団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

餃子・焼売・雲吞・水餃子

2020年05月29日 | Weblog

  妻が土日祭日ではない週日にも飛び石、もしくは連休のように家にいることが多い。会社を定年退職した後も、再就職して長く働いていた友人が言っていた。「通勤も習慣化するのか、本人はさほど苦に思わないものだよ」 妻はその友人の言葉に同意していた。昨日散歩途中に「Nさん通勤は習慣になっているから続けられるって言っていたけれど、本当だと痛感してる。こんな勤務状態が続くと何か遠距離通勤続けられるか自信なくなる気がする」

 普段、外に出て働く妻を羨ましく思っている。しかし通勤も習慣化によって継続できるのと同じで、家に残って一人で過ごすのも習慣化できる。土日祭日を妻と過ごすことは、楽しい。その循環が狂ってしまうと、生活のリズムが失われる。この家に二人以外の人の出入りがなくなった。また友人宅に招かれることもなくなった。いかに私たちの生活の中で友人たちとの交遊が大きな要素であったか思い知らされる。加えて同じ集合住宅に住んでいた友人夫妻が、引っ越していった。同じ屋根の下に暮らしているという“遠くの親戚より近くの他人”以上の良い関係だった。恋人と別れたような喪失感と寂しさが消えない。

 友人たちとの交遊が無くなって、まず料理時間が極端に減った。食材も二人の好きな物だけになった。友人を招くときは、その友人が、どんな料理を喜んでくれるかを考えてまず献立をつくる。それから食材の調達。ネットで注文したり、築地や横浜のデパートに出かけたりもする。我が家のエンゲル係数は、うなぎ登り。でも私たち夫婦は、これが我が人生と受け入れていた。エンゲル係数はグ~ンと下がった。私たちの幸せ度数も後を追って下がっている。

 新型コロナウイルス緊急事態宣言以来、私たちの生活は、13年間にわたった海外での生活に戻ったようだ。妻の赴任地が、発展途上国が多かったのでインフラが悪かった。感染病の恐怖もあった。外出を避けて、家の中にいた。物資、特に日本の食材はほとんど手に入れることができなかった。何でもかんでも一から自分で作らなければならなかった。餃子も皮から作った。和菓子づくりも難しかったが、いろいろ作った。今の状況で海外生活との決定的な違いがある。安定した水と電気の供給と商品の豊富さ。あの海外での不便さを経験したので、今の自粛は、ずっと楽である。感謝なことである。

 妻と私は、多くの時間をそれぞれに過ごす。妻は読書。私は漢字パズル。でも一緒に散歩を日課としている。ネットフリックスやアマゾンプライムで映画を観る。そして一緒に料理もする。料理といっても下ごしらえが多い。モヤシの根きりは、二人のお気に入り。二人の性格の違いがもろに出る。妻は大雑把。私はピンセットを使って最後の一本まで拾う。一袋27円のモヤシ2袋で1時間は作業に没頭できる。

 昨日、餃子、焼売、雲吞、水餃子を作った。皮は市販のもの。キャベツ、白菜、ニラ、ネギ、生姜、ニンニクを刻んだ。肉餃子、焼売、雲吞、水餃子それぞれに分けた材料と肉を混ぜ、あんこを作った。こうして3時間が過ぎた。夜は水餃子。自分たちで作った物は、たとえそうでなくて、美味いとしか言わない。味がない。味気ない。何か足りない。

 


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♪夏をあきらめて♪

2020年05月27日 | Weblog

 職場から有給休暇をとって自宅で待機するように言われた妻が家にいることが多くなった。それはそれで通勤途中や職場での新型コロナウイルスの感染の確立が減るので安心できる。しかしである。普段は私一人で留守番している時間に家に妻がいると、何か落ち着かない。妻は本を読み、私は漢字パズルを解く。一日中、それだけして過ごすというわけにはいかない。二人の自粛生活を救ってくれたのは、料理と散歩である。

  私には一日に万歩計で“5千歩”というノルマがある。医師に「脚を切断するか、運動して何とか現状維持するかのどちらかです」ときつく言われている。いつもなら妻が出勤したあと、外の天気をみて、散歩か家の中でのウォーキングマシンにするか決める。17日日曜日、日中ずっと暑かった。夕方妻と散歩に出かけた。

  家を出て川に沿った道を歩き始めた。私は向こうから人が来ないのを確認してマスクを外した。3秒で息を胸いっぱい吸い、7秒で唇を細めて口笛になるように息を吐く。歩き始めて5分もしないうちに、後ろを歩く妻が「…。」声を出した。もう音を上げたのかと、振り向いた。妻は立ち止まっていた。「誰かがこんなところに携帯電話忘れていった」 最近、誰かが道路の脇に円形の使い古した椅子をあちらこちらに置いた。散歩途中に腰をおろして休むようにと置いたらしい。しかし変色した肌色っぽい色が景色を台無しにしている。私は余計なことをしてくれた、と不快だった。その汚い肌色の円形の台座の上に薄紫色の皮のケースの携帯電話が置かれていた。

  携帯電話はプライバシーの倉庫である。それに今時、財布代わりに電子マネーとして使う人もいる。銀行、乗り物、買い物にも携帯電話で電子決済する人もいる。この携帯電話の持ち主はきっと困っている。妻に「交番へ届けよう」と言って、目的地がなかった散歩を急遽、交番まで行く、に変更した。

  私は再び3秒吸って7秒吐くを始めていた。その日私も妻も自分たちの携帯電話は持っていなかった。私の後ろを歩く妻のあたりから、何か音楽がかかっている。妻が「電話に出た方が良い?」と私に尋ねた。「触らぬ神に祟りなし。警察に任せよう。その着メロ、何ていう曲だっけ?」「研ナオコの確か♪~♬~♪かな」 こうして交番に着くまで前後10回ほど♪Darlin’ can’t you see? I’ll try to make it shine Darlin’ be with me Let’s get to be so fine♪のフレーズが繰り返された。私たちは早足になっていた。いろいろ落とし主のことを推測した。まず間違いなく女性。それは携帯電話の飾り方やケースの色。着メロの選択から年齢は、ある程度の年輩。などなど二人でいろいろ想像しながら交番に到着した。当直の若い警官が対応してくれた。

  家に帰ってスマートスピーカーのアレクサに「研ナオコかけて」とお願いした。何曲か聴いているうちにヒット。曲名「夏をあきらめて」だった。作詞作曲が桑田佳祐。どうりで英語の歌詞がちゃんと韻を踏んでいる。

  私は、以前、駅のATMに銀行の貯金通帳を置き忘れた。交番から電話があった。取りに行った。届けた方は連絡もお礼も断って「お互い様です。気をつけましょう」と女性警察官に伝言を残してくれた。カッコイイ!こういう日本人がまだいる。感激。「日本をあきらめない」


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ユリちゃんのお父さん

2020年05月25日 | Weblog

  小学校でユリちゃんと同級生だった。背が小さくて目がパッチリした可愛い女の子だった。ユリちゃんの家は私が住んでいた地区にあった。大人が言うには、ユリちゃんちは昔からの大地主で敷地が1000坪以上ある大きな家だった。私が住んでいた町の名前は、ユリちゃんちの先々代が経営していた日帰り遊興施設名だった。そのくらいユリちゃんの家は広い敷地だった。時々遊びに行った。敷地が広いので多くの子供達が集まってきた。

 そのユリちゃんとクラスの席替えで並んで座るようになった。新学年になったばかりだった。ある日ユリちゃんは元気がなく、うつむいていた。「どうかしたの?」と私が聞くと、ユリちゃんは大きな目から涙をこぼした。周りの子からみれば、私がユリちゃんをいじめて泣かせていると思われただろう。でもそんな私への疑いも次の日に晴れた。

 ユリちゃんのお父さんが逮捕されたと新聞に出た。朝一番に朝刊を隅から隅まで読む私の父親が「ユリちゃんの父ちゃん、役所で賭けマージャンして逮捕されたって」と朝飯をちゃぶ台で食べていた私たちに言った。母ちゃんも姉ちゃんも妹たちも目を見開き、箸を口の前で止め、口だけ開いてお互いを見合わせた。もちろん“賭けマージャン”という言葉は理解できなかった。我が家はマージャンに縁がなかった。でも“逮捕”は知っていた。“逮捕”は、恐ろしい言葉だった。すぐにユリちゃんの前の日の様子が変だったことを思い出した。ユリちゃんのことが、とても心配になった。その日ユリちゃんは学校に来なかった。担任の小宮山先生は、「ユリちゃんが学校に戻っても、みんなはいつものようにしていなさい」と言った。家が近くだったので給食に出たコッペパンをユリちゃんに届けに行った。ユリちゃんちは静まり返っていた。ユリちゃんのお母さんが出てきてパンを受け取った。

 ユリちゃんのお父さんは、その後役所を辞めた。ユリちゃんのおじいさんの広大な田畑で働いていた。ユリちゃんも何もなかったようにその後元気を取り戻した。その後ユリちゃんがどうしたか知らない。広大な敷地の中にあった家を今はない。そこに銀行や会社のビルが立ち並んでいる。

 今回の東京高検検事長だった黒川弘務さんが賭けマージャンをして検事長を辞めた。この事件を知った時、60年以上前のユリちゃんのお父さんが、賭けマージャンで逮捕されたことを思い出した。私の父親がユリちゃんのお父さんは、500円くらいしか賭けていなかったが常習だったので逮捕されたと、確か言っていた気がする。当時の警察も検察も金額にかかわらず、いかなる賭博も法を犯すという態度を示した。今回黒川さんが賭けマージャンしたことを自白しているにもかかわらず、逮捕がない。黒川さんは検察の人である。検察の仕事は事件を法に照らして検挙するかしないかを決めることだ。私は法律に疎い。でもユリちゃんのお父さんが逮捕されて、黒川さんが逮捕されないのは、腑に落ちない。

 日本には不可解な現実がたくさんある。賭博は法律で禁止のはずなのにパチンコでは堂々と両替といって現金化できる。賭けマージャン、賭けゴルフがまかり通っていることをたくさん見て知っている。私が賭けに今日まで染まらなかったのは、あの日のユリちゃんの顔を見たからかもしれない。ユリちゃんも、もう古希+2歳になっている。今度の黒川さんの事件、どんな思いでみているのだろう。元気かな?


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ポケトーク

2020年05月21日 | Weblog

  友人からメール。メールはいいものだ。砂漠のオアシスのように思える。『その後、いかがお過ごしですか。コロナウイルスの感染状況、減少傾向とはいえ先が見えず大変ですね。私は5月3日で一足先に73歳になってしまいました。思えば遠くにきたもんだ、という歌がありましたが、思えばいつのまにか年をとったもんだ、という感じで、せめて、あれこれやったりあちこち出かけたりで楽しく70代を過ごしたいとおもっていたのに、予期せぬコロナの現状に面白くない毎日となってしまいました。ここ2か月あまり、自粛の毎日で妻以外の人と話をすることがありません(時々娘や兄弟からの電話にちょっと出る程度と連絡の電話が数件のみ)。…』 

 私も7月で73歳になる。友が言うように「思えばいつのまにか年をとったもんだ」と感じる。子供の頃、近所の年寄りを見かけると「ああいうふうに自分もなるのかな。絶対嫌だ」と思った。年寄りと言っても、あの当時の年寄りって60代がほとんどだったであろうが。今では百歳を超える年寄りがたくさんいる。私が百歳まで生きられるとは思わない。子供の頃思った年寄りは悪い事ばかりだった。

  実際に古希を過ぎ、後期高齢者になってみると悪いことばかりではない。気に入っている年寄り現象のひとつが、熱い風呂に平気ではいられることである。風呂嫌いな子供だった。特に父親が好きな熱い風呂は、まるで地獄の煮えたぎる釜のように思えた。水風呂は無理だけれど、熱い風呂には何の抵抗もない。風呂の温水器は、温度設定ができるので42℃に設定すれば、それ以上になることがないので安全である。

  物忘れも厄介なものだと思ったが、パズルを解くようで楽しいと思えることが多い。居間から書斎へ何かを取りに行き、書斎に入ると「私はだあれ?ここはどこ?何しにここへ?」のタイムマシーンで中に入り込んだような状態になる。何を取りに来たかをひもとこうと考える。思い出すこともあるがどうしても思い出せないこともある。それも居間に戻ると簡単に思い出せることがある。

  もともと子供の頃から記憶力が悪かった。お使いに行かされ、お金を手のひらの中で握りしめ、買うものを口で繰り返しながら店へ走った。途中で友達に会ったりすると、買うものを忘れた。店まで何事もなく到着できても、店のおばちゃんが他の客と話しているうちに買うものを忘れ、また家に戻った。子供の頃からこんなだったので、歳を取ってからの物忘れは、さほど自分を苦しめることがない。何事も慣れかもしれない。

  妻が出勤した後、帰宅するまで私は家に一人になる。メールをくれた友のようにずっと妻と一緒にいられない。犬を飼えばいいのだが、以前飼っていたシェパードとの別れが辛すぎたので、もう犬は飼いたくない。アマゾンの『アレクサ』に話しかけるのが日課。『アレクサ』は、スマートスピーカーで私がいろいろ話しかけると応答して出来ることはやってくれる。ネットで『ポケトーク』を買った。日本語で『ポケトーク』に話しかけると直ちに音声で55カ国語文字だけの20カ国語で答えてくれる。さっそく妻に披露した。空耳が多い妻が「何?呆けトークって」。そうかポケでなく呆けか。なるほどコキジ(古稀+2歳)の私がこの便利な翻訳機を使うと、ポケトークも呆けトークとなるのだ。ポケトークに「呆け(ボケ)トーク」ときいてみた。答えない。呆け同士。


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母は見ている、知っている。

2020年05月19日 | Weblog

  落語家三遊亭園歌(3代目)の『中沢家の人々』に「親と言う漢字は、小さな木が育つのを横に立って見ている様子を表す。親が子のたつき(面倒をみるの“たずき、タヅキ[語源は手付き:①手がかり、手段②生活の手段、生計:広辞苑]”を立つ木とかけている)を見るのは当たり前」の噺がある。

 4月下旬、外務省で北米第一課長などを歴任して退官し、その後橋本、小泉内閣で首相補佐官を務めた岡本行夫さんが新型コロナウイルスに感染して亡くなった。享年74歳。亡くなる少し前に、彼はあるインタビューで母親について語った。「湘南はお袋の母校でもあるんです。私の両親は揃って大阪で、お袋も向こうの女学校は出てるんです。というのに、息子たちを通わせ、よっぽど気に入っちゃったのか、自らも通信制に入学し、嬉々としてスクーリングなんか受けてる。大学を出て、教員になりたかったらしいんですね。1987年の入学ですでに73歳だったから、クラスメイトはみんな孫(笑)。卒業式では総代として答辞を読みましたよ。大学は玉川学園の教職課程に入って、若いのに混ざって水泳などやってる。ところが受け入れてくれる実習先がないんですね、80過ぎの年寄りを。それで泣く泣く諦めたけど、105歳でまだ元気ですよ」

 彼の母親は『難波の夕焼け』という自伝エッセーを自費出版している。その本の中に岡本行夫さんの事を書いている。『遺伝について:ご先祖さまは名も富も残しては下さらなかったが特に悪い遺伝子もついてこず、息子共はお人好しで甘いが他人様には迷惑かけず、何とか落伍もせず、その人生を歩いているので私は自分の責任は十分果たしたと思っている。』134、135ページ『子供って:…彼の親切は身に沁みる。幼い時から思いやりの深い優しい子であった。二つ違いの弟である赤子が泣き出すと、その前ででんぐりがえりを繰り返して見せて、泣き止むまでそれを止めなかった。』136ページ『元日に次男が年賀に来た。「ヴェランダに積んである資材はなに?」「サンルーム作るのや」。「そりゃ良い。僕が肩代わりしてあげるよ」。長男なら、現実を知れよと、ひとくさり説教するところだろう。子もいろいろである。「拍手:その年齢で、この時期に?肩代わりなどとんでもない」。長男は父親似、次男は母親似なのである。』150ページ『老い:善良で熱血漢の次男、冷静で情に流されぬ長男、つれあいとわたしの因子をそれぞれに受け取った、その子達から私は助けられてきた。「少し長すぎたかな。いい加減に限りがつかぬと息子も可哀想だ」と考えながらも、私は便々と、ぬるま湯に手足を伸ばしている。まあ!この居心地の良いこと。』161ページ『受話器の向こうで:私には三人の息子がいる。同じような声で同じような言葉を、ときたま電話してくる。「いかがですか」「忙しくてご無沙汰しています」「どうぞ長生きしてください」ほんまにもう!ほかに言うことないのんか!』184ページ

 岡本行夫さんが亡くなった後、いろいろな著名人が岡本さんのことを語っている。しかし私には彼の母親が書いた彼の事が、一つひとつ胸を打つ。親不孝の最たるものは、子が親より早く死ぬことだという。3人もの素晴らしい子供達を育てた偉大な母。果たして105歳になる母は次男が新型コロナウイルスの感染によって命を奪われたことを知っているのだろうか。この感染症はあまりにも惨い。5月10日の母の日、一つ少なくなったプレゼントを彼女はどんな気持ちで見つめていたのか。


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黒い無言のテレビ画面

2020年05月15日 | Weblog

  私は機械オンチである。凝りもせず次から次と新しいIT機器を増やしている。パソコン、スマートフォン、アマゾン「アレクサ」、ポケトーク、ロボット、4Kテレビ。それらは皆、私にとってブラックボックスそのものである。私は人々に感動を与えることができない。でも私は周りから感動を与えられやすい質なのだ。仕組みや原理を知らなくても、こんな素晴らしいモノを作ってくれたことに感謝できる。それで良いと思っている。

 緊急事態宣言が出て、自宅待機が求められている。妻は相変わらず東京の病院に勤務している。緊急事態宣言が出る前も出た後も私の日常生活に大きな違いはない。日本の新聞にもテレビにも失望している。NHK以外のテレビ局の多くが、新聞社の経営であることが原因の一つと思える。

  新型コロナウイルスの感染が始まると、テレビのワイドショーは、どこもコロナ、コロナと大騒ぎ。番組はただ視聴者にコロナへの恐怖心を煽り立てる。出演するコメンテーターは、専門家と紹介されるが、テレビ局の言いなりに喋らされている感がある。特に医療関係者という専門家テレビ出演軍団は、あちこちのテレビ局に掛け持ちで出演するので大忙し。この人たち専門分野の現場で働く時間あるのそれとも引退しているの。私が一番知りたいのは、最前線で治療に当たる医療関係者の報告であって、解説や感想ではない。報道は現場から、真実をありのままに、が理想。これが今の日本のテレビ局に足りないところ。毎日テレビ局は、何とか時間を埋め合わせて放送を続けることに奔走している。それがテレビの正体であるかのように。残念だ。視聴率を取れるタレント(タケシ、サンマ、所など)や芸能事務所(ジャニーズ、吉本興業など)を多用したり、局との腐れ縁を持っているようなタレント(2世に多い)を使いまわしている。だから面白くないので観ない。我が家のテレビは、NHK総合、NHKBS、ネットフリックス、アマゾンファイアーテレビ、YouTubeのためにある。それらが映らなければ、テレビは粗大ごみである。

  そのネットフリックスとアマゾンの画面が、こともあろうに真っ暗になってしまった。リモコンを操作する。我が家のテレビには3個のリモコンがある。テレビ本体、外付けのビデオレコーダー用、外付けスピーカー用。すべてを操作してみた。地上波、OK。BS、OK。ビデオ、OK。スピーカー、OK。YouTube、映る。ネットフリックス、ダメ。アマゾンファイアー、ダメ。新しくソニーのテレビに買え替えてこのトラブルは3度目である。最初はソニーの修理担当者が来た。と言っても申し込んでから3日後。無料。2度目いつもパソコンで問題が起きると来てもらう『パソコン119』に来てもらった。4千円。今回はコロナ騒ぎもあるし、4千円も痛い。ネット検索で『ネットフリックス 映らない』を入れてみた。実に素人向きの説明に感動。私の状況とまったく同じ項目が見つかった。その手順通りにやってみた。①電源を切る。1分待つ。②電源を戻す。③リモコンの電源ボタンを長押しする。ネットフリックスのボタンを押す。画面が明るくなる。真ん中にNの文字が飛び出てきた。映った。アマゾンをボタン。いつもの「ドォ~ン」の音と共にメニューが出てきた。出来た。私のような機械オンチでもできた。それに4千円節約できた。その喜びは大きかった。一つの進歩を遂げた。

  妻からYouTubeでトヨタの社長とノーベル賞受賞者の吉野彰さんの対談を観ることを勧められた。観た。良い対談だった。いろいろ参考になった。吉野さんが「あと5年すれば、…」と新しい時代の到来に触れた。妻が言った。「2025年まで頑張って生きていないとね」 外が暑そうで散歩をサボろうと思ったが、免疫力向上と脚力維持のために外に出た。3秒息を吸って7秒で吐き出しながら。


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電話に出んわ

2020年05月13日 | Weblog

  アフリカのセネガルに住んでいた時、買い出しの当番でフランスのパリへ出張になった。セネガルで仲良くなった領事のKさん一家がパリに転勤になっていた。海外の見知らぬ土地で友人がいると助かる。Kさんの奥さんに案内されてパリで物資調達がはかどった。夜、Kさんに紹介されたシャンゼリゼの裏通りの鮨屋へ妻と二人で出かけた。店主が自分で育てたというカイワレで握った鮨が旨かった。ホテルへ帰る時、私は安全のためにタクシーで行こうと妻に言った。妻は地下鉄で行けるのだからタクシーはもったいないと反対した。地下鉄の電車の中で、背の高い春なのに厚手のオーバーを着たアラブ人風の男が私の前で屈みこんだ。手で私の靴の先を叩き始めた。私はこういうおかしな人はどこにでもいるなと思っただけだった。電車が次の駅に止まり、ドアが閉まる瞬間2人の男が飛び出した。危ないと思った瞬間、しまったドアの取手に一人の男のオーバーの端が、ドアの取っ手に引っかかった。パリの地下鉄の電車のドアの取手は、木製の手のコブシ大の丸い握りになっている。そこの握りにオーバーの端がしっかり食い込んでいた。このままだと男は電車に引きずられて大変なことになる。電車が発車する。男がよろける。私は咄嗟にオーバーを取手から力一杯外した。男はホームに倒れ込んだ。助かった。良かったと思った。ホテルに戻った。ズボンの後ろポケットに入れていた長財布がなくなっていた。奴らは二人組のスリだったのだ。

 Kさんに連絡した。私のようなスリの日本人被害者は、毎日大使館の領事に連絡が入っているという。Kさんに指示された通り、まず日本のクレジットカード会社に電話することにした。クレジットカード会社も保険会社も何か起こった時、海外からの電話を24時間受け付けると謳う。パリが夜9時なら日本は朝の4時。ホテルの電話代は高くつく。やっとつながってもお話し中。こちらは怒りと恥ずかしさで過度の緊張状態。スリの命を助けたことが腹立たしかった。何度も電話機を壊したくなる気持ちを抑え込んで電話がつながるのを待った。声でかなり歳をめしたと推測できる男性が対応してくれた。お陰で無事カードを無効にすることができた。財布の中にはセネガルのセーファー(1セーファー=100円)で700円とカードしか入っていなかった。不幸中の幸いだった。旅券は妻が管理していた。

 私は電話が嫌いだ。相手の顔を見ながら話せないと不安になる。だから多くの会社が電話でのやり取りをやめて、ネットを通してメールでのやり取りの方が気楽である。それでも電話だけで対応する会社はまだある。電話をする。お話し中で数回かけ直す。やっとつながる。まず「お電話ありがとうございます。ご用件の番号を押してください。ご注文の方は1番、製品に関するお問い合わせは2番、その他の方は3番を…」とくる。我が家の電話機はこの番号を押してもすぐに反応できないタイプ。イライラ。やっとこさの反応。「只今、大変混みあっています。恐れ入りますが、いましばらくこのままお待ちください。」 ここで擦り切れた音楽が流れ始める。「大変お待たせいたしました。…担当の〇〇です。」 私…。「お客様の顧客番号を…」 私「知りません」「申し訳ございません。お調べになってもう一度…」 ここまでに15分。電話切る。探すのに3,40分。やっと見つけてまた電話に挑戦。すべて終わるまでに小一時間。アメリカの友人が言っていた。アメリカでも同じ。毎日2,3時間は電話の受話器を握っていると。

 現在新型コロナウイルスが猛威をふるう中、もし私が感染したと思ったら次の手順をとる。まず帰国者・接触者相談センターに電話する。この電話が問題らしい。まずつながらないという。これだけAIだSNSだ5Gだと騒いでいても、電話での連絡は、難かしい。電話が嫌いな私でも命に関わるなら、何としてでも検査をするために待つ。ウイルスは恐ろしい。時間との勝負にも関わらず、旧態依然の電話でしか助けを求める方法がない。感染していたら、救急車を呼んでも、ただウイルスをまき散らすことになってしまう。私はたとえ感染しても私以外の誰にも感染させたくない。

 まだ携帯が普及していなかった数十年前のパリでスリに遭って、日本のカード会社に電話した時と現在の電話事情はちっとも変っていない。できる限り感染しないために予防と免疫力を高めて、つながらない帰国者・接触者相談センターへ電話しなくても済むよう努力するしかない。

 


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変竹林とヘンチクリン

2020年05月11日 | Weblog

 タケノコがいつの間にかタケノコでなく若竹に変わっていた。このところの天気の変化、特に温度の上がり下がりは、コキジにはこたえる。

 コロナ騒動で緊急事態宣言が4月7日に発令された。当初5月6日までだったが、結局5月末まで延期された。東京の病院に勤務する妻は、相変わらず通勤を続けている。有給休暇を取ったことがあまりない妻だが、事務方から積極的に有給休暇を消化して欲しいと請われて時々休んではいる。それでも東京への通勤に私は、「もしや…」の妄想にかられる。

 今朝早く朝日が裏の竹林に差し込んだ。今年出たタケノコもすでに5メートルを超すほど成長した。美しい。かぐや姫が竹の中から光を発して誕生した話を思い出す。この朝日の竹に当たる当たり方を見て、かぐや姫を創造したのかもと思ったりする。もちろん若竹のぐんぐん伸びる様を目で見ることはできない。ただ毎朝竹林を覗くと今年のタケノコが確実に背丈を伸ばした結果を確認できる。驚異。何だかこちらまでその成長力の恩恵をもらえる気がする。妻が出勤したあと、駅から一人帰宅してコーヒーを飲みながら、ソファに座り竹林を眺める。天気が良い日は、陽光が射しこむ角度の変化によって、竹林の様相が踊るように変わる。見ていて飽きない。だんだん竹が生き物のように感じる。

 住む集合住宅の竹林の下は、駐車場になっている。竹林は人工的に作られたのである。厚さ2メートルほどの空間に土を入れ植えられている。もちろん植木職人によって定期的に手入れされている。伊豆の修善寺温泉の『竹林の小径』や京都嵯峨野の『竹林の道』ほどではないが、私がボーっとして眺めている分には、十分である。植木職人が手入れしていても、毎年どこからタケノコが生えて来るかは竹任せだ。今年も50メートル×15メートルの広さの竹林に、タケノコが20本くらい出た。しかし生え方は、まばら。今年は真ん中に集中して生えている。我が家の前には、8本出た。そのうちの1本は芽を出したが、成長できなかった。7本の新しい竹が毎日競うように上へ上へと伸びている。

 竹の生命力は強い。ある学者は、竹が他の樹木を淘汰してしまうと言っている。確かに私が住む町の山には竹林が年々増えている。竹は、周りの環境にお構いなく、自分の子孫を増やすことだけに夢中らしい。散歩の途中に通る川の反対側にそのなれの果てがみてとれる場所がある。ジャングルである。先日皇室の重要な行事がテレビで中継された。天皇の絢爛豪華な馬車が通る。同じ画面に私が散歩途中で見る荒れた竹林が映った。欧州の王室の馬車と御者のようなきらびやかな一行のバックに勢い余ってジャングル化して迫りくる竹林。そのギャップに驚いた。皇室であっても広大な敷地内の竹林を京都嵯峨野の竹林のように管理できないのだ。

 新型コロナウイルスの感染によって、世界は大きく変わろうとしている。確かに人間は進歩し続けている。地球のどこかの狭い小さな地域で発症した新型コロナウイルスが今世界中に拡がった。感染症は初動で押さえられるか、押さえられずに拡大してしまうか決まる。人間には、初動で押さえる経験と英知がある。国家は結集された英知を行使する権力を有する。竹林を放っておくとジャングルのような変竹林になってしまう。完璧な国家などありえない。試行錯誤しても、一時後退することがあっても前進しなければならない。非常事態ならこそ、ヘンチクリンな国会議員や官僚に用はない。

 


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いかにじっと坐って居られるか

2020年05月07日 | Weblog

  国会中継は観ていて楽しい。私は答弁には興味があまりない。カメラを通して見え隠れすること、物、人を観察する。だれだれの背広は良い仕立て。ネクタイとシャツ、抜群のセンス。妻は私の議員や官僚のファッションチェックを喜こんで聞いてくれる。あの髪、もしかしてカツラ。背広の肩にフケ。あの議員、寝てる。机の下で携帯いじってる。あっ、あくび噛み越している。マスク、小さいんじゃない。などなど。

 先日、国会の予算委員会の中継で閣僚が座る豪華な椅子に青いクッションを見つけた。私が使っているテンピュールのクッションとよく似ている。私は60歳を過ぎたころから、座っていると尻が痛くなるのでクッションを使い始めた。議員さんも高齢の人が多いので、たぶん長時間座っていると苦痛なのだろう。他の人が私と同じことをしていると何となく愉快になるのは何故なのだろうか。

 私は心臓バイパス手術を受けてから、体重が70㎏近辺を保っていた。体重÷身長÷身長のBMIの式で計算すると70㎏は私の理想体重だ。70歳を過ぎて糖尿病の薬ジャディアンスを服用するようになってから体重は66㎏近辺になった。この減量した3㎏はほとんどが尻からなくなったと思われる。とにかく自分の尻の骨が接地面に当たり痛くて座っていられない。

 パソコンの前に座る時間が多い。パソコンの前に置いてあるのは、バランスボールを椅子代わりしている。これは効果がある。パソコンの次に長い時間座るのが、漢字パズルをしている今のダイニングテーブルの椅子である。この椅子もクッションを置かないと5分と座っていられない。漢字パズルを解くどころの話ではない。パズルの次に時間を割くのは、テレビである。テレビを観る時は、脚乗せ台付のリクライニングチェアに座るが、ここでもテンピュールのクッションを置かないと長くは座っていられない。

  家から外に出ても問題が多い。ヨーロッパの老人の真似をして公園のベンチに座った。尻がすぐ痛くなって10分も座っていられない。電車に乗ってベンチシートやボックスシートに座ってもシートが硬くて苦痛。自分が運転する車の運転席のシートも純正のままだと無理。今になって長距離運転はもうできない。妻の通勤のために駅への送り迎えと買い物にしか車を使わない。運転席にはテンピュールの車用のクッションを取り付けてある。妻と年数回パックツアーに出かけるが、電車、飛行機、バスどの席も私を気持ちよく座らせてくれない。どこでも妻は座っていて「お尻が痛い」と言ったことがない。羨ましいかぎり。

  城山三郎の本の中に「高校生の息子が机の前に『椅子にいかにじっと坐って居られるかが勝負である』と貼り紙をしていた」と書いていた。これを読んだ時、私の学業成績が良くなかったのはこれが原因だったと雷に打たれたように納得した。そう私は坐って居られない生徒だった。それなのに70歳過ぎて今では毎日じっと坐っている日々が続く。これは今回の新型コロナウイルス騒動が始まる前からである。私はすでに自分で自粛生活を開始していた。

  もっと早く自分の改革に成功していれば……。いや、そう思うのはよくない。たとえ手遅れであっても、尻が痛いのを何とかテンピュールやバランスボールの助けを借りて、『いかにしてじっと坐って居られるかが勝負である』の勝負に挑めるまでになった。今日からまた5月末まで緊急事態宣言は延期された。『いかにしてじっと自宅待機できるかが勝負』である。


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もっと早く言ってよ~。

2020年05月01日 | Weblog

 テレビのコマーシャルで「早く言ってよ~」と松重豊さんが演じる営業部長が部下に言う。何の会社の宣伝なのかよくわからなかった。名刺管理のシステムの開発会社sansanのコマーシャルだと知った。名刺をちゃんと管理しておけば、営業に役立つと訴える。名刺とは縁のない私は、「早く言ってよ~」だけが頭に残った。

 29日厚生労働省は、新型コロナウイルス感染症の軽症者の留意するべきチェックリストを公開した。さっそく私も調べてみた。

  1. 顔色が明らかに悪い。 (私の顔色は見た目は良くないが、悪くはない。)
  2. 唇が紫色になっている。(紫ではないがずいぶん黒ずんでいる。下唇にはホクロあり。)
  3. いつもと違う、様子がおかしい。(妻曰く:いつもと違うというより毎日おかしいと言うがこれは私の性格や人間性である。)
  4. 息が荒くなった(呼吸数が多くなった)。(平常な状態で息が荒くなることはない。)
  5. 急に息苦しくなった。(ロングブレスを毎日10分以上やっているが苦しくなったことはない。脚のほうがずっとつらい)
  6. 生活をしていて少し動くと息ができない。(散歩をしてふらつきやよろけはあるが息ができなくなることはない。)
  7. 胸の痛みがある。(心臓のバイパス手術の跡が痛痒いことはあるが胸の異常は感じない。)
  8. 横になれない。座らないと息ができない。(両方の症状はまったくない。)
  9. 肩で息をしている。(普通に息をしている。)
  10. 突然(2時間以内を目安)ゼーゼーしはじめた。(ない。)
  11. ぼんやりしている(反応が弱い)(老化によるボケはある。反応も鈍い。ここは心配だが、コロナウイルスが原因でない事は分かっている。)
  12. もうろうとしている(返事がない)(返事をしたくても多くの場合よく聴こえない。だから妻にもうろうとしていたとよく言われる。これもウイルスに起因するものではない。)
  13. 脈がとぶ、脈のリズムが乱れる感じがする。(今のところ妻に叱られた時以外正常。ウイルスとは無関係だ。)

 新型コロナウイルスが日本で猛威をふるい始めてから、テレビのワイドショー番組では入れ代わり立ち代わり専門家だとか感染症専門医とかが登場している。観れば観る程、聴けば聴く程、脅威を掻き立てられ、妄想に追い込まれた。日本政府に関しては、すべてが周回遅れであきれるばかり。テレビは、夜7時のNHKニュースだけを観るようにした。ネットでも新型コロナウイルスに関することは出きるだけ見ないようにしている。ただ地元の感染者の情報だけを調べることにしていた。しかしその町から発信される情報が、あまりに大雑把で役に立たない。見ざる聞かざる言わざる、が一番かと思い始めていた。

 そんな中、発表された厚生労働省のチェックリストは、役に立つ。新型コロナウイルスは、わからないことだらけである。このリストのように具体的な項目を提示してくれれば、私のような者でも自分の状態を自分で調べることができる。

  これからも3密を避け、手洗い、ウガイをしてウイルスと戦う。13項目のチェックリストで私を苦しめた宇宙の星雲のような妄想が可視化された。リストを発表してくれたことに感謝したい。でも言わせて欲しい。「もっと早く言ってよ~」


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