新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

随分前のような気のする京都旅行記(その7)

2011-04-09 15:02:58 | 旅行記

つづけざまに「随分前のような気のする京都旅行記(その6)」のつづき。

京都旅行記」と書きつつ、奈良・薬師寺玄奘三蔵院伽藍から再開します。

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この日の玄奘三蔵院伽藍は、一昨年暮れに来たとき(記事はこちら)とは打って変わって、多くの人、といってもほどほどの人で賑わっていました。
まず、玄奘塔にお参りして、

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その裏手にある大唐西域壁画殿で、約2か月ぶりに平山郁夫画伯の大唐西域壁画殿を参観しました。

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東京国立博物館での特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」の会場での囁きだったか、感想が書かれたブログだったかで、「大唐西域壁画殿にも行ったけれど、こんなに近くで見られるなんて信じられない」といったことを耳(目)にしました。
この時は、この感想の意味がよく判りませんでした。壁画殿では間近に観られない?
実際、壁画殿に入ってみて、よ~く理解できました。

壁画殿の平面図と壁画の配置図をExcelでつくってみました。

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参観者は、「明けゆく長安大雁塔・中国」と「ナーランダの月・インド」の2枚を除いて、残りの5枚の壁画は、ガラスの手前からしか壁画を観ることができないのですな。
壁画殿の内部は、玄奘三蔵の魂が思い出に浸る場所で、現代の参観者は、そのおこぼれに預かる身分ということなのでしょう。

確かに、東博で体験できたような間近からの鑑賞は叶いませんでしたけれど、沙漠を模したという土色の床群青に塗られた天井に輝く星々と壁画との対比は、この壁画殿でしか体感できないことだったと思います。

   

薬師寺の参観を終えた私は、近鉄線で京都に戻り、次の目的地である北野天満宮を目指しました。

前日の失敗(こちら)に懲りた私は、京都駅ナカで昼食を摂った後、

京都駅⇒地下鉄烏丸線⇒今出川駅⇒路線バス北野天満宮

のルートで、梅の香りに満ちた北野天満宮にやってきました。

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天神さんと言えば、とは切っても切れぬ間柄ですな。

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また、天神さんと言えば、とも切っても切れぬ仲で、頭が良くなりますようにと、参拝者たちが「なで牛」をナデナデしていました。

ここで一つ疑問が…。

消毒ばやりの昨今、なで牛の横には消毒液が置かれていました。

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誰が触ったものか知らないものにむやみに触るのは、防疫上、誉められたものではありません。
しかし、なで牛に触る場合、他の人にウイルスを広めないよう、牛をなでる前に消毒するべきなのでしょうか(そうしている幼児がいました)、それとも、御利益が落ちようとも、我が身を守るため、牛をなでた後に消毒するべきなのでしょうか?
できることなら、頻繁になで牛自体を消毒するのが望ましい気がしますが、それはちょっと現実性に乏しい…。

ところで、3月20日の記事「京都旅行ダイジェスト(2日目)」で

ただし、北野天満宮でのできごとは、痛恨の大失態として、強く記憶に残っています。
このことは後日書くことにします。

と書きました。

この「痛恨の大失態」というのは、高校の修学旅行の際、グループ行動として大学合格祈願北野天満宮にやって来たときにしでかしました。

絵馬に、

祈願 大学合格

と書くつもりが、よりによって、

願 大学合格

と書いてしまったのです、私は

自分から「願」「折って」どうするデス…

私が現役受験に失敗したのは、「こんな間違いをしでかしおって 修行が足りん」という天神さんのお叱りだったのだと解釈することにしています。

そんなことがあって既にウン十年、今も北野天満宮と言えば絵馬でありました。

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去年の正月に太宰府天満宮にお参りしたとき(記事はこちら)と同様、拝殿の正面にはズラリと若者たちが順番待ちしていましたので(受験シーズンは終わったというのにネ)、切羽詰まっていないオヤヂとしては、右斜め45°から参拝いたしましたとさ。

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この後、拝殿の裏手にある本殿を参観し、

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110409_2_11_2北門から外に出て、次なる目的地・金閣寺を目指したのでありました。

それにしてもはかどりません…

でも、そろそろTHE TOUR OF MISIA JAPAN SOULQUESTNHKホール2日目に出撃する準備を始めねば

つづき:2011/05/14
   いったいいつの話だ?の京都旅行記(その8)
つづきのようなもの:2011/04/10
   TOMJSQ NHKホール2日目も凄かった、楽しかった!

コメント (4)
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随分前のような気のする京都旅行記(その6)

2011-04-09 09:46:47 | 旅行記

約1週間ぶりに「避難したつもりではなかった京都旅行記(その5)」のつづきを書きます。
さっさと先に進めないと、来週には北海道旅行が迫っていますし…

3月20日(日)の行程は同日の記事「京都旅行ダイジェスト(2日目)」に書いたように、大津のホテルを皮切りに、「京都駅⇒薬師寺⇒京都駅⇒北野天満宮⇒金閣寺⇒龍安寺」と、高校の修学旅行を振り返る訪問先で固めてみました。

   

大津のホテルをチェックアウトした私は、京都駅に着くと、京都駅からほど近い2泊目のホテルに荷物を預け、近鉄特急薬師寺に向かいました。
3月3日の記事「今月の京都遠征では奈良まで足を伸ばそうか…(後編)」に書いたように、平成大修理に入る前の東塔の「特別入堂拝観」が3月21日までで、東京国立博物館での展示(記事はこちら)を終えて帰ってきた平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」を含む「玄奘三蔵院伽藍」の公開が3月19日からということで、この春分の日絡みの3連休は、空前絶後のタイミングですから

110409_1_13日間だけ」の薬師寺のスペシャルな拝観券は、4枚の拝観券がセットになったなかなかなものでした。

で、まずは、境内に漂うの香りを満喫しながら、白鳳伽藍の参観。

110409_1_2 おぉ、数十年ぶりに観るスッピンの東塔

さっそく、「特別入堂拝観」の列に並び、さほど待ち時間もなく、東塔の内部に足を踏み入れました。

離れて観ると、1300年近い年月を感じさせない端正な姿の東塔ですが、その内部はかなりボロボロの印象でした。ほとんどモノトーンの世界で、柱の礎石はかなり沈んでいるし(明治時代の修理で、柱の下部が継ぎ足されている)、心柱には大きな亀裂が入り、鉄のバンドで補強されているしで、参観中の人が話していた「いま、大きな地震が起こったら、バラバラになってしまいそう…」が真実みを帯びていました。
いただいたパンフレット(いかにも薬師寺らしい詳細な説明と写真入り)を引用しますと、

薬師寺東塔の心柱は、ひび割れから下部の空洞化が確認されていて、平成6年に内視鏡とレントゲンによる柱内部の調査を行いました。
その結果、直径90cmの心柱の木部は薄いところで3~4cm、厚いところでも(下部より1.6mの高さ)14~15cm程度表層が残っている状況でした。空洞部分は天井付近(下部より3.6mの高さ)まで届き、円錐形の様な空洞になっています。この原因は未だ、白蟻あるいは菌によるものか定かではありません。

だそうで、かなり危ない状況のようです。
細部を観ても、ゆがみとか、風化とか、虫食いが明らかでした。

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1981年に復興された西塔と見比べると、東塔の屋根の傾斜がきついことが見てとれます。

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西塔の再建に携わった西岡常一棟梁が「1000年経てば、西塔も経年変化して、東塔と同じようになるはず」といったことをおっしゃったそうですが、解体修理が終われば、東塔も若返って西塔のフォルムに近づくことでしょう。

さて、東塔の特別入堂拝観とタイミングを合わせて、「西塔内陣特別拝観」も行われていました。
こちらは11時、13時、15時の3回、それぞれ30分づつの限定公開だったため、この日最初の公開直前には、ズラリと行列ができていました。

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塔の東側から入堂し、澤田政廣さんの作になる色鮮やか&絢爛な「釈迦四相像」を時計回りに拝観し、北側から外に出ました。

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まさしく「娑婆に戻った」感覚です。まだ薬師寺の境内ですが。

金堂薬師如来・日光菩薩・月光菩薩にお参りした後、玄奘三蔵院伽藍に向かおうとすると、大講堂から読経の声が聞こえてきました。
ちょうど、毎月第三日曜日の11時から行われている弥勒縁日法要が行われていたのでした。
大講堂の中に響き渡る声明(しょうみょう)、なんとも良かった…
日本最高の伝統音楽」は、お堂の中で聴く声明ではないかと思ったほど。

   

修学旅行生など団体さんへの法話会場として使われているらしい東僧坊に、「薬師寺白鳳伽藍復興用材」として巨大な切り株が展示されていました。

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説明書きによれば、

この原木は樹齢2500年の台湾産「紅桧」で薬師寺白鳳伽藍回廊、講堂復興用材の納入完了を記念すると共に、西岡常一棟梁の文化功労者顕彰を祝して、台湾省台南県豆鎮の農林木業有限公司、林永申社長より平成5年10月に寄進されたものです。
台湾に於いては、平成3年より自然保護の目的で、木材の伐採が禁止されました。そのため原木の確保ができなくなった現在、この大径木は樹齢、材質共に記録に残る原木で、昭和42年以来白鳳伽藍復興に多くの台湾産桧を用いた証として永久保存するものです。

だそうです。

古い寺社の復興・再建でネックになるのは、資金もさることながら、用材の確保と建築基準法への対応らしいです。
白鳳伽藍の復興にあたっても、日本中で用材を探したものの、1000年を超える樹齢の桧を見つけることができず、台湾産の桧を使ったと聞きます。
また、鉄筋コンクリートやボルト&ナットの使用を勧める学者先生と、伝統工法にこだわる宮大工の方々との論争が繰り広げられたと聞きます。

東京スカイツリー心柱による制震構造を備えているように、伝統工法は現在の建築にも生かされています。

材料の選択も含めて、1000年以上の伝統と歴史を背景にした技術と技能を後世に伝えることは、現代を生きる日本人の義務だと思った私でありました。
そして、東塔の解体修理によって、新しい発見があり、人間の叡智が更に深く・豊かになることを期待しています。

つづき:2011/04/09 随分前のような気のする京都旅行記(その7)

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