もう一度所有してみたいバイク、それは " 1000RX " です。
このバイクの記述は過去10記事に登場しています。
※ 記事を書いた時点での時の逆算が現在と合わない表現が一部あります。
①1000RXから続いている「ボリューム感」は、私の女性に対する嗜好とも共通するものがあり、「なぜ好きだ」と聞かれても「好きなものは好きなだけだ」と言うしかありません。好きなのです。
②1000RXでは何度も免許を無くしかけたばかりか、100キロオーバーで逮捕されそうになったこともありました。それ位にあっという間に200キロオーバーが楽しめたバイクです。
③カワサキの歴代の旗艦は1000RXの頃から後ろ姿にボリューム感がありセクシーに見えます(私には)。
④バイクも一緒で、バイクの美みたいな強引な言い方をするなら、初めてそれを意識したのはカワサキの1000RXでした。今から21年前に日本で逆車として購入しましたが所謂一目惚れです。性能も当時のバイクとしては世界最速で最強のバイクで、そのグラマーで均整が取れた外見にぞっこんでした。生理的な嗜好とでも言うんでしょうか。
⑤私は1986年頃に1000RXで初めて200キロの当時の大台を経験した口です。
⑥私のバイク人生は、原付のスズキのハスラーでそのとばくちに立ち、あいだの無いままに限定解除してナナハンのホンダのセイバーで大排気量車に慣れ、リッターマシンのカワサキの1000RXで自分のバイクの好みに開眼し、900Rで遂に憧れの君を入手、GTR1000で旅の気軽さを堪能、ZZR1400で生涯の夢を果たす、でしょう。
⑦しかし、約20年前に1000RXのタイヤを計るために購入したのですが、200キロ超の速度を意識した最初だったような気がします。それでタイヤの空気圧をこまめに計り始めたわけです。
⑧GPZ900Rは欧州に来る前は憧れのバイクの一つでしたが、日本に居るときには1000RXを選んでしまったので乗る機会を逸したバイクでもありました。
⑨日本での思い出に、1000RXで200キロ超で中央高速を流していた時に確か石和か甲府インターの手前のすごくゆるいカーブに差し掛かる直前でものすごくいやな感じがしたので100キロまで猛烈に減速した直後になんと1メータもない遮音壁と本線上の区切りの実線の間に折りたたみ椅子に座ったおまわりさんが3脚のようなものにレーダ探知機をつけて取り締まっていたのでした。当時の日本では100キロオーバーは現行犯逮捕だったはずですので九死に一生を得た出来事でした。
⑩しかし、そのツナギ事件の前にも、フランクフルトのカワサキショップで初期のZZR1100にまたがった時にやけにハンドルが遠く感じて、「日本に居たときに1000RXに乗っていたんだけど、これはやけにハンドルが遠いのは輸出仕様だからですか」、なんてたわいも無い問いにそこの店員が、「あなたは昔はもっと痩せていたのでしょう。お腹がタンクに当たっているのでハンドルが遠く感じるだけでしょう」なんて前ぶれのような出来事があったのですが、そのときにはカチンと来ただけでツナギの時のようにはムキにならなかったのです。
最近、「新車」 と見違えるかのような " 1000RX " を見かけました。iPhone で撮ったので少しレタッチしてありますが、初恋の人に再会したかのようでした。今となっては平凡な性能、でも " 1000RX " にしかない外見から受ける印象は健在で、自分の美的感覚を1から10まですべて満たしてくれる、満点をあげられるバイクです。思わず、抱きつきたくなるような衝動に駆られて、辺りをキョロキョロしてしまいました。
" 1000RX " のエキゾーストは、音が籠るんだけれどもそれを強引に搾り出したような、超ハスキーボイスな女性歌手の叫び声のようで、絶対に頭から離れないものでした。それも傍からではなく、乗ったものだけが聞ける、そんな音なのです。今までに、2度と同じような音を聞く事はありませんでした。
「手にしたのに、手放してしまって、後で大後悔した」の典型がこのバイクとの事でした。初恋の君が、昔のままの姿で目の前に現れたら、どんな男だって動揺して、激しい動悸が起こって目まいしそうになるに違いありません。そんな事が起きた日でした。
色々情報収集して、その時たまたま雑誌の座談会でRXとFJで「200km/hからの追い越し加速が、FJの方が速い」などと発言する方がいたり、空冷4気筒の集大成(DOHC4バルブでハイパワー追求の排気量拡大の極致に達していた)で、今FJに乗らなければ今後は水冷バイクしかなくなってしまうだろうという事でFJの購入となり、私にとって1000RXは「乗り損ねたバイク」になってしまいました。
が、しかしFJを選んだことにより「FJはRXより速い」発言をした御仁と20年来のお付き合いとなり、RXを選んだのとは、たぶん大きく違ったバイクライフ・交友関係になったんだろうなと思うと、乗らなかったRXというバイクも私にとっては強い印象を残すバイクとなりました。
ちなみにこの御仁、今でもバリバリのFJフリークです。
「分岐」って、「枝分かれ」でもいいのです
が、その後の展開を大きく左右する時がありま
すよね。そして、後で考えると自分のその時の
判断が、「良かった」と思えるような時、幸せ
な気になれます。
当時の私は、GPZ900R か 1000RX かでしたが、
1000RX に乗れて良かったと思います。その後に
GPZ900R は嫌って程乗れたのですが、1000RX は
カワサキのバイクとしては極端に販売期間が短
くて乗れたかどうか分かりません。
バイクって、普通だったら知り合わないような
人たちとの出会いを作ってくれますね。お互い
に良いバイクにめぐり合ったようで何よりで
す。
1000RXは7,8年前に乗っていました。
股がるとどでかい猛禽類の背中に乗っているような感覚、おっしゃられるような
腹の底から絞り出すようなエキゾーストも好きでした。
開ければ突進、といった感じで加速し、その一方何もない直線路を、
噛み締めるようにただゆっくりと流す「一体感」のようなものが楽しくて、買い物にツーリングにと
大活躍したバイクでした。
今はZZRですが、やはりあのスタイルに惚れた部分もあります。
ウインカーと一体の張り出た部分が航空機の翼のようで、
有り得ませんが少しだけ「離陸」の夢を見させてくれるのがいいです。
そういえば1000RXに乗っている時、街で駐輪する際に
近くを通りかかった主婦らしき方から「なんというバイクなんですか」と聞かれて、
しげしげと見つめていたことがありました。
その他にも、1000RXに乗っていた頃は「そのバイクについて人に話しかけられる」
という経験が特に多かったです。
1000RXがデビューした頃のバイクの世界はあまりよく知りませんが、
おそらく相当な出来事だったのだろうと想像します。
"「何もない直線路を、噛み締めるようにただゆっくりと流す「一体感」"
うーん、「乗った者だけに分かる感触」です
ね。別の言い方をすれば、「道に咬む様に」と
か、変な言い方ですが通った道が次々とまるで
「耕されて行く」「掘り起こされて行く」様な
独特さがあったと思います。これはその前にも
その後にも2度と体験できなかったことなので、
「忘れ難いバイク」になっていて、「もう一度
乗ってみたい」の気持ちが膨れたまま萎まない
理由の一つです。
「人に話しかけられるバイク」に乗っている
と、見栄とかのプリミティブな動機ではなく、
「誇りに思える」ような「幸福感」の様なもの
を感じます。しかも、話しかけてくれる人が
「普通の人」だと、「面倒くさい」なんて感情
が湧くような事も無く、ちょっとした「バイク
広報」のような感じで、能弁になったりしま
す。普通の人がバイクに興味を持ってくれるの
が嬉しくなるからでしょう。
1000RXは、当時では「唯一無二なオリジナリテ
ィな姿形」で、目立ちまくりな一品だったと思
います。