日々の気付き

自分への提言

タイムトラベル2

2019年02月26日 15時00分32秒 | 日記
 もし、私が私の主観において過去にタイムトラベル、もしくは過去透視を行なった場合、行った先もしくは見えた先は「以前の」過去ではない。
 「私の(透視などの)行為の為に、過去が変わった」とも言えるし「別の過去に行った、別の過去を見た」とも言える。
 いずれにしても、過去に住む人からは、私の「せい」で「状況が改変された」「未来が変わった」と、見なされるであろう。
 時空を超えた認識とは、その全てが、本人による「大脳内でのイメージングを起点とした創造」に他ならない。
 時空越えの全ては、本人を中心とした「永遠」の刷新である。
 上記の透視は、大脳感覚野内における4感覚(視聴味嗅覚)という経路に限定されたイメージを中心とした「永遠」の刷新であるが、他方、万物は感覚を持たないため、私たちが触覚と呼ぶ物をのみ通して「永遠」を刷新しているので、その波及性は無限大である。
 つまり、万物による創造は、大洋全体に届く振動であるのに対し、私たちによる創造は、4感覚というスコップで海面を波立たせる様な物である。
 触覚が「永遠」全体(永遠の過去から永遠の未来を含む宇宙全体)に1どきに作用するのに対し、4感覚は自分が支配できると感じられる範囲が極めて狭い―しかし、その作業の影響力はいずれ全体に及ぶのである。
 私たちによる大脳感覚野内でのイメージングによる創造は、1つの創造が「永遠」全体とつながっている為、私たちが「永遠」の1部を改変しているように見えても、実際には「永遠」全体が刷新されているのである。
 逆に言えば、全体を1どきに改変できるような人でなければ、私たちの意思を現実化させる事は出来ないのであり、創造の全てはその人の意志の中にある。

クリエイター

2019年02月25日 13時43分00秒 | 日記
 私たちが自分の大脳内で、現実化する現象のイメージを創作することが出来たとして・・・それに対する自分自身による許可と期待の感情によって、そのイメージは現象化する・・・というのが、今現在の私の推論です。
 2つの時刻がそこには必要で、1つは大脳(肉体)のある時刻―それは、認識センター創造センターと言えます―もう1つは対象となる現象の発生する時刻です。
 上記の2つは同じ時刻場所でも良いのですが、その場合でも、2つという認識を私は持つでしょう。
 あらゆる脳内創造に際しては、現実化するイメージには「現実可能性」があり、それは一般に「夢」「希望」と呼ばれるような物の感じを持つ・・・。
 そういったイメージは、何故か「時間」「空間」「質量」「破壊」「排除」「消失」という物とは無関係のように見えます。
 私たちが描くイメージが現実化する際に活動すると考えられる「母性」と「父性」すなわち宇宙のクリエイターの心には、初めから、上記の6つの概念のような物はないのでしょう。
 逆にそれら(6つ)を知った者であれば、いかなる創造も不可能なのではないでしょうか?
 私たちの経験則や危機管理の手法は、忌避感情がその元にありますが、この感情は上記の6概念と組み易く、結果として、経験則の確度が低くなるのでしょう。

タイムトラベル

2019年02月16日 15時12分29秒 | 日記
 もし、私が1分前の同じ場所にタイムトラベルしたとすると、1分間、2人の私が同席することとなる。
 新しく登場した私と、前から継続的に居る私・・・。
 前から居る私は1分間の後、新しい私と合体するのであろうか?
 その時、私が居なくなった未来に、合体した私たちが戻ることになる。
 そういう事でよいのか?
 タイムトラベルとは、不在の時間が存在しない、客観的には1瞬の、主観的には、1分間の出来事という事なのだろうか?

永遠の命

2019年02月06日 16時21分41秒 | 日記
 約2000年前に、現代で言うところの、パレスティナ地方で、ユダヤ人と呼ばれた人々に、ある種の思想・哲学を教え、数々の奇跡の中心をなした、イエス(古代発音イェホシューア)の語る「永遠の命」とは、どのような意味を持つ物であろうか?
 1つの可能性としては、今現在、既に「永遠の未来」という物が存在していて、「現在」「この場所」のみならず、あらゆる時刻と場所に、各個人がアクセス・干渉できるような境地、という意味が考えられる。
 また、別の可能性として考えられるのは、仏教で言うところの「前生」「過去生」といった、転生に関する話題である、という事である。
 転生に関しては、仏教で既に語られているので、前者の方の事を、イエスは語っていた、と考えて良いであろう。
 あらゆる時刻と場所という事の中には、「永遠の過去」も含まれると考えられ、上記の境地に到っても、干渉できる度合い(程度)には、ある程度の制約が、各個人ごとに生じるものと考えられる-イエス自身は「全てに達した」と述べている。
 「今現在」よりの時空を超えての「永遠」に対する干渉を成すうえで、不可欠な事は、➀「破壊」「排除」「消失」の3概念と、「時間」「空間」「質量」の3観念を、自分の考えに使わないようにしたうえで➁意識(触感)を通じて体内より与えられる、創造主(ヤハウェ=北辰=アメノナカヌシ)からの印象を享受し➂その印象に基づいて具体的または抽象的なイメージを作成する事である。
 上記のようにして、私たちは「永遠」に対して、過去・現在・未来のあらゆる場所への干渉が可能となり、それを成す際には、同時に「認識」「理解」を得ることができる。
 ➀の状態は、瞑想、リラクゼーション、沈思、自己暗示と呼ばれる。

ヨハネの黙示録「火の池」システムの破綻

2019年02月04日 14時10分26秒 | 日記
 「破壊」「排除」「消失」の3概念と、それらから派生する3観念「時間」「空間」「質量」を、自らの思考(アイデアの基盤)に用い続ける人々を、ある種の短気によって、1まとめにして、放射性廃棄物と共に、地球という惑星に封印するという計画(火の池計画)には、どうやら、その正当性の認識に変更が加えられる可能性が出てきたらしい。
 というのは、放射性廃棄物の創造には、(それが1つの現象であるからには)宇宙創成の意志(すなわち創造主)からのバックアップがあったはずであり、それから生じる「姿かたちを持たない熱情」にも、この世で果たすべき役割が備えられているはずである―そのことが、現代に及んで、問題となっている。
 また、「獣の印のついた人」や「獣の象の崇拝者」を、分析するのは良いが、規定することは、イエスの教え「他を裁くな」に反している。
 「人間には、他人を裁く権限も、能力も与えられてはいないが、神にはそれができる」という考えは、古来より伝統的に、私たち人類の間に受け継がれてきたが、最近になって、イエスの教えの正当な伝承者とも言える、ジョージ・アダムスキー(1950~1960年代にアメリカで活動した、哲学者―イエスの12弟子の1人ヨハネに深く関係し、因縁を持つと考えられる)によって、「創造主は一切裁かない」という理論が発表され、こちらが、私たちによって、本筋と認められることが可能となった。
 すなわち、1900年の時空を経て、「永遠の火刑」の概念に相当する現象は、その概念に実体がないことが発見された、という事である。
 確かに、私たちの認識においては、放射能起因の「奇形」は発生するであろうが、それは主観的な見方によるし、放射能は10万年単位で減衰する。
 アダムスキーの理論においては、「同じ過ちを繰り返してはならない」という物があり、この条件と引き換えに、私たちは、放射能時代を切り抜け、「永遠」へのアクセス能力を、各個人が持ち得るようになるのである-「過ち」とは、私たち自身が「不如意」と感じる事態を、自らが引き寄せるようなこと、すなわち、奇形やがんが発生するような事態を自らが生み出すことである。