山の緑が綺麗。ツツジが満開。ジャスミンの香りのシャワー。気持ちよく散歩を終えて集合住宅の玄関に戻った。鍵を開けようと、腰の鍵を取ろうとした。ない!スエットの腰のゴムに挟んでおいた鍵がない。
集合住宅の玄関は、鍵を使って開けるか、部屋番号を押して、部屋からオートロックを解除してもらうかである。部屋には、妻がいない。すでに出勤してしまった。家には誰もいない。同じ集合住宅に住む、友人を呼び出して玄関の鍵を開けてもらっても、自分の部屋の玄関の鍵がない。メイン玄関の鍵と各家の玄関の鍵は、同じものである。自分の家に入れなくては、メイン玄関を通過しても意味がない。
離婚して子供を二人引き取った。二人を全寮制の学校とアメリカへ行かせてしまったので、家を売って、市営住宅に移った。ある日、仕事を終えて。誰も待ってくれない家に戻った。玄関で鍵がないことに気が付いた。住んでいた市営住宅は、2階建てで小さな庭がついていた。庭側に回って、窓や戸、どこか鍵が開いていないか調べた。全て鍵がかかっていた。最後の望みを持って、雨樋をよじ登って2階のベランダに上がった。寝室の窓が開いていた。何とか家の中に入れた。あの時誓った。こんな思いは、もうしたくない。二度と家の鍵を失くさないようにしようと。
家の鍵に気をつけようと誓ってから、すでに数回鍵を持たずに出て、家に入れないことがあった。幸いにも妻が家の中にいて、開けてもらった。妻がいなかった時、家の玄関の鍵をかけずに友人一家を迎えに出た。一家を地下の駐車場に案内した。荷物を持って、家に案内しようとしたら鍵を持っていなことが分かった。恥ずかしかった。でも何とかしなければ。考えた。まず駐車場の入り口を、手動で開けてメイン玄関に行った。そこから同じ集合住宅に住む友人宅にインターフォンで助けを求めた。メイン玄関の鍵が開いて、無事中に入れた。
今回は事情が違う。家の玄関の鍵は、閉めた。だからメイン玄関を突破できても、家の中には入れない。40数年前のように、雨樋を使ってよじ登ることもできない。登っても家の中の窓や戸は、全て鍵がかけてある。携帯電話もない。あっても時間が早いので、管理会社にも警備会社にも連絡はとれない。
家の鍵は、2つある。一つは、首から下げるスイカ、運転免許証、保険証を入れるパスケースと一緒につけてある。もう一つは、キーホルダーで、ベルトに差し込むものだ。鍵だけ鎖が伸び縮みして使える。その日散歩に出る前に、どちらの鍵を持っていくか迷った。首から下げるのは、何となく爺臭いと思った。ベルトに差し込むキーホルダーに決めた。でも来ていたのはスエットのパンツで、ベルトがいらない。そこで腰のゴムの所に差し込んで出発した。
いつもの通りに、気持ちよく散歩を終えた。でも鍵がなく家に入れない。失望。自責。後悔。残されたのは、散歩した道を逆に歩いて鍵を探すことだけ。肩を落として、歩き始めた。祈った。「お願いだ。鍵ありますように!」目の先10mくらいに何やら鍵らしきもの。鍵だ。あった。全身から力が抜けた。やはり鍵は、腰に付けるより、首の方が良さそうだ。