この町は歴史ある古い町で、首都カトマンズから車で4時間ほどの山中にある。道路は未整備で、4輪駆動でなければとても行けるところではなかった。その町は丘の頂にあり、車は丘のふもとにおいていかねばならなかった。ゴルカ族がカトマンズを攻略する前に築いた要塞である。普段はふもとに集結して住んでいたが、敵の襲来があると標高1400メートルの丘の上の城砦に立てこもったといわれている。
細い道を歩いていくと、道の脇にはマンゴの木がたくさんあり、実をつけていた。初めてマンゴが木になっているのを見た。まるで長いヒモで実を人の手で結わいて、ぶる下げてあるようにスルスルと木の枝から垂れ下がっていた。ジャングルの茂みの中から頂上が見えてきた。
ぐるっと城壁が取り巻いていてそこの中央に門がある。中は集落である。近代的なものはなにもない。集落は城の周りにあり、真ん中を道が通っている。静かだ。余計な20世紀の音がない。私は夢中でカメラのシャッターを押して写真を撮った。まるでタイムマシーンで古代に戻った気がした。この夢が覚めないうちにと集落の中を歩き回った。何本もフィルムを取り替えた。あの時今使っているデジタル一眼レフがあったならばと思うけれど、とにかくあの地に行けたことを感謝する。
丘の上の集落があるところは、けっして広くはない。家が建っている端は、鋭く谷底に落ち込む急斜面である。一軒の家の入り口のドアが開いていた。そこから見えた光景は、まさに写真に撮ったその場面であった。ディズニーの映画のように、牛もニワトリも人間の言葉を話すかのようであった。そして「どうぞ中にお入りなさい。すこし話していきませんか」と言っているようだった。あのニワトリが立つ枠の向こうは、断崖絶壁が鋭く谷底に落ち込んでいる。その空間があまりに俗界と神の世界の境界線に私には見えた。ヒンズー教では牛は神聖な動物といわれている。牛をあんなにきれいで神々しいと思ったことはない。この写真のタイトルは『いにしえへのいざない』とした。
写真はだれでも撮れます。デジタルカメラの登場でフイルムのこと失敗のことを心配せずに撮れる。何かジャンルを決めて撮ったらおもしろい。今私は“窓”に焦点を絞っている。散歩にカメラが欠かせない今日この頃である。