OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

港で夢みるメリー・ホプキン

2009-05-25 10:22:41 | Pops

夢みる港 / Mary Hopkin (Apple / 東芝)

メリー・ホプキンはビートルズのアップルレーベルからデビューした歌姫♪♪~♪

その清涼な歌声、清楚なイメージ、可憐な容姿で歌われる楽曲の素晴らしさを忘れられない皆様は、きっと大勢いらっしゃると思います。もちろんサイケおやじも、そのひとりですよ。

まずは1968年、18歳でのデビュー曲「悲しき天使 / Those Were The Days」の世界的な大ヒットから始まり、続く2枚目のシングル曲「グッバイ / Goodbye」までが、ポール・マッカトニーのプロデュースというのも、凄い話題になっていました。

もちろんメリー・ホプキンの歌の実力は素晴らしく、ウェールズで生まれ育った彼女は15歳の時から既に地元ではセミプロとして活動しており、テレビのタレントスカウト番組に出演して優勝したことから、ポール・マッカートニーに見出されたというのが略歴です。

こうして忽ち人気歌手となったメリー・ホプキンも、本音は芸能界の体質に馴染めなかったと言われ、実際、ほどなくポール・マッカートニーとの仕事関係は打ち切りとなりますが、その真相には当時のアップルレコードやビートルズの内部事情に関するゴタゴタ、さらに生臭い人間関係があったのは、ここではあえて書きませんが、言わずもがなでしょう。

そうした中の1970年初頭に発売されたのが、本日ご紹介の爽やかな名曲で、アップルからは通算3枚目のシングル盤♪♪~♪ 英米はもちろん、我が国でも春から初夏にかけて大ヒットしていますが、特筆すべきはプロデューサーがミッキー・モストに替っていることです。

ご存じのように、この人は1950年代末から自身も歌手として活動しながら泣かず飛ばす……。それがブリティッシュビートの勃興期にアニマルズやハーマンズ・ハーミッツ等々の制作を手掛けて注目され、ロックの歴史の中では、あのヤードバーズやジェフ・ベックの元祖ハードロックを作り上げた立役者ですから、メリー・ホプキンとの相性には???

まあ、こうした内部事情について、サイケおやじが知るのは、リアルタイムで聴いていた頃から数年を経た後なんですが、それゆえに尚更、この爽やかなポップソングの価値は絶大! ミッキー・モストという名プロデューサーの手腕の確かさも、再認識しています。

また、これも後に知ったことですが、実はメリー・ホプキンにはこの曲の前に完成していたセッションが既にあり、それが日米ではこのシングル盤の後に発売される「ケ・セラ・セラ」です。この有名なドリス・デイのヒット曲のカバーは、もちろんポール・マッカートニーのプロデュースによるもので、ポール自らがベースとギターを弾き、リンゴ・スターまでもがドラムスで参加! さらに原曲には無いメロディパートも付加したという傑作バージョンなんですが、メリー・ホプキン本人には最悪の仕上がりだったとか……。

ちなみに録音されたのは1969年8月ですから、あの「アビイロード」セッションの最中だったというのも、味わい深いところでしょう。

そんなこんなから、リアルタイムではフランスだけでひっそりと発売され、そして「夢みる港」の大ヒットを受けて急遽、日米でも聴けるようになったのです。

しかし、同じくポール・マッカートニーが曲作りにまで深く関わった「グッパイ」や、その「ケ・セラ・セラ」と、この「夢みる港」は決定的に雰囲気が違います。それはパーカッションを多用したラテン風味の強い、とても色彩豊かなアレンジと清楚な彼女の歌声が最高に上手く融合していることでしょう。

デビュー曲の「悲しき天使」や続く「グッバイ」に色濃くあった哀愁というか、ちょっぴりネクラなムードが、ここでは華やかな演奏とメロディ展開の中で、心地良い胸キュンフィーリングへと進化しているのです。

躍動的なエレキベースと爽やかなアコースティックギター、そして些か吃驚させられるようなストリングで作られたイントロのウキウキ感! さらに素敵なメリー・ホプキンのロリータボイスが冴えわたり、サビから効果的に使われるラテンパーカッションの心地良さも絶品です♪♪~♪ ゴキゲンな曲メロは言わずもがな、特に Sunshine~ Sunshine ~♪ のリフレインがいっしょに歌える楽しさは最高ですねぇ~♪

そしてこの路線は同じくミッキー・モストがプロデュースしたシングル曲「幸せの扉 / Knock Knock Who's There」へと受け継がれるのですが、個人的には、それは行きすぎ……。

ですから、この「夢みる港 / Temma Harbour」が尚更に愛おしいというわけです。

ちなみに当然というか、メリー・ホプキン自身にとっても、やはりポップ路線は居心地が悪かったらしく、仄かにゴスペル調の入った隠れ名曲「未来の子供たちのために / Tink About Your Children」を出した後には、ミッキー・モストとも決別しています。

また同時期には大阪万博コンサートのために来日し、我が国での人気絶頂時を彩りましたが、1972年にはアップルとの契約も更新することなく、鬼才アレンジャーのトニー・ヴィスコンティと結婚! そして第一線のポップフィールドからは引退しています。

ということで、今でも私は聴けば胸キュンの1曲♪♪~♪

その裏側にある諸々の事情を知っても、尚更にそんなドロドロしたものを霧散させてしまう彼女の歌声は、本当に素敵です。

コメント
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