団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

アフガニスタン

2021年08月30日 | Weblog

 アメリカ軍がアフガニスタンからの撤退を8月末に実施すると決めてから、タリバンの攻勢が強まった。みるみるうちに首都カブールまで制圧してしまった。今、カブールは南ベトナムのサイゴン陥落のような状態になっている。

 以前外務省に勤める友人が、アフガニスタンの日本大使館に勤めていた。8年前に休暇で帰国した彼が、私たちの家に泊りがけで会いに来てくれたことがある。アフガニスタンの話をたくさん聞けた。彼から、時の高橋博史大使の話も聞いていた。

 ネットの検索は便利だ。“在アフガニスタン日本国大使 高橋博史”と入れると、なんと最近ユーチューブのキャノングローバル戦略研究所の番組に出演しているではないか。早速ユーチューブで彼の話を聞いた。どんなテレビやラジオのアフガニスタン情報より解りやすい。高橋博史元大使は2012年から2016年まで大使を務めている。新聞でもテレビでも、日本のマスコミの取材の薄さを残念に思う。アフガニスタンに興味のある人に是非観て欲しい。(ユーチューブ:キャノングローバル戦略研究所で検索)

 私は妻の海外赴任に同行して、イスラム教国のセネガルとチュニジアで5年以上暮らした。セネガルのイスラム教は、原理主義というより、マラブーという宗教主導者の影響が強く感じた。チュニジアは、イスラム教国としては改革的で、女性の社会進出も盛んだった。ただイスラム教の影響は、人々の生活に深く浸透していた。信心というより、疑いもなく真実として受け入れているように思えた。日本人の私は、八百万の神々的なあいまいな思いで特定の神に絞り込めないので宗教色の強い国では、どこでも余所者の感を持った。

 個人的には、政教一致で宗教が政権を握るのは反対である。日本でもその可能性があるが、もしそうなったら日本から出る気である。私が生きているうちにそうならないことを願うばかりである。宗教は、政治とは別次元のものであると、私は信じている。

 TOKYO2020のオリンピックは、今パラリンピック真っ最中である。タリバンが治めるであろうアフガニスタンと、オリンピックが目指している世界とは真逆の気がする。タリバンは、ブブカ未着用の女性のオリンピック参加を認めないだろう。イスラム教以外の宗教を認めない。LBGT問題でも男色以外は、認めないと思う。だがオリンピックではLGBT問題、宗教問題、人種問題を理想主義すぎる扱いをしているようにも思えるが、真摯に立ち向かっていると思う。今のまま理想を徐々に実現できれば良い。進もうとする方向さえ間違えないでほしい。ただ特定の宗教や国家が全てを抑え込もうとすれば、世界はバラバラになり、覇権争いで収拾がつかなくなってしまう。

 高橋博史元アフガニスタン大使が言っていたように、タリバン政権と中国が、これからどういう関係を持つかが心配である。コロナで心配、国際情勢で心配。心配ばかりで心は晴れない。

 


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みんな私が悪いのよ

2021年08月26日 | Weblog

  最近、何だか知らないが「みんな私が悪いのよ」の心境に陥りやすい。うつうつとした心境の日が続いている。

  子供の頃、「空があんなに青いのも、電信柱があんなに高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなあたしが悪いのよ」をよく聞いた。誰かが他の子を何かの事で咎めると、咎められた子がこう切り返す子がいた。険悪な空気が、この返しで爆笑に変わったのを覚えている。だれかの歌だったかもしれないと思って、ネットで調べてみた。まず“みんな私が悪いのよ”と入れた。神楽坂はん子の歌に『みんな私が悪いのよ』があると出てきた。歌詞を読んでみると、恋愛に関するものだった。「青い空」も「赤い郵便ポスト」も「高い電信柱」も出てこない。そこで今度は“青い空、赤い郵便ポスト”で検索。あった。しかし諸説ありとあるが、思った通りに落語家が言ったことに間違いなさそうだ。

  緊急事態宣言を菅首相が会見で発表するたびに、私は落語を聴いて耳直しをしたくなる。古今亭志ん生、三遊亭圓生、立川談志。最近の落語家では、春風亭市之助がお気に入り。春風亭市之助は金曜日の午前中にラジオ番組を持っているので、欠かさず聴いている。週刊朝日でコラム『ああ、それ私よく知っています。』を載せているので、それも読んでいる。

  先日『通販』という題で書いていた。ラジオを聴いていると、放送局は、通販会社かと思う程、商品を宣伝する。出演者、自局のアナウンサーであったり、タレントが「私も使っているのですが…」と付け加える。いったいお宅にはどれだけの商品があるの?と聞きたい。

  春風亭市之助が次のように書いた:「私も週一ではあるがワイド番組で商品をオススメしている。アナウンサーさんのリードに相槌を打つだけなのだが、これが難しい。スタジオの向こうではスポンサーの眼光鋭く、かなりのプレッシャーなのだ。たまに『純金製大判小判』なんて高額商品がやってくる。なんでも投資目的で購入するらしい。己の実生活とあまりにかけ離れていて、本番で思わず「誰が買うんだろう」と呟いてしまったら、案の定「それはちょっと」と注意1。『白髪染めクリーム』のときは「嫌な臭いがしない」という触れ込みだったが、臭いをかいで「くさっ……あ……くないっ!!」で、注意2。『カズノコ醤油漬』のときは美味し過ぎて延々と「ポリポリポリポリ……」。「喋ってください(笑)」とふられ「尿酸値上がっちゃう!!」と言ったら睨まれた。すぐさま「……くらい美味しいっ!!」と褒めたら「手遅れでーす」というディレクターさんからの一声。」(週刊朝日)

  春風亭市之助は正直だ。毒舌でもなく、政治のことにも触れない。耳障りなしで私に、ちょうどいい噺家なのだ。日本にはいろいろ優れた芸術がある。落語もその一つである。芸術を育てるのは、民衆である。そんな優れた民衆でも、残念ながら政治家を育てられなかった。政治屋ばかりを作り出した。コロナという国難にぶち当たって、その弊害が噴き出した。

  「日本の首相が口下手なのも、コロナをロックダウンできないのも、ワクチンを国内で開発できないのも、みんな私が悪いのよ」


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絶対に参考にしないで

2021年08月24日 | Weblog

  8月4日に私は『誰か教えて』の題でブログを投稿した。その中で「私は知りたい。今なぜインドで感染者数が激減しているのか?昔、風邪は他人にうつせば、治る、というのを聞いたことがある。まさかコロナもそうではないと思うが、今はどんなことでもコロナを防ぐなら、聞く耳を持っている。誰かそれを教えて!」と書いた。やっとそれに関する報道をユーチューブで見つけた。それはテレビ局がニュースで取り上げたものだった。ネットのニュース項目にも出ていた。

 私は新型コロナウイルスに関しての専門知識がまったくない。私の疑問など取るに足らないものだろう。それでも私の疑問の答えが与えられれば嬉しいものである。インドで急激に感染者数が減ったのは、国民の抗体保有率が70%に達したからだという。:(インド政府 専門家会議メンバー アミット・ダット医師)「インド全体の抗体保有率が70%という結果がでました。インドが“集団免疫”を獲得したことを意味します。(感染者の激減は)これが一つの理由になっているでしょう。」

 続きを読んでいくと「(インド政府 専門家会議メンバー アミット・ダット師)「インドから学んでください。自然感染で集団免疫を獲得すると大きな犠牲を払うことになります。絶対に参考にすべき方法ではありません。パンデミック下ではリーダーシップが非常に大切です。政府が信頼を取り戻したうえで(国民と)感染対策を実行すること、それがこのパンデミックと闘うための唯一の道なのです。」 8月22日『サンデーステーション』より」とあった。「絶対に参考にすべき方法ではありません」が胸に刺さる。

  私は違う答えを求めていた。インドの感染者数の激減は、日本での感染拡大を止めるのにきっと参考になるに違いない、と勝手に思い込んでいた。アミット・ダット師は「インドではこれまでに40万人が亡くなったと報告されています。しかし実際の死者数は不明です。もっと死者は出ていたでしょう。報告よりもずっと多かった可能性が高い。」とも言っている。 実際、アメリカの研究機関は、インドのコロナウイルスによる死者は公式発表のおよそ10倍にあたる340万人から490万人に及ぶ可能性が高いと発表しています。統計の数字は、何故に正確さに欠くのか。いったい何を信じれば良いのか。つまりインドでは大勢の犠牲者を出したからこその結果として、集団免疫を獲得できたということになる。

  日本で70%の集団免疫を獲得するには、相当な犠牲者を出さなければならないことになる。アミット・ダット師が「絶対に参考すべき方法ではありません」と声を上げてくれた。彼のような学者がいることを心強く思う。必ず犠牲者を出すことなく、コロナを退治する方法はあるはずだ。まだまだコロナとの闘いの模索が続く。このパンデミック下、日本には未だにリーダーシップを持つリーダーの影も形も見えてこない。


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香菜がない

2021年08月20日 | Weblog

  18日買い物に出た。いつものように買う物をメモした紙を持って出かけた。自粛中、買い物と散歩が、私を家から出す誘い水となる。

  コロナ感染の第5波の真っただ中だという。ワクチンを2回接種していても、感染の危険があるそうだ。次から次と出て来る“脅し”のような政府やマスコミの警告。私は、小心者。脅しに弱い。大きなものには、自ら巻かれに行く。コロナが始まって以来、出される宣言や措置を守ってきたと自負している。

  緊急事態宣言やまん延防止等重点措置とかいう役所の言葉遊びのような責任逃れが続く。それは最近の雨の災害で、避難勧告を出したとか、出さなかったとかで騒ぐマスコミ対策のように思える。勧告を出しておけば、何かがあっても責任が問われないとでも考えているのだろうか。あまりにもお役所的な行動に呆れ果てる。私たちが一番知りたいのは、コロナって何、どうすれば命を守れるのか、いつになったら以前の生活が戻って来るのかである。

  おどおどしながら買い物に出かけた。マスクにウイルス・除菌マスクスプレーを吹き付けた。店の入り口の消毒スプレーをたっぷり手に付けた。その濡れた手をワゴンの取っ手で拭き取るようにぐるっと回し擦った。メモを片手に買い物を進めた。最後に香菜(パクチー、コリアンダー)を探した。いつもの場所にない。私は、焦った。私は、冷蔵庫に香菜を常備している。私は、薬をたくさん服用している。薬だけに頼るのではなく、食べ物と運動にも気を遣う。医食同源として香菜を毎日摂る。近くにいた店員に尋ねた。アルバイトなのか香菜がどういうものなのかわからない。他に店員に聞きに行ってくれた。「入荷していません」 私はここであきらめない。会計を済ませて、他の店に向かった。

  私が住む町には、私がよく使う4軒のスーパーがある。4軒ぜんぶ回ったが香菜はどこの店にもなかった。無い理由は、すべて入荷がない、だった。このところの異常気象で農家も被害を受けているのであろう。何もかも、あって当たり前のような今までの生活のほうが、普通でなかったのかもしれない。罰当たりで感謝しらずの自分を恥じた。

  次の日、私は車で、隣の町の店に行ってみた。そこで香菜を見つけた。嬉しかった。砂漠でオアシスを見つけて、口に水をやっと含んだような気分になった。

  海外で暮らしていた時、ないないづくしの生活を強いられた。日本と同じ食生活は夢の夢だった。13年間の海外生活から日本に帰国した。溢れかえる欲しかったモノを簡単に手に入れられる生活にドップリと浸かって暮らした。晩年の満たされた生活が、想像もしていなかったコロナで台無しになった。一番つらいのが友人たちと会えない、孫や子供達に会えないことだ。そんな憂鬱を忘れさせてくれるのが、今は食べ物である。妻と二人で過ごす時間の中でも、二人で酒を飲み、好きな物を話しながら食べる。

  太平洋をヨットで往復している辛坊治郎さんが、衛星電話を使ったラジオ放送で「毎日、海を見ていて、人生はお金ではない、愛だとつくづく思う」と言った。

  コロナは、その愛さえ奪いかねない。負けてなるものか。健康でいるために努力する。香菜の入手と常備もその一つである


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アフガン、ベトナム

2021年08月18日 | Weblog

  1975430日、南ベトナムの首都サイゴンが北ベトナム軍によって陥落した。このことは、私にとって、ただのニュースではなかった。私が講師をしていた研修所で知り合ったベトナム人が帰国して1年過ぎていなかった。彼は国費留学生として早稲田大学理工学部を卒業していた。南ベトナムへ帰国すれば、日本の通産省のような役所への就職も決まっていた。帰国する前に、私が講師をしていた研修所に研修生として入所してきた。彼と気が合い研修後、我が家に数か月滞在した。帰国する時は、空港まで見送った。帰国後も手紙のやり取りが続いた。

 

 彼が帰国した後、我が家にアメリカの新聞社の東京特派員の高校生の息子が3カ月一緒に暮らした。彼は成績優秀で卒業に必要な単位をすでに修得していた。アメリカのミシガン大学への進学も決まっていた。鮨の修行をしたいというので、私の友人の鮨屋に彼の引き受けをしてもらった。このことがきっかけで彼の家族とも親しく付き合うようになった。人の縁とは不思議である。

 

 サイゴンに北ベトナム軍が攻勢を強めた頃から、ベトナム人の友人が「もしかしたらもうこの国は北ベトナムに占領されるかもしれない。そうなったら私は政府の一員として死刑になる。」と手紙をくれた。私は、アメリカ人の高校生から父親が取材でサイゴンにいると聞いていた。いてもたってもいられなくなり、東京の彼に電話した。そして私のベトナム人の友人の脱出を手助けしてくれるように頼んだ。ベトナム人が勤める役所名と彼の家の住所を伝えた。父親の新聞記者は、奔走して彼に会った。しかしベトナム人の友人は、記者に丁寧に脱出を断った。

 

 その後、数年間ベトナム人の友人からの手紙は途絶えた。ある日、薄汚れた航空便の封書が届いた。ベトナム人の友人だった。「サイゴン陥落の後、北ベトナム軍に捕まり、収容所に入っている。豚以下の扱いでもう死にたい…」とあった。泣いた。声を上げて泣いた。日本とベトナムの距離が宇宙の無限のように感じた。

 

 奇跡が起こった。手紙が届いてから数カ月後、今度は綺麗な航空便が届いた。切手にマレーシアの消印があった。彼は、収容所から逃げて、ボートピーポルとなり、マレーシアのピドン島の国連難民収容施設にいた。私はあるだけの現金を持って、ピドン島へ行った。ピドン島の対岸にあるトレンガヌ―市の高等難民弁務官事務所に行った。ベトナムの友人の名前を告げ、ドルに換えた現金と手紙を渡してくれと頼んだ。翌日、島から戻った弁務官に会った。彼を見つけ、手紙と現金を渡したと言ってくれた。

 

 文通がまた再開した。彼は日本へ来ることを望んだ。私は国会議員を通して彼の難民申請をしようとしたが、当時日本はいかなる理由があろうと難民を受け入れなかった。私はカナダの友人に助けを求めた。彼はカナダへ行った。今、彼は、私以上に太って、カナダで暮らしている。

 

 アフガニスタンのカブールの飛行場に多くの人々が、飛行機に乗ろうと詰めかけている映像が流れた。ベトナムでもサイゴン陥落後と同じ事が起こった。宗教や思想や権力に翻弄されるのは、常に民衆である。胸が張り裂けようになる。行き場のない怒りが煮え立つ。

 

 そんな中、私はアメリカ人新聞記者が懸命に私の友人を探してくれている姿を、今更ながら思った。人の出会い、絆は、時に奇跡を生む。小さな日常の積み重ねが、思わぬ助けになる。それを信じて、私の目の前にある出会いを大切に、これからも生きてゆきたい。

 


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オチョンコズキ(お調子者)

2021年08月16日 | Weblog

  金メダルをかじった河村名古屋市長、テレビで女性蔑視の発言をした元プロ野球選手張本さん。彼らが言ったことやったことを褒めはしない。でもあれは報道されたが故に表沙汰になったことだ。

 テレビは、すでに終わった媒体だと私は思っている。テレビは、NHKニュースと選んだドキュメンタリー番組、ネットフリックス、アマゾンプライム、ユーチューブを観るためのモノになっている。テレビを観る時間より、ラジオを聴く時間の方が多い。テレビで観たくない顔を強制的に見せられるより、声だけの方が良い。テレビの画面は、私が子供の頃の14型テレビと比べたら、信じられないくらい大型に、そして鮮明になった。大型画面いっぱいに映し出される出演者。勘弁して欲しい。これはある意味拷問である。そして多くの政治屋、専門家、タレント、コメンテイターと言われる人々は、画面にどれだけ露出するかを競う。視聴者の多くは、彼らの能力や才能や賢明さや画面映りでなくて、露出度に惑わされる。「あの人、テレビでよく観る人だ」が評価となる。

 テレビのくだらなさに呆れた。でもユーチューブに希望を見出した。ここで検索すると、聴きたいと思っていた人の話を存分に聴くことができるのである。以前、テレビ画面に求めたのは、美であった。今は違う。知である。正直さである。まことさである。大画面に鮮明に映る表情や目が、話以上に語りかけてくる。ユーチューブにもどうでもよい、ただの売名行為でしかないモノもある。しかし大阪大学の宮坂昌之教授の話を聴きたければ、講演の最初から最後まで聴くことができる。これはいい。こうして私がユーチューブで聴きたい人を世界中から検索しては、観るようになった。

 テレビ局の番組は、NHK以外スポンサーがつく。テレビ局は、決してスポンサーを怒らすことはしない。それはCMに起用されたタレントが、不倫や麻薬や交通事故を犯すと即、CMが打ち切られる。スポンサーは出演していたタレントに多額の賠償金を請求する。だから内容にまでスポンサーの意向が色濃く反映される。特に宗教団体や外国政府の息がかかった番組には、危険を感じる。あと、どのテレビ局にも派閥のような縄張りがあるとみている。特に日本テレビとTBSテレビに、それを感じる。

 衰退しつつあるといっても、まだテレビが持つ力は大きい。出演者は、あの手この手で長く多く画面に露出しようと懸命である。手の一つに、毒舌がある。私を含めて視聴者は毒舌を好む。ビートたけしさんは、毒舌で売る。今回の張本さんが言ったようなことを、たけしさんが言ったのを、私は何回も聴いている。張本さんには、世間やマスコミは騒ぐ。たけしさんには誰も何も言わない。聖域は、テレビの世界にもあるらしい。

 私は小さい頃から、オチョンコズキ(お調子者)と言われた。他人に自分の存在を認めてもらおうと、後先を考えずに行動したこと、言葉を口にしたこともある。河村市長、張本さん、たけしさんもきっとオチョンコズキなのだろう。彼らと私が違うのは、私はテレビに出ていないこと。テレビ画面の向こうとこっちは、別世界なのだ。私は、ずっと、こっちの世界で終わりたい。


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文通

2021年08月12日 | Weblog

  小さな恋人たちから、日本語で書かれた手紙が届いた。その女の子達は、友人の孫である。普段は英語を話している。友人の娘が、カナダ人と結婚して、普段はカナダのトロントに住んでいる。母と子が毎年数か月を日本で過ごす。その間、彼女たちは日本の小学校と保育園に通う。しかし今回、コロナの所為で、滞在が長引いている。毎年、我が家に招いて一緒に時間を過ごしていた。今回はまだ一度も我が家に来てもらってない。せっかくはるばるカナダから来て、歩いて数十分のところに滞在していても会えない。そこで文通が始まった。こんな年寄りでも女の子から手紙が来るとメロメロになる。

 

 文通と言えば、小学校2年生でアメリカの小学校に移った私の長女との手紙のやり取りを思い出す。離婚した私は、長男は全寮制の学校へ、長女はアメリカへ行かせた。娘をアメリカの友人家族に預けるために渡米した時、別れる前に、私は娘に「パパは毎日手紙を書くから…」と言って約束した。小学校の夏休み、いつも最後の日に日記をまとめて書いていた私に毎日手紙が書けるわけがない。口から出まかせになるに決まっていた。でも違っていた。私は書いた。毎日書いた。一行だけでも書いた。後に娘が結婚式の日、私に「パパの手紙は私の宝…」と言ってくれた。それが何より嬉しかった。

 

 後に縁あって、オーストラリアへ留学する直前の今の妻に会うことができた。別れ際、私は彼女に私の住所を書いた航空便の封筒を渡した。正直、返事が来るとは思っていなかった。来た。オーストラリアからどこかで見た封筒が届いた。それから文通が始まった。毎日、アメリカへ、オーストラリアへ航空便を送った。娘はアメリカの大学を卒業して日本に戻り、結婚して母になった。妻はオーストラリアから一旦帰国して、また今度は英国へ留学した。留学を終えて帰国した妻と結婚した。

 

 手紙が好き。なぜならメールや電話では、味わえない、別次元の感情が湧く。ものぐさで何事も長続きさせられない私だが、娘へ、息子へ、妻への手紙はせっせと書き続けることができた。それも終わって、今、妻は毎日そばにいる。息子も娘も家庭を持っている。手紙を書く相手がいない。すべてメールで片づけている手紙の変りに私の死後、妻が読めるようにと日記を書き続けている。小学校の担任教師が知ったら、あのものぐさな子が!と驚くに違いない。長い時間がかかったが、ものぐさ太郎がこまめ太郎になれたかもしれない。

 

 鼻歌気分で小さな恋人たちへ返事を書いた。彼女たちは、カナダへ戻れるようになって帰国が決まった。手紙は、時間も距離も超越できる不思議な力を持つ。私はその不思議に包まれると、目じりが下がり、口角がゆるむ。

 


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受診のハシゴ

2021年08月10日 | Weblog

  7月4日、2つの受診日だった。まず循環器内科、そして歯科。妻が休みを取って、歯科の予約を数か月前にしていた。私は3カ月ごとに循環器内科で診察を受けている。妻はその日に合わせて歯科の予約を入れた。ついでに私も歯の定期健診を受けることになった。

 家を車で出たのが7時。病院には8時ちょっと前に到着した。すでに玄関前には4,50人が並んでいた。8時過ぎに玄関が開き、受付が始まる。受診券を持っていれば、機械で受付を済ませられる。この病院では予約は日にちだけで、当日の受付順で診察の順番が決まる。9時に診察が始まるはずなのだが、私の主治医は、必ず30分遅く診察を開始する。受付を終えてから、受診まで2時間は待つ。妻は本を読み、私は漢字パズルをして待った。診察は3分で終わった。会計を済ませるのに、約40分待った。処方箋をもらって、近くの薬局で薬を受け取るまでに30分以上。すでに家を出てから、5時間が経っていた。私は思った。病院で診察を受けられる人は、健康でなければ受けられない。こんなに多くの患者が診察を受けに来ている。皆さん、お達者クラブの会員なのかなと。

 これで今日の受診が終わるのではなかった。次は夫婦そろって歯科医院へ向かった。車を駅前の有料駐車場に入れた。電車で行きつけの歯科医院までは電車で1時間10分かかる。歯科医院のある駅で電車を降りて、駅を出た。その日、気温は、35度以上になった。駅から歯科医院までは歩いて30分。この間、焼けつくような暑さの中を歩いた。妻も私もギラギラ太陽と紫外線にめっぽう弱い。やっと歯科医院にたどり着いた。予約は4時だった。4時前に私の名前が呼ばれて、診察台に座った。定期検査と歯周ポケットのクリーニング。終わったのが5時過ぎ。妻は待合室でカンカンになっていた。「帰るの6時過ぎるよ」と怒る。妻は前回、歯科衛生士の扱いが悪く、痛い思いをした。そこで私はSさんを推薦。Sさんは一度に一人しか診れない。妻を先に診てもらうようにするべきだった。1時間後、診療を終えて出てきた妻の機嫌は、収まっていた。Sさんは、とても上手だったと喜んでいた。特に口の中に溜まった唾液や研磨機のノズルから噴射する水を、吸引する棒状の扱い方が、丁寧でまったく痛みや不快さを感じなかったと言った。

 再び電車に乗って帰宅した。途中で『快速急行』に乗り換えた。二日後、この路線の快速急行の車内で乗客が、ナイフで刺される事件が起きた。自粛も嫌だが、一歩家を出れば、目で見ることができないコロナウイルスや、いつどこで誰が起こすかわからない凶悪事件の危険が迫る。

  二人が出した結論、一日に一つのことしかやらない。まだまだ外に出るのは極力避ける。もう二人とも歳をとり、無茶も無理もできない。今回、身を持って学べた。そして何より医者である妻が、この日、普段、患者が不満に思っていることを、朝から晩まで体験できたことだ。妻のためにも有意義な一日だった。


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関所破り掟破り

2021年08月06日 | Weblog

  住む集合住宅の前の道路が決壊してから1カ月が過ぎた。応急処置をしただけで、工事が始まる気配がない。近くの有料道路は、2年前の台風で通行止めになって、復旧工事に1年以上かかった。その間ずっと通行止めが続いた。おそらくは予算の都合であろう。家の前の市道も復旧には長い時間がかかるのだろう。

 

 さいわい決壊場所を通らなくても、車も人も、川に沿って上流方面への通行は可能だ。私の住む集合住宅は、上下2つの橋を使うことができた。上の橋は、通行可能だが、下の橋へ行く途中が決壊した。私の散歩のコースが変わった。交通止めになっている市道は、生活道路ほどの交通量がない。う回することができるので、やっと宅急便や郵便も平常に戻った。

 

 上下の橋から通行止めになっている道路の入り口や途中には、立て看板が合計8本立てられている。「車も人も通れません」「通行止め」など。決壊した場所の近くには、ロープが張られて入れないようにしている。ところが毎日ここを通り抜ける人たちがいる。ほとんどが老人である。男性より女性が多い。散歩の人たちである。私は、スイス人になったように、日々家の窓から通り抜ける人々を観察している。スイスに住んだ人から聞いた話では、スイス人は、お互いに隣近所を監視しているという。何かあるとしかるべきところに通報するという。スイスの治安が、そうして守られている面があるそうだ。

 

 私は別に警察や役場へ通報しようと思っていない。ただ自分も歳をとって老人になったが、老人たちの分別のなさに呆れている。「いい歳をして…」と言う。長く生きてくれば、良いこと悪いことの判断が多くの経験からつけやすい。橋のたもとに「車も人も通れません」とある。決壊場所の近くには、「通行止め」の看板。その上、入れないようにロープが、幾重にも張られている。川の反対側から見ると、決壊した場所は、日ごとに崩れ、残った道路部分は、どんどん狭くなっている。危険である。だから通行止めになっているのである。

 

 関所のように常時見張る人はいない。おそらくどこかに通報しても、対処することはない。ひとたび事故が起きれば、侵入者は、自分を責めるどころか、道路管理が悪いと役所を訴えるかもしれない。そういう国に日本はなってしまった。

 

 よく行くスーパーで、「入口」「出口」とあっても平気でどちらも人が出入りしている。駐車場でも「入口」「出口」と決められていても、逆走してくる車が多い。「右折禁止」とあっても、右折する。このコロナ禍で「自粛」とよく叫ばれる。緊急事態宣言が出されて、「不急不要な外出を避ける」と求められる。ところが何を打ち出しても、国民の一部は、「国民の私権」を主張する。私権とコロナのせめぎ合いは、人知で解決できないところにきている。

 

 今朝も、おばあさん二人がお喋りしながら、家の前のロープを一人が持ち上げ、交互に潜り抜けて行った。何のためらいも躊躇もなくである。その態度心理行動が私に理解できない。江戸時代の関所破りや掟破りが厳罰になったという。何百年も続いた暗黒の封建時代を経て、やっと私権という個人の権利と自由を認められた。そのやっと手に入れた自由の背中合わせには、責任がつきまとう。多くの人々は、責任をどこかに置いてきてしまったようだ。

 


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誰か教えて

2021年08月04日 | Weblog

   新型コロナウイルスは、変化しながら再び攻勢を強めてきた。現在脅威を振るっているのは、デルタ型(インド型)と呼ばれているものだ。一時期、毎日のようにテレビでインドの感染者数や死者数が増加していると報じていた。病院は、患者であふれ、町では酸素ボンベの争奪が起こり、インドが混乱していると報じていた。

 

 昨日、日本では、12017人(8月3日18時30分現在)の感染が報告された。凄い感染者数だ。マスコミは、恐怖を煽りたてる。デルタ株は感染力が強い。たとえワクチンを2回接種していても感染の恐れがある。政府の首相や担当大臣は、「安心安全、しっかり」を繰り返すだけで対策がない。医師会やテレビに出演する専門家と呼ばれる感染症関連の医師たちも、これといった対策を打ち出せない。こんなやるせないことが1年半以上続いている。

 

 マスコミのいつもの尻切れトンボ的な報道には、呆れる。あれだけ騒いで報道していたインドの状況に一言も触れない。今は新聞テレビのメディアを頼るより、ネットで検索して、自分が知りたい情報を得た方が精神衛生上良い。早速、インドの状況を調べてみた。デルタ株発症の地であるインドの感染者数が激減していた。

 

 なぜマスコミは、インドの感染者数が激減したのか教えてくれないのか?オリンピックでメダル獲得数を、毎日これでもかと報道する。あれだけオリンピックの開催に反対を唱えていた新聞社やテレビ局も、手のひらを返したようだ。私はマスコミの取材に問題があると思う。今は、ネットにどこの国でも一般市民が現地時間で起こっていることを記事や映像で伝える。マスコミは、下手をすると、これらの一般市民の情報からコメントや記事を書いているのではと疑いたくなる。

 

 日本国中で今、人々が願っていることは、コロナの恐怖から解放されることだ。一時期、台湾がコロナ対策に関して、成功したかのように報道された。しかしその台湾でもデルタ株の猛威にさらされている。台湾で一時成功した対策も日本では実行不可能のひと言でぽしゃった。しかしむやみやたらと「安心安全」「しっかり」「専門家の方々の意見を伺って…」を繰り返すより、世界の成功例、効果があったことを矢継ぎ早に取り入れやってみる方がいいのではないだろうか。

 

 私は知りたい。今なぜインドで感染者数が激減しているのか?昔、風邪は他人にうつせば、治る、というのを聞いたことがある。まさかコロナもそうではないと思うが、今はどんなことでもコロナを防ぐなら、聞く耳を持っている。誰かそれを教えて!

 


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