日々の気付き

自分への提言

宇宙は1つ

2020年10月16日 12時31分27秒 | 日記
 近似的な宇宙が幾つも存在し、人体や感覚がそれらの間を行き来する、という宇宙観を持つ人が居ます―その宇宙観は、「並行宇宙」と呼ばれています。
 私が現段階で理解できる範囲内では、やはり宇宙は1つであり、上記の「近似的な宇宙」というのは、同じ宇宙が、別物に改変された―すなわち全体的に刷新されたのだ、と私は考えます。
 つまり、「前の宇宙」はもはや存在せず、「宇宙間を移動した」と感じる人は、実際には、「改変された宇宙に居る」という事です。
 私たちによる認識行為(知る・認める)は、全て、それらが行なわれる度毎に、「永遠」(全時空)全体を刷新しており、明快さを欠くにしても、私たち全個体は、上記の体験者と同種の体験を、基本的には、各「現在」毎に経ている、という事です。

悟りについて

2020年10月16日 12時11分51秒 | 日記
 私は、最近、宇宙の真理を悟りました。
 それは、次のような内容です。
 すなわち、「あらゆる現象と行為は、全て、必要物ではない」という事です。
 上記の単純な言い回しが、長年人類が求めてきた物だったらしいのです。
 悟りとは、言葉にすれば、簡単なことなのであり、その明解さの故に、長らく、人類は、迷い続けてきたのでしょう。
 私たちによる認識(認めること・知ること)という行為は、すべて、私たちの肉体の現在(肉体の在る時刻と場所・感知する波動の全て)において、私たちの大脳内で行なわれます。
 上記の認識には、受動的な物から、恣意的な物までの、無段階のグラデーションが在ります―そして、それらの全ては「創造」の要素を持ち、宇宙全体(時間と空間の全て)を、いちどきに刷新しているのです。
 受動的な認識は「森羅万象」の事であり、消極的な創造と言うことが出来ますし、恣意的な認識は「イメージを描くことによる願望の現実化」であり、積極的な創造と言うことが出来ます。
 いずれの認識でも、私たちは、この宇宙の1角に事実を生み出しているのであり、その度ごとに、「永遠」(永遠の過去から永遠の未来にわたる宇宙全体)は、別物となり、新しくなっているのです。
 自身の意向の全てを現実化することが出来るほどに、常なる積極的な創造の状態にある人にとっては、「過ぎ去った」物など何もなく、「未だ来ぬ」物など有り得ないでしょう―その人には、過去も未来もない、という事です。

「存在」の奇跡

2020年10月16日 12時00分14秒 | 日記
 不可能と皆から思われている事が(現象が)発生した場合、「奇跡が起きた」と、皆からは言われます。
 ある1部の人々が想定していた物事が、覆された場合、その人々にとっては、奇跡ですが、何も予測しない人にとっては、奇跡でも何でもありません。
 毒を飲んで死なない人が居れば、医学の知識・経験のある人からすれば、奇跡ですが、何の予備知識も持たない人にとっては、別段変わった事は何もないでしょう。
 万象は、見る人によっては、その全てが奇跡であり、別の人にとっては、当たり前の事であるのです―4畳半の部屋に千人が宿泊する事もあり得ますし、過去が書き換えられる事もあり得ます。
 私たちのあらゆる認識は、消極的な創造から積極的な創造のどこかに位置しているのであり、受動的な認識は消極的な創造であり、恣意的な認識は積極的な創造であるのです。
 「現在」(肉体の在る時刻と場所・感知する波動の全て)から、私たちは、私たちが認識する全ての物事を生み出し、「永遠」全体が、その都度、刷新されるのです。

張りぼての律法

2020年10月16日 11時42分17秒 | 日記
 戒律に何かの息吹・雰囲気・意思のようなものを感じ取ることが出来る人は、ただ規則に従うのではなく、戒律の背後にある真理を知っており、規則に囚われる事は無い。
 表面的な行為でなく、抽象的な表現である「真理」は、善行よりも尊いのであって、むしろ、善行に囚われる人は、「真理」から遠ざかる事になる。
 したがって、規則を戒めから切り離す人は、「戒律」を反故にしている。
 あらゆる規則・規制は、全て、必要物ではない。
 戒めとは、行為から思考を問う悟りの手段の1つに過ぎない。
 万物を支配している人が在るとすれば、その人は、規則によって支配しているのではない―規則によっては、何も支配できない。
 何故なら、神でなく規則に従う人は、支配されず、生きておらず、自由の中にないからである。

規則の無い生活

2020年10月15日 11時12分32秒 | 日記
 具体的な行動規範を保持し、厳格にそれを守って生きる―大抵の人は、自己規制の中に在ると言って良い。
 現在保持している行動規範を変更することは容易だが、規範に頼らない生き方を始めるのは容易ではない。
 行動規範は、義務と禁止から成っているが、その条項の全ては、「喪失」という概念を含む思考に基づいている。
 規範から外れた人は「遵法精神が無い」「正義に欠ける」と見なされる。
 規範は損失(利益の喪失)を回避しようとする、忌避の感情から生じる。
 「喪失」という概念に該当する実体は、この宇宙に存在しない。
 「喪失」は、幻想的な概念なのである。
 私たちが「喪失」というものの見方を止めるならば、規範自体には、存在意義がなくなる―そして、私たちは、あらゆる自己規制から解放される。