日々の気付き

自分への提言

個人の成長

2013年07月29日 18時50分05秒 | 日記
 すべての個人は、大自然の恩恵を受けて、生まれ、生きている。
 個人間での、能力の比較には、意味が無いが、個人内部での、過去と現在の能力の比較には、意味が有る。
 あらゆる人間には、その能力を開花させ、成長させる義務がある。
 その際に、参考にするべきものや、尊敬するべき人は、無数に存在するはずだ。
 他人に対して、一概に、「あの人の欠点は…」とか、「あの人の長所は…」と言うことはできない。
 私にとっては、ある人の長所に思えることも、別の人にとっては、欠点であるかもしれないからだ。

死の不在

2013年07月29日 18時43分24秒 | 日記
 「死」という概念は、大自然の中に存在しない。
 「死」は、残された人が思い描く、妄想のようなものである。
 しかし、私たちがその構成員となっている、この社会は、死の概念を受け入れ、そうした概念を含む、考えに基づいて、運営されている。
 だからと言って、私たちは、個人レベルでまで、「死」を受け入れる必要はない。
 「死」は存在しないからこそ、私たちは、あらゆる鉱物、植物、動物、人体を大切にしなければならない。
 それは、対象物のためではなく、それらに作用しようとする、私たち自身のためである。

全ては、自分に責任がある

2013年07月22日 16時41分50秒 | 日記
 不満の気持ちを持った人と対峙すると、自分のオーラが傷つくことがある。
 それは、自分に、相手の気持ちをはね返すだけのパワーが無いことが原因である。
 そういったパワーを身に着ける努力を、おこたっていたからそうなったのだ。
 相手には、何の責任もない。
 私たちは、いかなる波動(気持ち)に対しても、それらを取捨選択する能力がある。(もしくは、潜在している。)
 この能力は、目覚めさせるための努力なるものが、時として必要だ。
 この能力が眠っている間は、他人からの不満の気持ちを取り込んでしまうこともありうる。
 そうなると、私自身が、直接の相手や、その他の何物かに対して、理不尽な不満を持つことになる。
 それは、私が不満をいだいた相手が不幸であるばかりでなく、私自身が不幸な状態にある、と言わざるを得ない。

現象に別の意味を持たせようとする勢力

2013年07月19日 21時36分25秒 | 日記
 「その現象の意味はこうだ・・・。」
 このように言って、自分に都合のよい解釈を、相手に持たせようとする人々がいる。
 これらの人々は、たいていの場合、何かの権威または、誰かの権利を守ろうとして、そのように相手を誘導する。
 宗教的な権威、ある種の主義の正統性、個人の利益などが、その擁護の対象となる。
 しかし、残念ながら、宗教や主義は、どれも、いつかは消え果てる運命にある。
 何故なら、それらは、波動そのものではないからだ。
 例えば、「仏教」は、波動だが、「戒律」、「教義」は、波動ではない。
 権威的なものの消費期限は、常に近い。
 現象への解釈については、個々人の自由意思に任せることが、まずは大事だが、時代(大自然)は、古い解釈を捨て去るように個人を促す。
 時代が、書物や、論客を通じて、新しい、有効な解釈の選択を、個人に求めてくる。