていた頃だった。ある日、玄関の呼び鈴が鳴った。何かの押し売りかなとドアを開けると一人の女性が立っていた。私はこれ宗教の勧誘だなと直感した。違った。「私はこの地区の民生委員をしている〇〇と申します。市役所の福祉課から連絡が来まして、何かお困りの事がないかと参りました」 困ることばかりだった。狭い家だったが、上がってもらった。当時、私は誰でも私の話を聞いてくれる人がいれば、戸板に水を流すように喋ることができたと思えるほど孤立していた。

  話しているうちにその女性が、上田高校で現代国語を教わった先生の奥さんだとわかった。その先生は野球部の顧問をしていた。私はその先生を尊敬していた。その先生の奥さんということで、最初から心を開くことができた。女性が離婚して、子供を育てていることはあっても、男が子供を引き取り事は稀だという。一番困っていたことは、私の仕事が終わるのが夜の9時過ぎで、子供たちは私の塾の事務所で私の仕事が終わるのを待っていた。それから車で家に帰った。ほとんど毎晩、彼らは車の後部座席に立ったまま寝てしまった。家に帰って、夕飯を用意して、風呂に入れると11時近くになっていた。朝は7時10分のバスに乗らなければならなかった。バス停まで10分ほど。毎朝、彼らは朝食もそこそこに玄関の小銭入れの壺からバス代を取り、走っていった。その二人を見ていて、このままでは3人が壊れてしまうと思った。

  民生委員に「生活が安定するまで子供を施設に預けるという方法もありますよ」と言われた。それを聞いて、私は長男を全寮制の高校へ、長女をアメリカの友人家族に預ける決心がついた。寂しかったが、これは3人それぞれに良い結果につながった。

 再婚した後、高校の同窓会に出席した。現代国語の先生は、違うクラスの担任だった。先生に挨拶した。私が口を開く前に「○○君、よく頑張ったな。良かった良かった」と、私のその後をすべて知っているかのように、私の肩を叩きながら、喜んでくれた。

 私は、他人のために自己を犠牲にしてまで奔走する民生委員をはじめ、多くの人々に支えられ、助けられて今がある。感謝に絶えない。

 

 


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洗剤どばどば

2021年09月03日 | Weblog

  ネットで『洗剤どばどば…』という見出しを見つけた。私はサハリンで見た光景を思い出した。

  サハリンに住んでいた時、私の釣りの師匠リンさんとヤマメを釣りに出かけた。遡上する鮭は、海から川に入ってくる。川の上流に行けば行くほど、鮭はボロボロになる。そのような鮭は食用には向かない。上流の小川で鮭は産卵する。その卵を狙ってヤマメが集まる。そのヤマメを釣る。4,50センチ級のヤマメが面白いように釣れた。

  その帰り道、テントがあり、煙が空に一筋上がっていた。リンさんが鋭い目つきで私を見て、口に指をあてた。二人で腰をかがめて、音を立てないよう忍び足で、その場を離れようとした。川幅2メートルぐらいの小川の水は洗剤の泡だらけ。その下の水は真っ赤。だいぶテントがあった場所から遠ざかった。リンさんが「あいつらは密漁者だ。鮭のイクラだけ採ってドラム缶に塩と一緒にしている。採り終わるまであそこに寝泊まりしている。たいていライフルを持っていて、危険な連中だ。川に洗剤をドバドバと流して、下流の魚がみんな死んでしまう。悪い奴らだ」と堰を切ったように言い放った。私は、ソドムとゴモラのロトの妻が塩の柱に固まってしまったように、体が動かなくなっていた。

  サハリンではリンさんと山、野、海を駆け巡った。野営したこともある。リンさんは、自然を崇めていた。食材は現地で採った山菜キノコや川で釣った魚、海で獲ったカニや貝。私はリンさんが作ってくれた料理が好きだった。ご飯は飯盒で炊いた。フライパンや鍋も軍隊で使うモノ。箸はその辺の木の枝。料理も美味かったが、その後片づけにはもっと感心した。洗剤を使わず、砂や泥。タワシの代わりに、草を丸めてゴシゴシ。骨や殻は、掘った穴に埋めた。リンさんが言った。「必要な物は何でもある。ゴミも埋めれば、また土になる。要は頭の使い方。自然に逆らうと怖いよ」

  『洗剤どばどば…』(まいどなニュース 8/12(木)6:55配信)は、こう続く。「バーベキュー後に川で食器を洗う若者たち、無知な行為の代償は?専門家『想像力育んで』」

  人間の無知な行為の代償であろう。温暖化による中東の砂漠地帯の豪雨、中国の豪雨、ヨーロッパの豪雨、カナダの熱波、アメリカの山火事、日本の雨による土石流。川の上流で洗剤どばどばをしたら、下流で、そして海でどういうことが起こるか。確かに想像力が必要だ。便利で役にたつモノが、私たちの周りに溢れているが、自然を知らない想像力に欠ける人も大勢いる。改めて思う、リンさんはやっぱりすごい人!


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暑くなる前の散歩

2021年09月01日 | Weblog

  本を読んでも、テレビを観ても、目が疲れる。疲れるといか、集中力が続かない。それなのに散歩をしていて、目が疲れたと思うことはない。不思議だ。

 散歩を5時に起きてすぐしている。土日、妻が休みの日は二人で5時過ぎに家を出る。猛暑が続いた時は、日が出てくれば、すでに暑さを感じた。炎天下の散歩は、私に無理。まだ涼しいうちにとヨタヨタぼちぼち歩いている。

  5時過ぎに散歩していると、出会う人は決まっている。ほとんどが同じ時間、同じ場所にすれ違う。その中の一人は、私の友人である。私より3,4歳年上で数回大きな手術を受けている。背が高く痩せていて、ダンディ。いつどこで会っても身だしなみが良く、格好がいい。姿勢も良い。私は、カナダで20数年前に買った白い紫外線防止の長袖の上着に色あせた野球帽と短パン。どこからどう見ても、どこにでもいるオジサンスタイル。でもそんなの関係ない。今、私は脚の血管の詰まりと闘っている。詰まりが悪化して、脚を切断するか、何とか現状維持で最後まで生きられるかの瀬戸際である。3ヶ月ごとの血管検査で一喜一憂している。幸い、散歩を続けているうちに、血管の狭窄の数値は、少しだけだが改善してきている。

  一方毎朝散歩で会う友人は、最近検査入院した。以前、昼間に夫婦で散歩しているのを見かけていた。時を同じくして、二人とも5時すぎにひとりで散歩していて会うようになった。やはり私と同じように医者に免疫機能を高めるための運動療法を勧められたのかもしれない。お互い自分から自分の病状を話すことをしない。話すのはいつも国道の両端の歩道からである。マスクして大声で話すことはしない。話したいことは山ほどある。しかしお互い無事を確認し合い、手を上げて別れてゆく。

  東京に住む小学校2年生の孫から葉書が届いた。「ジイジへ 残暑お見まい申し上げます。コロナかでいろいろかわって、会えなくてさびしいです。夏やすみもどこにもいけなかったから、来年会いたいです。」10歳の子供の心をむしばんでいる、目に見えない圧迫感不満を感じた。私、コキシロウは74歳になるまで、今回のコロナのようなパンデミックに遭遇することがなかった。孫はたった9歳で、この世界規模の疫病の恐怖にさらされた。

  目の機能が、集中力が低下する中、久しぶりに本をアマゾンで買った。『新型コロナワクチン 本当の「真実」』宮坂昌之著 講談社現代新書900円税別。巻頭に「はじめに 新聞やテレビ、特にワイドショーを見ると、新型コロナウイルスの恐怖を煽り立てる番組が多く、気分が滅入ってきます。……私はそこまで悲観的になる必要はないと考えています。紆余曲折はありましたが、ワクチン接種が急速に進められており、2021年後半には、その成果がはっきり見てくるはずです。「明けない夜はない」と言われますが、「夜明け」は間近に迫っています。私は、人類は新型コロナウイルスを克服できると信じています。」とあった。2日で完読。久しぶりの完読に感動した。わからない医学用語や内容もあったが、概ね理解納得できた。まだ読めるじゃん。

  私は孫に葉書で返事を書いて投函した。「ジイジは朝5時に起きて、来年君に会えるように、散歩して体を鍛えています」 物は考えようである。こんな酷いことを9,10歳で経験した孫に、将来、どんな良い影響を与えてくれることかと。


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