ゆらゆら生活

2012年に始まったゆらゆらとした生活の中、絵を描くことの魅力に。

緩和ケアの講座

2013-09-30 | 日常

緩和ケアにかかわる市民講座を見つけたのが、参加申し込みの機会を逃してしまった。貴重な話が聞けたかもしれないという思いと、知ることが怖いという思いがある。

"緩和ケア"で検索してみると、2002年WHO(世界保健機構)の定義があった。

緩和ケアとは、生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメントと対処(治療・処置)を行うことによって、苦しみを予防し、和らげることでQOL(生活の質)を改善するアプローチである。

ありがたい定義であることに間違いはない。私の心の中では駆け込み寺?ただ次の瞬間、一体どこに行けば、どんな緩和ケアが受けられるの?と思ってしまう。
通常の診察で忙しい先生や看護師さんをみているだけに、緩和ケアを望む患者全てが、希望する緩和ケアを受けることは、無理なことかと思ってしまう。

この先緩和ケアを求めることになった時、自分自身がどうなっているかはわからないわけで、今これ以上思い悩んでも仕方ない。

さしあたって、次回緩和ケアに関する講座を見つけたら、勇気を持ってまず参加することだろうか。



余命3年?について

2013-09-27 | 日常
昨日のフジテレビ情報番組で、アンジェリーナジョリー余命3年?アメリカのある雑誌の記事を紹介していた。詳しくはわからないが、雑誌記者が一線を越えない範囲で、取材内容を加工した感じだった。

アンジェリーナジェリーがどう考えているかはともかく、
私は、前向きに今できることを!と考えている、考えたい。その意味で、死ぬまでにやって見たいことリストを作ることは、ありだと思う。3ヶ月位にやってみたいこと、ささやかでも並べると、いくらか元気がでてくる。3ヶ月経って、もしまた次を考えることができたらそれはそれで幸せ、できればそんな風に考えてみたい。

今のところ、私はあくまで担当医からの情報として、余命に関わる話は耳に入れたいと思う。
ただ、医学的根拠もそれぞれ多様な"余命"を、束にして何かを語るのは無理があると思う。

患者側の医学的知識、価値観、医者との信頼関係、いろんな要素をバランスよく準備しておく必要があることを改めて思った。なかなか手強い。







腫瘍マーカー検査について

2013-09-26 | 乳腺外科

乳がんになってから、にわか勉強をした。
告知、手術、術後4ヶ月程担当してくださった先生は、私が質問すると、恐縮する程丁寧に説明してくださった。

手術前に、手術後6ヶ月毎に腫瘍マーカー値の検査をします、と説明を受けた。なぜそんなに間をとるのかが納得できずに、質問した。残念なことに具体的な言葉は覚えていないのだが、先生のお答えは次のようなものだった。

乳がんは他のがんとは異なります。
手術で全てを取り去ることは難しく、ガンの種のようなものすでに体のいろいろなところに散らばっていると考えられます。ただ、そのガンの種が悪さをするまでの時間にかなりの幅があります。その幅を出来るだけ長くするために治療をしていきます。だから、悪さを始める前に、頻繁に腫瘍マーカー値の検査をすることは意味がないのです。(確かそんなことを)

その場では、納得したような、してないようなそんな気持ちだった。

手術6ヶ月後、腫瘍マーカー値の検査を終えて、毎月この踏み絵のようなこの検査をしていたら身が持たないということを実感した。

ホルモン療法の薬の副作用が地味に辛い中、症状の大きな変化がない限り検査を増やさない方が、ストレスの軽減につながる。乳がんのことを忘れられる訳ではないが、検査結果◯には、瞬間的にはとりあえず元気が湧いてくる。頭のすみで逆の場合の覚悟をしている分だけ。"6ヶ月"の医学的基準はわからなけれども。


乳がんと向き合う気持ち

2013-09-25 | 日常
放射線治療を終えて5年間のホルモン療法となった。
3ヶ月ごとに薬を処方してもらい、6ヶ月ごとに腫瘍マーカー値他の検査を受けている。

外来へ向かう頻度が減ると、気持ちの持ち方が重要になってくる。
体調に波があって、なかなか良い調子だと思っているズキズキ痛みだし、いったい何が言いたいの!自分の体に問いただしたくなったりする。

何とか自分でコントロールできないかと奮闘したが、なかなか上手くはいかない。
結果、なるがままに流されようと思うようになった。

直前キャンセルの申し出が難しい集まりからは、勇気を持って退会した。
どうしようかな~迷う楽しいことは、自分の背中を一押しして、後回しにしないように決めた。
時々、自分のことを客観的にみるように心がけるようにする。
1ヶ月、または数ヶ月先のことを考えるようにする。
小さな目標、楽しみを見つけるようにする。
時々、自分で自分にささやかなご褒美をあげる。
ブログに気持ちを書き留めてみる。

いろんなことを少しずつ集めてエネルギーにして、エコモードで過ごしていきたいと想う。

放射線治療でのこと 待合室

2013-09-24 | 乳腺外科

手術後2ヶ月程の後、基本月曜~金曜週5回、2Gy x 25回 合計50Gyの放射線治療を受けた。放射線診療科は地下にあり待合室を含め通り抜け無しの空間、他の外来とは異なる空間だった。

放射線治療の必要性については充分納得していたので、25回の覚悟は決まっていた。
照射の日は、検査着に着替えて10分から15分程順番を待ち、照射を受ける流れになっていた。

放射線科の看護師や技士の方々が、毎日さりげなく優しく声をかけてくださり、もう少し待ち時間があってもいいかと思うくらいだった。本当に感謝です。相談や説明のための小さな部屋を利用することもあったが、廊下での看護師さんとちょっとした会話は周りの人に聞こえている。これが、患者同士の仲間意識の暖かい空気をもたらしていた。

看護師さんとちょっと辛い話を終え、よし!行くぞ!と、照射の部屋へ向かう年配の男性を、(頑張ろうね)両手をグーにして見送ったこともあった。

最後の日、看護師さんに皮膚の具合をみてもらい、その後のケアについてアドバイスをもらった。次の日から会えない寂しさもあってうまく言葉が見つからなかったが、心からのお礼を伝えようとした。
「また、お世話になる時にはよろしくお願いします」のようなことを心の中で思いつつ、その言葉はちょっと変だと一瞬迷っていると、看護師さんにはお見通し、だったようで、笑顔で、「もう、2度とここにはこないでくださいね」と。

治療後しばらくは、ひとりぼっちになった淋しさ悲しさに耐えなければならなかった。


マンモトーム生検 2012年6月

2013-09-23 | 乳腺外科

2012年4月 健康診断婦人科検診で、追加での超音波検査を勧められて受診、しこりの大きさを無言のうちに
測られた。たて1よこ1.2cmくらいのしこりが、自分でもわかった。
5月 嫌な予感がして、再検査のかわりにガン専門病院乳腺外科を受診した。
6月 マンモトーム生検をうけ、その場で、半告知される。

マッモトーム生検、はじめは3回針を刺すと説明を受けていたところ、充分採れたからと2回で終わった。

先生から、"針を刺した感触では、たぶんがんだと思います"と。
いくらか覚悟はしていたものの、不意打ちの告知?だった。
通常マンモトーム生検の結果を待って次の検査を予約するところ、その場でMRIの予約となった。普段は面倒に思う会計までの待ち時間が、私に居場所をくれているようで優しさすら感じた。

誠実な先生の"たぶん・・・"、ほぼ間違いないと確信していた上での言葉だったと。

今思うに、がんかもしれないと、焦りながら数日過ごすより、不意打ち告知で助かったと。
先生ありがとう。


ホルモン療法1年

2013-09-22 | 乳腺外科

2012年10月からアロマターゼ阻害剤フェマーラを飲み始めたので、まもなく1年。
冬より春、春より夏、副作用は楽にはなっている、と思いたいのだけれども、必ずしもそうではない。

体のギシギシがいくらか減ってきたものの、5月頃から胃腸の具合がさえない。
食いしん坊だったはずが、食べ物に対する興味が減ってしまった。
波がある首肩の痛み、外出時には鎮痛剤の助けを借りている。

それはさておき、1年間ほぼ毎日飲み続けた自分を大いに褒めてあげたい✌️
フェマーラあと4年の予定。ちょっとうんざりする気持ちもあるけれど、飲み続けられたら、
それはそれでいいことだと思いたい。涼しくなった分、楽になると思いたい。


今日一日が素敵な日でありますように

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