人の行為を、その人の抱える罪悪感・世間の風評などに基づいて、批判し、問責し、脅迫する人があるが、この様な行為は、自身の社会的地位を保障するための危機管理の1種なのであり、いずれ、(それらの批判は、)無用の長物として、本人の心の内部で、忘れられる運命にある。
私たちはただ、自然の意向に沿って日々行動すれば、それで良いのである。
ところで、私たちの多くは、企業などの集団の1員として、あるいは、個人として、日々、競い、戦い、奪い合っているのであり、その様な中で、自然の意思を妨げないようにすることは、困難を極める。
批判その物は、大自然から出るのではなく、人の危機管理から出るのであり、その衝動は、太古の先祖から受け継いだ、私たちの個性の1部でもある―この「正当な継承物」を、何とか修正しないと、絶滅は免れない。
いかなる行為・判断にも、何らかの正当性が有るのであり、その故に、「愚かさ」は本人の意思に依らなければ、無くすことはできないのである―なにびとも、他人を悪く言う権限は無い。
しかし、絶滅を目前にして、どうしても、無視され得ない性質―「利己主義」という名の自己保存の意欲は、各個人の内部で封印されねばならない―「何が何でも、他人や他物を犠牲にしてでも、生き残らねばならない」という性質は、常に鎮静化させられねばならないのである・・・私たちは、私たちの肉体の歴史に終止符を打たざるを得ない状況下にある。
今や、私たちの正当な歴史は、生存の目的の為に、ゆがめられ、放棄される必要があり、この様な状況からは、脱却できないであろう。
私たちはただ、自然の意向に沿って日々行動すれば、それで良いのである。
ところで、私たちの多くは、企業などの集団の1員として、あるいは、個人として、日々、競い、戦い、奪い合っているのであり、その様な中で、自然の意思を妨げないようにすることは、困難を極める。
批判その物は、大自然から出るのではなく、人の危機管理から出るのであり、その衝動は、太古の先祖から受け継いだ、私たちの個性の1部でもある―この「正当な継承物」を、何とか修正しないと、絶滅は免れない。
いかなる行為・判断にも、何らかの正当性が有るのであり、その故に、「愚かさ」は本人の意思に依らなければ、無くすことはできないのである―なにびとも、他人を悪く言う権限は無い。
しかし、絶滅を目前にして、どうしても、無視され得ない性質―「利己主義」という名の自己保存の意欲は、各個人の内部で封印されねばならない―「何が何でも、他人や他物を犠牲にしてでも、生き残らねばならない」という性質は、常に鎮静化させられねばならないのである・・・私たちは、私たちの肉体の歴史に終止符を打たざるを得ない状況下にある。
今や、私たちの正当な歴史は、生存の目的の為に、ゆがめられ、放棄される必要があり、この様な状況からは、脱却できないであろう。