日々の気付き

自分への提言

心のおもむくままに、物事は推移する

2014年07月31日 12時28分52秒 | 日記
 まったくの健康体でありながら、人から「あなたはもうすぐ死ぬ。」という暗示をかけられたために、その通りになって、呼吸が止まってしまう人が居るそうです。
 逆に、自分自身に対して「私は健康である。」 という暗示をかけて、病気から回復する人も居るそうです。
 人間の生き死にや、健康状態というものは、医学による予測の範囲を、大きく超えています。
 以上のことから言えるのは、「医学による予測が、取るに足らない物と言えるほどに、人の心は自由である。」 ということです。
 もしかしたら、医学による予測そのものが、暗示の一種であるのかもしれません。

重力の2面性

2014年07月30日 17時19分55秒 | 日記
 地球の行なう仕事のうち、力仕事と呼べる物は、2つある。
 1つは、物を落とす。
 もう1つは、圧力を人に感じさせる。
 物を静止させれば、必ずそこには圧力が生じる。
 圧力がある所には、必ず同時に、熱が生まれる。
 したがって、あらゆる地上の物体は、常に、落下するか発熱するかしている。
 すべり台で滑っているうちに、お尻に火傷をするのは、地球の仕業だ。
 落下もしない、圧力も受けていない、という状態の物体が、この地球上にあれば、その物体は、別の種類の仕事を、地球からされていることになる。
 例えば、発光させられるとか・・・。
 この地上のあらゆる物体は、等価に、地球から世話をされ続ける運命にある。
 これが大気圏外に出れば、太陽系から世話をされ続けることになる。
 さらに太陽系から出れば・・・。

多神教と一神教

2014年07月30日 12時20分52秒 | 日記
 日本の古代神話の古事記には、多くの「神」が登場します。
 それらの神々は、別々の人格として、独立した意見を持ちます。
 この事から、日本の神道は、多神教だといわれます。
 しかし、イザナギ、イザナミが国造りを始めるまでは、それまでに登場したすべての神々が、1つの神のもとに調和して存在する、ユートピアの情景が描かれています。
 そこは、多数の神が居ながらも、1つの神が支配する、無駄のない、幸福な世界です。
 したがって、古事記の世界観は、一見多神教その実一神教と言えるでしょう。

「罪」の不在

2014年07月30日 11時56分06秒 | 日記
 よく、「罪を憎んで人を憎まず。」という言葉を聞くことがあります。
 この言葉は、復讐しようとする、人の気持ちを、いさめる目的を持つのだと思います。
 1950年代に公開された、マリア福音書の中で、イエスは、「罪といったものは存在しない。」と、述べています。
 こちらに従えば、「憎むべき罪は無い。」ということになります。
 結果としての失敗は、謙虚さを持てば、自ずから無くなります。
 謙虚さを持つことが重要であって、「罪」を犯さないようにすることは、特に考える必要は、無いのでしょう。

習慣は、分別に勝つ

2014年07月29日 12時23分00秒 | 日記
 「こんな習慣はやめた方がいいな。」という分別は、その習慣に負けることがある。
 この場合の分別には、実効性がない。
 「分かってはいるんだけど・・・」と、私たちはよく言う。
 私自身が、自分や家族の、日ごろの行動を観察すれば、気付かない内に、分別より習慣の方が勝っていることを発見する。
 私たちの分別には、エネルギーが欠けていることが多いように見える。
 生活を変えるには、どんなに些細なことでさえ、自然のエネルギーを入れなければならない。