団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

ユーチューブ

2021年05月28日 | Weblog

  買い替えたテレビには最初からユーチューブが組み込まれていた。簡単な操作で私でも観ることができるようになった。多くの民放のテレビ番組にたいして、観るのは時間の無駄と感じている。NHKのニュースやドキュメンタリー番組以外、既存のテレビ局の番組を観ることはほとんどない。

 ユーチューブに番組表はない。検索するしかない。検索を重ねると、ユーチューブが勝手にホームという場所に、私が関心のありそうな番組を並べてくれる。先日妻とテレビを観ようと、ネットフリックスやアマゾンプライムで観る映画を探していた。コロナの自粛で興味がある映画やドラマを多く観た。自粛はすでに1年半にもおよぶ。観る側の私たちのペースが早すぎて、制作側が間に合わない。ユーチューブのホームを調べると『「新型コロナウイルス」(61)変異ウイルスとワクチン 宮坂昌之・大阪大学名誉教授』という番組が出てきた。妻が「宮坂さんって上田高校の同窓生の人でしょ。観てみよう」

 私は、数多く放送されているワイドショーと呼ばれるテレビ番組で、専門家と言われる人が語る解説や意見に失望している。台本通りに言わされるのではという疑いが常に頭から離れない。出て来る人数も多く、一人当たりの持ち時間も少ない。だからいつも消化不良となる。宮坂教授の演題が難しそうだったが、わからなかったら妻に聞けば良いと観ることにした。

  時間は1時間の講義と、その後質疑応答だという。日本記者クラブでの講演なので記者を対象とする講演なのできっと理解できないだろうと思った。宮坂教授の話は、非常にわかりやすい。「頭がいい人は、難解なことでも分かりやすい言葉で説明出来る」と聞いたことがある。まさにその通り。そして彼がまとめて制作したであろう映像化した資料も素晴らしい。横にいた学会慣れしている妻も熱心に観ていた。

  私は28日金曜日に1回目のワクチン接種を受ける。講義の中で宮坂教授は「昨年、ワクチンの安全性が判然としないことから、積極的に接種は受けないと公言していた。しかし、現在では、安全性も確認できたとして、意見を変えて、必ず2回打つ。みなさんも当事者意識を持って、自分の身は自分で守るために接種を」と言った。これがじきにワクチン接種を受ける私を力づけてくれた。

  コロナという国難に関して、日本は決して効果的な対策を取れなかったのは、事実である。しかし無料で全国民に2回のワクチン接種をしてくれることはありがたいことだ。ワクチンを短期間で実用化してくれた研究者や製薬会社にも感謝。テレビのワイドショーに出てこないが、地道に研究を続ける宮坂昌之教授のような医学研究者も大勢いることにも感謝。

  これを知りたい、観たいという時、こうしてじっくり時間をかけて観ることができる番組を提供してくれる、ユーチューブという媒体が存在する恵まれた現代である。多くの地味で優秀な研究者は、きっとコロナから人類を救い出してくれるに違いない。小市民の私だが、当事者意識を持って、まずは自分の身は自分で守るために今日、接種を受けて来る。

 


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メイドインジャパン

2021年05月26日 | Weblog

  以前ローマの土産物屋で店主にハグされた。私はステーキ用の良く切れるテーブルナイフを買おうとしていた。「日本人?」と聞かれた。「何探してるの?」「良く切れるテーブルナイフ」「良いのがあるよ」 そう言ってドイツ製のナイフを数種類見せた。「できればイタリア製が欲しい」と私が言うと、店主は店の奥へ入って行った。木製の箱に入ったナイフのセットを嬉しそうに持って戻って来た。6本セットで2万円くらいだった。(日本では5本だが欧米は6本が1セット) 気に入ったので買うことにした。店主は、袋に入れて手渡すとき「お前はいい奴だ。イタリア製と言ってくれるなんて。日本人は皆、ゾーリンゲンやヘンケルを欲しがるんだ」と言いながら軽く抱擁してくれた。私は抱かれて彼の肩をポンポンと叩いた。とても良い気分になった。客も喜び、売り手も喜ぶ。これが商売の基本だろう。今でもこのナイフは大切な客に使ってもらう。

 どの国の人も自分の国の製品、私ならメイドインジャパンを褒められれば嬉しいものだ。メイドインジャパンと言って喜ばれる製品はずいぶん減った。中国がまだ竹のカーテンの中にあって、人民服を着た国民が、自転車で行き来していた時代が、メイドインジャパンの最盛期だったのかもしれない。中国が世界の工場と呼ばれるようになると、あれよあれよという間に世界中にメイドインチャイナが溢れるようになった。妻の海外勤務について暮らしたネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアの任地が変わるたびにメイドインジャパンの衰退を目にした。ネパール時代は、まだ日本も元気だった。セネガルで中国の進出が目立ち始めた。旧ユーゴスラビアで中国製品や韓国車、韓国家電攻勢を意識した。チュニジアでは、どこの店をのぞいても、すでにほとんどの家電製品は韓国製だった。海外でもメイドインジャパンの存在が薄れていた。日本に帰国するたびに、悲しくなるくらい日本は不景気の度合いを深めていた。

 日本に戻って暮らし始めた。今度は今までに暮らしたことのある国々の製品を見つけると嬉しくなって買うようになった。しかしその数は少ない。ネパール製品は、工業製品などなく、民芸品が主体である。セネガルも同じ。旧ユーゴスラビアも。チュニジアはと言えば、先日成城石井でデーツ(ナツメヤシ)を買った。いつもはサウジアラビア産だったが、袋のデザインが違うのを買ってみた。何とチュニジア産だった。訳もなく嬉しくなった。ハチミツもいろいろな国のモノがあるが、やはり留学したカナダ産を選んでしまう。

 運転免許証を返納しようかと迷いながら、車をトヨタのヤリスを買った。純国産車だと思っていたが、タイヤは韓国製だった。テレビもソニーを買ったが、液晶パネルは韓国製。もうメイドジャパンにこだわる必要はないようだ。何を買っても、中の部品はバラバラな国のもの。ブランド、生産国名なんてマボロシ。そんなことにこだわっていた自分が情けない。人間はまだまだだが、モノは、とっくの間に国際化をとげているようだ。

 


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嘘つきは誰?

2021年05月24日 | Weblog

  夏場所の12日目突然7勝6敗で勝ち越し目前で、大関朝乃山が休場した。怪我でもしたのかと思った。今場所、朝乃山は最初から精彩に欠け、何か物足りなかった。夫婦で朝乃山をずっと応援していた。富山県出身力士であることや、妻の甥っ子に顔立ちが似ているのも一因だった。休場の理由は、週刊誌にキャバクラ通いの記事が記載されたが、相撲協会の調査に事実無根と、答えたことが発覚したからだった。つまり嘘をついたのである。

 ちょうど朝乃山の嘘休場の頃、私も嘘を疑われていた。コロナ禍で買い物を控えているので、高島屋の積立金でオンラインショッピングを利用している。パソコンから注文でき、宅急便で商品が届く。気仙沼の石渡商店の『ふかひれ凝縮スープ』を3箱注文した。数日後にクロネコで商品が届いた。この商品はすでに4回購入している。いつも3箱注文していた。届いた荷物がいつもより軽かった。開けた。1箱分の3袋しか入っていなかった。高島屋のオンラインで問い合わせた。翌日電話がきた。「もう一度一箱だったか確かめていただけますか?」 疑っているようだった。でも確かめようがない。1箱と3箱どうやって電話で相手に証明できるのか、こっちが尋ねたい。これって信号のある交差点の交通事故でよく自分の方が青信号だったと言いあうのと同じ。今はドライブレコーダーがあるが、以前はこれでもめたと聞いている。「発送元に問い合わせてみますので、わかり次第お電話します」

 次の日、高島屋オンラインショップの別の女性から電話が来た。「発送元では確かに3箱送ったそうです。」 これには返す言葉がない。新手の詐欺かと思った。高島屋の積立金ローズサークルからは、3箱分の料金がすでに引かれている。でも届いたのは1箱。これなら利益は2箱分。今回は諦めようと思い始めていた。自分が年とってきて、いろいろな事に過ちを犯しやすい。今度の事も、きっと私の老化のひとつの症状なのだろう。しかしこれは完全犯罪とも言える。3箱注文して1箱しか届かなくてもそれの証明方法がない。一方は送ったといい、他方は受け取ってないという。運んで届けてくれたクロネコにも証明できない。クロネコに中身などわかるはずもない。高島屋は大企業。出品している企業は下請けのようなもの。ただ高島屋はそのブランド力で客から注文を取り、下請けの出品業者から上前をはねる。

 3日後、高島屋から電話。「発送元で調べたところ、1箱しか発送してないとわかったので、後の2箱今日発送したそうです。ご迷惑をおかけいたしました。」でもその言葉に心を感じなかった。 最初から私は“事実無根”と訴えた。でもそれを証明できなかった。2日後、残りの2箱が届いた。中に詫び状くらい入っていると思って、開けた。ただ商品しか入っていなかった。

 贔屓力士の朝乃山の嘘は、暴かれた。でもふかひれスープの私への疑惑は完全に払しょくされたのか。一連のやり取り、商品の受け取りから、割り切れない思いが残る。信用とか信頼、慎重とか念には念を入れて作業する風土は、日本から消えたのだろうか。絶対そんなことあるはずがない。しばらく届いたふかひれスープを口にすることはないだろう。

 


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田村正和

2021年05月20日 | Weblog

 大相撲夏場所も残すところあと4日となった。いまだ勤務医として遠距離通勤している妻のために相撲を録画している。私はひいきの関取の取り組みの結果が気になるがじっと我慢する。駅へ妻を迎えに行って、帰宅してから一緒に観る。妻は晩酌しながら、ヤジを飛ばす。「元大関なんでしょう。ダメだよ引いちゃ。こんな相撲とってたら大関に戻れないよ」「キャバレーに行ったんだって。どうりで今場所あんたおかしいよ。相撲になってないよ。余計なことに気を取られているから。もう」 妻は仕事でのストレスをテレビ画面に言いたい放題して解消しているかのよう。私は舞の海のつまらない解説や北の富士や鶴竜以外の口が回らない下手な元関取の解説を聞くより、妻の興奮しているが的を得た放言を聞いているのが好き。

 ふと昼間の『徹子の部屋』で観た、今年の3月に77歳で亡くなっていた、田村正和の追悼再放送版を思い出した。田村正和が「趣味はなにもありません。散歩をしています。楽しいです。夕方になったらカミさんと食事して、ニュース番組を見て、そして寝る。健康的な毎日ですよ」田村正和の人柄に触れることができた気がした。家族のことなど私生活を一切明かさずに通した。渥美清や高倉健のいきざまと通ずる。仕事と私的生活を見事に切り離している。私はこういうタイプの俳優が好きだ。田村正和の生活が目に浮かぶようだった。

 私と田村正和、私たち夫婦と田村正和の夫婦。比べることなどできない。でも趣味もなく、散歩が好きで、夕方カミさんと一緒に食事して、テレビを観て、寝る、と聞けば私と同じじゃんと思ってしまう。田村正和の奥さんが、私の妻のように相撲を興奮して言いたい放題するかは知らない。それでも私たちとさして変わらない生活に共感をおぼえる。

 田村正和は希少な俳優だった。彼は自分が俳優になれたのは、親の坂東妻三郎の七光りであると認めていた。そのうえで独自の芸風を培った。何より私が偉いと思うのは、彼は仕事以外で絶対に食べるところを他人に見せなかったということだ。テレビでチャラチャラ芸人やにわか芸人や局アナが、大口開けて、むさぼるように喰うのは、観ていて不愉快極まりない。田村正和は、変わり者だったのかもしれない。それでも「自分は自分の人生やりきった」と言う田村正和と背筋をぴんと張った眠狂四郎の姿と決めゼリフが重なる。「冥途の土産に円月殺法、ご覧にいれよう」 合掌。

 


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梅雨の晴れ間に思うこと

2021年05月18日 | Weblog

  今年も梅雨入りした。五月晴れが続いていた。青い空の下、日課の散歩も楽しい。雨の中の散歩もそれなりに楽しめると思う。でも散歩しない。肺炎を恐れるからだ。新型コロナも肺がまずやられるらしい。雨の日はおとなしく家の中で過ごす。私の右脚の血管が狭窄している。良くなることはないらしい。現状維持のためには、運動しかない。一日最低5千歩が医師から勧められた目標歩数である。雨の日は家の中でウォーキングマシーンの上を歩く。30分歩く。でもちっとも楽しくない。私は子どもの頃から道草とよそ見の達人だと自負していた。家の中のウォーキングマシーンでは道草もよそ見もできない。テレビを観ながらでもと思うが、テレビは午前も午後もワイドショーとかいう詰まらない番組ばかり。観ていると腹がたつので、観るのをやめた。

 今朝は朝から青空が広がっていた。陽の光が気持ち良い。家の周りの木々も雨の後は緑が綺麗。雨上がりの空気の色も匂いも好き。アフリカのセネガルにいた時、日本の梅雨を懐かしんだ。セネガルは1年中雨がほとんど降らなかった。乾燥して空気も砂っぽかった。草も木も少なかった。その少ない草や木の芽や葉を家畜が競って食べつくしていた。多くの家畜がゴミとして舞ってくる、ビニール袋などを食べて腸閉塞を起こして死ぬと聞いた。日本では草は厄介者である。抜いても抜いてもまたすぐ生えてくる。私は日本に帰国して、元気にはえる草を見るたびに、セネガルのあの痩せこけた家畜に食べさせたら、どんなに喜ぶだろうと思う。

 生まれ育ち暮らす国も親を選べないのと同じで選ぶことができない。コロナ禍で1年以上普通の生活から引きはがされている。政治や行政がいけないと言う。でも彼らを選挙で選んだのは私たち国民である。故郷の長野県でも国会議員の補欠選挙があった。相変わらずただの世襲選挙であったようだ。コロナによる国難への対応が悪い。ワクチン接種が遅い。あらゆる今日本が抱える問題も、すべて私たち国民が選んだ結果である。だから私は文句や不平不満を言うのをやめた。自分に腹を立てるより、散歩で友人知人のこと、以前暮らした国のこと、出会った人々、動植物、食べ物を、得意の道草とよそ見をきっかけに思い出すほうが楽しい。そうしていると日本にも良いことがたくさんあると気づく。それが私を後押ししてくれる。私はもうどこへも行かない。日本で果てる。

 


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チョップソーイ

2021年05月14日 | Weblog

 横浜に住む姉が、今年もたくさんのスナップエンドウとサヤエンドウを送ってくれた。姉の夫は、退職してから畑を借りて家庭菜園を始めた。初めは夫婦二人で農作業をしていたが、姉が大病を患ってからは義兄が一人でやっている。季節ごとに旬の野菜をたくさん送ってくれる。

 サヤエンドウを見ると思い出すことがある。50年以上前、私がカナダの高校へ留学していた時、そこの大学院にアメリカのシアトルから来ていた日系アメリカ人一家がいた。彼らが住む結婚している学生のための宿舎に、初めて食事に誘ってもらった。日本の野菜炒めのような料理をご馳走になった。彼らはそれを「チョップソーイ」だと言った。その中に彼らがシアトルから冷凍で持ってきていたサヤエンドウが入っていた。チョップソーイの他の食材は、細かく切った牛肉以外覚えていない。サヤエンドウの印象があまりにも強かったせいだ。その緑が何とも綺麗だった。学校の食堂では朝オートミールとトースト、昼グレービーソースをかけたマッシュポテト、夜スープが主流で野菜を食べることがなかった。日本風の食材は皆無だった。彼らとは1年間しか一緒でなかった。

 その後、学校の長期休暇になると、何度もシアトルへ彼らの家に招かれた。その後私は日本に戻った。結婚して二人の子供を持った。結婚は7年間で終止符を打った。二人の子供を男手一つで育てることになった。シアトルの友人とは、ずっと連絡を取り合っていた。彼らからの申し出で下の娘を彼らに預けることにした。彼らには5人(娘4人息子1人)子供がいた。私の娘は、彼らの実の娘のように育てられた。

 娘をシアトルに訪ねると、奥さんは必ずチョップソーイを作ってくれた。私たちの関係はチョップソーイから始まったのかもしれない。ただあのカナダのチョップソーイと違ってグリーンアスパラガスが入っていた。娘が奥さんに「パパはグリーンアスパラガスが大好き」と言ったからだそうだ。もちろん彼らが菜園で育てたサヤエンドウも入っていた。

 私の薄れゆく記憶の中に、今でも、カナダで食べたチョップソーイに入っていた、鮮やかな緑色のサヤエンドウは、強烈な思い出として残っている。サヤエンドウが、シアトルの友人一家と私を結び付けてくれたのかもしれない。

 注:シアトルの友人はチョップソーイと呼んでいたが、一般にはチョップスイ(英語:chop suey)である。八宝菜に似たアメリカ式中華料理と呼ばれる料理。肉、野菜を炒めてスープを入れ、水溶き片栗粉でトロミをつける。アメリカ、カナダで中国から来て、苦力として働いていた人々が食べていたのが始まりと言われている。

 


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コロナの箱舟

2021年05月12日 | Weblog

 夢をみた。毎日あっちを向いても、こっちを向いても、コロナ、コロナの大騒ぎ。そこにワクチン予約の大混乱。寝ても脳は、コロナに翻弄されているようだ。

 もう孫たちに1年半以上会っていない。夢に孫たちが登場した。子供は、1年でも目を疑うほど成長するものだ。夢の中で孫たちは全員私より身長が大きかった。会った場所は横浜の大桟橋。孫たちはそれぞれが所属する学校単位で政府が借り上げた客船に乗り込もうとしていた。

 コロナウイルスは、変異を続け日本中、いや世界中に蔓延していた。政府はまだ感染していない日本中の児童、生徒、学生を船に乗せ海上に出して、隔離すると決めた。せめて感染していない若者を生き延びさせようとの判断だった。変異ウイルスが出るたびに、新しいワクチンを打たなければならなかった。それにも限界が見え始めていた。そこで政府は、『コロナの箱舟』と呼ぶ行動に出た。私は船が桟橋から離れてゆくのを見送った。

 目が覚めた。首の周りに汗が滲んでいた。夢だった。夢で良かった。おそらくこんな夢をみたのは、前日に国会のテレビ中継を観たからであろう。菅首相と立憲民主党の蓮舫議員とのちぐはぐ答弁には呆れた。少し前アメリカのバイデン大統領が「腕にショット(ワクチン注射)ポケットにキャッシュ(現金)」と何ともわかりやすい表現で国民に語りかけていた。私は日本の国会中継を観ていて、全身から力が抜けるように感じた。悪い夢を見ているようだった。

 寝ても覚めても、どちらにいるのか境が見当たらない。私の命はどんなに長くても後10年くらいであろう。健康寿命の調査では、73歳の男性の健康寿命は、8.84年だという。寝込むことなく何とか健康に暮らせる時間が約9年。その貴重な時間のうちの1年2ヶ月が失われた。若い孫たちの時間と比べたら、私の1年は彼らの数十年になるであろう。追い込まれるような毎日。

 4月1日に受けたカテーテル治療の術後健診を今日受ける。ステントで心臓の周りの血流が改善された。悪いことばかりではない。ワクチンの接種も近い。希望を持とう。人間の底力を信じよう。コロナの箱舟が悪い夢であって欲しい。

 


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夫婦として一緒に成長する

2021年05月10日 | Weblog

  私のアメリカワシントン州シアトルの近くのベルビューに住む友人が、かつて次のような話をしてくれた。一人の男性が家に来て、玄関で「100ドル私の会社に出資してくれませんか」と言った。友人は怪しい人と思い、申し出を断った。しかし近所に住む妹は、100ドル出資した。その100ドルは、後に20年で億を超えたという。一軒一軒シアトル近郊のエベレットの町の住民を訪ねて回ったその人こそビル・ゲイツだった。1980年頃でビル・ゲイツがまだマイクロソフト社を立ち上げる以前だった。その後1986年正式に株式を公開した。この時$1000マイクロソフト社の株を買っていれば、現在$140万の価値がある計算になる。

 これに似た話を父から聞いたことがある。上田市の隣の坂城町にある会社の創業者が自分で作った機械で製造した製品を売り歩いていた。ある日父のところにやってきて、彼の製品を買ってくれと言った。話好きの父親は、彼にお茶を出した。彼は父に自分が作った機械がどれほど将来性がある機械であるか熱心に話したという。銀行に融資を申し込んだが、断られた。だから自分でこうしてあちこち訪ねて製品を売って、工場を大きくする資金を貯めていると言ったそうだ。そして後に彼の会社は、東京証券取引所に上場するまでの会社になった。父は自分に資力があれば彼に投資しておけばよかったとも言っていた。彼に投資した簡易郵便局の局長は後にその会社の社長になった。私も一時期、この会社の研修所で海外からの研修生のための通訳として働いた。

 以前経済に詳しい知人に「金持ちになりたければ、会社を立ち上げ上場することだ。50円で発行した株が2000円になることもある。株を買っても儲けることは難しい。どんどん値が上がり続ける株は、漁船が底引き漁法で引き上げた網の中にいる、滅多に獲れない数匹の高級魚みたいなものだ。ほとんどは雑魚や海のゴミ。株で儲けられる人なんてほんの僅か。」

  知人が言っていた通りに、ビル・ゲイツはマイクロソフト社を創業、上場して14兆円もの資産を持つことができた。先日65歳のビル・ゲイツが妻のメリンダと離婚を発表した。理由は「人生の次のフェーズにおいて、夫婦として一緒に成長できるとは思えなくなった」だという。私はこのニュースをみて思った。73歳のバツイチで自称“コキゾウ”、資産はゼロに近いが妻が好きで、次のフェーズどころか、できれば永遠に一緒にいて、共に成長したいと真剣に思っている。ということは、このことって14兆円の資産を持っているビル・ゲイツ夫妻より、マシかも。なんだか大金持ちになった気分!


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最後の一段

2021年05月06日 | Weblog

  昔偉い指導者がいた。弟子が梯子で高い所で作業をした。指導者は下で弟子の作業を見ていた。作業を終えて弟子が梯子を下りてきた。最後の一段になった時、初めて指導者が口を開いた。「油断するな」

 これは小学校3年生と4年生で担任だった小宮山先生が話してくれた話だ。大学まで多くの先生に学んだが、小宮山先生の話を一番覚えている。

 連休で妻が5日間の休みを取れた。妻はすでに1回目のワクチン接種が終わっている。この妻の接種が私に大きな希望を与えてくれている。心にスキができている。どこかへ行きたい。あの店のラーメンが食べたい。ウナギもいいな。連休の中で、そうしようと思った。結果、結局5日間ずっと家にいた。車のエンジンをかけることもなかった。妻を何とか説得して外出しようとこころみた。妻が言った。「私がワクチン接種できて、あなたも今月、ワクチン接種の予約も取れた。もう先が見えてきたから、あともうちょっと我慢しよう」 私は小宮山先生のあの梯子の最後の一段の話を思い出した。妻がと小宮山先生が重なった。

 テレビのニュースであちこちの行楽地が混雑しているとか、高速道路が渋滞しているとさかんに報道していた。行楽地の人出の中や繁華街での聞き取りがあった。「こんなにたくさん人が出ているとは驚いた」 繰り返されるこの手の聞き取りに腹が立つ。なんでテレビ局は緊急事態宣言が出ている中、それを知っていて外出している人たちにマイクを向けるのか。聞き取りをするべきは、家で緊急宣言が求めている自宅に留まっている人にだろうが。報道の仕方、政府の指導力なさ、行政のいつまでも剥がれない“お上”意識。それでも一般大衆の多くが宣言を守って家に留まっている。連休明け後の数週間に感染者数が増えることが心配だ。

 小宮山先生が言う最後の一段が近いうちにやってくる。そう信じている。夜明け前が一番暗い。でも必ず夜は明ける。

 


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