団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

家に入れない

2023年04月27日 | Weblog

山の緑が綺麗。ツツジが満開。ジャスミンの香りのシャワー。気持ちよく散歩を終えて集合住宅の玄関に戻った。鍵を開けようと、腰の鍵を取ろうとした。ない!スエットの腰のゴムに挟んでおいた鍵がない。

 集合住宅の玄関は、鍵を使って開けるか、部屋番号を押して、部屋からオートロックを解除してもらうかである。部屋には、妻がいない。すでに出勤してしまった。家には誰もいない。同じ集合住宅に住む、友人を呼び出して玄関の鍵を開けてもらっても、自分の部屋の玄関の鍵がない。メイン玄関の鍵と各家の玄関の鍵は、同じものである。自分の家に入れなくては、メイン玄関を通過しても意味がない。

 離婚して子供を二人引き取った。二人を全寮制の学校とアメリカへ行かせてしまったので、家を売って、市営住宅に移った。ある日、仕事を終えて。誰も待ってくれない家に戻った。玄関で鍵がないことに気が付いた。住んでいた市営住宅は、2階建てで小さな庭がついていた。庭側に回って、窓や戸、どこか鍵が開いていないか調べた。全て鍵がかかっていた。最後の望みを持って、雨樋をよじ登って2階のベランダに上がった。寝室の窓が開いていた。何とか家の中に入れた。あの時誓った。こんな思いは、もうしたくない。二度と家の鍵を失くさないようにしようと。

 家の鍵に気をつけようと誓ってから、すでに数回鍵を持たずに出て、家に入れないことがあった。幸いにも妻が家の中にいて、開けてもらった。妻がいなかった時、家の玄関の鍵をかけずに友人一家を迎えに出た。一家を地下の駐車場に案内した。荷物を持って、家に案内しようとしたら鍵を持っていなことが分かった。恥ずかしかった。でも何とかしなければ。考えた。まず駐車場の入り口を、手動で開けてメイン玄関に行った。そこから同じ集合住宅に住む友人宅にインターフォンで助けを求めた。メイン玄関の鍵が開いて、無事中に入れた。

 今回は事情が違う。家の玄関の鍵は、閉めた。だからメイン玄関を突破できても、家の中には入れない。40数年前のように、雨樋を使ってよじ登ることもできない。登っても家の中の窓や戸は、全て鍵がかけてある。携帯電話もない。あっても時間が早いので、管理会社にも警備会社にも連絡はとれない。

 家の鍵は、2つある。一つは、首から下げるスイカ、運転免許証、保険証を入れるパスケースと一緒につけてある。もう一つは、キーホルダーで、ベルトに差し込むものだ。鍵だけ鎖が伸び縮みして使える。その日散歩に出る前に、どちらの鍵を持っていくか迷った。首から下げるのは、何となく爺臭いと思った。ベルトに差し込むキーホルダーに決めた。でも来ていたのはスエットのパンツで、ベルトがいらない。そこで腰のゴムの所に差し込んで出発した。

 いつもの通りに、気持ちよく散歩を終えた。でも鍵がなく家に入れない。失望。自責。後悔。残されたのは、散歩した道を逆に歩いて鍵を探すことだけ。肩を落として、歩き始めた。祈った。「お願いだ。鍵ありますように!」目の先10mくらいに何やら鍵らしきもの。鍵だ。あった。全身から力が抜けた。やはり鍵は、腰に付けるより、首の方が良さそうだ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶に残る木

2023年04月25日 | Weblog

  小学校で2年間3年生から4年生までの担任だった小宮山先生は、社会科に力を入れていた。小宮山先生は、私が教えてもらった先生のうちで、尊敬できる先生の一人である。上田市と小県郡の地図を授業でグラフ用紙を張り合わせて、ずいぶん長い時間をかけて、作ったのを覚えている。その小宮山先生が教えてくれた「日本のどこへ行っても神社を見つけるのは、簡単」は、今でも役に立っている。神社には鎮守の森がある。この森を見つけると、そこに神社がある。私が、終の棲家として住む町にも、樹齢700年を超す、大木の鎮守の森がある。

 私が生まれ育った上田市にも、家の周りにいくつかの神社があった。樹齢何百年というような巨木古木はなかったが、木がたくさんあって、遊び場としては最適だった。神社には、シイの木、カシノの木、ケヤキの木、イチョウの木などがあった。四季折々、実を拾ったり、落葉をかき集めて遊んだり、春の新緑を眺めたり、夏の暑さをしのいだりした。

 妻が英国に留学していた時、日本から激励に行って、一緒に大英博物館へ数回訪れた。そこで植物学者であり、博物学者であり、また民俗学者でもあった、南方熊楠を知った。一人帰国して、南方熊楠の本を読み漁った。彼に心酔した。私個人のカナダ留学の時の事と、南方熊楠のアメリカ留学や大英博物館での差別の体験が重なった。そして南方熊楠は、日本の神社の鎮守の森を守る運動を起こした。彼がいなかったら、日本の神社の森は、消えていたかもしれない。今、東京都は、神宮の森の木何千本をも、再開発のために伐採する計画を立てているという。亡くなった坂本龍一も反対を唱えていた。南方熊楠なら何と言ったか。東京は、もう充分開発されている。これ以上自然を破壊してどうする。

 私のパソコンのモニターの画面の下に、小さな絵が出る。先日からその絵がアフリカのバオバブになった。懐かしい。1995年から2年間アフリカのセネガルに住んだ。幸いなことに私は、この目でバオバブを見ることができた。荒涼とした地、周りに樹木はほとんどない。草もあまりない。あるのは乾いた土地。バオバブの木は、日本の鎮守の森の大木とは、また違った神々しさがあった。バオバブという語呂も好きだ。アフリカの言葉は、人間の細胞奥深くに潜む、原始の琴線を振動させるものが、多い気がする。[写真:セネガルで購入した妻のアクセサリー置き]

  世界のあちこちで魅力的な木を見た。私が特に気に入ったのは、アメリカ・カルフォルニアのセコイア、イタリアの糸杉、ネパールのヒマラヤ杉。ハワイ・オアフ島のモンキーポッドの木(日立のCM“♪この木 何の木 気になる木♪”)などなどだ。

  忘れられない木がある。故郷上田市で見た桑の木である。世界で見てきた木とこの桑の木は、西武デパートとみすゞ飴の工場の間にある細い坂道を上がり切って、松尾町の大通りから上田温泉の道路とのT字交差点の脇にあった。高さ2,3メートルで幹の太さが20,30センチの木だった。姿かたちが人のようだった。上田市は蚕業で栄えた。私が子供の頃、親戚でも蚕を飼って、繭を出荷していた。桑畑で桑の実を採って食べた。桑畑で蚕のエサとしてはえていた桑の木と坂道にあった桑の木は、風貌が違った。木の前に立て看板があって、木の由来を表示していたと思う。

  何でもない目立たない木が、どうしてこれほど記憶に残っているのか。いつの日か、まだあの桑の木があるのか行って見てみたい。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冥途の土産

2023年04月21日 | Weblog

  22年前の事だった。私は狭心症で心臓バイパス手術を長野市の日赤病院で受けた。手術は、1月に決まった。長野市の12月のエビス講では、冬には珍しい花火大会がある。花火大会の日、病院側の計らいで、河川敷で打ち上げられる花火を良く観ることができる、付属の看護学校の最上階の教室を患者その家族のために開けてくれた。さすが日赤だ、重病患者や高齢者を看護師が付き添って花火を見られるよう手配した。たくさんの患者とその家族が、教室に集まった。車椅子の人もいた。

 花火、冬の花火。花火が始まった。花火が大きな音と共に開く。花火が光りを放ち、教室の中を一瞬明るく照らし出した。私は、教室で花火を観る人々を見た。車椅子の高齢者の頬に涙が光っていた。私の隣にいたバイパス手術を受けたばかりの竹内さんが、「いい冥途の土産だ」とやはり頬に涙を流しながら小さな声で言った。花火の後まもなく車椅子の高齢者が亡くなったと、看護師が私に教えてくれた。

 妻の発案で、6カ月前にシルクドソレイユの東京公演の切符を購入した。私の年齢で6カ月先の予定は、冒険である。何が起こっても不思議はない。案の定。今回、抜歯した後なので、顔は腫れ、口内の出血のため、内出血した血液が、顎、首へと降下して来ていて、アザになって出てきている。マスクをしているので、何とか隠せるが、それでも人前に出るのははばかれる。

 すっかりシルクドソレイユを見に行くことを忘れていた。抜歯が私の思考のほとんどを占めていた。その日が来た。私は、正直あまり期待していなかった。子どもの時、上田に来たシバタサーカスに親が連れて行ってくれた。記憶は、動物のニオイとオートバイの曲芸乗りのオートバイの排気ガスのニオイしかない。おそらくシルクドソレイユも、シバタサーカスもたいして変わらないだろうと高をくくっていた。

 開演。事前の予想が覆された。最初から最後まで、私は、心臓バイパス手術で麻酔がかかっている状態に入り込んでいた。夢?現実?夢でいい。こんな世界にいられるなら。人間ってこんなに凄いんだ。出演者は、私と同じ人間とは思えない。人種もいろいろ。背が小さい人高い人。男性、女性。そんなこと関係ない。音楽。照明。舞台装置。人工の世界なのに、まるで現実の世界のように私には思えた。なんとも心地よい。ふと気が付くと長野の日赤病院の車椅子の高齢者と同じものが、私の頬を流れていた。そして竹内さんの「いい冥途の土産だ」のささやき声がよみがえった。

 私の人生いろいろあった。良いこと悪いこと。悲しいこと楽しいこと。でも75歳の今日まで生きて来た。まだ息をすることを続けている。いつか息を止める日が来る。それも受け入れる。

 シルクドソレイユの終演。出演者全員が登場。私は、これほど拍手を強く長くしたことがない。その痺れた手で隣の妻の手を握った。そして言った。 「ありがとう」


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青い空、緑のセコイア

2023年04月19日 | Weblog

  晴れたり雨が降ったり。気温が上がったり下がったり。毎朝起きてから、何を着たらよいのか迷う。

  私が住む集合住宅は、南側が山なので一年中あまり陽が当たらない。冬は寒くて夏涼しい。冬から春への季節の移行は、まず南側のガラス戸から、部屋の中の床に差し込む陽の光が教えてくれる。そして裏の竹林のあちこちから竹の子が出てくる。下草があるので、最初は見つけにくい。竹の子の成長は、早い。みるみるうちに下草を追い抜く。毎朝、妻も私も新しい竹の子を探す。妻に見えても、私に見えない時がある。竹の子が出てきて、4,5日すれば、探す必要がないほど、成長する。竹の子の成長力には、毎年感動する。

  南側に竹の子なら北側はセコイアである。落葉樹なので、冬は丸裸になる。4月になって桜並木の花が散ると、セコイアの芽が出てくる。日が経つにつれて、枯れ木のようだった枝に葉の緑が、絵具を水滴にして吹き付けたように付いてくる。やがて北側のガラス窓から見える景色が、緑色のどん帳にさえぎられる。セコイアの葉が茂っていると、何となく我が家の北側のプライバシーを守ってもらっている気がする。

  散歩に出ようと集合住宅の玄関を出る。晴れている日、私はまずセコイアの先端を見る。そこに拡がる青い空。セコイアの緑と空の青。美しい。

  4月の初旬に私は、上の前歯を一度に4本歯科医院で抜歯した。やっと1週間が過ぎた。腫れも少しひいて、口の中の内出血が下がって来て、顎の下が紫色になった。コロナのせいでマスクを常用している。だからこの紫色の顎を誰にも見られることはない。妻が、そのさまは、まるで誰かに殴られたようと言う。家にこもって、抜歯の痛みが和らぐのを待っていた。老化がこうしてあそこ、ここ、と攻めて来ることに気が滅入っていた。

  散歩を再開した。杖を持って、Keenの転がるように歩けるウォーキングシューズを履いて。玄関を開けて、セコイアの木の下に立った。空を見上げた。家の中でこの一週間、ぐずっていたことが消えた。大丈夫。老化によって、体のあちこちが劣化しても、まだ美しいものを美しいと感じることができる。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

選挙テロ

2023年04月17日 | Weblog

  16日の日曜日、午前中妻と美容院へ行った。以前私は、電車で1時間くらい離れた床屋へ行っていた。しかしコロナ禍ですでに3年以上その床屋へ行けていない。妻の行きつけの美容院に一緒に行くようになった。

 一日にすることは、なるべく一つと決めている。いくつもの予定を立てても、体力がもたない。美容院から家に戻ったのが、昼近くだった。昼食を二人で作った。通信販売の北海道物産展で購入したニョッキ(イタリアのジャガイモを主原料にしたパスタの一種)を購入後初めて食べてみた。好き嫌いが多い妻は、私の提案した食べ方を却下した。仕方がないので、妻の分は、タマネギスープを使って、マッシュルームとグリーンアスパラガス。私は、コンソメスープを使い、チーズと生クリームにマッシュルームとグリーンアスパラガス。二度手間な調理。裏庭の竹林にニョキニョキ出始めたタケノコを、眺めながら食べた。このニョッキなかなかいける。

 お腹もいっぱいになり、私は昼寝をすることにした。日曜日の午後の楽しみである。妻は、昼寝をしない。私より年齢が若いせいもあるが、もともと眠るのが好きでないらしい。産婦人科医として20代30代は、ほとんど寝る時間を取れないほど働いていた。当直して日中の診療を続けていた。私は眠ることが大好き。お昼寝も好き。ラジオで録音しておいた『三宅裕司のサンデーヒットパラダイス』を聴きながら眠る。その番組の中の『ヤダモン』(孫に関する視聴者からの投稿)と『世界のマコさま』(三宅裕司の奥さんがマコさまで、彼女の名を冠して、世の奥様方の面白おかしい出来事の視聴者からの投稿)が好きなので、そこだけ聴きたいのだが、早送り、巻き戻しが面倒くさいので通しで聴いている。『ヤダモン』と『マコさま』以外は子守歌のようなもの。

 16日の午後、私はラジオを聴きながら、ウトウトしていた。隣の部屋からテレビの音だろうか、やけに大きな音。時々マイクのハレーションのような「キーン」という音。ラジオがよく聴こえない。私は大きな声で隣の部屋にいる妻に「音小さくして」と叫んだ。妻が寝室に飛び込んできた。「テレビなんて観ていないよ。本読んでいただけだよ」と妻。「じゃあこの音は何」と私。「ああ、隣の駐車場で、選挙の決起出陣式をしているみたい」と妻が言った。

 窓から隣の駐車場を見た。何やら大勢の年配者が集まっている。そういえば今日が市会議員の選挙が公示され、選挙運動が始まるのだ。ラジオの音より隣の駐車場から聴こえてくる、マイクを通した声の方が、耳に入る。私は、聖徳太子のように、一度に何人もから同時に話しを聞くことなどできない。音源が2つあれば、頭が混乱して、どちらも聴き取れなくなる。簡易マイク装置なのだろう。音質も悪い。もっと悪いのは、話の内容である。よくこんなに演説が下手で選挙に出られるものだ。

 土曜日、和歌山県で岸田首相が選挙の応援に行っていて、爆弾テロに遭った。幸い無事だった。それにして犯人を取り押さえた民間の二人のお年寄り、見事な働きだった。岸田首相みずからその二人に電話で礼を言ったというが、あの二人がいなかったらどうなっていた事か。それにしても安倍元首相が奈良でテロに倒れてから約9か月の出来事である。最初ニュースで「犯人を周りの警官が取り押さえた」と言った。だから映像に映った犯人を取り押さえた二人は、民間人に扮した私服警察官だと思った。二人が抑え込んだ犯人を、数人の警官が、まるであの二人から犯人の身柄を奪うようだった。その後、あれだけの人数の警官が抑え込んでも犯人をあの二人のように抑え込むことはできなかった。情けなく感じた。それにしても、あの二人はあっぱれだった。少し間違えば、爆弾で吹き飛ばされていたかもしれないほど危険な状況だった。

 政治屋たちは、「選挙は、民主主義の根幹である」と言う。選挙の時、「国民の誰一人取り残さない」とも言う。出来もしないことを平気で言う。出来なければ、言い逃れが芸術的に上手い。選挙以外の時、政治屋たち自身が、その民主主義を、どう国民に示しているか、胸に手を当てて考えてみたらいい。選挙で投票する側も、選挙で投票される側も、今の日本の現状を、深刻に受け止めなければならない。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白い歯

2023年04月13日 | Weblog

  WBCで大活躍した、アメリカの大リーグレッドソックス所属の吉田正尚選手の白い歯は、印象的だった。あの白さは、自然の歯だとは思えなかった。どうやらセラミックの歯らしい。日本のプロ野球の日本ハム新庄剛志監督は、23歳の時、2200万円かけて歯を全てセラミックにしたという。日焼けした顔に白い歯。目立つ。高校野球でも時々、えっと思う程、白い歯の選手がいる。どうやらマウスピースらしい。

 先日、私は歯科医に、上の前歯4本を抜歯してもらった。なぜ一度に4本もぬかなければならなかったというと、部分入れ歯にするからだ。もう何年か前、すでに上の前歯2本を抜いて部分入れ歯にしてあった。抜いた2本の両側2本ずつが、歯槽膿漏でグラグラになってきた。なんとか騙し騙しして、歯石のクリーニングと歯磨きで、この4,5年抜かずに持ちこたえさせた。落ち込んだ。80-20(80歳になっても自分の歯が20本残っている)を目指していた。

 子供の頃、乳歯が抜けると下の乳歯は、屋根に投げ、上の乳歯は、軒下に投げ入れた。歯が抜けても、また次にそこから歯が生えてくることは、不思議だった。なぜ乳歯から永久歯の1回だけなのか。ずっと繰り返して歯が、生え変わってくれたらと思った。生き物の中には、脱皮を繰り返すものもいる。科学の進歩医学の進歩で、人間の歯も生え変わりが繰り返しできるようになればいい。

 4本の抜歯に2時間以上かかった。糖尿病なので血が止まりにくくなる薬を服用している。抜歯は慎重に行われた。グラグラした歯といっても、抜くのに歯科医は、渾身の力を込めていた。人間の身体は、よくできている。歯一つとっても、歯は顎の骨に歯根を食いこませ、噛む力に耐える構造を持つ。歯槽膿漏で弱まったと言っても、まだまだ余力を残している。麻酔で痛みは、感じない。しかし歯科医の動作で、楽な作業でないことがわかる。4本の抜歯が終わった。出血が止まらないので、ガーゼで押さえること3,40分。口の周りの血が固まっていた。出血が収まった後、仮の部分入れ歯を調節した。以前抜いた2本に加えて今回抜いた4本、合わせて6本分の部分入れ歯である。歯科医が「終わりました」と言った。なぜか目が潤んでいた。

 会計は、2100円だった。仮入れ歯の料金を含めてである。カナダ留学時代、親知らずを1本抜いた。当時1ドル360ドルだった。日本円で27万円だった。今でも親に申し訳ないと思っている。日本に帰国して親知らずを抜いても、旅費と治療費合わせても、27万円はかからなかったであろう。

 帰りの電車の中、だんだんと麻酔が切れてきた。抜いた後、縫合した。抜いた後の所なのか、糸で縫ったところなのか、ズキンズキンし始めた。口の中全体が血なまぐさかった。

鞄から新しい部分入れ歯を手に取って見た。材質はセラミックでないことは確かである。でも私自身の歯よりずっと白い。歯並びも矯正して作られている。吉田選手や新庄監督のような白さではない。でも身の丈にあった白さだ。保険医療のありがたさ、歯科医療の進歩に改めて感謝。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お願い、だれか大谷翔平選手に4.5㎏の兜やめさせて!

2023年04月11日 | Weblog

  私が育った家庭は貧しかった。子供は、女3人男1人。それでも、3月3日のひな祭り、5月5日の端午の節句には、ひな人形と兜で祝っていた。端午の節句の兜は、黒光りする収納箱の上に立派な兜が飾られた。しかし、母親がこの兜をしまう時、誤って転倒して、兜の鍬形で脚を怪我した。傷は深く、辺り一面に血が散った。

 アメリカ大リーグが開幕した。WBCで日本が優勝した。アメリカのエンジェルスに所属する大谷翔平選手は、WBCで大活躍。MVPに輝いた。大谷選手の活躍は、私のような普段野球を観ない者をも、テレビの実況放送に釘付けにさせる。アメリカとの時差で、放送は、午前2時からお昼くらいまでの間である。アメリカの大リーグは、試合数が多く、開催場所も東海岸、中部内陸部、西海岸を転戦する。私が嬉しいのは、5時ころから始まる試合である。午前2時3時に始まる試合は、寝ているので観られない。毎朝5時に起きる。早朝から大谷選手の活躍が観られるのは、嬉しい。

 野球の醍醐味は、何と言ってもホームランである。エンジェルスでは、ホームランを打つと、今まではカーボーイハットを被せて手荒く祝っていた。今シーズンは、そのカーボーイハットが間に合わず、最初麦わら帽子を使っていた。驚いたことに、麦わら帽子が日本の兜に変わっていた。兜はオモチャで、カウボーイハットや麦わら帽子のように柔らかで、クッション材か何かで作られた物だと思った。大谷選手が用意した精巧なレプリカで重さが4.5㎏あるという。私は、子どもの時、母親が節句の兜で大けがした時の事を思い出した。

 アメリカの大リーグの選手は、大谷翔平選手を含めて、高額な年俸でチームと契約している。球団側は、怪我や病気で選手が、登録を抹消されることを嫌う。当たり前である。今回のWBCにも、多くの有力選手、例えばニューヨークヤンキースのジャッジ選手などは、参加を球団が認めなかった。もしシーズンが始まる前のWBCに出て、怪我でもされてシーズンを棒に振ったら球団の損失は、大きい。加えてアメリカは、訴訟社会である。大谷選手がCMに出た暗号資産の運営会社が倒産して、大谷選手は、損害賠償の訴訟を、被害者に起こされた。

 やはり心配したことが起こった。先日の試合で、レンフローがホームランを打った。兜の鍬形が外れて、踏みつぶした。レンフローは体重104㎏。鍬形が壊れただけで済んだ。

 球場のベンチは、どこも狭い。加えて選手は、ホームラン打者を祝福するやり方が、手荒い。4.5㎏の金属製なのか強化プラスチック製なのか知らないが、兜で選手が私の母親のような怪我をしたら大変なことになる。

 大谷選手は、エンジェルス不動の大選手である。彼がすることに反対できるやめさせることができる選手がいないに違いない。壊れた兜のことをネビン監督は「壊れたような気がする。何回も被ったからおかしくなったと思う。かぶっている姿を見たいけれどね」と言ったとか。監督も球団も「危険」と言えないのだろうか。

 大谷選手のご両親!4.5㎏の兜をエンジェルスの地元の新聞紙かカーボーイハットのようなフェルトもしくはクッション材に変えるよう伝えてください!誰かが怪我する前に!大谷翔平選手は、世界の宝。日本の宝。守ってください。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出会い

2023年04月07日 | Weblog

  用事があって出かけた。帰りの電車でのことだった。普段、乗降客がほとんどいない駅に電車が止まった。すると大勢の外国人が乗り込んできた。いくらこのところ、外国人観光客が増加しているとはいえ、このようなほとんど乗降客がいない駅からこれほどの外国人が一度に乗り込んでくるとは、驚きである。

 車内はまばらに空席があった。私の左隣も空いていた。初老の金髪の外国人女性が座った。私は、なぜこれほど多くの外国人が、ここの寂れた駅で乗り込んできたか知りたかった。英語で尋ねた。彼女は、最初、警戒するかのような表情をみせた。それはそうだろう、日本人が見たって、ちょっと怪しい老人である。床に買ってきた野菜や食品でパンパンになったリュックを置いてある。薄青色のマスク。女性は、マスクをしていなかった。色あせたプジョーのロゴ入りの野球帽。一番印象を悪くしていたのは、暗緑色のユニクロのダウンであろう。そうでなくても根暗タイプだが、このダウンを着ていると、自分でも「こいつ、怪しそう」と思う。

 英語での会話が進むうちに、彼女の表情が和らいできた。明らかに彼女は、「何だか知らないけれど、きっとこの人怪しい人に違いない」モードから、英語での会話の内容で私の分析を開始しているふうに思えた。「人を外見で判断してはいけない」という反省の色も感じた。

 彼女の団体は、総勢25人。ドイツからの観光客。ベンチシートの車両の座席数が54席。何とこの車両の約半分がドイツ人なのだ。外国人に「あなたはナニ人ですか?」と尋ねるのは失礼である。「あなたはどこから来ましたか?」と尋ねれば、ナニ人かわかる。ドイツ人。私は、この集団を見て、アメリカ人と比べると地味だと感じた。当日の私の服装と比べても、どっちもどっちと言えた。

 日本の印象、先日のアメリカからの客人と同じく、日本の空港の入国手続きの事も尋ねた。日本の空港があれほど非効率的だとは、夢にも思わなかった。あんなことドイツに戻って、家族や友人に話したら、誰も日本に来なくなる。絶対に改善するべきと声を荒げた。余程待たされたのだろう。一番知りたかった「どうしてこの駅で乗車したのか」を尋ねた。彼女は、私に案内書を見せた。英語の案内書に『…江之浦測候所』の日本語があった。直観的にそこは天体か気象学に関係する場所か、と思った。

 時間があっという間に過ぎた。私が降りる駅に着いた。楽しかった。若返った気がした。海外で暮らしていたのと同じような高揚感を持った。英語で話す自分と、普段の日本語で生活する自分が別の人ように感じた。「良い旅を」と女性に言った。

 家に帰って「江之浦測候所」をネットで調べた。測候所は、私が思っていた測候所ではなかった。ドイツ人女性は、「素晴らしいところでした。あなたはあんな素晴らしいところの近くに住めて幸せね」と言った。恥ずかしながら、そこについて全く知らなかった。妻の近いうちに行って見たい。それにしてもドイツから団体で来る凄い場所を、外国の人に教わるとは。電車であの女性と会わなければ、ずっと知らずに終わっただろう。女性は、このあと新幹線で京都へ行くと言っていた。測候所のすぐあとに京都!測候所への期待は、高まるばかり。出会いは、ある日突然訪れる。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入国審査に4時間待たせるオモテナシの国日本

2023年04月05日 | Weblog

  客人夫妻がアメリカのシアトルから私を訪ねてくれた。海外からの客人は、3年ぶりになる。夫妻は、東京、広島、京都、箱根を巡る2週間の予定で訪日した。

 夫妻は、わざわざ私に会うために、新幹線を途中下車して、駅の近くの焼き鳥の店で、昼食を共にした。私の長女と長女の息子も東京から駆け付けた。私の妻は、残念ながら仕事で来れなかった。

  海外からの旅行者はJRのレイルパスを購入すれば、14日間52960円で日本中のJRグループ線内乗り放題になる。もちろん期限内ならば、乗り降り自由である。円安のため、400ドルちょっとで14日間旅行できる。シアトルとハワイのホノルルの航空運賃が往復36560円(280ドル)を考えれば、破格の料金である。今、円安で海外からの旅行客が、日本を目指すのも当然である。

 予約をとって行った焼き鳥の店は、釜飯と焼き鳥のセットのランチがある。釜飯は、調理に30分以上かかるので、ゆっくり話が聞けた。夫は、私の娘を預かって育ててくれた夫婦の長男の息子である。妻は、その息子の嫁だ。夫は、ボーイングの設計部門で働き、妻は、アマゾンの本社で働いている。2年前に結婚した。新婚旅行で日本に来ようとしたが、コロナで断念した。満を持して、日本へ来た。

 ところが入国にあたって、空港の入国審査で4時間待たされた。長蛇の海外からの乗客が待たされている列の向こうを、日本人の乗客がものの数分で通過していった。二人は、失望した。あれだけ持ち焦がれてやっと到着したら、受け入れ態勢が、メチャクチャな国だった。空港は、初めて来日する海外から来た乗客に、第一印象を強烈に与える。東南アジアの入国を担当する役人は、評判が悪い。無愛想、投げやり、親切でない、ぶっきらぼう、偉ぶる。

 日本の政府は、海外からの観光客の誘致にやっきになっている。「来てください、オモテナシをします」と海外で宣伝する。それを鵜呑みにして来た観光客が、長時間入国審査で足止めされ、失望する。検討士と呼ばれる岸田首相は、一度あの審査まえの列に並んでみたらよい。そして真剣に現状を検討してほしい。変えて欲しい。国会議員も空港へ行って、待たせる乗客に、並んで深く頭を下げてみたらいい。一刻も早く、中国からの観光客が押し寄せる前に、何か手を打ってもらいたい。1分遅れても謝る、高速の弾丸列車を運行する新幹線の国が、入国する期待で、胸ふくらませる観光客を、長時間空港に足止めさせるのは、理にかなわない。

 入国で散々な目に遭った夫妻も、観光し始めると、あの入国時の悪い印象を忘れるくらい、日本に魅了されたという。時期も良かった。桜、富士山、温泉、日本食。

 焼き鳥の盛り合わせを平らげると、待っていた釜飯にも感激して、「オイシイ!」を連発。喜んでくれて私も嬉しかった。

 シアトルからたくさんのお土産を手渡された。祖母、彼の両親、そして来日した夫妻。それぞれにカードが付けられていた。私と妻が好きなシアトルのスモークサーモンを見た時、胸が詰まった。私たちが好きなモノ、好きであろうモノを思い出そうとする。探して買って、包装してカードを書く。その時間に間違いなく私たちに想いを寄せて、気遣ってそうしてくれた。

 私がシアトルへ行くことはもうない。でも私の次の、また次の世代に関係が続いていく。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松葉づえ

2023年04月03日 | Weblog

  1週間くらい前に妻が「ここから東京へ私と同じように電車で通勤しているSさん、足のくるぶしを骨折して松葉づえ使っているの。明日の朝から迎えに行って、駅まで送ってあげられる?」と私に尋ねた。Sさんは、私たちが終の棲家として越して来た町の商店の息子だ。その店の女将に、住み始めてからずっとお世話になってきた。

 Sさんは、妻と同じ様に東京で働いている。Sさんは、以前、週末と休暇だけ実家に戻っていた。ところが母親である店の女将が病気になった。店はすでに嫁いで近くに住む妹が引き継いだ。Sさんは、母親を介護するために、実家から東京へ通うようになった。

 そのSさんが、先日、雨が降って濡れていた駅の階段で滑って転倒した。そして全治6か月の怪我をしてしまった。ギブスで左脚を固定している。当然松葉づえを使う。東京まで通勤するだけでも大変である。松葉づえを使っての通勤になれば、更に不便である。妻は、そんなSさんを見た。そして私にSさんを駅まで送ることを頼んだ。

 カナダ留学するにあたって、私の保証人になってくれたのが、アメリカのカルフォルニア州に住んでいたネルソン夫妻だった。カナダの学校が長期休暇になると、ネルソン夫妻からグレイハウンドバスの切符が送られてきた。カルフォルニアの退職者が住む太平洋の海岸の町で夏を過ごした。まるで自分の子どものように接してくれた。サーフィンをやってみたらと、教会の若者たちに声をかけてくれた。サーフィンができる場所まで車でネルソンさんが車で送ってくれた。恐縮して何度も感謝した。するとネルソンさんが「気にすることないよ。私が貴方をロープで引いて行ったり、おんぶしてどこかに連れて行くなら別だけど、車を使うのだから何でもないことだよ」と言った。この時の言葉がずっと私の記憶に残っている。

 妻に「気にしない。私がおんぶして駅までSさんを送るじゃあなくて、車が運んでくれるんだから」とネルソンさんを思い出しながら言った。

 Sさんを3日車で送った。ギブスを外すまでまだ長い。Sさんを気遣う妻の優しさが嬉しい。Sさんも遠慮して恐縮している。でも私は、もっと嬉しい。なぜなら、ネルソンさんの気持ちを強く感じ、ネルソンさんが私にしてくれたことを、今度は私が他の人にお返しできるのだから。

  すっかり忘れていたカルフォルニアの夏休みを思い出した。何回挑戦してもどうしてもサーフィンの板に立つことができなかった。膝が摺り剥けて、海水が沁みた。立とうと必死にサーフィンの板から水中に投げ出された。海から顔を出すと、カルフォルニアの青い空があった。涙がこぼれそうになるほど美しい青い空だった。サーフィンの板に立てなくても、そこにいることができた幸せを感じた。そうできたのもネルソン一家のお陰だった。ネルソン一家に恩返しはできなかった。だから私は、今度は、私が機会があれば、ネルソンさんのように私の周りの人々に何か手助けを出来たらと願う。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする