ゆらゆら生活

2012年に始まったゆらゆらとした生活の中、絵を描くことの魅力に。

想定外の病理診断に(回想)

2014-01-11 | 乳腺外科

手術後1カ月の診察で病理診断報告書を受け取った。

手術跡の痛みや突っ張り感はそれなりにあったが、傷の快復を実感でき、日々の生活でできることが少しずつ増えていたので、精神的にはやや高揚安定状態だったと思う。

ところが想定外の展開になった。

リンパ管侵襲はないものの血管侵襲は散見され、おとなしかったはずが核異型グレードが一気にアップ悪性グレード3と診断された。しかも術後の治療方法に抗がん剤を加えるかどうか、カンファレンスで意見が分かれたとのことだった。"どうしますか?" の不意打ちには、人生最大級に呆然とした。たぶん『抗がん剤治療をします』と告げられるよりも頭の中がぐるぐるしたと思う。

誠実な先生は、私の様子を見ながら治療による再発転移の確率などを丁寧に説明してくださった。頭の中で限られた知識を総動員してみたが、答えはでそうになかった。かろうじて思いついた、オンコタイプDX他の遺伝子検査について質問してみた。検査は可能だが、時間がかかること加えて結果はおそらくグレーになることから、結果を待つ間のことを考えるとお薦めではないと言われた。カンファレンス中、先生方の意見が何対何に割れたかまで知らせて下さった。

あれこれと引っ張ってみたが決められそうになく『時間をください』とお願いし、ひとまず放射線科へ向かうことになった。

放射線科で待つこと1時間程、その間いろんなことを考えた。ところが放射線科の診察では、抗がん剤治療をするかしないか決めてからでないと放射線治療の予定は立てられない、再び乳腺外科へ行くように、と言われた。

乳腺外科で再び待つ間に心は半分決まった。

『抗がん剤治療によって下げられる再発転移は2%』の説明に、それはゼロではないかもしれない程度だと思った。また、1週間位なら家事やいろいろなことを家族に頼ることもできるが、長期戦になるとそれも難しい。翌月趣味のイベントで上京する母はホテル移動の手伝い、友人との会食レストラン探しを私に求めている(≧∇≦)抗がん剤治療に向かう体制は全く整っていない。何より、えいっとう気持ちが絞り出せなかった。抗がん剤から逃げたい感情だけで決めてはいけない、と自分に言い聞かせてみても。私なりの基準で選択するしかないのだろうな、と思った。

再び会った主治医に "先生は抗がん剤治療に関してどちら側ですか?"と聞いてみた。すると先生は"僕はいらないと思う"と。『これで決まり!』と心はすっきりした。たぶんいくらか明るい顔で、"私は抗がん剤治療は選択しません。楽しいことをして2%分カバーします" と言った。

一応再度カンファレンスにかけられる形となったが、実質、抗がん剤治療をしないことが決まった瞬間だった。人がまばらになった院内を、放射線科再び乳腺外科へウロウロ、ひとりぽつんと待った時間も、今思うと必然だったと。異動されてしまって今はもう会えないその時の先生に、感謝している。


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