団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

Listen

2021年10月29日 | Weblog

  手元に一冊の本がある。題名が『LISTEN 「聞くこと」は最高の知性』とある。日経BP発行著者Kate Murphyで2200円(+税)で503ページの厚い本だ。

 日本の第100代内閣総理大臣に就任した岸田文雄さんが「私の特技は人の話をよく聞くこと」と言った。それを聞いた私は、「私の良い所は、他人の話を聞くのが好きなこと」と反射的に思った。

 英語で日本語の“聞く”は、“hear”と“listen”。“hear”は耳に入って来る音をとらえる現象。“listen”は、自らの意志で音をとらえようとする行動と習った。カナダの学校で学んでいた時、教室がざわつくと教師は、よく「Listen!」と怒鳴っていた。

 妻は学校の成績が良かった。試験が好きだったとも言った。私は日本での高校の成績は、酷いモノだった。妻に尋ねた。「どうして試験が好きで、成績も良かったの?」「だって授業で先生の話を聞いていれば、どこが試験に出るかわかるもの」残念ながら私にその経験がない。

 試験が嫌いで、授業中も教師の講義を“hear”していたが“listen”していなかった。そんな私だが、英語の学習には“listen”できた。アンディ・ウイリアムズやパットブーンのレコードを聴いて歌詞をノートに書きとった。最初はまったく歌詞を言葉としてとらえることさえできなかった。しかし聴くこと10回20回になるにしたがって、どんどん書きとれる単語が増えた。そして50回ぐらいで歌詞すべてを書きとった。次にケネディ大統領の演説やマーティン・ルーサー牧師の演説も聴いて書きとった。何事も人より遅れ気味だったが、続けることで何とか学校で学ぶことを続けられた。カナダの学校の成績は、日本の高校の成績とは比べ物にならないくらい良かった。

 保育園から高校まで一緒だったI君は、試験の前に教科書を100回声を出して読んだという。I君は成績抜群で東大に現役合格した。中学でI君の真似をしたが、4,5回読んだだけで強い眠気が襲い掛かって中断した。後にこの学習法は“只管朗読”といって、目で読み、口で声を出して、耳で聴いて、脳が理解するのだと知った。

 カナダから帰国して教師を目指したが、日本の教員免許がないと教師になれないと解り、自分で英語塾を開いた。多くの生徒に教えた。やはり成績が良くなる生徒は、“listen”ができた。“listen”には集中力が必要だ。教科書100回読みの学習法も進めたが、実践した生徒は皆無だった。やはりI君は、凄かった。

 私が妻と結婚を意識したのは、「この人の話をずっと聴いていたい」と思ったからだ。最近私の耳が難聴気味で、聞き取りができなくなってきたが、それでも最後まで話して聴いての生活を望んでいる。

 岸田首相は、人の話を聞くことが得意という。あちこちで車座になって国民の声を聞いているそうだ。人々から聞き取ったことを熟慮して、これからの日本の将来に対して、今度は岸田首相の方から、自信に満ちた声で国民に“Listen”と呼びかけ具体的な政策を語って欲しい。

 衆議院選挙も大詰めを迎えている。候補者も所属政党も支持団体も、自分たちが言いたいことだけ声をからして叫んでいる。その内容は美辞麗句と大風呂敷。彼らは皆、選挙期間中、聴く耳を持たない。選挙が終わって、運よく当選すれば、国会で居眠り手づくなしてダンマリ。たまに口を開けば、汚いヤジ。『Listen』の著者は、「優れた聞き手は、愚かな人を見分ける」と書いている。それができるのは、選挙前だけである。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アマゾンが映らない

2021年10月27日 | Weblog

  月曜日の夜、妻が毎晩楽しみにしているアマゾンプライムの英国BBCのドラマ『New Tricks』を観ようとした。いつものようにリモコンでテレビのスイッチをONにして“ホーム”を押す。画面に「NETFLIX」「AMAZON PRIME」「YouTube」が表示される。AMAZONを選んで“決定”を押す。画面が真っ暗。真ん中でランドルド環(視力検査マーク)のような白い輪っかが、クルッと一周する。少し止まってまた動く。その動きが続く。待てど反応なし。画面中央のクルックルッで目が回りそう。妻「どうしたの?」私「AMAZON映らない」妻「他のは映るの?」 私はリモコンでNETFLIXにしてみた。異常なし。ちゃんと観られる。YouTubeも異常なし。妻「直せないの?」こんな時、いつも妻が望むこと全てに対応できたらいいのにと思う。残念ながら、私は出来ることより出来ないことの方が多い。

  いつも私が書斎にこもっていると、居間でテレビを観ている妻から「これどうするの?」とお呼びがかかる。妻はまったくリモコンの操作を覚えようとしない。アナログ人間とデジタル人間という区分けがある。妻の生き方は、デジタル的である。私はアナログ的。それなのに妻は、携帯電話に対しても否定的で、何もかも携帯電話に頼り、四六時中携帯に触れている風潮を認めていない。私はアナログ人間だけれども、パソコンや携帯がなければ、一日たりとも生活できない。かといって、パソコンや携帯などIT関係の仕組みや原理には疎い。ブラックボックスなのである。宇宙や生命の起源と同じように未知の領域なのだ。

  今はネットですぐ自分が知りたいことを検索できる。さっそく「アマゾンプライム テレビ 映らない」とパソコンで検索してみた。ところが説明が理解できない。第一、画面のエラーコードというが、画面が真っ暗でエラーコードなんて出ていない。電源を切れ、とかテレビの設定を開けて、とかチンプンカンプン。あきらめた。自分で操作してテレビ本体をおかしくしてしまうより、こういう時はプロに任せた方が良い。いつも世話になっているパソコン119に電話した。1時間後に来てくれるという。

  さすがプロ。あっと言う間にリモコンを操作してAMAZON PRIMEが映るようになった。せっかくなのでパソコンの点検も頼んだ。パソコンに溜まった要らないモノを消して、あちこちから要請が入って来ている「ダウンロードしてください」を、安全か危険か調べてもらい、必要と不必要なものに分けてからダウンロードしてもらった。約30分で終わった。それでもと思って、「次に同じ事が起こった時、どうすればいいか教えて」と頼んだ。嫌な顔もせず、丁寧に手順を言ってくれる。言っている言葉がわからない。降参。「また映らなくなったら電話して来てもらいます」と私は肩を落としていった。119の人の目じりが下がっていた。

  夜妻は、何もなかったように再びAMAZONの『NEW TRICKS』を観ていた。言いたいことを画面にぶつけたり、笑い声をあげていた。その日のニュースは、皇室の結婚関係のニュースばかりだった。私たちが結婚する時も、いろいろ問題があった。妻は医師の先輩に「結婚は勢いだ」と言われたそうだ。勢いつけて結婚して30年。勢いの放物線は下降中。一方安定の水平線は維持できているようだ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっぴり嬉しくなること

2021年10月25日 | Weblog

  妻が休みの日、一緒に散歩して帰宅する。外は寒い。玄関のドアを開ける。明らかに外の温度と3,4度は違う。続いて我が家の匂いを鼻がとらえる。洗面所に直行。ポンプ式の液体せっけんを手に噴射。泡立てゴシゴシ爪の先まで洗い、水道水ですすいで別々のタオルで拭く。次にイソジン・クリア・うがい薬で二人並んで天井を見て「グァウラグララ」と輪唱のように繰り返す。どちらかが必ず吹き出しそうになり、うがい薬を飲み込みそうになる。そうならないようにこらえる。うがい薬を吐き出すと同時に笑い出す。

 

 私は妻が出勤した後、一人でいる時、自分でお茶を淹れて飲むことがない。理由は自分で淹れたお茶を美味しいと感じたことがないからだ。だから一人の時は、コーヒーを飲む。コーヒーマシンにカプセルを差し込み、ボタンを押すだけ。妻が休みの日は、妻がお茶を淹れてくれる。なぜだか知らないが、妻のお茶は美味い。散歩で冷えた体に熱いお茶は、格別である。猫舌の私は、茶碗を持つが、口はなかなかつけられない。茶碗が顔に近づくと、メガネが曇る。何も見えなくなる。この瞬間が好きだ。生まれて初めて飛行機に乗って、雲の中に入り込んだ時のような感覚になる。子供の頃、鰐淵晴子主演の映画『のんちゃん雲に乗る』を観た。池に落ちた“のんちゃん”は、雲に乗った白い髭のおじいさんに助けられる。それが原因か雲に対する好印象が続いている。雲に乗れば、空を飛ぶことができる。雲の中には、人間を助けてくれる何かが存在しているような気がした。勝手に想像を膨らませていた。飛行機は雲の中から更に上空へ行くとそこは青一色の世界。眼下には白い雲。雲の下には人間が暮らす地球。空・雲・地球が3層になっている。地球が現実の世界とすれば、空は未知の世界。雲はその間を結ぶ懸け橋なのかもしれない。メガネの曇りが取れた。お茶も少し温度が下がった。やっとの飲むことができた。美味い。

 

 日曜日、選挙のために裏山の途中にある投票所まで行った。急坂なので行きは、バスにした。帰りは散歩代わりに歩いた。投票を終えて急坂の歩道を並んで下り始めた。選挙があると二人は、誰に投票したかは言わない。選挙権とは個人に与えられているもので世帯ごとに与えられたものではない。親が子供に強制できるのは、宗教と政治だという。夫婦別姓が問われる昨今、選挙における夫婦別(投票)権は、取り上げられていない。党利党略でしか機能しない政党、政教一致がまかり通る政党が跋扈している。夫婦が、家族が同志として選挙に対峙するのも自由かもしれない。ただ電話や訪問してきて他人にお節介的な勧誘は迷惑でしかない。私は、妻とどの党に入れようとか、どの人に投票したとか話さない。ましてや誰にどの党に投票して欲しいと強要したこともない。そのことが実に爽快で心地よいのである。ちょっぴり嬉しい。

 

 急な坂道の途中に立派なお寺がある。そこの入り口に“樹木葬”の幟があった。「樹木葬か。これもいいな」と私が言うと、「以前、遺灰を円盤みたいに固めて、海に落としてって言わなかった?」 もう葬式の話を夫婦で話す歳になった。できれば死ぬ前に大好きな日本が、もっとまっとうな政府を持つ国になっていて、未来を信じながら息を引き取りたいと願う。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フケ⁈

2021年10月21日 | Weblog

  髪を短くした。私が子供の頃、男の子のほとんどが坊主頭(坊主刈り)だった。子供の時、私は坊ちゃん刈りだった。坊主になったことはなかった。理由はわからない。その私が74歳になって坊主刈りになった。私の頭の中心部分から髪の毛が薄くなり、日々その面積が広くなってきている。風呂に入って洗髪した後、鏡に映る頭は、逆さにして白いドンブリにモズクをばらして拡げたようだった。普段、髪が乾いている時は、数は少なくなってきていても、総動員でフワリと立ち上がることによって地肌を隠してくれる。洗髪直後は、違う。思い切って丸坊主にしようと決めた。数か月前、床屋で今までの髪型をやめ、バッサリと切ってもらった。洗髪しても髪の毛が短いので鏡に映る頭から悲壮感が消えた。

 

 シャンプーが良くなったのか、それとも私の頭の地肌に変化が起こったのか、最近とんとフケに悩まされることがない。嬉しいことだ。黒っぽい服をもう着ないので、目立たないだけかもしれない。若い頃、心労が重なると、フケが増した。仕事で大勢の生徒の前に立たなければならなかった。身だしなみには気を使った。教壇に立つときは、濃紺のスーツが多かった。黒や紺だと白いフケは、目立つ。そこで奮発してオーストリア製のブラシを買った。このブラシは優れものでフケやゴミをきれいに落とす。この経験からスーツを着る人の就職祝いには、私が使っていたブラシと同じものを贈った。長男が大学を卒業して就職した時もブラシを贈った。

 

 10月14日岸田文雄首相が国会で衆議院を解散した。夜、岸田首相の記者会見が行われた。私はいつもの通り、まずスーツをチェックする。まあ普通の生地で麻生太郎さんの生地ほどではなく、菅前首相よりは少し上等かなと見立てた。えッ、ちょっと待って。岸田首相のスーツの肩まわりに白いものが。最初ラメが入っているのかと思った。でもそれならスーツ全体にラメが散らばっているはずだ。まさか、まさか、フケ?! 日本国の内閣総理大臣のスーツにフケ。大問題である。総理大臣には秘書や取り巻きが大勢就いているだろうに、なぜ記者会見の前に誰か首相の身だしなみの点検をしないのだろう。トランプアメリカ前大統領には、専属のスタイリストがついていたという。日本の総理大臣の周りには、優秀な東大卒の官僚や議員がいても、首相の身の回りの世話をする人がいないのか。首相は、日本の顏である。もしあの白いモノがフケだったら世界の笑い者にされる。

 

 おしゃれでなくても、ハンサムでなくて、高価なスーツでなくても良い。禿げていても、いなくても関係ない。清潔感ある身だしなみこそ必須条件である。首相ひとりでは、それはできない。周りの手助けが必要である。政界は、俺が俺がの男社会なのだろう。だから首相がテレビにどう映るかまで事前に考えが及ばない。必要なのは、目配り・気配り・手配りではないだろうか。

 

 あの白いモノがフケだったとしても埃やゴミだったとしても、これは失態である。我が家の夕食時に、高画質・4K・8K・大画面は、観たくないモノ、事、人を鮮明に映し出す。岸田首相は早急に目配り・気配り・手配りできるチームを結成したほうがいい。学歴より広い分野からのプロを登用するべきである。まずスタイリストはどうだろう。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

衆議院選挙と公約

2021年10月19日 | Weblog

  18日にテレビで中継された日本記者クラブ主催の9党党首による公開討論会は、見ごたえがあった。各党首が一人ずつ衆議院選挙に向けての自党の公約を訴えた。これは眉唾もので、テレビのサプリメントなどの誇大広告のようだった。たとえどの党が単独で過半数を得て、政権を取っても実際には実現不可能な公約にしか見えなかった。私は、9人のうち、一人ぐらいは“病院船”か“物価安定”か“気候変動による温暖化”を公約に掲げるかと思いきや、誰も触れもかすめもしなかった。こんな討論会観ていても時間の無駄と思えてきた。

 9党首の公約発表の後、記者クラブの司会者が言った。「各党首は一人指名して、質問をしてください、時間は1分。指名された党首は、1分で質問に答えてください。時間が迫るとランプが点灯します。これを各党首2巡行っていただきます」 これは聞いたことないな。私は興味を持った。今回も役人や専門家が書いた原稿を読むような、党利党略に則った退屈な討論だと決めつけていた。これは誰に何をどう質問されるかわかっていない。質問された党首が、どう質問に答えるか興味津々。斬新な討論会方式だ。記者クラブもなかなかやるではないかと観いった。

 この方法は良かった。今後この方式が更に取り入れられることを期待したい。残念だったのは、自衛隊の不明瞭な位置づけ、パチンコ屋の景品交換の賭博性、政教分離の原則が適用されない政党の存在の日本3大あやふやに、どの党首も接近することさえなかったことだ。「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反」党の党首あたりが、何か言ってくれるかと思った。空振りだった。

 いろいろな国で選挙を見た。理想的な選挙などなかった。ただ日本のような選挙カーで、音量を上げて、候補者の名の連呼連呼のような選挙にはあわなかった。「日本の選挙から選挙カーの爆音連呼をぶっ潰す党」があれば、投票したいくらいだ。今日、衆院選が公示される。いよいよ選挙カーの迷惑騒音が始まる。我が家は、少しくらい防音効果がある2重ガラスを入れているが、選挙カーの騒音は、難なくその2重ガラスを突き抜ける。聞いても何の意味もないことしか叫んでいない。しばらくの間、コロナ自粛とうるさい選挙カー騒音との闘いを強いられそうだ。

 日本人の理想的な生活というのは、現在の国会議員の至れり尽くせりの処遇待遇を受けることだと、私はかねがね思っている。各党が掲げる公約、中産階級の所得倍増など冗談でしかない。各党が太っ腹なバラマキを公約しているが、さすがに理想郷にお住まいの上級国民の上から目線的発想である。どうやら日本は、2階建ての国家らしい。降りてこなくてもいいのに、選挙の時だけ階下に来る。それも猫のように忍び足ならまだしも、笛や太鼓に負けぬ大音量で連呼しながら降りて来る。選挙で当選しなければ、彼らは2階に戻れない。だから声を枯らして自分の名前を連呼して、忘れられない2階にある1階とは比べられない世界に戻る日のために鼓舞する自分に自己陶酔しているかのようだ。

 彼らを2階に戻してやるのも、1階に留めるのも私たちの1票である。連呼より各党の党首や党議員による日本記者クラブ式公開討論会があれば、誰にどの党に投票するのに役に立つと思うのだが。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

警察からの封書

2021年10月15日 | Weblog

  年に一度は見舞われる腰痛が2週間前から始まった。常時痛むのなら注意のしようもあるが、痛みは不定期でそれは突然襲い掛かる。「イテテッ」が口をつき、腰砕けとなる。ベッドから起き上がる時、段差で着地した時、玄関で靴を履く時、急な方向転換する時、モノを取ろうと腰をかがめた時。妻は腰痛ベルトを巻くよう勧める。この腰痛ベルト20年前に心臓バイパス手術を受けた時使ったモノである。ベルトにはマジックで名前が書かれている。まだ十分使える。その腰痛ベルトを、相撲取りがマワシを弟子たちに巻いてもらうように妻は巻く。妻は力持ち。締め上げは、息ができなくなるくらい強い。そのお陰でやっと昨日から、ベルトなし杖なしで歩けるようになった。

 郵便物をとりに玄関ホールにある郵便受けに痛みもなく階段を降りた。どうせまたダイレクトメールや請求書ばかりだろうと暗証番号のダイヤルを廻した。5通あった。4通はダイレクトメール。「なんだ」と独り言。最後に取り出した封書の差出人を見て、固まった。「〇〇警察署」 私は警察という字面、音の響き、警察官の制服、パトカー、どれに対しても過剰な反応をしてしまう。臆病者なのだ。

 部屋に戻り、封書をペーパーナイフで開けた。手は震えていた。違反?逮捕状?召喚状?もしくは新手の詐欺?何か最近悪いことした?自分で知らないうちに何か罪を犯してしまったのか?恐る恐る中の書類を開ける。「あなたの社会保険証と思われる…」 社会保険証って何?私の保険証は健康保険証のはず。詐欺かもしれない。不安が入道雲のようにわいてくる。書類を読み進めた。この種の詐欺があるのかネットで調べた。ない。そこで警察署の住所をネットで確認した。保険証があるかどうかをみた。ない。疑いは私の邪推だったようだ。

 保険証を失くしたのが本当だと解ると、次に老人特有の物忘れや不注意の度合いが悪化してきているのだと、絶望感と悔しさが全身を締め上げた。深く落ち込む。自分がまず保険証一枚だけをどこでどうやって落とすのか。カード、運転免許証などは首から下げる定期入れ式ホルダーに入れている。ホルダーはある。そこまでしか推理が働かない。

 14日9時に指定された通り、返却を受ける前、電話で警察の会計課に電話した。遺失物番号を告げた。確認が取れた。取りに来てよいと言われた。以前交通違反の罰金を払いに行った。6年前のことだ。場所を覚えていない。ネットで地図を検索して印刷して持って行った。緊張していたせいか、行き過ぎたり、交差点を間違えて車を何度か方向転換させてやっと警察の駐車場に行けた。

 手続きは、運転免許証で本人確認して、受領書にサインしただけのこと。数分で終わった。「どこで保険証が拾われたか教えていただけますか?」「〇〇スーパー」 〇〇スーパー!どうして車で30分もかかる遠い警察署に届けられたのか。もう余計なことは考えないでおこう。スーパーで買い物カードに現金をチャージする際に、保険証と買い物カードが重なっていて、間違って保険証を落としたのかもしれない。

 私は、以前、拾うことがあっても、自分が落としたり、なくすことがなかった。還暦を過ぎて、失敗が多くなった。私よりひとまわり若い妻が言う。「防ぐ方法を一緒に考えよう」 今夜妻が帰宅したら、二人で対策を話し合う。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母ちゃんの包丁

2021年10月13日 | Weblog

  最近、包丁を使っていて、危うく手の指を切ってしまいそうになることが増えた。自分では注意しているつもりなのだが、ちょっとした気のゆるみが生まれる。包丁で何かを切っている時、問題はない。切り終わって包丁を片付けるとか、包丁を調理台に置こうとしたり、包丁を洗おうとするとか、洗って包丁差しにしまう時、指を刃に当ててしまう。多くの場合、かすり傷程度で済んでいる。

 危ないのは包丁ばかりではない。私は魚を自分で処理することにしている。刺身にしろ煮たり焼いたりするにしろ、調理する直前にウロコを落とし、内蔵やエラを外す。魚のヒレや骨でもケガをする。軍手やビニールの手袋があるが、そうすると包丁がうまく使えなくなる。行きつけの魚屋は、頼めば下処理をしてくれる。今までは自分ですることにこだわっていたが、そろそろプロに任せようかと思い始めている。

 包丁差しには、包丁が9本とその他2本、計11本が入っている。それぞれ用途によって使い分けている。包丁を使う時、子供の頃、台所にあった母ちゃんの包丁を思い出す。菜切り包丁のたぐいだった。今の百円ショップで買えるような包丁だった。母ちゃんは、その1本の包丁で、カボチャもナスもジャガイモも肉も魚も切っていた。それが当たり前だったので、私も気にしたことがなかった。包丁がどういう包丁であったにせよ、母ちゃんが作ったモノは、みな美味かった。母ちゃんも包丁の切れ味がどうのと言うのを聞いたことがなかった。

 高校生の時、カナダに留学した。招かれて訪ねたカナダ人の家庭の台所で、たくさんの包丁が差されていた包丁差しを見て驚いた。一般の家庭なのにまるでレストランのキッチンにある包丁のようだった。母ちゃんの1本だけで、何でも切っていた包丁は、魔法のスーパー包丁に思えた。だって、たった1本の包丁で貧しいながらも、カナダの家庭の料理に負けない程美味しい料理を作っていたのだから。内容より見た目を気にする見栄坊の私は、カナダやアメリカの家庭で見たたくさんの包丁が差された包丁差しを理想として自分でも使った。それでもたった1本の包丁で作り出した母ちゃんの味には、到底適わない。

 昨日も包丁を片付けようとして、刃を指に当ててしまった。幸い皮膚に刃の筋が付いた程度で済んだ。私の感覚のどこかがおかしい。気をつけなければ。

 2年前、池袋で当時88歳の飯塚幸三被告が車を暴走させ、松永真菜さんと莉子さんが犠牲になった。裁判で5年の禁固刑を言い渡された飯塚被告(90歳)が昨日拘置所に収監された。収監に際し飯塚元被告は、関係者を通じ「裁判では無罪を主張させて頂きましたが、証拠及び判決文を読み、暴走は私の勘違いによる過失でブレーキとアクセルを間違えた結果だった」と自らの過失を初めて認めた。最初は、車のせいと言っていたが、ブレーキとアクセルの踏み間違えという、高齢者ゆえの誤作動であった。彼が否を認めても、真菜さんも莉子さんも生き返らない。

 車も包丁も年寄りには、危険な物だ。どれほど自分が気をつけていても、手足や脳が誤作動を起こす。身の程をわきまえ、行動に制限をかす時がきている。自分を傷めることがあっても、これからの若い命を奪うことは、絶対に避けるべきである。自分のどの行動が、若い人や他人様を傷める可能性があるのか。その行動をやめるためには、どうすればよいのか。待ったなしの問題である。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キジ・雉

2021年10月11日 | Weblog

  今から50数年前、カナダの高校に留学する前、軽井沢のアメリカ人宣教師の子供達のための学校に入ることになった。私のカナダ留学の保証人として、留学のための全ての手続きを支援してくれたのはネルソン夫妻だった。夫妻は、旦那さんがアメリカのATT(アメリカの電話会社)を退職して、世界一周の船旅の途中、日本で1年間、軽井沢の宣教師の手伝いをした。上田市で高校生のための英会話と聖書を教えた。私はその教室に通っていた。何度か軽井沢の家に招いてもらった。世界一周の船旅に戻る前、カナダにある全寮制の高校への留学を勧められた。そしてその準備のために軽井沢の宣教師の子供のための学校で学ぶよう手配をしてくれた。ネルソン夫妻が日本を去ってから、宣教師の子供の学校があった聖書学院の院長は、最初の話と違って宣教師の子供の学校で英語を学ぶことより、私をまるで聖書学院の院生であるかのように扱い始めた。院生と言っても私の他に7名しかいなかった。彼らは皆、作業員のようだった。聖書の勉強より、アメリカ人院長の一家のための下男下女のようで勉強より奉仕作業の毎日だった。

 

 私は寮と呼ばれる建物に入った。真冬でも暖房がなく、煎餅布団で寝た。食事は最悪で、ご飯と具のない味噌汁、大根とイカの皮の煮物というようなものだった。お昼は決まって乾麺のウドンだった。夜になると寒さと空腹にさいなまれた。逃げ出すことも考えた。そんな時、シンシンと冷える軽井沢の夜に「ケーッケケーッ」と鳴き声が響いた。一緒の部屋だった福島県の相馬市から来ていたSさんが「キジの肉は美味いぞー」と言った。

 キジの肉と聞いて、私は祖母のことを思い出した。祖母と同居していた叔父は、狩猟を趣味にしていた。キジを獲ってくると、祖母は必ず手打ちうどんを作って私を呼んでくれた。キジのガラで出汁をとり、肉を細かく切って入れた。美味かった。滅多に肉など食べられなかった時代である。家でも鶏肉など買えず、いつもガラを買っていた。軽井沢にはキジがたくさんいるらしい。

 

 Sさんと次の日からキジを捕まえようと計画を立てた。Sさんも聖書学院の食事に不満を持っていた。何とかキジを捕まえて、具のない乾麺に、キジ肉をと知恵を絞った。Sさんがザルと長いヒモを用意した。ザルの下にニワトリのエサを置き、ザルに結んだヒモを寮の階段の下に隠れて握った。キジが来た。ザルと下に入って、ニワトリのエサをつつき始めた。「今だ!」とSさんがヒモを引く。キジは素早く「ケケケッケン」と逃げた。キジ肉の入った乾麺を夢見て、二人は数週間キジを捕えようと努力した。結局一羽も捕らえられなかった。その後もずっと乾麺には具がなかった。

 

 テレビで九州の鹿児島県でキジの養殖に成功したという番組を観た。懐かしさ全開。祖母のキジ肉入りの手打ちうどん、軽井沢で会ったSさんのこと、聖書学院の食堂で出たイカの皮と大根の煮物、具の入っていない乾麺。ネットで調べるとその養殖に成功した農場で通信販売をしていた。さっそく注文してみた。

 立派な木箱に、キジ肉1羽分が入っていた。ガラもあった。ガラで出汁をとった。祖母の手打ちうどんに似た幅の広いうどんをスーパーで買った。妻はキジの肉を食べたことがない。でもうどんは好き。まったく違う家に育ってきた二人。私の話に、不思議そうな顔をして耳を傾ける妻。

 

 10月10日は結婚記念日。そんな二人が30年一緒に生きてきた。これからも妻の知らない私の過去をたくさん話してあげようと思う。

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ使える、もう使えない。

2021年10月07日 | Weblog

 洗面所の戸棚に入っている歯磨きチューブ。妻はチューブの所かまわず押して中身を出す。結果チューブの形は、いびつになる。私はチューブの一番下から丁寧に指で押し上げる。チューブの形を常に綺麗に整えておきたい。性格の違いであろう。だからと言って、このことで言い争ったりはしない。しても無駄だと結婚してまもなく悟った。お互い育った環境が違う。私が気づかずにしていることで、妻が違和感を持っていることもあるだろう。いちいちそれにかまっていては、一緒に居られなくなってしまう。

 チューブのどこを押して中身を出しても、いつかは中身がなくなる。チューブに入った製品は、チューブが透明でないので中身が見えない。透明なガラス瓶やプラスチックに入った液体なら、ほぼ完全に中身を出し切れる。

  私が子供の頃に比べて今は物が溢れ、経済的にも楽になった。生活用品も買いだめしておくことができる。歯磨きチューブも使い切れば、戸棚から次の新しい歯磨きチューブを出せば済む。問題はいつ新しいチューブにするかである。歯磨きチューブは、中身が見えない。加えて、チューブの口まわりがネジ式になっていて固い。私は性格的に、また物のない時代に育ったせいか、何でも最後の最後まで使い切らないと気が済まない。そうすることが物を大事にしていることだと思い込んでいる。時には綿棒まで動員して、残った歯磨きをこそげ落とす。その点一回り年下の妻は、思い切りがよい。使い切ることにこだわりがないので、自分がコレ終わりと思えばポイポイ捨ててしまう。

  使い切れないのは、歯磨きチューブだけではない。電池も厄介な物である。一応電池の残量を計れる計測器を買ってある。しかし電池は、ある日突然使えなくなる。それも必ずそうなると困る時に起こる。以前から電池を取り替えたら、シールに日時を書いて貼ろうと何十年も前から思っているが、いまだに実行できずにいる。電池は完全に使い切ったのかどうかは、目で見られない。

  ロケット博士の糸川英夫さんは、外国へ行く時、必ず空港で電池が入っているものの、電池全てを取り替えたという。たとえそれが昨日取り替えた物であっても。電池が切れていて、大きな失敗したことがあって、それ以後、必ずそうするようになったという。

  作って売る側の都合で多くの製品は、消費者に届けられる。消費者の要望を聞き入れて、製品を製造していたら利益がなくなってしまうであろう。改善の余地は、まだまだ残されている。これから更に改善された商品が出て来ることを期待したい。

  小人、閑居して不善をなす。コロナで家に閉じ込められている。だから歯磨きチューブの形状にまで目が届いてしまう。コロナ以前、友人や家族を招いて、楽しい時間を過ごそうと企画・買い出し・調理に熱中できた。人の脳は、10%かそれ以下しか使われていないという。脳を使わないで、暇だやることがないとぼやいていれば、私のような小人は不善をしてしまいそう。100%使い切ることはできなくても、せいぜいもう少し使って不善をさせないようにしなくては。早く、細かいことを忘れて、忙しく何かに熱中できる日が戻って欲しい。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナの野戦病院より病院船

2021年10月05日 | Weblog

  岸田文雄さんが自由民主党の総裁選を経て、日本国の首相に就任した。総裁選さなかに岸田さんは公約の中で「野戦病院の開設」を訴えた。

 私は以前から日本は病院船を持つべきだと主張してきた。今回の4人が立った総裁選に於いて、誰か一人くらいは「病院船」を公約にしてくれるのではと淡い期待を持った。残念ながら誰一人病院船には触れなかった。

 日本で総裁選が始まっていた頃、北朝鮮はあいついでミサイルを発射した。それに呼応するかのように、ある候補者は日本でのミサイル装備に言及した。

  軍備増強や拡張は、わがままな子供がオモチャを欲しがるさまに似ている。次々に新しいオモチャが出て来る。自分が持っている物よりいい物が出れば、目移りしてそれを欲しがる。手に入れるとそれを使ってみたくなる。この種の欲には際限がない。

  日本は第二次世界大戦で敗けた。広島と長崎に原子爆弾まで落とされた。ソビエト連邦とアメリカ合衆国との冷戦時代を経て、現在は中国とアメリカとの覇権争いに突入している。世界には常に戦争の種があちこちに存在している。いつその種がジャックの豆の木のように突然芽を出すかわからない。敵味方、離れたりくっ付いたりを繰り返す。そんな世界的傾向の中で、その流れに押し流されるように、他の国々がしているからと、日本も再び軍事力増強に目を向け始めている。

  私が小学生の時、スイスが社会科の授業で永世中立国だと教わった。小学生の理想の国家は、スイスはいつも一番だった。まるで、地球上に唯一存在する、理想国家のような印象を植え付けられた。私自身、大人になってから、何度スイスに行ってもスイスが好きになれないでいる。スイスに実際に住んでいた友人たちの多くもスイスが子供の頃持った決して理想的な国でないと聞いた。東洋人に対する差別が酷い。国民全体が秘密警察のように隣近所の住人を見張りあっている。スイスのような小国が、他国に侵略されることなく独立を保つには、それ相当の手段が必要だった。地球上に理想の国家など存在しない。

  私は思う。日本は海に囲まれた島国だ。造船業もかつては世界一と言われるほどだった。岸田さんの選挙区は、まさに戦時中、戦艦大和を建造したほどの造船業が盛んな所だった。野戦病院何て言っていないで、ミサイルの開発や空母の建造やステルス戦闘機の購入をするより病院船を造って欲しい。世界がこれから益々軍備競争をしていく中で、日本は、病院船をそれこそ各県単位で所有して、コロナのような恐ろしい感染病や災害の時に世界のどこへでも派遣して人々の救助治療に尽くす。世界の傾向と逆走するべきである。それが戦争を起こした罪滅ぼしでもある。

  日本が、私の小学生の時教えられたスイスのような国になって欲しい、とは思わない。しかし現在、医学でも造船技術でも日本は卓越している。世界で役立つ病院船を建造運営する実力がある。海に囲まれた環境を活かし、日本であろうが世界のどこで災害が起こっても、危険な感染症が起こっても、日本はただひたすらお手伝いをさせてもらう。それを何年も何世紀も続けていれば、感謝されることはあっても、日本を侵略しようと思う国はないであろう。万が一どこかの国が尖閣を奪ってから日本に攻め込もうにも、世界がそれを許さないに違いない。それこそが最大の防衛力ではないだろうか。

 今回の東京オリンピック・パラリンピックの選手村で、ある国が開催国を貶めるような垂れ幕を出した。選手村の食事は、放射能に汚染されていると言って、自国の食堂をわざわざ設置した。しかし多くの国々の選手や役員たちは、感謝の垂れ幕を出し、SNSで選手村の食事や設備や部屋からの美しい光景を世界に発信してくれた。ちゃんと素直に見ていて、評価してくれる人や国がある。ひるむことはない。日本が国としてできることをコツコツとしていくだけである。今の政治は、将来の日本像を持てない人々の手にあるのが残念だ。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする