先週の日曜日、車を買った販売店から電話があった。まだ定期検査をしてから間もない。まさかまたリコール。何のことはなかった。ワイパーの無料交換の期限がくるので交換したらどうかというのだ。数か月前に定期検査があった。その時ワイパーを交換したばかりだった。おそらくワイパーを交換すると店に呼んで、何とか新車を買わせようとする魂胆かもしれない。先日の検査時に交換したと言った。電話の向こうの落胆が伝わった。顧客情報の管理不足。残念でした。
私が住むところも、去年より1週間早い梅雨入りとなった。日課の散歩をするにも、天気予報や自分の直観で決めなければならない。傘を持ち歩くが、雨脚が強ければ、散歩を諦めて、ウォーキングマシンを使う。私は梅雨の頃の散歩が好きだ。アジサイの花を散歩途中に見られるからだ。木々の葉に着く雫もいい。この辺ではあまり見られないが、池の蓮の葉の上の玉のような雫も見ていて飽きない。
雨の日、私はできるだけ車の運転するのを避ける。歳をとって、雨の日や夜間の運転をしていて、咄嗟の判断が鈍くなったからである。雨の日の運転に、ワイパーは欠かせない。しかし私が車を運転するようになって50年以上経つが、ワイパーに進化が見られない気がする。前回の検査時、ワイパーを新品に取り替えたが、相変わらずワイパー作動時のぬぐい残しや、ワイパーとフロントガラスとの接触音は、解消されていない。
自動車本体の進化が著しいのに対して、ワイパーの進化が見られないのは、なぜだろうと思った。ChatGPTで調べてみた。「ワイパーそのものは、1903年アメリカのメアリー・アンダーソンが考案して特許を取得した。それ以来、素材、形状が改良され効果的な雨除けが可能になった。」ずいぶん好意的な内容だと思った。私のワイパーに対する評価が厳しすぎるのかもしれない。または高級車のワイパーは、私が運転している価格の安い普及車のモノとは違って進化しているのだろうか。ワイパーがなければ、雨の日の運転は難しい。ワイパーがあるだけでも感謝しなければいけないのかもしれない。
日本のような多雨の国では、ワイパーは必需品である。アフリカのセネガルに暮らした。車は、ホンダのシビックの中古車だった。約2年間いて、ワイパーを使ったのは、数回だけだった。雨が降らない。雨季はたった1週間。それも降り続けるのではなく、日本の夕立のよう。突然強く降っても、すぐに止んだ。ワイパーがなくても不便はないだろうと思った。
地球全体が、異常気象に見舞われている。5月下旬になってスペインでは、ずっと雨が降らずにいて、今度は豪雨で首都のマドリッドで大きな被害が出ている。日本も台風2号が接近していて、被害が出るのではないかと、心配されている。
自然は、決して人間の都合で変わらない。それなのに人間は、自然を傷めつけてきている。戦争や核実験やミサイルを打っている時代ではない。手遅れになる前に、自然との共存を模索しなければならない。
自然の反撃か。現状のワイパーではとても対処できない、豪雨や大粒のヒョウがあちこちで降る。進化していないと思えるワイパーで何とかしのげる時代が、この先も続いていって欲しいと願う。