『ちょっと今から仕事やめてくる』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。
(1)予告編を見て面白そうだなと思い映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は、南の島の夜の景色(注2)。
満天の星のもと、ヤシの木の生えている海岸。
後ろ向きの女の子が、「私が死んだら、あの星になるの?」と訊くと、ソバのこれまた後ろ向きの父親らしい男が、「先ず生きなきゃな」と答えます。すると、女の子は「生きるってどういうこと?」と尋ねます。これに対して男は「希望を持つこと」と答えます(注3)。
そして、タイトルが流れます。
次いで、青山隆(工藤阿須加)の部屋。
蟻がたかっているブドウの入った箱などが酷く乱雑に置かれています。
隆は、起き出して靴下を履き、TVで歌われている歌(注4)について「バカじゃないの」「でも、俺のことかも」と呟きます。
隆が勤める会社の営業部の場面。
部長の山上(吉田鋼太郎)が、「お早うございます」と言うと、部下が「それでは朝の体操!」と叫び、皆が席の前に立ち上がって体操をします。その後、壁に貼ってある「社訓」(注5)を皆で唱和します。
隆のモノローグ、「就活をしまくった俺は、この会社の内定をもらった時は喜んだ」。
部長が「最多契約者17件、五十嵐!」と言い、報奨金を渡して皆に拍手を促すと、五十嵐(黒木華)は「有難うございます」と言って頭を下げます。
隆のモノローグ、「営業部長にとっては成績が全て」。
部長が隆に「青山、大東広告からクレームだ。ロゴの字体が違うと言っている」と言うので、隆が「斎藤さんが、…」と言いかけると、部長は「今はお前の担当だ。ちゃんとチェックしろ」と怒ります。
隆のモノローグ、「会社に貢献したいという気持ちはある。しかし怒鳴られると、…」。
帰りがけに部長は、五十嵐に「今朝の報奨金はデートに使うのか?」と言ったり、隆に「さっきのミスの分は給料から引いておく」、「データをまとめて明日の朝一で報告してくれ」と言います。
隆のモノローグ、「3ヵ月連続で残業は150時間を超えた。しかし、残業代は出ず、すべて基本給の内」。
一人で会社に残って作業していると、母親(森口瑤子)から電話がかかってきます。
母親が「食べたいものがあれば送るから」「今度いつ帰ってくるの?」と言うのに対し、隆は「わかった」「忙しいから切るよ」などと返事をします。
山梨の実家では、母親が「1年半も帰ってこない」と嘆くと、父親(池田成志)は「忙しいんだよ」と応じます。
こんなところが本作の始めの方ですが、さあ物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は、ブラック企業に就職して生きていく気力が失せてしまった青年のもとに謎の男が現れて、という物語。青年が謎の男のことを調べると3年前に自殺していた人物ということが判明するのですが、付き合っていくうちに次第に青年は前向きに行きていこうとするようになります。こう書くと、いかにも今時ありがちな作品と思えるでしょう。正直のところ、小生も最初はそう思っていました。でも、しばらくすると、現代の若者の暮らしぶりの一端を捉えてもいる感じもしてきて、そう捨てたものではないなと思えてきます。全体として、出演者の一生懸命さがこちらに伝わってくる作品ではないでしょうか。
(2)映画に人生訓話めいたものを期待しないクマネズミにとっては、監督の姿勢(注6)とか、特にラストのバヌアツのエピソードには関心がもてませんが、それでも本作はそれほど捨てたものではないのかな、とも思いました。
第1に、本作から、ブラック企業の実態の一端を垣間見られる感じがします。
労働基準法もなんのその、とにかく契約を取ってこいという部長の方針の凄さは、その怒鳴り声によってよくわかります(注7)。
そして、あのように毎日怒鳴られっ放しで、なおかつ夜遅くまで残業させられたら、隆でなくとも、「人は生きるために働くとしたら、俺は生きているといえるのか?」などと思いたくもなってくるでしょう。
ただ、この会社のブラックさを徹底して描き出すためには、例えば、隆がこの会社を辞める際には、もっと激しく部長に迫るようにしたら、より説得力が出てきたのではないでしょうか(注8)?
それと、五十嵐についてですが(注9)、黒木華クラスの女優を使うのであれば、「枕営業」によって成績を挙げている様子を描いてみたらどうだったでしょう(注10)?
第2に、本作は、危うく駅のホームから転げ落ちて入ってきた電車に惹かれるところだった隆を、間一髪で助けたヤマモト(福士蒼汰)とは一体誰なのか、を解き明かしていくミステリ仕立てになっています。
何しろ、肝心なときには、ちょうどいいタイミングで出現し、適切なアドバイスをするのですから。それに、隆は、偶然にも霊園行きのバスの中にヤマモトを見出したりもするのです。
加えて、吉田鋼太郎や黒木華といった脇役陣もさることながら、ヤマモトを演じる福士蒼汰と隆役の工藤阿須加がかなり力のこもった演技をしているので(注11)、ついつい熱心に見てしまうことになります。
ただ、そうであるにしても、隆にとって、バヌアツに行くことが問題の解決になったのかどうかは、疑問が残るような気がします(注12)。
(3)渡まち子氏は、「ユニークかつ直接的なタイトルが何より印象的だが、重い題材を軽妙な語り口で描くスタイルが面白い。謎めいたヤマモトをさわやかに演じる福士蒼汰、ヤマモトに振り回されながら懸命に生きる生真面目な隆を演じる工藤阿須加の主役二人は好演」として60点を付けています。
前田有一氏は、「それこそ本編が始まる前から誰もがおやっ?と思う、そんな要素を持った映画である。そういう仕掛けはやりようによってはとても効果があるのだが、この映画はそのあたりがうまくない。ミステリ好きの一鑑賞者としては、少々残念である」として55点をつけています。
暉峻創三氏は、「ヤマモトの超然たる存在感(時に風を伴って出現する演出も素晴らしい)がそれだけで存分に人々を救済する力に満ちているだけに、日本社会と対置された理想郷として提示されるバヌアツの場面は、やや蛇足だった感も否めない」と述べています。
(注1)監督は、『ソロモンの偽証 前編・事件』などの成島出。
脚本は、成島出と『草原の椅子』の多和田久美。
原作は、北川恵海著『ちょっと今から仕事やめてくる』(メディアワークス文庫)。
なお、出演者の内、最近では、福士蒼汰は『無限の住人』、黒木華は『海賊とよばれた男』、森口瑤子は『太陽』、小池栄子は『ブルーハーツが聴こえる』、吉田鋼太郎は『帝一の國』で、それぞれ見ました。
(注2)場所はおそらくバヌアツであり、言葉もビスラマ語だと思われます。
(注3)このシーンは、ラストの方でもう一度繰り返され、そこから父親のように見える男はヤマモトだとわかります。
(注4)歌詞は、「月曜日の朝は、死にたくなる。火曜日の朝は、何も考えたくない。水曜日の朝は、一番しんどい。木曜日の朝は、少し楽になる。金曜日の朝は、少し嬉しい。土曜日の朝は、一番幸せ。日曜日の朝は、少し幸せ。でも、明日を思うと一転、憂鬱」。
(注5)例えば、「遅刻は10分で千円の罰金」とか「有給なんていらない。体がなまるから」。
(注6)劇場用パンフレット掲載の監督インタビューで、成島監督は「「ソロモンの偽証」はどんなに辛くても“死ぬな”という話ですよね。こっちは“希望はあるよ。見失っているだけだよ”という話で、そこがいいなと思いました」と述べています。
例えば、本作の冒頭の場面と同じような場面が最後の方にも映し出されますが、そこでヤマモトに、「生きていれば辛いことがある。けれど、どこかに希望がある」、「なければ探せばいい、なければ作り出せばいい。それもなければ、一からやり直せばいい」などと言わせてもいます。
でも、こうしたセリフはなくもがなであって、映画全体から感じ取りたい人には感じ取らせればいいのではないでしょうか?
それに、隆はバヌアツに行って、本当に希望を見出すことが出来るのでしょうか?
(注7)勿論、弊害もいろいろ出てくるのであって、例えば、自分をよく見せようとして、他の社員が自分より大きな契約を取ってくるのを妨害すべく、PCに保存されている書類を密かに書き換えてミスを犯させる事件が、この会社に発生します。
(注8)隆は、部長から「これだから、最近の若いやつは使えないんだ」、「社会というものがわかってない」、「テメエの人生は負け犬で終わる」、「結局逃げるだけ、甘いんだよ」、「次の仕事が簡単に見つかると思ったら大間違いだぞ」などと思いっ切り怒鳴られますが、部長に対し「就活の時、この会社に簡単に決めてしまいました」、「懲戒解雇でもかまいません。3ヵ月前までは、このビルの屋上から飛び降りることを考えていましたから」、「自分に嘘をつかないで生きていきたい」、「青い空をいつも笑って見ていたい」と言い返すだけに過ぎません。
(注9)原作本では男性であるのを、本作ではわざわざ女性に変更したとのこと。
(注10)尤も、本作全体が持っている“爽やかさ”を著しく削いでしまうかもしれませんが!
それに、これまでに出来上がっている黒木華のイメージにも合わないのかもしれません。
(注11)劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」によれば、「今回は福士蒼汰、工藤阿須加が他の仕事で忙しく、集中してリハーサル期間が取れなかったので、クランクインの5か月前から、二人のスケジュールが合う日をリハーサルに充てて、飛び飛びにリハーサルを行った」とのこと。
(注12)隆を呼び寄せた方は、自分が希望してバヌアツに行って、現地の子供たちに進んで算数の授業をしているのでしょう。でも、隆の方は、呼ばれたからとにかくバヌアツに行っただけのことですし、そこで何をしたいのかという“希望”があるわけではないでしょう。
これでは、都会の生活は非人間的であり、田舎の生活が人間的だとする、あまりにも単純な物の見方の一つの現われのように思えてしまいます。
隆は、山梨でぶどう園を営む両親の下を離れてわざわざ東京に出ていったのでしょう。バヌアツに行くのも、山梨の実家に戻るのも大した違いはないように思われます。東京でモット頑張る手もあるのではないでしょうか?
★★★☆☆☆
象のロケット:ちょっと今から仕事やめてくる
(1)予告編を見て面白そうだなと思い映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は、南の島の夜の景色(注2)。
満天の星のもと、ヤシの木の生えている海岸。
後ろ向きの女の子が、「私が死んだら、あの星になるの?」と訊くと、ソバのこれまた後ろ向きの父親らしい男が、「先ず生きなきゃな」と答えます。すると、女の子は「生きるってどういうこと?」と尋ねます。これに対して男は「希望を持つこと」と答えます(注3)。
そして、タイトルが流れます。
次いで、青山隆(工藤阿須加)の部屋。
蟻がたかっているブドウの入った箱などが酷く乱雑に置かれています。
隆は、起き出して靴下を履き、TVで歌われている歌(注4)について「バカじゃないの」「でも、俺のことかも」と呟きます。
隆が勤める会社の営業部の場面。
部長の山上(吉田鋼太郎)が、「お早うございます」と言うと、部下が「それでは朝の体操!」と叫び、皆が席の前に立ち上がって体操をします。その後、壁に貼ってある「社訓」(注5)を皆で唱和します。
隆のモノローグ、「就活をしまくった俺は、この会社の内定をもらった時は喜んだ」。
部長が「最多契約者17件、五十嵐!」と言い、報奨金を渡して皆に拍手を促すと、五十嵐(黒木華)は「有難うございます」と言って頭を下げます。
隆のモノローグ、「営業部長にとっては成績が全て」。
部長が隆に「青山、大東広告からクレームだ。ロゴの字体が違うと言っている」と言うので、隆が「斎藤さんが、…」と言いかけると、部長は「今はお前の担当だ。ちゃんとチェックしろ」と怒ります。
隆のモノローグ、「会社に貢献したいという気持ちはある。しかし怒鳴られると、…」。
帰りがけに部長は、五十嵐に「今朝の報奨金はデートに使うのか?」と言ったり、隆に「さっきのミスの分は給料から引いておく」、「データをまとめて明日の朝一で報告してくれ」と言います。
隆のモノローグ、「3ヵ月連続で残業は150時間を超えた。しかし、残業代は出ず、すべて基本給の内」。
一人で会社に残って作業していると、母親(森口瑤子)から電話がかかってきます。
母親が「食べたいものがあれば送るから」「今度いつ帰ってくるの?」と言うのに対し、隆は「わかった」「忙しいから切るよ」などと返事をします。
山梨の実家では、母親が「1年半も帰ってこない」と嘆くと、父親(池田成志)は「忙しいんだよ」と応じます。
こんなところが本作の始めの方ですが、さあ物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は、ブラック企業に就職して生きていく気力が失せてしまった青年のもとに謎の男が現れて、という物語。青年が謎の男のことを調べると3年前に自殺していた人物ということが判明するのですが、付き合っていくうちに次第に青年は前向きに行きていこうとするようになります。こう書くと、いかにも今時ありがちな作品と思えるでしょう。正直のところ、小生も最初はそう思っていました。でも、しばらくすると、現代の若者の暮らしぶりの一端を捉えてもいる感じもしてきて、そう捨てたものではないなと思えてきます。全体として、出演者の一生懸命さがこちらに伝わってくる作品ではないでしょうか。
(2)映画に人生訓話めいたものを期待しないクマネズミにとっては、監督の姿勢(注6)とか、特にラストのバヌアツのエピソードには関心がもてませんが、それでも本作はそれほど捨てたものではないのかな、とも思いました。
第1に、本作から、ブラック企業の実態の一端を垣間見られる感じがします。
労働基準法もなんのその、とにかく契約を取ってこいという部長の方針の凄さは、その怒鳴り声によってよくわかります(注7)。
そして、あのように毎日怒鳴られっ放しで、なおかつ夜遅くまで残業させられたら、隆でなくとも、「人は生きるために働くとしたら、俺は生きているといえるのか?」などと思いたくもなってくるでしょう。
ただ、この会社のブラックさを徹底して描き出すためには、例えば、隆がこの会社を辞める際には、もっと激しく部長に迫るようにしたら、より説得力が出てきたのではないでしょうか(注8)?
それと、五十嵐についてですが(注9)、黒木華クラスの女優を使うのであれば、「枕営業」によって成績を挙げている様子を描いてみたらどうだったでしょう(注10)?
第2に、本作は、危うく駅のホームから転げ落ちて入ってきた電車に惹かれるところだった隆を、間一髪で助けたヤマモト(福士蒼汰)とは一体誰なのか、を解き明かしていくミステリ仕立てになっています。
何しろ、肝心なときには、ちょうどいいタイミングで出現し、適切なアドバイスをするのですから。それに、隆は、偶然にも霊園行きのバスの中にヤマモトを見出したりもするのです。
加えて、吉田鋼太郎や黒木華といった脇役陣もさることながら、ヤマモトを演じる福士蒼汰と隆役の工藤阿須加がかなり力のこもった演技をしているので(注11)、ついつい熱心に見てしまうことになります。
ただ、そうであるにしても、隆にとって、バヌアツに行くことが問題の解決になったのかどうかは、疑問が残るような気がします(注12)。
(3)渡まち子氏は、「ユニークかつ直接的なタイトルが何より印象的だが、重い題材を軽妙な語り口で描くスタイルが面白い。謎めいたヤマモトをさわやかに演じる福士蒼汰、ヤマモトに振り回されながら懸命に生きる生真面目な隆を演じる工藤阿須加の主役二人は好演」として60点を付けています。
前田有一氏は、「それこそ本編が始まる前から誰もがおやっ?と思う、そんな要素を持った映画である。そういう仕掛けはやりようによってはとても効果があるのだが、この映画はそのあたりがうまくない。ミステリ好きの一鑑賞者としては、少々残念である」として55点をつけています。
暉峻創三氏は、「ヤマモトの超然たる存在感(時に風を伴って出現する演出も素晴らしい)がそれだけで存分に人々を救済する力に満ちているだけに、日本社会と対置された理想郷として提示されるバヌアツの場面は、やや蛇足だった感も否めない」と述べています。
(注1)監督は、『ソロモンの偽証 前編・事件』などの成島出。
脚本は、成島出と『草原の椅子』の多和田久美。
原作は、北川恵海著『ちょっと今から仕事やめてくる』(メディアワークス文庫)。
なお、出演者の内、最近では、福士蒼汰は『無限の住人』、黒木華は『海賊とよばれた男』、森口瑤子は『太陽』、小池栄子は『ブルーハーツが聴こえる』、吉田鋼太郎は『帝一の國』で、それぞれ見ました。
(注2)場所はおそらくバヌアツであり、言葉もビスラマ語だと思われます。
(注3)このシーンは、ラストの方でもう一度繰り返され、そこから父親のように見える男はヤマモトだとわかります。
(注4)歌詞は、「月曜日の朝は、死にたくなる。火曜日の朝は、何も考えたくない。水曜日の朝は、一番しんどい。木曜日の朝は、少し楽になる。金曜日の朝は、少し嬉しい。土曜日の朝は、一番幸せ。日曜日の朝は、少し幸せ。でも、明日を思うと一転、憂鬱」。
(注5)例えば、「遅刻は10分で千円の罰金」とか「有給なんていらない。体がなまるから」。
(注6)劇場用パンフレット掲載の監督インタビューで、成島監督は「「ソロモンの偽証」はどんなに辛くても“死ぬな”という話ですよね。こっちは“希望はあるよ。見失っているだけだよ”という話で、そこがいいなと思いました」と述べています。
例えば、本作の冒頭の場面と同じような場面が最後の方にも映し出されますが、そこでヤマモトに、「生きていれば辛いことがある。けれど、どこかに希望がある」、「なければ探せばいい、なければ作り出せばいい。それもなければ、一からやり直せばいい」などと言わせてもいます。
でも、こうしたセリフはなくもがなであって、映画全体から感じ取りたい人には感じ取らせればいいのではないでしょうか?
それに、隆はバヌアツに行って、本当に希望を見出すことが出来るのでしょうか?
(注7)勿論、弊害もいろいろ出てくるのであって、例えば、自分をよく見せようとして、他の社員が自分より大きな契約を取ってくるのを妨害すべく、PCに保存されている書類を密かに書き換えてミスを犯させる事件が、この会社に発生します。
(注8)隆は、部長から「これだから、最近の若いやつは使えないんだ」、「社会というものがわかってない」、「テメエの人生は負け犬で終わる」、「結局逃げるだけ、甘いんだよ」、「次の仕事が簡単に見つかると思ったら大間違いだぞ」などと思いっ切り怒鳴られますが、部長に対し「就活の時、この会社に簡単に決めてしまいました」、「懲戒解雇でもかまいません。3ヵ月前までは、このビルの屋上から飛び降りることを考えていましたから」、「自分に嘘をつかないで生きていきたい」、「青い空をいつも笑って見ていたい」と言い返すだけに過ぎません。
(注9)原作本では男性であるのを、本作ではわざわざ女性に変更したとのこと。
(注10)尤も、本作全体が持っている“爽やかさ”を著しく削いでしまうかもしれませんが!
それに、これまでに出来上がっている黒木華のイメージにも合わないのかもしれません。
(注11)劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」によれば、「今回は福士蒼汰、工藤阿須加が他の仕事で忙しく、集中してリハーサル期間が取れなかったので、クランクインの5か月前から、二人のスケジュールが合う日をリハーサルに充てて、飛び飛びにリハーサルを行った」とのこと。
(注12)隆を呼び寄せた方は、自分が希望してバヌアツに行って、現地の子供たちに進んで算数の授業をしているのでしょう。でも、隆の方は、呼ばれたからとにかくバヌアツに行っただけのことですし、そこで何をしたいのかという“希望”があるわけではないでしょう。
これでは、都会の生活は非人間的であり、田舎の生活が人間的だとする、あまりにも単純な物の見方の一つの現われのように思えてしまいます。
隆は、山梨でぶどう園を営む両親の下を離れてわざわざ東京に出ていったのでしょう。バヌアツに行くのも、山梨の実家に戻るのも大した違いはないように思われます。東京でモット頑張る手もあるのではないでしょうか?
★★★☆☆☆
象のロケット:ちょっと今から仕事やめてくる
私も最後のバヌアツのエピソードはあまり要らなかったな…と思っておりました。元々教職やボランティア活動に志が高かったならまだしも、青山隆が「本当にやりたかったこと」かどうか判らないですし…。
まあ、「新卒の時にはただ焦って何も考えずに就職先を決めてしまったから、今後はよく考えよう」と思って「考える旅先」としてバヌアツを選んだ(山本純もいるし、とかいう理由で)のかもしれませんね。
おっしゃるように、青山隆は、「「新卒の時にはただ焦って何も考えずに就職先を決めてしまったから、今後はよく考えよう」と思って「考える旅先」としてバヌアツを選んだ(山本純→山本優もいるし、とかいう理由で)のかもしれません」。
ただ、原作の青山隆は、そんなに悠長ではなくて、心理カウンセラーになっていて、山本が臨床心理士になっている病院にやってくるというストーリーになっているようです。
始め予告編を見たときは、ホラー?心霊?と思いましたが、しっかりとドラマでしたね。
いつもTBありがとうございました。
おっしゃるように、本作に出演した俳優は皆熱演していましたが、中でも「吉田剛太郎、なりきった感じが最高」でした!
バヌアツでのストーリーは正直突飛だと思いましたが、青山もヤマモトも、どんな場所でも働けるというもので、日本で働く事と、海外で働く事との幸せの尺度の違いを表すものだと思いました。豊かさも、これだけ国際化が進んで、様々なカルチャーが日本に入って来ても、ブラック企業のような労働に対して後進的な組織が残っているのですから、今の労働意識が理想とするものは、日本人に対する保護主義的な企業なのではないでしょうか。
山上は、ブラック企業の上司を演じきっていましたね。何故彼があんなパワハラをするようになったかとか、青山への優しさが一片もない事は、決して妥協しない頑固な職人のような印象を受けました。日本を決して、嫌な国として描かないところと、楽園のようなバヌアツとの対比の弱さからして、ラストはちょっと違和感が残りましたよ。
おっしゃるように、クマネズミも、「バヌアツでのストーリーは正直突飛」だと思いました。
ただ、「隆」さんが、「日本で働く事と、海外で働く事との幸せの尺度の違いを表す」と述べておられる点については、青山隆の職場環境が両者でまるで違うので、比較が難しいように思われます。バヌアツで青山隆が働くことになる学校という職場には、営業部といった明確な組織も部長の山上といった上司も見当たりません!仮に青山隆が、学校ではなくバヌアツの企業で働くことになったら、一体どうなったでしょう?“楽園のような”バヌアツの企業は、「後進的な組織」なのでしょうか、それとも“先進的な組織”なのでしょうか?
また、「今の労働意識が理想とするものは、日本人に対する保護主義的な企業なのではないか」と述べておられますが、「労働意識」とは誰の「意識」なのでしょう?労働者が持つ意識だとしたら、それがブラック企業における労働形態を「理想」とするとは思えませんが?あるいは、企業側の「意識」でしょうか?でも、企業に「意識」があるのでしょうか?
それに、「日本人に対する保護主義的な企業」とおっしゃる場合、この企業は、いったい何を何に対して「保護」するのでしょうか?
バヌアツは後進的な国だと思いますが、個人の幸福度は、国のレベルとは異なり、むしろ、牧歌的な国だからこそ、労働が義務として強制されるものではない、という事でしょう。後進国でありながら、食や暮らしに困らない、というのは、グローバリズムに対する内需経済が成り立っているからでしょうが、青山はまだバヌアツに来たばかりで、どうなるかは正直分かりません。
労働意識とは、企業側のものです。ブラック企業は労働意識がないと思うので、意識とは労働者の側に立って、ものの観方を出来る事だと思います。労働意識すら持てない企業には、労働者の自覚も自信も育たないでしょう。ですが、五十嵐との因縁とか、山上のパワハラ経験などは、それを学習機会として捉えられる事によって、青山は成長出来ると思うのです。そこで得られたものとは、労働意識ではなく、青山の個人的な人格形成であって、企業側の条件が苛酷なゆえに、労働意識は根っこから育たないのだと思います。
労働意識然り、アイデンティティが持てないと、会社勤めというのは辛いと思うのですよ。保護とは、具体的な優遇措置の事ではなく、そうした、日本人として、会社勤めの中でも、誇れるアイデンティティが持てる事で、それによって労働者として、というより国民としてのプライドは改善すると思います。
ただ、バヌアツについて、「グローバリズムに対する内需経済が成り立っている」とされていますが、それが外需ではなく内需に依存する経済だという意味であるなら、そうとも言えない感じがします。というのも、同国では輸出入が活発であり、観光産業とかオフショア金融の割合も高まっているようですから、決して閉鎖的ではなく外に向かって開かれた経済を営んでいるようにも思われますから。
また、「労働意識」は、常識的には、“働くことについての労働者側の意識”という意味で使われる場合が多いのではないでしょうか?それに、「保護主義」とは、一般には、「自由な貿易に反対し,貿易について何らかの制限を課すべきだという考え方」でしょう。
「隆」さんは、そういう常識的・一般的な言葉遣いとはかなり異なる用語法でコメントを述べておられるので(「労働意識とは、企業側のもの」とか、「日本人に対する保護主義的な企業」など)、至って俗なクマネズミとしてはなかなか理解しがたい内容に思えてしまいます。
ですが、ともかくも貴コメントをまとめれば、「日本人として、会社勤めの中でも、誇れるアイデンティティが持てる事」が大切であって、「それによって労働者として、というより国民としてのプライドは改善する」とおっしゃりたいように思われます。そして、仮にそうであれば、クマネズミとしては、申し上げることは何もありません。
そこだよ、そこ。そこに1時間くらい割いても良かった。
ラストについては吉田鋼太郎と付きあいのある大口クライアントに再就職して、吉田鋼太郎の上になるような設定も面白いんだけど、近くに吉田鋼太郎がいる事自体が彼にとっては幸せな事じゃないだろうからなあ。
黒木華が演じる「五十嵐」ですが、女性社員が営業部で最優秀の成績を挙げている裏事情について、何も「1時間」と言わずとも、仄めかしでもされていたら、本作のリアルさが一段と増したのではないかと思われます。
なお、「吉田鋼太郎と付きあいのある大口クライアントに再就職して、吉田鋼太郎の上になるような設定」をラストで設けたら、バヌアツに逃げてしまうという本作のふやけたラストと違って、面白いと思います。ただその場合には、青山隆(工藤阿須加)はすでに立派な社員に変身していることでしょうから、「近くに吉田鋼太郎がいる事自体が彼にとっては幸せな事じゃない」ということにはならずに、逆に吉田鋼太郎をいじめ抜く男になっているのかもしれません!