団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

梅雨とワイパー

2023年05月31日 | Weblog

  先週の日曜日、車を買った販売店から電話があった。まだ定期検査をしてから間もない。まさかまたリコール。何のことはなかった。ワイパーの無料交換の期限がくるので交換したらどうかというのだ。数か月前に定期検査があった。その時ワイパーを交換したばかりだった。おそらくワイパーを交換すると店に呼んで、何とか新車を買わせようとする魂胆かもしれない。先日の検査時に交換したと言った。電話の向こうの落胆が伝わった。顧客情報の管理不足。残念でした。

 私が住むところも、去年より1週間早い梅雨入りとなった。日課の散歩をするにも、天気予報や自分の直観で決めなければならない。傘を持ち歩くが、雨脚が強ければ、散歩を諦めて、ウォーキングマシンを使う。私は梅雨の頃の散歩が好きだ。アジサイの花を散歩途中に見られるからだ。木々の葉に着く雫もいい。この辺ではあまり見られないが、池の蓮の葉の上の玉のような雫も見ていて飽きない。

 雨の日、私はできるだけ車の運転するのを避ける。歳をとって、雨の日や夜間の運転をしていて、咄嗟の判断が鈍くなったからである。雨の日の運転に、ワイパーは欠かせない。しかし私が車を運転するようになって50年以上経つが、ワイパーに進化が見られない気がする。前回の検査時、ワイパーを新品に取り替えたが、相変わらずワイパー作動時のぬぐい残しや、ワイパーとフロントガラスとの接触音は、解消されていない。

 自動車本体の進化が著しいのに対して、ワイパーの進化が見られないのは、なぜだろうと思った。ChatGPTで調べてみた。「ワイパーそのものは、1903年アメリカのメアリー・アンダーソンが考案して特許を取得した。それ以来、素材、形状が改良され効果的な雨除けが可能になった。」ずいぶん好意的な内容だと思った。私のワイパーに対する評価が厳しすぎるのかもしれない。または高級車のワイパーは、私が運転している価格の安い普及車のモノとは違って進化しているのだろうか。ワイパーがなければ、雨の日の運転は難しい。ワイパーがあるだけでも感謝しなければいけないのかもしれない。

 日本のような多雨の国では、ワイパーは必需品である。アフリカのセネガルに暮らした。車は、ホンダのシビックの中古車だった。約2年間いて、ワイパーを使ったのは、数回だけだった。雨が降らない。雨季はたった1週間。それも降り続けるのではなく、日本の夕立のよう。突然強く降っても、すぐに止んだ。ワイパーがなくても不便はないだろうと思った。

 地球全体が、異常気象に見舞われている。5月下旬になってスペインでは、ずっと雨が降らずにいて、今度は豪雨で首都のマドリッドで大きな被害が出ている。日本も台風2号が接近していて、被害が出るのではないかと、心配されている。

 自然は、決して人間の都合で変わらない。それなのに人間は、自然を傷めつけてきている。戦争や核実験やミサイルを打っている時代ではない。手遅れになる前に、自然との共存を模索しなければならない。

 自然の反撃か。現状のワイパーではとても対処できない、豪雨や大粒のヒョウがあちこちで降る。進化していないと思えるワイパーで何とかしのげる時代が、この先も続いていって欲しいと願う。


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長野県中野市猟銃立てこもり事件

2023年05月29日 | Weblog

  歩くことに関する興味深い論文がある。この論文は、英国で発表されたものだ。待つのは仕事で、散歩は日課とする私を力づける論文となった。

 論文は、英国で40歳から79歳までの成人約8万人を7年間調査した。1万歩までは、歩けば歩くほど健康になるとある。私は、1日5千歩を目標としている。1日1万歩までなら、歩けば歩くほど健康になるという。しかし1万歩以上歩いても、効果が上がらなかった。時間は、1日2時間程度で時速3.4キロぐらいの速度で歩くのが理想。私は、毎日小1時間歩いている。雨の日は、家のウォーキングマシンで30分間歩くようにしている。ウォーキングマシンは、速度調節ができる。歩いた距離も表示される。論文が示す理想的な歩くスピード時速3.5キロや歩幅70センチもしくは80センチは、私には出せない数字だ。それでも論文には、1万歩歩かなくても、2000歩ごとに死亡リスクを下げるとある。

  私は、65歳まで1日1万歩を目標にしていた。それでも心臓の血管の狭窄が進んだ。カテーテル手術で心臓の血管3カ所にステントを入れた。去年、下腹部と脚にも狭窄が見つかって、2回入院してステント治療を受けた。脚のステントを入れてから、歩くのがずい分楽になった。1万歩を5千歩に目標を下げたが、自分では歳には勝てないと諦めていた。英国の論文によって、何か科学的な裏付けされたようで、俄然元気が出た。

  散歩をしている人は多い。長く続けていると出会う人々は、大体同じでなる。顔見知りになっても、言葉を交わすようになった人は、ひとりもいない。中には、「おはようございます」と挨拶してくる人もいる。私も挨拶にされれば、答えるようにしている。時が進むにつれて、顔見知りの人がいつしか会わなくなる。病気かな、引越ししたのかな、と思うが、調べる術はない。

 5月25日、長野県中野市で男が猟銃を持って住宅に立てこもった事件が起こった。最初、事件の全貌が分からず、なんでこんなことが日本、それも地方で起こるのかと思った。犯人は、翌26日午前4時頃、逮捕された。日が経つにつれて犯行の詳細が報道されるようになった。殺されたのは4人。警官が2人、女性が2人。

  私は、この女性2人が、犯人とどういう関係なのか知りたかったが、報道の中にそれを見つけられなかった。28日の朝、ニュースで防犯カメラの映像が映された。殺された女性2人は、散歩中だったという。2人は、ほぼ毎日同じコースを同じ時間に散歩していた。犯人は、その2人が自分の悪口を言ったと思ったらしい。同じ時間に同じ場所を通る2人を待ち伏せて、殺害した。

  事件の全容は、これからはっきりしてくるであろう。私にはどうしても悪口から殺人につながることが理解できない。確かに田舎には、都会にない人間関係のしがらみが多い。村八分という言葉があるように、目に見えない、真綿で首を絞めるような陰湿さが、旧態依然にヘドロのように残っている地域もあるであろう。人によって物事の捉え方が違う。私にとって大したことでなくても、相手には大変なこともある。過去に私も、不注意な発言で、他の人を傷つけていたかもしれない。人の口には戸が立てられない。過去の発言は、取り消せない。この先、口にする言葉に気をつけたい。

  今朝も妻と散歩した。テレビで観た殺された女性のひとりが、上下に腕を振って、隣の女性と何か話しながら散歩していた姿と、散歩の途中、すれ違った被害者と同年代の女性2人の散歩する人が重なった。


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土葬

2023年05月25日 | Weblog

  妻の父親は、私に普通に接してくれた。バツイチの私に、そのことで私に嫌な思いをさせたことは一度もなかった。再婚が決まった後、前の結婚相手の父親から彼に手紙が来た。私への恨みつらみが書いてあった。それでも彼は、手紙を無視してくれた。温泉に一緒に行った時、風呂で彼の背中を洗った。彼はぼそっと「娘をよろしく」と言った。

 妻の父親と何回か散歩した。亡くなる前まで病気ひとつせず、病院へ行くこともなかった。70歳を超えていたが、飼い犬を連れて田んぼのあぜ道を、軽快に走っていたほどだった。ある日散歩中に「死ぬのは恐くないが、焼き場で焼かれるのが熱いのでそれが心配」と私に言った。その後病気になって、回復することなく病院で亡くなった。葬式の後、火葬場で荼毘にふされた。私は火葬の釜の炎を目にして、バーナーの轟音を耳にして、義父は熱がっているのではと思うと、泣けた。

 その後、私は、なぜ日本では皆火葬にしなければならないのか疑問に思って、調べた。日本は世界でも稀にみる火葬大国だそうだ。亡くなった人の99.99%が火葬されるという。火葬しなければならないという法律はない。国でなく地方自治体の条例によって、火葬は、遺族の同意がある場合にのみ行われる、とある。火葬がこれほど一般的なのは、他の理由がある。まず墓地。日本の国土は狭い。土葬するためには、広い墓地が必要となる。宗教上の問題もある。仏教では、火葬(仏教では荼毘のこと)は、死者の解放、解脱、涅槃のための儀式である。おそらくこの仏教的な考え方を多くの日本人が受け入れているようだ。

 ネパールのカトマンズにかつて住んだ。よくインドやネパールへ行くと人生感が変わるという。私も変わった。私は、バグマティ川の対岸からパシュパティナートと呼ばれるヒンズー教の火葬場を見た。人が火葬される。火葬された遺体がバグマティ川に流される。近くでヒンズー教徒が聖なる川バグマティで沐浴している。下流には多くの子どもたちが、川に潜って遺品を探していた。死は、私にとって未知の恐怖でしかなかった。何回かパシュパティナートに行って川の淵に座った。坐禅のようにその光景を眺めた。ヒンズー教徒の死生感に学ぶことがあった。死への恐怖がだいぶ和らいだ。

 イスラム教の国々にも暮らした。葬式も見た。イスラム教で火葬は認められていない。埋葬には、細かい教義がある。死後24時間以内に埋葬すること。死者はキファーヤに包まれる。男性は3枚。女性は5枚。遺体は地中に水平に置かれ、頭部はメッカに向けられなければならない。

 先日、妻が墓に関する資料のコピーを渡してくれた。2か所の寺だった。1カ所は樹木葬。もう1カ所は夫婦一代・永代供養墓。私は夫婦一代という言葉に魅かれた。夫婦で墓に13回忌法要まで埋葬され、その後は合同墓所に合祀される。費用は夫婦で約百万円。

 妻は嫌がるが、最近、私が死を迎える準備の話をすることが多い。嫌でも準備を進めたい。

 昨日、今年初めて、昼食に冷やしラーメンを作って食べた。美味かった。あまりに美味くて涙が出そうだった。幸せを感じた。生きているからこそ、美味いと感じる。土葬でも火葬でも、どっちでもいいと思った。ささやかな幸せを感謝して大事に余生を生きたい。


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ジャニーズ性加害問題

2023年05月23日 | Weblog

 私が中学生だった時、ある日音楽の教師から誘われて、中学校の当直室に泊まることになった。他にも3人の中学生がいた。全員クラスも学年も違った。懐中電灯を持って、みんなでワイワイガヤガヤ、校舎内の見回りをした。お化けが出るなどと言いながら、暗闇の教室は、昼間の教室と違い、好奇心をかきたてた。見回りを終わって、宿直室に戻って、布団を敷いて寝た。夜中、私の体の上に音楽教師が、覆いかぶさっていた。耳元で「気持ちいいことをしよう」とささやいた。タバコ臭い音楽教師の息と普段と全く違う目つきに恐怖を覚えた。私は、音楽教師をはねのけ、一目散に宿直室から家に逃げ帰った。服がどうだったとか、裸足だったとか、中学校から30分かかる家まで、どう帰ったのか記憶がない。

 消したい記憶である。あれから70年以上経った。今でも音楽教師の目と息のニオイが、よみがえる時がある。最近ニュースでジャニーズ性加害問題が取り上げられている。この類のニュースは、私の中学校の宿直室でのあの一件を思い出させる。

 私がのこのこ宿直室へ出かけて行ったのは、ある種の打算だった。音楽教師は、期末テストの音楽の問題を小出しに漏らすのだ。何回かいい思いをさせてもらった。1点でも期末テスト9科目の総合点を増やしたかった頃である。悪いとは思っていたが、音楽教師に贔屓にされていると錯覚して、調子にのっていた。ある種の優越感のような感覚もあった。

 今になって思うことは、あの晩の出来事は、そく父親に告げるべきだった。私と違って父親は、熱血漢で、誰にでも言いたいことを言える人だった。父に話せば、父は、あの音楽教師に対して、父なりの落とし前をつけたであろう。それをしなかったことで、音楽教師の犠牲になった生徒がいたに違いない。私が黙っていたことが、あのような音楽教師を野放しにしてしまったと後悔する。

 21日朝、テレビ朝日の『Sunday Live』のはじめに、司会のジャニーズ事務所所属の東山紀之さんが「…今回の喜多川氏に対する元Jr.たちの勇気ある告白は、真摯(しんし)に受け止めねばなりません。実際に被害を訴えられていることは切実で、残念でなりません。未成年に与えた心の傷、人生への影響は計り知れません…」とコメントをのべた。

 現在のテレビをはじめとした芸能界では、ジャニーズ事務所と吉本興業が絶対的な力を持っている。広告界の電通のようだ。性被害を告白している元ジャニーズのタレントは、以前から故ジャニー・喜多川氏からの性被害を訴えていたが、マスコミは、どこもこの問題を取り上げることはなかった。

 日本の政界にも宗教界にも“聖域”がある。どうやら芸能界にもあるらしい。しかしどんなに堅固そうな聖域でも、河川の堤防に小さな水漏れからやがて堤防が決壊するように、真実がいつかは聖域を崩し始めるであろう。

 私は、もしあの時、音楽教師に言われた「気持ちいいことを…」をされていたら、その後の人生は、激変していたであろう。一方的な「気持ちいいこと」は、犯罪である。「気持ちいいこと」は、お互いの合意があってこそ許される。

 この事件も、うやむやにされるだろう。でも聖域の土手に小さな穴が穿ったことは、間違いない。


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エンゼルスの新しい兜

2023年05月19日 | Weblog

  朝は大リーグの大谷選手が出場する野球。夜は、録画しておいて妻と観る大相撲。今は、毎日が楽しい。

  大相撲は、十両の落合が快進撃の5連勝。私の好きなゴリラのシルバーバックのような体型に惚れ惚れする。早く横綱になって欲しい力士だ。再入幕の朝乃山も応援している。私が贔屓する宇良、貴景勝、明生、豊昇龍も頑張っている。ただ貴景勝の膝が心配。あと解説の北の富士がなく、嫌いな舞の海が偉そうな解説をしているのが気に障る。妻と酒を飲みながら、言いたい放題の観戦は楽しい。

  大谷選手の出る試合は、NHKBSで実況中継してくれる。アメリカで行われておる野球を日本で同時中継される。夢のような話である。連戦連戦で疲れているふうにも感じるが、今朝も10号ホームランを打って、私を喜ばせてくれた。ただ未だにあの危険な鍬形付きの兜を使っているのが気になった。

  今朝のYAHOOニュースで目を引いたニュースがあった。『大谷翔平選手の所属する大リーグ・エンゼルスへ日本製の兜を提供した・甲冑制作会社「サムライストア」(本社・横浜市)は18日、より安全に使用できる新しい兜を球団に送ったことを発表した。……現在、エ軍が使用している兜は鍬形の先端がとがっていることから、本塁打を放って興奮している選手らがハイタッチした際、ケガをする恐れがあると危惧されていた。……。』YAHOOニュース 5月18日(木)19:16

  私は、兜の鍬形で選手がケガをしたらと、危惧した一人だ。今や世界の大谷選手である。私のような者が何か意見しても、彼に届くはずがない。今、多くのスポーツ選手や芸能人が問題を起こして、活躍の場を失っている。西武の山川選手もその一人。私は、大谷選手に物申せるのは、岩手に住む大谷選手の両親しかいないと思った。そこで岩手県の岩手日報の投書欄『声』に投書した。ダメ元の気持ちで書いて送った。4月13日に私の投書が掲載された。私は、「…あの兜をもっと安全な金属製でなく、柔らかな紙か布に替えるよう、大谷選手に言えるのは、彼の両親しかいない。…」と書いた。しかし新聞に載った文章に「…両親しかいない…」は、削除されていた。でも岩手日報は、拒むことなく私の声を載せてくれた。

  その後、何の反応も変化もなかった。相変わらずエンゼルスでは、ホームランを打った出打者に危険な兜を被せていた。そして18日にYAHOOのニュースで、日本の甲冑制作販売会社の「サムライストア」が安全を考慮した新しい兜をエンゼルスに送ったことを知った。私は嬉しかった。そして私以外にも危険性を危惧した人達がいたことを知った。

  まだエンゼルスは、新しい兜を使っていない。またエンゼルスを応援する楽しみが増えた。安全性さえ確保されれば、日本の兜の知名度が上がることは、大歓迎である。大谷翔平選手がこれから何回も兜を頭に乗せられますように!


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激突Ⅱ

2023年05月17日 | Weblog

  火曜日午前11時30分の予約で歯医者に行った。入り口で杖を使う老婆と鉢合わせになった。私は、ドアを開けて、老婆を先に通した。老婆が「ありがとうございます」と曲がった腰を更に折り曲げて言った。ドアのすぐ傍にエレベーターがある。老婆は、「今日は3階だったかな」と言いながらボタンを押した。エレベーターのドアが開いた。老婆が「乗りませんか?」と私に尋ねた。いつもはエレベーターを使うのだが、私は「けっこうです。階段で…」まで言うと、エレベーターのドアが閉まっていた。75歳になっても、あいかわらずのエエカッコシイの自分に呆れた。

 歯医者のビルは、4階建て。私は、2階の受付に行こうと手すりを伝って階段を登り始めた。踊り場に足を踏み入れると同時に、上から人が転がり落ちて来た。人が踊り場の壁に頭から激突した。おじいさんだった。壁が大きく凹んでいた。「大丈夫ですか?」と私はおじいさんに聞いた。おじいさんは、少しふらついていたが、「足滑らせた」と言って床に座り込んだ。私は、すぐに2階に行って、受付の女性に「階段でおじいさんが落ちました」と伝えた。すぐに看護師や歯医者が3人で現場に行った。私も心配だったので2階から様子を見ていた。

 「救急車呼びましょうか」と看護師が、おじいさんに聞くと、「大丈夫です」とおじいさんは立ち上がった。小柄な人だった。もともと足が弱っているらしく、少しふらついていた。歯医者がおじいさんの頭を調べた。血は出ていなかった。おじいさんは、何もなかったように踊り場から階段を降りて行った。看護師と歯医者も2階に戻った。頭を強打すると、後で脳内出血していて、大事になると聞いたことがある。何事もなければいいのだがと思いつつ、私は、受付に診察券を出した。

 老婆とかおじいさんと私は言うが、私自身正真正銘の後期高齢者である。脚が弱くなって、つまずく、階段で足を踏み外しそうになる。住む集合住宅の階段で転倒しそうになって壁に手をついた。壁に細かい石が塗り込まれている。石英のような硬い石なので、それで手が傷だらけになって、出血した。その日を境に、階段は必ず手すりを使うことを決めた。もうエエカッコシイは卒業。爺さんは、爺さんらしく。エレベーターがあるところでは、必ずエレベーターを使う。住む部屋は、集合住宅の2階である。他の住民の目を気にして、できるだけエレベーターは使わなかった。でも考えれば、集合住宅なのでエレベーターの費用などは、共益費で均等負担なので、遠慮することはない。やっと堂々と1階だけでもエレベーターを使うことができるようになった。階段から転げ落ちて大怪我するよりは、転ばぬ先の杖とすると決めた。

 歯医者の階段から落ちたおじいさんも、自分の意識では、こんな階段、なにするものぞと降り始めたに違いない。ところが老化は、認識と肉体の乖離だ。目で見ていることに、体が適切に反応できない。

 歯医者からの帰り道、駅の前の横断歩道で老婆が、たった数センチの段差を時間をかけて、つま先でその段差を確かめながら渡ろうとしているのを見た。その慎重さが美しく見えた。


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激突

2023年05月15日 | Weblog

  週末金曜日土曜日日曜日の3日間、妻は、所属する学会に出席した。毎年、学会が日本の各地で開催される。私も妻の学会を楽しみにしている。妻に同行して、観光できるからだ。しかし今年は、東京が会場なので、私は、家で留守番。

 金曜日の夕方、いつものように帰りの電車の到着時間をメールで連絡してきた。普段より3時間ほど早かった。妻は、学会の会場で、はめごろしのガラスにぶつかったとメールに書いて来た。心配になった。妻は、けっこうおっちょこちょいなところがある。

 もう何十年も前、私がまだ上田に住んでいた時、ある会社の建物の新築パーティがあった。そこで地元新聞の社長が、玄関のはめごろしのガラスにぶつかった。70歳を過ぎていたその社長は、パーティで酒を飲んだ。その新築された建物の玄関は、総ガラス張りだった。ドアもガラス、周りの壁にあたる場所もガラス。普段から年齢のせいか、歩きがふらつき気味だった。私にもどこがドアでどこが壁なのか分からなかった。その社長は、ドアでなく、はめごろしのガラスに激突した。ガラスは、強化ガラスだったので、割れなかった。社長のおでこから血が出ていた。社長は、その場で気を失って倒れた。たまたま近くに居た私が、会社の人に知らせ、救急車を呼んだ。怪我は大したことがなく、その社長は、じきに元気になった。

 私は、はめごろしのガラスにぶつかったことはないが、ぶつかりそうになったことは数回ある。不注意もあるが、ガラスの透明さに錯覚を起こすのも原因である。最近、危険と思われるガラスには、注意書きや、わざとデザインされた飾りシールを貼ってあることが多い。キレイに磨かれたガラスは、透明性が高く、そこにガラスがあると認識できないこともある。妻は、学会での講義を聞き終え、玄関にエレベーターで降りてきた。エレベーターを降りると目の前に壁があった。左側は建物の外が見えた。右側は、壁に沿って建物の中に入っていくように感じた。外に出る、という思いと、目に映った道路の景色が、そこにはめごろしのガラスがあるかもしれないという、警戒心を解いてしまった。激突。妻は、頬と顎を打った。かけていた眼鏡のフレームが歪んでいた。

 迎えに出た駅の改札から、妻が出てきた。私は、家に戻る前に、妻をメガネ屋に連れて行こうと思った。車のドアを開けるやいなや、妻が「メガネ屋に連れて行って」と、私の言おうとしていたことを先に言った。私は、自分以外の人に先を越されると、へこむ。でも意外と元気な妻にほっとした。メガネは、直せる。怪我をしたり、脳震盪を起こせば、大変だ。メガネ屋でフレームのゆがみを直してもらった。「私のメガネは、遠近両用なので、フレームが歪んだままだと、よく見えなくなるの。直って良かった」 元気を取り戻したようだった。

 ChatGPTに尋ねてみた。質問:「会議会場で、はめごろしのガラスにぶつかった場合、建物の持主に管理責任がありますか?」 答:「私は法律の専門家ではありませんが…建物の持主には一定の管理責任がある可能性があります。…」

 一応、学会が開催された会場の運営会社に、妻の件を報告する手紙を書くことにした。妻の他にも同じことをしてしまう人が出るやもしれないので。私の上田での経験が、私を後押しした。見た目や透明でキレイも良いが、安全は、もっと大事だ。


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銀行口座ブロック

2023年05月11日 | Weblog

  5月は、税金を多く払う月である。固定資産税、自動車税など。そのため銀行のATMで記帳する機会が増える。

 私は、朝4時に起きる。まずパソコンでニュースをみる。今一番気がかりなのは、ロシアや北朝鮮が原子爆弾を使うことと中国が台湾に侵攻すること。その兆候がまだないと分かるとメールを開ける。毎日数十通はきている。8日の朝、メールを選り分けていると、「横浜銀行」からのものがあった。今まで一度も横浜銀行からメールを受け取ったことはない。横浜銀行は、私の年金受領のための口座でしか使っていない。

 「いつも横浜銀行をご利用いただきありがとうございます。別の国からの誰かによるあなたのアカウントへのログインの試みが検出されたため、あなたのアカウントはセキュリティポリシーによってブロックされました。……アカウントへの金銭的損失を防ぐため、下記URLから専用サイトにアクセスいただきご本人確認してください……」 怪しい、と思った。すぐgoogleで「横浜銀行 偽メール」と検索。まず差出人の項【<info@boy.co.jp>】とあれば、横浜銀行からのメールだとあった。それを鵜呑みにして「本人確認」をクリックした。そのページは開かなかった。

 私は、そのメールを印刷した。起きて来た妻には何も言わなかった。妻は、常に私が偽メールやフィッシング詐欺に引っかかることを心配している。まずは横浜銀行の窓口へ行って相談しようと思っていた。妻を駅に送った。9時に銀行へ行った。ホールにいた男性の案内係にコピーを見せた。男性は、コピーを持ってカンターの中に入っていった。戻ってきて「どうぞこちらへ」とブースの中に案内された。私の後ろで同じ案内係に私と同年代の男性が、「こういうメールが来たのですが…」と言った。

 ブースに座った。出て来たのは店長だった。私のコピーを手に持っていた。「大変ご迷惑をおかけしています。ただいまお客様と同じ様に…」 これは偽メールと断言した。私は、尋ねた。「『<info@boy.co.jp >』は、調べたら横浜銀行のものとありましたが。」 「そうですが、そこまで巧妙に偽メールを作ってしまうのです」

 話を聞いて、銀行にも、このような悪質なフィッシング詐欺を防ぐ手立てはないとわかった。自分で気をつけるしかない。幸い、今回私は「本人確認」を押してしまったが、何とか情報を渡すことは、防げた。

 今になって考えれば、メールの日本語は変だった。「…別の国からの誰かによる…」ここで私は気づけたはず。油断ならない。年齢を重ねるごとに、ボケミスが増える。

 ニュースでは、強盗や殺人が多い。日本は治安のよい国だったはず。我が家も防犯対策をしている。しかしドアや窓だけでなく、ネットを通じてさえ、悪者が盗もうと悪知恵を駆使して挑みかかる。

 正直、どうしたらよいのかわからない。不安。でも知恵を絞って、対応しなければ。負けられない戦いである。


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五月連休

2023年05月09日 | Weblog

  妻の職場は、3日の憲法記念日から5日間の連休となった。私は、どこかへ列車に乗って出かけたい。でも妻は、せめて休みぐらい電車に乗らずに、家でのんびりしたいという。二人が真逆の考えで、連休前に5日間の計画を立てた。

 3日、孫のサッカーの高校インターハイの都の予選が、あるかもしれないので空けておいた。しかし4月30日の試合で同点のPK戦、2-3で負けたので3日の応援は無しになった。

  4日、近くに住む友人夫妻のバーベキューパーティーに招待されていた。天気予報で、天気が良くないと言っていたが、快晴だった。風が強かったが、まさにバーベキューに最高の天気だった。このバーベキューは、3年前から計画されていた。3年待ったかいがあった。長く待ったのが原因か、妻はすっかり深酒した。でも楽しく美味しい肉や野菜を堪能した。コロナがなければ、きっとすでに何回もこういう機会があったに違いない。私たちが住む集合住宅は、ベランダでのバーベキューは、禁止されている。友人夫妻は、畑の中にある戸建てに住んでいて、隣近所に気兼ねなくバーベキューを楽しめた。

 5日、高校の同級生の夫妻を訪ねた。駅で待ち合わせた。この友人夫妻と以前会う約束をしていたが、前日に友人の歯に問題が発生して、急遽中止になっていた。その間に私も上の前歯4本を抜歯して、2週間もの間、人前に出られる状態でなかった。やっと仮の入れ歯も安定してきた。友人の長女も里帰りしていて、一緒だった。蟹のレストランに予約を取ってもらってあって、そこで積もった話をしながら、昼食を楽しんだ。その後、彼らの家に招かれお茶をいただいた。楽しい時間は、過ぎるのが早い。

 6日、同じ集合住宅に住む友人夫妻を夕食に招いていた。その準備で妻と朝から台所で準備をした。妻は、優秀な助手だが、時々大失敗をする。私が調理に没頭している傍らで、「これ捨てていい?」とか「これもう洗っていい?」と声をかける。私は、見もせず確かめもせず、適当に「うん」とか「ああ」と答える。4,5時間かけて煮詰めて作ったソースをこうして流され、あらわれてしまった事が数回あった。今回も危ないこともあったが、何とか無事に準備ができた。夜、4人で楽しく、話し飲み食べた。

 7日(日曜日)、朝から雨。月曜日から妻は、また仕事。ゆっくり休むことにした。雨のお陰で、家で静かに過ごすことができた。

  連休5日の内、3日は友人夫妻との交流ができた。ちまたでは、『取り戻し作戦』とかで、コロナによって奪われた時間を取り戻そうと、海外旅行や国内旅行に出かける人が激増し、いたるところで渋滞や混雑が発生していた。私たち夫婦も『取り戻し作戦』のように、コロナで自由に交流できなかった友人たちと、近くで再会することができた。

  長い休みの後、週末2日間の休みでも、妻は、必ず「休みはすぐ終わる」という。私は、妻には申し訳ないが、毎日が休みのようなもの。散歩が日課で、待つのが仕事。8日でコロナの規制が、大方解けた。でも私は、待つ。もうコロナは心配がない、と言われるまで待つ。待つのは、私の仕事だから。


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キャッチャーミット

2023年05月01日 | Weblog

 5月1日月曜日、妻は、平常勤務なので、いつもの通り朝5時に起きた。目覚まし時計が鳴り、2重の寝過ごし防止のためのラジオのニッポン放送『上柳昌彦のあさぼらけ』が始まる。番組の初めに上柳さんが「エンジェルスの大谷選手が7号ホームランを打ちました。17連戦ですよ…」と話した。えっ、大谷また打ったの!大谷翔平選手は、投げて、打って、走る。あの一つの国の中で時差があるアメリカで西海岸、中部内陸、東海岸と試合が続く。いったい彼の体力は、どれほど強靭なのか。

 私は、夜あまりテレビを観ることができない。目が疲れやすい。その分、朝は目もしっかりしている。アメリカの大リーグの実況中継は、私にとって都合が良い。大相撲と大谷選手が所属するエンジェルスの試合が、楽しみである。

 特に大谷選手が、投手として登板する朝は、放送を見逃せない。大谷選手の投球を受け止めるのは、捕手である。大谷選手は、日本最速165キロを記録した。ちなみに世界最速の記録は、アロルディス・チャップマン投手の169.1キロである。そんな早いボールを投げることができる投手も凄いが、そのボールを受ける捕手も凄いと、いつも感心する。速球だけではない。大谷選手は、変化球も半端なく曲がり、落ちる。いったい捕手は、どうやってあれほどの速球や変化球をキャッチャーミットに納めることができるのか。

 私が中学生になった時、迷わずクラブは、野球クラブに入った。父は、私にキャッチャーミットを買ってくれた。団塊世代の先頭だった新入部員は、90名を越していた。練習で1年生は、外野に数メートル間隔で並び、その列は校庭をぐるっと回るほどだった。上級生は、何かにつけて「うさぎ跳び、校庭1周」「腕立て伏せ100回」と1年生に厳しかった。時間が経つにつれ、私は自分に野球の才能もなく、このままクラブに所属していても、正選手にはなれないと悟った。父に黙って退部した。父は、野球が好きで、市内の職業人チームで選手としても活躍した。そしてのちにチームの監督として何回もチームを優勝に導いた。その父は、4人子供はいたが、息子はひとりだった。その私に過度の期待をしていた。しかし、どういうことか、我が家では、姉妹3人は、運動神経が良かったが、男の私は、まったく運動に才能が見いだされなかった。まわりには、才能にも体格にも体力的にも優れた生徒がいた。3年生になって、投手としては石澤君、捕手は小山君などが残って活躍していた。結局、私のキャッチャーミットは、実戦で使われることはなかった。

 エンジェルスの試合をテレビ中継で観るたびに、私は、中学時代のことを思い出す。父がなぜ私にキャッチャーミットを買い与えたのか、一度も尋ねないうちに、父は亡くなった。大谷選手が、160キロ代のボールを投げたり、50センチは、落ちたり曲がったりするボールを目で追う。私は、そのボールを捕手が、受け止めるたびに、凄いなと思う。どんなに優れた投手であっても、野球は、一人では勝てない。チーム一丸となって戦う。そこが野球の面白さだ。自分が野球の世界に足を少しだが、踏み入れたことで、今、ドキドキワクワクして、大谷選手は凄いと自分と比較して楽しんでいる。凡人としては、これで良いのだと、実感する。凡人だからこそ、優れた人を褒め称えることができるのだから。


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