日々の気付き

自分への提言

ゼロは抹消できない

2018年12月26日 15時24分04秒 | 日記
 私は、「破壊」「消失」「排除」の3つの概念の元となる物(ある種の実体)を「ゼロ」と呼ぶことにしています。
 ゼロから生み出される物は、実体を伴わない、幻想的な概念であって、それらの概念から作られる考えには、いかなる有効性もありません。
 私たちは、ゼロから出る「破壊・消失・排除」に基づく思考(考え)を持たないようにすることで、イメージ(アイデア)作成の意欲が、得られます。
 そして、リラックス状態(心の平安)を維持することによって、アイデアは完成し、その内容は、現実化します。
 ゼロそれ自体は、実在する物(実体)ですので、それを「消失」させることはできません。
 「消失」自体が幻想であるからです。
 ゼロ自体は生き続けます・・・当分の間・・・。
 そして、ゼロは、この世に影響力を与え続けるでしょう。
 しかし、抹消できないゼロであっても、「封印」することはできます。
 私たちは、ゼロから出る概念を、自分たちの思考に使用しないことで、その影響から遠ざかることができます――創造の視点に立てば、ゼロから出る「被害」「損得」といったことも、認めることができなくなります。
 つまり、宇宙創成の意志の視点すなわち、時空を超えた創造の可能性の視点、「神の御座」に立てば、例えば、「だます・だまさない・だまされる・だまされない」を区別できなくなるのです。
 したがって、永遠の過去から永遠の未来を含む宇宙全体、つまり、「永遠」全体への認識(創造の視点)と、個人による「永遠」全体の刷新、個人による「過去未来の現象創造の可能性の無限性」という物に関心を持つならば、「だまされても良いし、だまされなくても良い・・・また、だましても良いし、だまさなくても良い。」という事になります。

太陽神経そう

2018年12月13日 14時35分47秒 | 日記
 おへその上から心臓の下あたりまでの体幹(ボディー)の内側の部分を、ヨガなどをやる人は、「太陽神経そう」と、呼ぶそうです。
 この部分は、一般には宇宙全体からきて体内に湧いてくる生命エネルギーを集積して各所へ配分する、言わば配電盤の様な物らしい・・・。
 私は、万物や万人の内部に湧いてくるエネルギーとダークエネルギーは同じものと考えています。
 あるいは、重力エネルギーとダークエネルギーを合わせた物が生命力であろうと考えています。
 このエネルギーを頭部の王冠(仮想)に持って行きながら、大熊座のしっぽの先端をイメージする(気にかける、思い出す)事によって、(おそらく)実現可能のアイデアの元が得られるのではないか、と、私は考えています。
 生命力によって「王冠」を「作り」、それによって、大熊座のしっぽの先端から来る「アイデアの元」をキャッチ(受容)するのです。
 この状態を維持(リラクゼーションの持続)しながら、実現可能なアイデアの作成作業を行なうと、最終的に、実現可能のアイデアが完成するのだろう、と、私は考えます。
 実現可能なアイデアは、時空を超えて、過去未来の出来事を作り出します。
 それによって、永遠の過去から永遠の未来を含む宇宙全体を、私たちは、トータルで刷新することになるでしょう。(理論上)

母性と父性

2018年12月07日 15時02分19秒 | 日記
 母性(聖母)とはダークエネルギーの事で、宇宙中のあらゆる個体(原子、分子、細胞、体組織、動物、植物、鉱物、物体)の内部から湧いてきます。
 そして、父性(聖父)とはこの宇宙にただ一人の、イデア制作人で、あらゆる現象のためのイメージを作っています。
 私たちの感覚野(肉体の心)における、私たちによるイメージング(認識)は、聖父の手下としての活動であり、無限の自由度を持ちながら、完全にそれ(聖父)の支配下にあります。
 理論上は、私たちは聖母と聖父とともに、それらからの完全なる協力の元に、過去の現象さえも、生みだすことができます。
 それはまさに、アニメや映画の世界でしか説明されていないような事です。
 現段階における私の推理では、おそらく、父性(聖父)には、方位があり、それから来る時空を超えた印象を受け続けることにより、現実化し得るイデアを、私たちが、自らの心(感覚野)の中に完成させることができるのだと思います。(イデアとは抽象的または具象的な、未来や過去の現象の計画図です)

 印象感受の持続とは、心の平安・落着き・自分の触感への関心の状態(リラクゼーション)が、関係しているようです。
 私は、聖父の方位は、ある特定の恒星の方位であろうと考えています。
 キリスト教の聖父は、ユダヤ教のヤハウェ(エホバ)、道教の北辰、密教の妙見菩薩、同じく密教の業用虚空蔵菩薩(北面)、神道のアメノナカヌシと、同一物である、と、私は考えます。