日々の気付き

自分への提言

積極性が必要です。

2017年05月31日 08時29分28秒 | 日記
 自分から見て悪事をさえ働かなければ、あとは神様が(自然の摂理が)何とかしてくれる・・・。
 そういう生き方、物の見方を私はしてきました。
 したがって、自分にとって不都合な事が起これば、それは、誰かの不徳または、自分の不徳による物だと考えてきました。
 では、大自然に対して、自分から何かすべきことは何もないのか?
 ほうっておけば、それでよいのか?
 この点に関しては、私には分かりません。
 もしかしたら、私は未だ、自らすすんで大自然と共に生きて活動した経験という物が(あまり)無いのかもしれません。
 だから、何が自然で不自然かが分からないから、積極的に行動できないのでしょう。

「自然破壊」とは何か?

2017年05月23日 22時55分37秒 | 日記
 農業こそが最大の自然破壊である。
 上記の考えは、一面的な見方である。
 すでにある生態系の変更が、農業によって行なわれてきたのは確かな事だが、農業が新たな生態系を創出してきたのも事実である。
 破壊された森林をすぐに元に戻す事はできない。
 しかし、森林は破壊された直後から・・・いや、正確には破壊されている最中から再生を始めている。
 大事な事・・・それは、人間が自然の再生と歩調を合わせる事である。
 知識と感受性こそが、人間による自然破壊を防ぐ唯一のとりでである。
 人間の知識は、未だ、1000年の自然科学の歴史を通じて得られた小さなものでしかない。
 また、人間の感受性(直観力・本能)は覚醒しているとは言えない。
 だからと言って闇雲な判断において、自然に関わる事は避ける必要がある。
 直感と共に生きることにより、次第に、自然破壊は無くなってゆく。
 なぜなら、直感が人間の知識を増やし、無駄な行為をなくしてゆくからである。
 結果として、森林の伐採や、生き物の駆除といった行為はなくなってゆくであろう。

「不幸」は、趣味の一種

2017年05月20日 14時23分38秒 | 日記
 何が不幸であるか? という事については、全く、個人の趣味に依っている。
 例えば、ヘビの嫌いな人が、ヘビ100匹の小部屋に入れられたら、死に物狂いで出ようとし、その結果、短時間で過労状態になるはずだ。
 親は子供が「不幸」にならないようにと、気を遣う事が多いだろう。
 しかし、一方でそれは、自分の趣味(価値観)の押し付けという側面もある。
 「不幸」にならない方法は1つではないし、「不幸」が何であるかについても、個人ごとに異なる。
 不幸の影が子供をとりまき、子供が不安になる時、その責任の多くは、親や知人など、本人以外にあると考えてよい。
 また、権力を志向する人が、ある種の、または誰かの権威を維持しようとして、自分以外の他人に「苦役」の観念を植え付けようとしている場合がある。
 何かを恐れる心が権力の始まりである。
 そしてその権力は、同じ恐怖の元に、人間集団を形成する。
 自分が何かの権力またはある種の恐怖の奴隷である場合、人は、自分が知性的であると考える。
 

一喜一憂

2017年05月13日 21時19分06秒 | 日記
 私たちの気持ちは、目に見える事、起きてしまっている状況によって、左右される。
 喜んだり、怒ったり、嘆いたりするのは、自分の周囲に起こる事に関係する、自己表現である。
 人によっては、一輪の野花を見つけた時に、あふれるような喜びに満たされるかもしれない。
 感情とは、出番を待つエネルギーであり、現象そのものよりも、本人の性格によって決まる。
 何を見て、何を感じるかは、十人十色、千差万別である。

エネルギーは無限か?

2017年05月07日 18時37分40秒 | 日記
 もし、エネルギーが空間から際限なく取り出せるのだとして・・・、宇宙のどこかで電力不足が発生するといった事は、一切ないのか?
 エネルギーが無限に取り出せることと、そうでないことと、一体どっちが正しいのだろうか?
 これまで私たちの多くが共有してきた経験則によると、エネルギーには限りがあり、奪い合うような物である。
 しかし、それは、あくまでも経験則であって、フリーエネルギー存在の是非を決定する物ではない。