ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

「我、日本のマルコ・ポーロとならん」自転車で単独走破した14480Km

2012-04-17 21:14:43 | 本の話・素敵な話

「我、日本のマルコ・ポーロとならん」
自転車で単独走破したシルクロード 影山淳著 読んでいます。

東京新聞出版です。
以下はたぶん東京新聞の紹介文。

マルコ・ポーロの『東方見聞録』を愛読する筆者は、55歳を過ぎてからマルコの辿った道を自転車で走破することを決意。サラリーマンのかたわら夏休みを利用して、2003年から8年を費やしてトルコから中国・北京まで、延べ240日、14,480kmを踏査した。

 地中海沿岸からイラン、紛争で混乱するアフガン、パミール高原、西域の砂漠、敦煌、そしてフビライ・ハーンの大都へ。

 自転車の旅だからこそ発見した、知られざるシルクロードの自然と人々の生活を報告する。

「目標を持って頑張れば、仕事も生活も生き生きとする」と仕事に邁進する筆者は、若き日に、マナスル峰8156mに登頂。還暦を過ぎても世界を舞台にビジネスで駆けめぐる。

 若きサラリーマンから熟年世代まで、戦う男たちに勇気を贈る応援歌となっている。


1章 日本のマルコ・ポーロ、いざ出陣!
2章 灼熱のイラン高原横断
3章 ペルシャ湾からアフガニスタン国境へ
4章 厳戒態勢のアフガニスタンに潜入
5章 アフガン入国を拒まれ、パミール高原の横断へ
6章 カラコルム・ハイウェイ
7章 西域南道・タクラマカン砂漠
8章 北京めざして河西回廊を走る


【著者紹介】

影山 淳(かげやま・じゅん)

1947年、静岡県掛川市生まれ。1972年に自動車でローマ~カトマンズ1万5千kmを走破。76年マナスル(8156m)に登頂。製茶機器メーカー寺田製作所(静岡県島田市)に勤務。長年中国などアジア各国、ロシアなどを営業で回る。現在、製茶機械輸出会社を経営。名古屋山岳会会員。掛川市在住。



  
今私は第1章を読んでいます。


スタートは、地中海に面したトルコ・アダナ市のライアス港。
今やっと1章の終わり頃だけど、いたる所でトルコの人達から彼は親切にされている。
読んでいる私もその度に「有り難いなぁ・・」「嬉しいなぁ・・」って思う。

・・それで今夜は

「エルトゥールル号の遭難」 の話を思い出したのでした。

さっき探し出して再アップしちゃいました。

またゆっくり

我、日本のマルコ・ポーロとならん  紹介しますね~~★


おっと 彼のHPです。

ようこそ、影山淳のホームページへ
http://www4.tokai.or.jp/junkage/index.htm


今、2003年 トルコ~イラン TURKEY-IRAN (第1章・・この辺りを読んでいる)
http://www4.tokai.or.jp/junkage/marco/marco2003/2003top.htm


絵心のある方で、水彩画が素敵です。

  

エルトゥールル号の遭難 -命の光からー  再掲載

2012-04-17 21:14:43 | 本の話・素敵な話
 
2011-08-17 22:25:41 | 掲載の再掲載

「TKCビジネスワンポイントニュース」「TKC商工ニュース」 
2002-11月 「付録資料」より                                  

ーー語り継ぐべき歴史ーー                               

エルトゥールル号の遭難 -命の光からー 

 和歌山県の南端に大島がある。その東には灯台がある。明治3年(1970年)にできた樫野崎灯台。今も断崖の上に立っている。

 びゅわーんびゅわ-ん、猛烈な風が灯台を打つ。どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。

台風が大島を襲った。明治23年9月16日夜のことである。

午後9時ごろ、どどかーんと、風と波をつんざいて、真っ暗な海の方から音がした。灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。

「何か大変なことが起きなければよいが」 灯台守は胸騒ぎがした。しかし、風と岩に打ちつける波の音以外は、もう何も聞こえなかった。

 このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台の方へ押し流されてきた。全長76メートルもある船。
しかし、まるで板切れのように、風と波の力でどんどん近づいてくる。
あぶない! 灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、海面には、岩がにょきにょき出ている。

 ぐうぐうわーん、ばりばり、ばりばりばり。

船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに水が入り、大爆発が起きた。
この爆発音を灯台守が聞いたのだった。
乗務員は海に放り出され、波にさらわれた。また、ある者は自ら脱出した。真っ暗な荒れ狂う海。どうすることもできない。波に運ばれるままだった。そして、岩にたたきつけられた。
一人の水兵が、海に放り出された。大波にさらわれて、岩にぶつかった。意識を失い、岩場に打上げられた。

 「息子よ、起きなさい」 懐かしい母が耳元で囁いているようだった。
 「お母さん」という自分の声で意識が戻った。

真っ暗な中で、灯台の光が見えた。
 「あそこへ行けば、人がいるに違いない」

そう思うと、急に力が沸いてきた。40メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いたのだった。

 灯台守はこの人を見て驚いた。服がもぎ取られ、ほとんど裸同然だった。顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。灯台守はこの人が海で遭難したことはすぐわかった。

 「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と感嘆した。

 「あなたの国はどこですか」
 
 「…………」

言葉が通じなかった。それで、「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であることと、船はトルコ軍艦であることを知った。また、振りで、多くの乗務員が海に投げ出されたことがわかった。

 「この乗務員達を救うには人手がいる」
傷ついた水兵に応急手当をしながら、灯台守はそう考えた。
 「樫野の人たちに知らせよう」

灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆け出した。電灯もない真っ暗な夜道。人が一人やっと通れる道。灯台守は樫野の人たちに急を告げた。

灯台に戻ると、10人ほどのトルコ人がいた。全員傷だらけだった。助けを求めて、みんな崖をよじ登ってきたのだった。

 この当時、樫野には50軒ばかりの家があった。船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは総出で岩場の海岸に下りた。だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。目をそむけたくなる光景であった。村の男たちは泣いた。

遠い外国から来て、日本で死んでいく。男たちは胸が張り裂けそうになった。

 「一人でも多く救ってあげたい」

しかし、大多数は動かなかった。一人の男が叫ぶ。

 「息があるぞ」

だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。
村の男たちは、自分たちも裸になって、乗務員を抱き起こした。
自分たちの体温で彼らを温めはじめた。

 「死ぬな!」 「元気を出せ!」 「生きるんだ!」

村の男たちは、我を忘れて温めていた。次々に乗務員の意識がもどった。
船に乗っていた600人余り。そして、助かったのは69名。
この船の名はエルトゥールル号である。

助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。
当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。
井戸もなく、水は雨水を利用した。サツマイモやみかんがとれた。
漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。ただ、各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。

 このような村落に、69名もの外国人が収容されたのだ。島の人たちは、生まれてはじめてみる外国人を、どんなことをしても、助けてあげたかった。だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。台風で漁ができなかったからである。

 「もう食べさせてあげるものがない」 「どうしよう」

 一人の婦人がいう。 「にわとりが残っている」

 「でもこれを食べてしまったら……」
 「お天とうさまが、守ってくださるよ」

女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人に食べさせた。

 こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁寧に葬った。

このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして、明治天皇に言上された。明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに送還なされた。

このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。

 次のような後日物語がある。

イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。
イラクのサダム・フセィンが
「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」
と無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。
日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。
その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。日本政府は素早い決定ができなかった。空港にいた日本人はパニック状態になっていた。

 そこに、2機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。
日本人216名を乗せて、成田に向けて飛び立った。
タイムリミットの1時間15分前であった。

 なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。

前・駐日大使、ネジアテイ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子どもたちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」

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 エルトゥールル号の話は112年前の真実で、17年前のイラン・イラク戦争の時には、多くの日本人がトルコの人によって救われました。

決して、多くの人には知られていない歴史の真実です。


北のミサイル発射翌日に自衛隊撤収 リバティWebより

2012-04-17 15:11:06 | 石平チャイナ・政治・経済

HOMEDaily News Clip
北のミサイル発射翌日に自衛隊撤収 沖縄県民への過剰な配慮
2012.04.16


13日の北朝鮮のミサイルが爆発して失敗に終わった翌日、自衛隊は夜明け前から撤収を始めた。

自衛隊が地元住民に異常なほど気を使っているためだ。当初、防衛省は宮古島など沖縄3県への陸上自衛隊の派遣を530人予定していたが、3割近く減らしている。地元住民の「過剰配備」という批判を考慮してのものだ。



確かに自衛隊の物々しい配備は、見慣れていない住民からすれば不安を感じさせる。自衛隊が気を使うのも理解できるが、自衛隊は北朝鮮のミサイル発射から、沖縄の住民を護るために働いているのだ。

ミサイルは爆発して黄海に破片が飛び散ったが、もし陸地に落下したら、住民に被害が出たかもしれない。その場合、自衛隊の配備の少なさが批判されたことだろう。

今回、地元では部隊を受け入れていたが、自衛隊を厄介者扱いにするのではなく、自衛隊の活動を正当に評価するべきだろう。



15日の金日成主席生誕100年の式典で金正恩は、金正日総書記の軍事優先路線の継承を改めて宣言した。ミサイル発射失敗の不名誉を挽回するために、何をするかわからない。引き続き警戒が必要だ。

沖縄は日常的に中国の危機にもさらされている。『台湾と沖縄に未来はあるか?』(大川隆法著・幸福の科学出版)には、仲井眞弘多知事の守護霊が、沖縄が既に中国の工作員によって取り込まれている事実を知っていて、沖縄を護る気がないことがわかる。

沖縄県民は、沖縄を護っているのは米軍であり、自衛隊であることを自覚する必要がある。(静)



【関連書籍】

幸福の科学出版ホームページ 『台湾と沖縄に未来はあるか?』 大川隆法著、

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=731

東京都が尖閣諸島購入へ

2012-04-17 14:53:11 | 石平チャイナ・政治・経済
東京都が尖閣諸島購入へ 
産経ニュースより 転載

ワシントンで石原知事が明言 「日本人が日本の国土を守る」
2012.4.17 04:58 (1/2ページ)[尖閣諸島問題]

東京都の尖閣諸島購入について語る石原慎太郎知事=米国・ワシントン(石元悠生撮影)
 【ワシントン=石元悠生】東京都の石原慎太郎知事は16日午後(日本時間17日未明)、ワシントン市内のシンクタンクで講演し、「日本人が日本の国土を守るため、東京都が尖閣諸島を購入することにした」と述べ、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島を個人所有する地権者と交渉を開始したことを明らかにした。

 代理人を通じて詰めの交渉を続けているといい、基本的な売買の合意はすでに得ているもようだ。購入後は、沖縄県や石垣市に共同所有を提案する考え。

 石原知事によると、売買交渉は昨年末に開始。山東昭子参院議員を通じて地権者の埼玉県在住の男性と会談する機会があり、男性が「東京都が買ってくれるのなら売ります」と話したという。

 都の購入予定エリアは、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島で、価格は「10~15億円になる見込み」(関係者)。会見では、「都の予算は都民のために使うのが大原則では」との質問も出たが、石原知事は「大原則は国のためだ」と述べた。

 今年中に、専門家による審議会に諮り、都議会の同意を得る方針。現在、3島は、国が年間2450万円で賃借しており、来年3月31日の契約期限が切れるのを待って、都への所有権移転を目指す。

 石原知事は尖閣諸島について、「極めて重要な島々であり、所有者は代々、国益を常に念頭に置いて、これを守ってきてくれた」と強調。過去には、数名の仲間と尖閣諸島に上陸しようとし、灯台を建設した経緯があるが、「当時の外務省が時期尚早として海図に載せなかった」と批判した。


東京都の尖閣諸島購入について語る石原慎太郎知事=米国・ワシントン(石元悠生撮影)
 尖閣諸島をめぐっては平成22(2010)年9月、領海を侵犯した中国漁船が海上保安庁の巡視艇に衝突を繰り返し、船長が逮捕される事件が発生。中国の反発を受け船長を処分保留で釈放するなど日本政府の対応に批判が集まった。

 石原知事は「日本の国土を守るために島を取得するのに何か文句ありますか。ないでしょう。やることを着実にやらないと政治は信頼を失う。まさか東京が尖閣諸島を買うことで米国が反対することはないでしょう」と話した。


 石原知事は会見後、「尖閣諸島の周辺は豊穣(ほうじょう)な漁場で、自然エネルギーの開発でも大きな可能性がある。世界遺産に登録された小笠原のような豊かな自然も世界的に貴重なもの。都がこれまで培ってきたノウハウも生かしながら、この島々を舞台としてさまざまな施策を展開すべく、購入に向けて検討に入る」とするコメントを出した。



そうこなくっちゃ !