日々の気付き

自分への提言

「過去改変」がもたらすもの

2019年09月25日 11時25分33秒 | 日記
 実際に過去を劇的に変えなくても、「過去は変えられることが出来る」という理解を持つ事によって、個人が抱える思考と願望は、その理解に沿ったものへと変化しますので、その変化によって、1般に言われる、超能力や、「思い通り」といった事象が、発生しやすくなります・・・理論上は・・・。
 あらゆる創造(思念による現象の発生)は、1つの時空(私たちにとっては、人類の歴史)「永遠」を、当該創造を起点として、全体的に刷新することになりますので、過去が変わらなければ未来も変わらない、という観点からすれば、「過去改変は可能」という前提を持つ事は、「如意」にとっては、不可欠の要素といえます。
 私たちのあらゆる認識は、目撃や回想、透視や予知といった消極的な創造から、妄想や想像(イマジニング)といった積極的な創造にいたるまで、その全てが、私たちがその肉体の「現在」において抱える願望と思考に沿って「宇宙創成の意志」から各個体に個別的に与えられる「印象」から作成されます―願望と思考は私たちの個性その物、私たち自身、と言う事が出来ます。
 認識の全ては、具体的または抽象的なイメージであり、1つの時空の中に投入されたもう1つの時空(現象)です。
 現象とは、過去によって未来が規定される1つの枠組みのことです。
 「印象」から私たちが作り出す認識(イメージ)には、私たちの側に無限のバリエーションが与えられており、「印象」という限定性と、無限の選択肢という自由性が、陰と陽の関係性を生み出しています―陰陽から新規現象が発生するのです。
 「印象」とは、波動エネルギーの1種であり、それは、私たちが自らの触感に関心を持つとき、体表体内の神経組織という経路を通じてもたらされます―「印象」の享受は、私たちの受容性(リラクゼーション)に依存しています。
 私たちがその大脳に思い描く認識の全ては触覚によって支えられているのです。
 そして、私たちの肉体の「現在」において享受される「印象」から作られるイメージが、私たちにとっての理解と知識の全てでもあります。
 上記の、私たちにとっての真の知識は、現実その物、と言うことができます。

多くの世界

2019年09月17日 21時06分23秒 | 日記
 1つの現象には、始まりと終わりがあり、その内部においては、個別の各現象同士が、時間的な因果律に従って、規則正しく連結されています。
 私たち地球の歴史は、普遍的な土台である、惑星の創造と生物の誕生の上に、人類の歴史が載ったものです。
 それには始まりと終わりがある・・・私たちの歴史は、1つの現象として私たちによって認識されているので、少なくとも、過去は変えることは容易ではなく、未来も、過去からの影響を多分に受けたものとなっています。
 私たちが自身の歴史を細分化し、1つの現象を別の物に置き換えるならば、私たちの歴史は全体として刷新され、それを構成する各現象の1つ1つが、刷新による影響の下、変容することになります。
 私たちの歴史の全体的な刷新については、人類全体の合意が必要です・・・なぜなら、過去を変えないというのが、私たちの信念となっており、その信念は強固な物となっているからです―しかし、私たちは時折、過去が変化したような事態に直面することがあります。
 私たちが過去を回想しているとき、私たちは、過去を微妙に改変しているのであり、各種の書物も、物によっては、昨日とは内容が変わっているのではないか、と、私は考えることがあります。
 始まりと終わりが「全て」ではありません。
 この宇宙には、幾つもの「始まりと終わり」が在るのではないでしょうか?
 誰かが何かを1つの現象として規定するなら、そこには、1つの時間と1つの空間という、1隻の船が誕生する事になリます―その上に乗る物は皆、過去からの支配下にあります―それは、過去が未来を規定する1つの枠組みです。
 私たちの思念は現象に作用しますので、思念を多用する社会というのは、思念を使わない社会とは混じり合いにくいでしょうーそのために幾つもの現象、すなわち、「多くの棲み家」がこの宇宙に存在するのであろうと考えられます。
 自身の思念をどの程度自分たちの環境に反映させるか、という、その割合がほぼ100パーセントに達する人々の居る世界は、「神の御座」と呼ばれているのでしょう。
 その世界に住む人々が私たちの「現象」に参加するなら、私たちが過去を変えないという強力な思念を維持する中でも、それらの人々の思念は各個別の現象に反映されるでしょう。

創造主とは

2019年09月09日 18時25分35秒 | 日記
 私にとっての創造主とは、次の3パターンによって、直面した者をさします。
 1度目は、ある人が「私を見て何か感じないか?」と質問なさった時、そこに、その人でない、何かこの上なく崇高な存在が居る事に気づきました。
 2度目は、2日後の未来の映像を脳内で見た時で、それが「神」からのメッセージであるとすれば、創造主との直面と言うことも出来ます。
 3度目は、朝目覚めてまぶたを閉じていた時に、脳内のスクリーンに108面体の「富士つぼ」のようなオブジェが出現し、上下左右に移動し、こちらに向けられた先端の小さな穴から光を出しながら、角度を変えたりしていました。