「体調不良に気もそぞろの沖縄旅行記(その5)」のつづきです。
しばしの休息で息を吹き返した私は、ライヴ会場の中城城跡へ向かうバスが出発するパレットくもじに戻りました。
タクシーを使おうかとも思いましたが、ホテルに戻ってきたとき2メーターくらいの距離だったことを考えると、歩いてもいいかな、と…。途中、お茶(もちろんさんぴん茶)を買いに寄ったコンビニで、店員さんの感じの良さに元気をいただいて、余裕を持ってパレットくもじに到着しました。
そして、数人の顔見知りの皆さんにご挨拶して、バスに乗り込むと、、、、あれ? キャンセル待ちして取ったはずなのなに2人掛けの席を独り占め? バスを増発したんでしょうかねぇ?まぁ、体調不良の私としては、ゆったりと席をつかって行けるのはうれしい
那覇から中城までの道は、例によって混んでいたようですが、私はうつらうつらしながら時間を過ごし、1時間弱くらい(かな?)で、目的地の中城城跡に到着しました。
すると、この日では一番しっかりと雨が降っています大丈夫か、今夜のライヴ
なんて心配しながらも、雨ガッパと併せて持参していた折りたたみ傘を広げ、開場までの時間を使って、中城城跡を観光することにしました。
あちこちで顔見知りの皆さんに会っては挨拶しながら、まずは緩やかな坂道を登って「正門」へ。
とろこで「中城城趾」(「なかぐすくじょうし」と読みます)は、「世界遺産劇場」シリーズの一つして「Misia Candle Night at OKINAWA」の会場になるくらいですから、「世界遺産」の一つです。
2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、今帰仁城跡、座間味城趾、勝連城趾、首里城趾、玉陵、識名園、園比屋武御嶽石門、斎場御嶽と一緒に登録されました。
こうして9つの遺跡群を並べてみますと、既に私はこのうち7つに出かけたり見たりしています。どこも良かったなぁ… 残すは座間味城趾(読谷村)と勝連城趾(うるま市)の2つか…。
次の沖縄旅行の目的ができましたな…
さて中城城趾なんですが、この城(グスク)の名前は「中城(なかぐすく)」なのでしょうか。それとも「中城城」なのでしょうか?Wikipediaには、
中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡北中城村・中城村に存在した日本の城。15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。
と書かれていますが、ちょいと違和感が…。
中城城趾のリーフレットを見ても「中城城趾は…」と、始めから城跡だったような書きぶりで、よく判りません。
と、公式HPの「中城城趾の歴史」には、
14世紀中頃(室町時代)先中城按司の初代が台城に居城を構え中城城を築き始めた。その後一族が数世代で、南の郭、西の郭、一の郭、二の郭を築造した。
とありますということは、城の名前は「中城城」ということになります。ただ、日本風に読めば「なかぐすくじょう」ですが、沖縄風に読むと「なかぐすくぐすく」となってしまうんですが、これで良いのでしょうか?やはり違和感をぬぐえない、しつこい私です…
理屈はさておいて、石垣に挟まれた通路を通って、正門へ向かいました。
と、こんな案内板を見かけました。
拝所 小城ノ御イベ (クーグスクノオイベ) (通称:久高遙拝所)
とあります。「久高(島)」といえば、琉球の聖地で、2年半前に斎場御嶽に行ったとき、天候が悪くてほとんど見えなかったという残念な思い出があります(記事はこちら)。
今回はどうでしょうか?
日本の城では「本丸」にあたる「一の郭」に入り、
南東の海を眺めたのですが、、、、
写真の真ん中を右から伸びている知念半島の先に久高島があるはずなんですが…、この日も見えませんでした
こちらで書いた「母たちの神 比嘉康雄写真集」を巡るすったもんだといい、私はよくよく久高島とは縁が薄いようです…
母たちの神―比嘉康雄写真集 | |
比嘉 康雄 | |
出版舎Mugen |
BDに録画してある日曜美術館「沖縄 母たちの神 ―写真家・比嘉康雄のメッセージ―」(2010年12月12日放映)を観て我慢することにします。
つづき:2015/01/26 体調不良に気もそぞろの沖縄旅行記(その7:完結編)
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