日々の気付き

自分への提言

2種類の奇跡

2012年05月20日 08時49分54秒 | 日記
 奇跡という言葉の、奇とは、めずらしい・不思議な、という意味であり、跡とは、結果・現象という意味である。
 従って、奇跡という言葉は、「現代の科学では説明が上手くできない、視覚上の出来事・伝聞(伝えられたこと)」 と、言い換えてよい。
 人によっては、その人の意図により、奇跡的な現象を発生させることができるらしく、一般的に私達は、そのような人を「超能力者」 と、呼んでいる。
 2000年前、パレスチナで生きていたイエスという人物は、その母マリアの要請で、水をワインに変えるという奇跡を起こした、という伝説がある。
 その際イエスは、いったん、マリアの要請を断わったという事が伝えられている。
 この事は、同じ奇跡を起こすにしても、大自然の意図(=神の意図)に沿わない事は行なっても意味がない、ということを示唆している。
 ここで、さらに思い出されるのは、旧約聖書の出エジプト記に出てくる1シーンである。
 それは、モーセのふるった杖によって出現した蛇が、エジプト王の命令によって、魔術師が出した蛇を、のみ込んだ場面である。
 この事は、いかなる奇跡を行なうにしても、大自然の意志に沿っていなければ、価値が無く、その効果は一時的・限定的なものであって、その奇跡に直面した人の進歩に有効ではない、ということを示している。
 人間が何をするにしても、その行為・判断を最終的に決める最高の権威者は、大自然でなくてはならず、そうすることによって生ずる効果は、永久的である。

恐れの解消

2012年05月15日 17時23分31秒 | 日記
 私自身でも気づかないような恐れが自分の心の中にある。
 自分でも気づかない恐れによって、私は、自分で自分の考えや、行動を規制している。
 しかし、いずれ、これら隠れた恐れは、本人の進歩にともなって、消滅してゆくだろう。
 自分の心からすべての恐れが無くなる事は、早ければ早いほどよいのだろう。
 しかし、焦りも禁物である。

一人一人の進歩の径(みち)

2012年05月15日 17時07分18秒 | 日記
 人間には、一人一人、個別の進歩の道がある。
 その道は、その人独自・独特のものだ。
 過去が今の自分をここまで運んできた。
 未来は、その延長上にある。
 その進歩の径(みち)は、大自然の意志が、自分にとって代わる時に、完成する。
 また、これら進歩の道は、他人や他の自然物との関係性の中で成立する。
 なぜなら、あらゆる物が、大自然の一部であるからだ。

自他の責任

2012年05月15日 09時24分14秒 | 日記
 私たちは日々、他人から何らかの影響を受けながら生活しています。
 それら数々の影響の中には、自分の進歩を促進するものもありますし、進歩を停滞させるものもあります。
 たとえ、誰かとの付き合いによって、自分の進歩が妨げられたように思われても、その責任は、全て、自分で負わなければなりません。
 相手の責任は、一切ありません。