OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

忘れられない梢ひとみ

2010-09-19 16:41:08 | 歌謡曲

明日から愛して / 梢ひとみ (東芝)

既に映画産業が傾いていた昭和40年代、特に後半は各社が大規模なリストラや方針転換を余儀なくされ、なんとか生き残りを図ったことはご存じのとおりでしょう。

中でも日活は一般作品を制作中止にしてまで、成人映画路線へ参入し、それはロマンポルノと称されて幾多の名作を世に送り出したわけですが、その基本は劇場作品黄金期から一貫してのスタアシステムでした。

つまり選ばれたスタアをメインにした作品を連続的に制作し、その中には何時も同じ役者さんがキャスト名だけ違うキャラクターを演じるという、心地良いマンネリが水戸黄門の印籠の如き威力を発揮していたのです。

そして昭和47(1972)年から本格的にスタートしたロマンポルノからは、生え抜きとも言える人気女優が次々にデビューを飾り、本日ご紹介のシングル曲を歌う梢ひとみも看板スタアのひとりとして、絶大な人気を集めていました。

そのプロフィールは岩手県の出身ながら、昭和45(1970)年頃から東京でモデルをやっていたそうで、翌年にはテレビの深夜番組でマスコットガールとして注目された事から日活にスカウトされ、、昭和48(1973)年5月に「女子大生SEX方程式・同棲(小原宏裕監督)」で主演デビューしています。

そしてポスト田中真理の一番手として忽ち人気スタアとなり、数多くの作品に出演していきますが、必ずしも日活専属というわけではなかったようで、テレビや他社の作品にも数多く出演していますから、幅広い人気がありました。

ただし代表作は、やはりロマンポルノ出演作であり、例えば「肉体犯罪海岸・ピアニアの群れ(昭和48年8月・西村昭五郎監督)」や「暴行!(昭和51年10月・沢田幸弘監督)」は個人的に大好きです。

また長谷部安春監督によるアクションハードボイルドの「すけばん刑事・ダーティ・マリー(昭和49年4月)」は賛否両論の人気作♪

しかし昭和52(1977)年、人気絶頂のまま、突如引退! 渡米して結婚したと言われておりますが……。

そこで本日ご紹介のシングル盤は、昭和51(1976)年3月に発売された、彼女にとっては公式に唯1枚だけ残されたレコードです。

しかも作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童という、まさにリアルタイムでノリにノッテいたソングライター夫婦の手掛けた楽曲は、ちょいと自分勝手な哀しくも純情な女の気持にジャストミートの竜童節! 全く見事な歌謡挽歌の決定版に仕上がっています。

まあ、失礼ながら、彼女の歌は決して上手いとは言えませんが、そこは女優という職業の成せる技というか、実にせつない「味」の世界♪♪~♪

ですからリアルタイムではテレビの歌番組に登場するようなヒットになっていませんが、ラジオの深夜放送や有線の現場では、かなりウケていたような記憶があります。

そして、このシングル曲を出してからの1年後、突如の引退があった時には、尚更に歌詞の内容がジンワリと心に染みるのです。

 約束したから忘れましょう
 溜息まじりの古い恋

 明日から愛して
 今はそれだけ

こうして梢ひとみは芸能界から去っていきました。

現在では彼女が出演したロマンポルノ作品が幾つかDVD化され、十八番だった翳りを秘めた情熱の演技に何時でも接することが出来ます。

しかし、その全盛期の人気の高さは今日、あまり語られることが少なくなっているような……。

それは例えば同じロマンポルノで大スタアだった山科ゆりが、一時は彼女だけを観るために劇場に絶大な集客があった現実と似ています。

テレビとは違う、銀幕のスタアとは本来、そういうものだと思いますねぇ。

また、そうしたスタアシステムを維持していたからこそ、ロマンポルノは当時の日本映画界ではひとり勝ちだったわけですし、ちょい役も含めて登場した大勢の女優さんが、今もファンの心に焼き付いているのです。

現在の我国映画界は、それなりに儲かっているようですが、1本作って、それで終わりでは、決してスタアは育たないでしょう。

さらに歌う映画スタアという存在も、昭和の代名詞だけに終わらせるのは、如何にも勿体無いと思うばかりなのでした。

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