日々の気付き

自分への提言

「自分を直せ、お医者さん。」は、誤り

2016年04月29日 16時29分41秒 | 日記
 他人が、今置かれている苦境から、脱出することが出来ない様子を見て、「この人は無力な人だ、気にかける必要も無い。」と判断するならば、それは間違いと言える。
 私たちは、皆、他人に仕事を任せているのであって、それをやっている人を妨害したりはしない。
 他人が、その人のなすべき仕事を、やり続けことが出来るように促すのが、私たちの仕事である。

至上なる英知

2016年04月29日 11時12分31秒 | 日記
 もし、私が、、自分の知らないことを知っている全ての人を、自分の先生と仰ぐ(あおぐ)ならば、私は、挫折する可能性がある。
 というのは、その人が、「至上なる英知」に気づいていないかもしれないからだ。
 たとえ、自分の知らないことを知っている人が居たとしても、安易にその人を先生と仰ぐことには、気をつける必要がある。
 失敗は成功の母体である、ということわざがある。
 最終的な先生は、万事万象の理由を知る、至上なる英知なのであり、失敗もまた、それに従うための肥やしとなる。
 他人が何を言おうとも、周囲の雑音にとらわれないことが大事だ。

ファースト・イグアナ

2016年04月28日 15時10分32秒 | 日記
 ガラパゴス諸島の1つの島に住む、イグアナ。
 彼らが食糧不足におちいった時、1人、集団から飛び出した者があった。
 彼は1人だった。
 彼は孤独だった。
 彼は、高い崖の上から、高くジャンプして、眼下の海へとダイブした。
 命を投げうっての冒険である。
 もはや死のうが生きようが、彼にはどうでもよかった・・・むしろ、生きられるという確信しか、彼には無かった。
 その時、想定通りの自由と、全世界への支配権とが、彼の元にあった。

万事の責任

2016年04月28日 08時33分29秒 | 日記
 世の中で起きている事、または、既に起きた事は、全て、1人の創造主の意志による物である。
 したがって、自分の身に何が起ころうとも、いかなる他人にも、責任能力は無いし、また、責任も無い。
 他人への問責や、自分への後悔には、ほとんど意味はない。
 しかし、対話は人間どうしの向上のために、必要な時もある。

補償とは何か?

2016年04月26日 08時52分44秒 | 日記
 補償とは、理想と現実との間の格差を埋めようとする行為であり、理想が無ければ、補償という行為も必要ない。
 理想とは、大自然から来るパワーであり、私たちはそれを「アイデア」と見なしている。
 私たちがそれをアイデアと見なすのは、結果・成果を見ていないからだ。
 私たちにとってアイデアとは可能性にすぎず、パワーそのものの残像のような物である。
 毎日、日が昇るのも、パワーであって、私たちはそれをアイデアとは言わない。
 私たちは、太陽の動きを信じて疑わず、「結果が既にある状態」と認識している。
 私たちは、アイデアを持つよりも、それがもたらされるときのパワーそのものに取り巻かれるべきであって、そうなるためには、常に、パワーを信頼し、いかなる悲観をも心に入れないことが大事だ。
 悲観とは、パワーを信頼しない、用心の状態であって、このような心の状態の人が居れば、元気づける必要がある。
 理想(パワー)と現実(アイデア)との格差は、このようにして埋められる。
 補償とは、人間の状態を、元のパワーの状態に戻す作業である。
 そこには、予定・可能性・未来としてのアイデアは存在しない。