いつもの宅急便のお兄さんが「長野県からブドウが届きました。ここにハンコお願いします」と言った。毎年ブドウの最終出荷が終わるころの定期便となった。小包の箱を開けるとブドウが6房1房1房白いクッション材のお包みに入れられていた。ブドウの上にあいさつ状が置かれている。「秋も深まって山々の紅葉が美しい頃になりました。今年もたくさんのぶどうをおつかいいただきましたありがとうございました。天気もよくぶじに収穫を終えることができました。母は今年83才になり、立ってぶどうの袋をとめたりすることがたいへんになってきましたが、片手をぶどう棚につかまりながら、大すきなぶどうづくりを続けています。最後にとれたすこしばかりのぶどうですが、召し上がっていただけたらうれしいです。ありがとうございました。こばやしぶどう園一同」
目に浮かぶ。83歳の小林すみいさんが“片手をぶどう棚につかまりながら”作業する姿。私は自分をなさけない人間だと思う。69歳で“もう終わりだ”“限界だ”と口にする。
私がどうしようもない人だとダメ押しするテレビ番組が2つあった。一つはテレビ東京『世界ニッポン行きたい人応援団』の10月27日放送の“しいたけ”をアメリカで栽培する男性が大分県豊後大野市のしいたけ栽培農家を訪ねたもの。農林水産大臣賞を17回受賞した名人小野九洲男さん80歳である。もう一つは10月28日金曜日のやはりテレビ東京の『ニホンのミカタ』だった。“仕入れ”をテーマに松茸採りの名人長野県伊那市の藤原儀兵衛さん78歳が紹介された。
小林さん、小野さん、藤原さんに共通しているのは、みな高齢者であることと、それぞれがブドウ、シイタケ、マツタケが好きだということだ。好きだから苦労な作業もただ黙々とする。ブドウとマツタケは年間で収穫期は1ヵ月ほどである。その1ヵ月のために11ヵ月の過酷な労働が必要となる。番組は普段私たちが目にできない重労働の詳細を見せた。シイタケは人工栽培なので収穫期は年数回あるらしい。だが重労働に変わりはない。ブドウもシイタケもマツタケも放っておけば採れるのではない。収穫は誰にとっても喜びの時である。それもつかの間、来年はもっと良いものをと思い準備に取り掛かる。その連続が生産者を生かす原動力のようだ。ぶどう棚に手をつきながら作業する小林さんの姿を思い浮かべて胸が締め付けられる。
私にできることは何だろうかと考えた。肉体的に現場へ行って手伝うことは不可能である。私は友人知人に毎年ブドウを小林ぶどう園から送ってもらうことにした。海外に住んでいる時も妻の妹さんに頼んで友人知人に巨峰を贈ることを始めた。すでに20年続けてきた。今年も多くの人たちから喜ばれた。私ができることはこれだけだ。生産者採取者は収穫して販売して利益を上げなければならない。購入することも応援になる。そう思って私は自分を正当化する。
妻も毎日仕事から相当なストレスを受けている。私にそれを癒すすべがない。帰宅して夕食後、見事なシャインマスカットをテーブルに出し、小林さんがどのようにこれを育てたかを話した。妻は一粒のシャインマスカットを手に取って、じっと見つめた。まるでそこに小林さんがいるように。