東シナ海に面したヤシの木に囲まれた海岸の喫茶店に入った。混んでいる席を避け、客のいない日向のベランダのテーブルについた。ベトナムの現地で聴く友人の脱出体験話は壮絶なものだった。何もなかったかのようにダイナミックに発展するベトナムの風景と、カナダでの36年間の生活で、友人の脱出当時の悪夢は、薄らぎ始めているかのように思えた。私の執拗で容赦ない質問に対して、友人は、時には悲しそうに不快な表情を浮かべながら、よみがえる鮮明な記憶と闘っていた。それでも終始誠実に答えてくれた。ベトナム式のドリップコーヒーは、あまりにも遅鈍で果たしてコーヒーが抽出されているのかもわからない。友人はカップの上に置かれたアルマイトのコーヒー抽出器のフタを開け、スプーンで抽出器の底の穴の詰まりを取り除こうとする。
「収容所からどうしてあの手紙を日本の私にくれたのか教えてください?」「無意識だったけれど、家から連行される前、もしかしたら役に立つかも知れないとあなたの住所を暗記しました。それは正しかった。きっと仏さまが助けてくれたのです。そのおかげで今、私はカナダで暮らし、こうしてベトナムの親戚やベトナムの人を助けられるほどになれました」彼は熱心な仏教徒である。
友人は1センチほどカップの底に溜まったコーヒーに、魔法瓶に入った湯を注いだ。私のカップにはまだ1ミリぐらいしかコーヒーがない。友人はコーヒーにスプーン3杯もの砂糖を入れて飲んだ。「またベトナムに戻って暮らしたいですか?」「それは絶対に嫌です」「私はカナダが好きです。あの生活を続けたい。カナダでならお金を稼げます。一生懸命働けば、ベトナムの親戚や援助が必要な人を手伝うことができます。ここではカナダの何十倍何百倍も価値になって使えます。その手伝いは楽しいです」
私はやっと3ミリぐらいになったコーヒーに湯を加え、一口飲んだ。友人が続ける。「カナダでは医療費は、無料です。ここは金持ちしか、ちゃんとした医療が受けられません。だから私は安心してカナダで暮らせます。あなたがここに来て、私が恥ずかしいと思うことたくさん見るでしょう。でもここは私の生まれた国です。いつか良い国になることを信じています。一度私はベトナムを捨てて逃げました。罪滅ぼしをしたいのです」「北ベトナムが国を統一して、国民は、共産主義のおかげで平等公平なって幸せになれたのでないですか?」「とんでもありません。すべての反政府行動は、監視されています。だれも抵抗できない仕組みができています。賄賂がはびこっています。人間の根源は政治や思想で変わりません」
まだ10歳前後の少年が、私たちのテーブルに来てピーナッツをビニール袋に入れて売りに来た。友人はベトナム語で何やら会話して金を払って新聞紙で作った小さな袋いっぱいのピーナッツをテーブルの中央に置いた。「茹でたピーナッツです。日本円で10円です。でも美味しいですよ」と私にも勧めて、早速ひとつ手に取って殻をつめで割って、皮を剥いて食べた。
私は友人の許しを得てテープレコーダーで会話を録音していた。気がつくと90分テープが2本終っていた。すでに水平線が綺麗に夕焼けしていた。友人のベトナムからの脱出とカナダへ難民として入国してからの苦難の合計10年以上の生活が180分のテープに収まった。これが最後と思い、私は尋ねたいことを率直に言葉に出した。質問し答を聴きながら何度も嗚咽をかみ殺さなければならなかった。それを知ってか知らずか友人は「今日はベトナムの大晦日です。明日から正月新しい年です。オメデタイ祝う時です。一緒にうんとベトナムの正月を楽しんでいって下さい。私はもうこのことは、できることなら忘れたいです。来年は龍の年です。景気がよくなり、ビジネスの年です。うんと働いて稼いで、もっとたくさんの人を助けます。あなたが私を助けてくれたから、そのお返しを私は他の人にします。ありがとう」ぽちゃぽちゃした手で締め付けられえるように強く握手され、肩を抱かれた。
その晩ホテルのベッドの中で、テープに録音したなまなましい友人の苦難の期間と私自身の期間を重ね、なぞった。心のヒダにこびり付いていた過去の自分嫌悪や後悔や恨みつらみが洗われる気がした。私は今日まで生きてきてよかった、と感謝の気持ちで眠りについた。