私は、「破壊」「消失」「排除」の3つの概念の元となる物(ある種の実体)を「ゼロ」と呼ぶことにしています。
ゼロから生み出される物は、実体を伴わない、幻想的な概念であって、それらの概念から作られる考えには、いかなる有効性もありません。
私たちは、ゼロから出る「破壊・消失・排除」に基づく思考(考え)を持たないようにすることで、イメージ(アイデア)作成の意欲が、得られます。
そして、リラックス状態(心の平安)を維持することによって、アイデアは完成し、その内容は、現実化します。
ゼロそれ自体は、実在する物(実体)ですので、それを「消失」させることはできません。
「消失」自体が幻想であるからです。
ゼロ自体は生き続けます・・・当分の間・・・。
そして、ゼロは、この世に影響力を与え続けるでしょう。
しかし、抹消できないゼロであっても、「封印」することはできます。
私たちは、ゼロから出る概念を、自分たちの思考に使用しないことで、その影響から遠ざかることができます――創造の視点に立てば、ゼロから出る「被害」「損得」といったことも、認めることができなくなります。
つまり、宇宙創成の意志の視点すなわち、時空を超えた創造の可能性の視点、「神の御座」に立てば、例えば、「だます・だまさない・だまされる・だまされない」を区別できなくなるのです。
したがって、永遠の過去から永遠の未来を含む宇宙全体、つまり、「永遠」全体への認識(創造の視点)と、個人による「永遠」全体の刷新、個人による「過去未来の現象創造の可能性の無限性」という物に関心を持つならば、「だまされても良いし、だまされなくても良い・・・また、だましても良いし、だまさなくても良い。」という事になります。
ゼロから生み出される物は、実体を伴わない、幻想的な概念であって、それらの概念から作られる考えには、いかなる有効性もありません。
私たちは、ゼロから出る「破壊・消失・排除」に基づく思考(考え)を持たないようにすることで、イメージ(アイデア)作成の意欲が、得られます。
そして、リラックス状態(心の平安)を維持することによって、アイデアは完成し、その内容は、現実化します。
ゼロそれ自体は、実在する物(実体)ですので、それを「消失」させることはできません。
「消失」自体が幻想であるからです。
ゼロ自体は生き続けます・・・当分の間・・・。
そして、ゼロは、この世に影響力を与え続けるでしょう。
しかし、抹消できないゼロであっても、「封印」することはできます。
私たちは、ゼロから出る概念を、自分たちの思考に使用しないことで、その影響から遠ざかることができます――創造の視点に立てば、ゼロから出る「被害」「損得」といったことも、認めることができなくなります。
つまり、宇宙創成の意志の視点すなわち、時空を超えた創造の可能性の視点、「神の御座」に立てば、例えば、「だます・だまさない・だまされる・だまされない」を区別できなくなるのです。
したがって、永遠の過去から永遠の未来を含む宇宙全体、つまり、「永遠」全体への認識(創造の視点)と、個人による「永遠」全体の刷新、個人による「過去未来の現象創造の可能性の無限性」という物に関心を持つならば、「だまされても良いし、だまされなくても良い・・・また、だましても良いし、だまさなくても良い。」という事になります。