日々の気付き

自分への提言

休眠器官

2020年04月27日 13時11分30秒 | 日記
 万物は「神」の意思に従っているが、人間はそうしていない、という説明が、老荘思想では、行なわれています。
 人間も万物の1つであるにもかかわらず、上記の様な説明が成されるのは、どういうことなのでしょうか?
 現代の人間は、自身の身体に内蔵されている1部の器官を、眠らせているのであり、この事が「神」に従っていない部分に相当します。
 休眠器官を稼働させ始める事により、私たちはより以上に、「神」の役に立つのだ、という訳です。
 その器官は大脳感覚野に属しながらも、各個人が抱える個性的な概念群を現象化させる機能を、有しています。
 私たちが、自身の抱える概念群によって、特定のイメージを構成し、あるヴィジョンを完成させるならば、そのヴィジョンの内容は「現実」の双子です。
 上記の「現実」は、「過去」「現在」「未来」の、いかなる時刻の、いかなる場所にさえも、配置する事が出来ます。
 私たちによるあらゆる目撃は、消極的・受動的な認識活動であり、それでさえも、自身の抱える概念を感覚に当てはめる事によって、対象物を運命づけ、「永遠」全体を刷新しているのであり、更に、上述の休眠器官の稼働により、私たちの認識活動は、より、私たちにとっての「如意性」(思い通り)を、帯びる事になります―私たち各個人が抱える独自性のある概念群は、このようにして、時空跳梁を果たし、「永遠」の中に着地する事になります。
 私たち自身の大脳内において、目撃以上の創造を行なう事について、私たちがその可能性について考え始める時、この休眠器官は「神」に役立つ為に「目覚める」事になります。