日々の気付き

自分への提言

私は愛を語らないが・・・しかし・・・

2019年01月25日 16時11分04秒 | 日記
 私は、個人的には、他人に親切にしたり、思いやりを持ったりすることに喜びを感じることがありますが、私の活動の主たる部分は、現象の観察と分析、宇宙とは何かの理解を目指す物ですので、そのような私にとっては、愛とは、エネルギーの一種という事になります。
 そして、私の立場からすれば、あらゆる感情のエネルギーの頂点(進化形)に立つような種類の物が、愛に当たります。
 1個人の感情という物は、時として、その人の理性によるコントロールから逸脱することがあります。
 それはあたかも、燃え盛る火を消すことが出来ないことに似ています。
 コントロールできない感情という物は、時として、天災などの災害を生みます。
 制御不能のエネルギーが、不如意の災害につながったわけです。
 私は決して、自分の感情に振り回される人を非難しません。
 なぜなら、それを制御する責任をその人1人に負わせているのは、全人類だからです。

触感は自由への切符

2019年01月23日 14時30分22秒 | 日記
 私たちの肉体に属する4つの感覚(視・聴・味・嗅覚)のそれぞれを、1枚ずつのホットケーキに例えますと、4枚を重ねてその中心を1本の串で貫きますと、美しい1個の物体が出来上がります。
 この串に相当するのが、私たちが「触感」と呼ぶものです。
 私たちは触感を通じて、直接に触れる物のみでなく、直感やその場の雰囲気や電磁波などに気づきます。
 私たちが自らの触感に関心を持つ時、私たちは1本の串で、4枚の感覚を、統一的に働かせることになり、それまでばらばらに活動させていた成員を、1つの目的に向かわせることになります。
 触感というリーダーが、4枚のホットケーキを重ね合わせ、共同歩調を取らせることになります。

時間・空間という幻想

2019年01月22日 17時09分15秒 | 日記
 幽霊と一般に呼ばれる物は、時間空間を超えた感情の発露と言えるでしょう。
 私たちが、今現在極端な感情を抱えたとしたら、それを未来や過去の誰かに、無意識的に伝えようとするかもしれません。
 その伝達が、幽霊であり、ドッペルゲンガー、想念体、幽体、テレパシーなどと呼ばれる物です。
 発信側の視点で、上記の現象を見るならば、それは、未来予知、過去透視などという事になりますし、同一の時間という特殊な状況であれば、遠隔透視と呼ばれるでしょう。
 時空の超越という事に関して言えば、私たちは、自分たちの立っている場所の地面に、棒で線を引いて、そこから出ないようにしているようなものです。
 私たちは、時間・空間という幻想的な制約の中で、身の周りに起きる物事を作っているのです。(大脳感覚野におけるイメージング作業による、現象の計画図の作成)
 この自己規制を解除するならば、透視や予知、その他の超常的な現象(奇跡)は、起きやすくなるでしょうし、当たり前のこととして、見なすことが出来るようになるでしょう。(時空を超えた現象の創造)
 時間・空間という幻想的な自己規制(地面に棒で書いた線)がたわいのない、張りぼて・脅かしに過ぎないことに気づけば、私たちが抱えるかもしれないストレスの1部は、解決してゆくのではないでしょうか?
 ところで、私たちのあらゆる行為の全ては、未来の宇宙全体に、確実に、何らかの影響を及ぼすでしょう・・・このことは誰もが認める事です。
 しかし、何かを見たり、聞いたりすることで、私たちが、次に起こす行動を変えるとすれば、私たちのあらゆる認識が、未来の宇宙全体に影響を及ぼしていることになります。
 上記のことだけを考えても、私たちの認識の全てが創造者そのものである、と言えます。
 しかし、実際には、私たちの認識それ自体が、認識の対象となる現象を作成しているのです・・・このことを自覚している人はほとんどいません。
 実際には私たちの認識は、過去未来のあらゆる事象を作っており、作り出された1つの現象は、時空を超えて、宇宙全体を刷新しているのです・・・1つの現象の創出は、永遠の過去と永遠の未来の双方とつながっており、そのつながりは揺るぎのない物だからです。
 私たちが過去を変える例としては、自分の感情が、過去に向けて発信された場合・・・それを受け取った人が自らの行動を変えるなら、私たちの感情が起点となって、過去が変更されたことになります。
 

「永遠」と永久

2019年01月18日 17時05分59秒 | 日記
 私たちは、「永遠」を「見る」(作る)必要はあるが、永久に生き続ける必要はない。
 なぜなら、時空越えに永久はないからである。
 「永遠」を「見る」人は、いつのどこにでも出現できる。
 その人は、あらゆる時間・場所に作用・干渉できる。

火=放射能、池=外部との連絡が絶たれている

2019年01月12日 15時47分30秒 | 日記
 火の池とは、放射能によって満たされた惑星の事
 新天新地とは、時空越えの天体の事(同じ時間でない)
 命の書に名前のある人とは、虚無の概念を使わなくなった人
 獣とは虚無の概念を使い続けている人
 サタンとは放射性物質の事
 虚無の概念と放射能との間には密接な関係があり、虚無の概念を自分の心の中で縮小した人は、その分、放射能から遠ざかることになる。
 虚無の概念から出るのは、「破壊」「排除」「消失」の3概念と、それらに対応する「時間」「空間」「質量」の3観念、および、「去る・去らせる」、「占める・占められる」、「無くなる・無くす」という、認識と意志である。
 虚無の概念から出る物の全ては、この世に実体のない幻想である。
 虚無の概念を、自分の心の中で使わなくなった人は、肉眼や夢などにおいて、感覚上、時空越えの知覚力すなわち想像力(=創造力)を持つ事になり、時空越えの新天新地で暮らすようになる—そこからは感覚(知覚力=想像力=創造力)のみならず、肉体を時空を超えて過去未来に移すことができるようになる(機械的に)。
 しかし、最終進化の段階においては、機械を使用せず、あらゆる時間に自分の肉体を出現させることも出来るようになるらしい。(幽体離脱のように意識のみの時空越えでなしに)
 しかし、時空越えの感覚で重要な事は、過去未来に行くことではなく、(肉体の在る時刻・場所の)眼前の現象を作り出すことにある・・・これこそ究極の時空越えである。