平家六代の墓と言われている三重県津市美杉町飯垣内の山奥にある日神石仏群を見に行ってきた。
今日は車、香芝からR165号をのんびり名張へ~R368号で比奈知ダムから南へ~名張から美杉へ入ってすぐに飯垣内(はがいと)バス停がある、バス停前で右折して名張川の支流沿いを山の中へ進む
2Km余りで行止り、左手山裾に石仏群があった
阿弥陀如来坐像
墓には
日神の仲善寺跡の西方墓地に混成していて、平家六代君(平維盛の子)の墓という伝承があります・・・・後略・・・ との説明が書いてあった。
---日神と書いて “ ひかわ ” と読むのだ
五輪塔が六代の墓らしい
いろいろな表情をした石仏様がおられました
六代が亡くなって幾星霜、いかにも古そうである
松阪市嬉野の山里・日川(ひかわ)地区にも「平家六代の墓」といわれている墓があった、ここ美杉にも日神(ひかわ)地区に六代の墓といわれている墓がある
「ひかわ」が何か六代と繋がりがあるのだろうか??
いろいろ考えながら、墓の前の川沿いを山奥へ登ってゆく
川と言うより大小の岩がゴロゴロの 「日神渓谷」である
この渓谷には、一の滝、二の滝と日神大滝と3つの滝があるらしい
遊歩道というか林道というか?らしき道があるのだが、杉の落ち葉や枯木などで覆われて人の踏み跡らしきものが何もない
5~6分歩いたら滝が見えた
写真の一番上が滝です
看板も何もない
たぶんコレが一の滝だろう
高さは4mくらい
雨の後で水量が多く豪快に流れ落ちている
こんな景色がずっ~と上流まで続いている
さらに奥へ進む
濡れ落ち葉で覆われた道やコケが生えて濡れた岩の上をヘッピリ腰で上流へ進むが、二の滝も日神大滝もまだ先のようである。
20分余り歩いたが、携帯も圏外で人っ子一人も居ないので不安になり 上の滝は諦めて引き返した
滝から石仏群に戻り少し休憩
六代の父親維盛は奈良県の野迫川村で亡くなり、その子六代は嬉野か?美杉か?
いずれも戦いに敗れた平家の親子たちは山郷深く落ち延びて、その生涯を終えている
おごれる人も久しからず ・・・・
・・・・ 偏に風の前の塵に同じ
今日は車、香芝からR165号をのんびり名張へ~R368号で比奈知ダムから南へ~名張から美杉へ入ってすぐに飯垣内(はがいと)バス停がある、バス停前で右折して名張川の支流沿いを山の中へ進む
2Km余りで行止り、左手山裾に石仏群があった
阿弥陀如来坐像
墓には
日神の仲善寺跡の西方墓地に混成していて、平家六代君(平維盛の子)の墓という伝承があります・・・・後略・・・ との説明が書いてあった。
---日神と書いて “ ひかわ ” と読むのだ
五輪塔が六代の墓らしい
いろいろな表情をした石仏様がおられました
六代が亡くなって幾星霜、いかにも古そうである
松阪市嬉野の山里・日川(ひかわ)地区にも「平家六代の墓」といわれている墓があった、ここ美杉にも日神(ひかわ)地区に六代の墓といわれている墓がある
「ひかわ」が何か六代と繋がりがあるのだろうか??
いろいろ考えながら、墓の前の川沿いを山奥へ登ってゆく
川と言うより大小の岩がゴロゴロの 「日神渓谷」である
この渓谷には、一の滝、二の滝と日神大滝と3つの滝があるらしい
遊歩道というか林道というか?らしき道があるのだが、杉の落ち葉や枯木などで覆われて人の踏み跡らしきものが何もない
5~6分歩いたら滝が見えた
写真の一番上が滝です
看板も何もない
たぶんコレが一の滝だろう
高さは4mくらい
雨の後で水量が多く豪快に流れ落ちている
こんな景色がずっ~と上流まで続いている
さらに奥へ進む
濡れ落ち葉で覆われた道やコケが生えて濡れた岩の上をヘッピリ腰で上流へ進むが、二の滝も日神大滝もまだ先のようである。
20分余り歩いたが、携帯も圏外で人っ子一人も居ないので不安になり 上の滝は諦めて引き返した
滝から石仏群に戻り少し休憩
六代の父親維盛は奈良県の野迫川村で亡くなり、その子六代は嬉野か?美杉か?
いずれも戦いに敗れた平家の親子たちは山郷深く落ち延びて、その生涯を終えている
おごれる人も久しからず ・・・・
・・・・ 偏に風の前の塵に同じ