ゆらゆら生活

2012年に始まったゆらゆらとした生活の中、絵を描くことの魅力に。

「余命3か月」のウソ を読んで

2013-10-30 | 本・新聞

慶応大学病院放射線科、近藤誠医師は『患者よ、がんと闘うな』をはじめ話題の著作を出版されている。以前から気になっていたものの、何となく怖さもあって避けていたが、最近になってようやく『「余命3か月」のウソ』を読んだ。

見返しには『余命宣告の多くは、患者を治療に追い込むための”脅し”だった!』とあり、第1章 偽りだらけの余命宣告 に始まるこの本には、なるほどと思わせるくだりがあちこちにあった。確かに、手術直前ゴルフを楽しんでいた勘三郎さんが数カ月後に亡くなったことには違和感を抱いていたし、余命は本当に月単位でわかるのだろうか?と疑問に思っていた。また、がんと闘わなくてもいいという説にホッとしたことも事実だ。

だが、ちょっと待ってと思うところもいくつかあった。乳がん2年生今の私は、これまでの体験と照らし合わせながら読み進めるので、いいとこどりできる。だが、もし告知直後に読んだら、大きな不安にかられたと思う。分かり易いインパクトのある表現だけに振り回されてしまうだろうと少し心配になった。

いいとこどり、読んで良かったと思った点

⚫︎「余命はとは平均値ではなく、生存期間中央値」(p.55) 余命とは、同じ範囲の診断を下された集団のなかで、その半分50%の患者が亡くなるまでの期間だそうだ。

そもそも同じステージの集団であっても、年齢、体力だけを考えても患者それぞれ異なるはずだとぼんやり思っていた私にとって、余命の診断には少なくとも3ヶ月以上の経過観察が必要なこと、右肩下がりの生存曲線を挙げての余命の幅の説明、には説得力があった。結果、余命3ヶ月の根拠はあいまいで鵜呑みするべきではないこと、それはよくわかった。

⚫︎「治療法が、ひとつ、ということはない」(p.112)「治療法の決め方」(p.160) 日々の生活能力が保たれ、これからの日常をよりラクに過ごすことができる治療を選ぶ、とあった。

抗がん剤治療に立ち向かうことが全てではない。途方にくれた時には近藤医師の診察を受けてみたいとも思った。

⚫︎「なぜ、本物のがんは治らないのか」(p.70~)運命はがん幹細胞で決まります。いくら科学が進歩しても、がん幹細胞が生まれた瞬間をとらえて摘むことは、人間にはできません。

身も蓋もないと思う反面、運命は決まっている?説には、がん発症の原因について悔やむ気持ちを軽くさせてくれた。

逆に、納得できなかった点

⚫︎がんには「がんもどき」が多い。たとえばマンモグラフィだけで見つかる「乳管内乳がん」は、名前はがんでも無害な「がんもどき」です。(略)無意味な手術で、乳房を丸ごと切り取られる患者さんも多い。(p.72)

今時、マンモグラフィ検査だけで全摘出手術が行われたりすることはないと思うのだが?私の文脈の捉え方が間違っている??間違えているとしても、無意味な全摘出手術が多いと読んでしまう人が他にいるのではないかと思ってしまった。

「がんもどき」と「本物のがん」とは、はじめから決まっている?進化することはない??「本物のがん」だった場合、放置するかどうかはあくまで患者自身の選択だと思う私には、多くの研究者に「がんもどき」か「本物のがん」の診断に情熱を傾けて欲しいと願うばかりだ。

⚫︎がんと闘う、という無茶 どれだけ早期発見・早期治療の技術が進んでも、人口に占めるがんで死ぬ人の割合は1960年代から下がっていません。また、「標準治療」とされる手術、抗がん剤、放射線で最先端の治療をしても、逆に治療を全くしなくても、生存率はかわりません。(p.73)

近藤医師の長年の経験からの言葉だと思っても、文章を読むだけの患者にとっては、かなり厳しい言葉だ。「標準治療」によって日常を楽に暮らす時間を確保延長できている患者が存在しないとは思えないのだが。抗がん剤治療については、この言葉を聞いてもそれでも治療を希望する患者だけにした方が良いという意図があるのだろうか。また、1960年代には、がんと診断されることなく亡くなった人が大勢いたのではないだろうか? 食生活の変化などからがんにかかる人の割合が増えていたら、人口に占めるがんで死ぬ人の割合は意味を持たないのではないかと思った。

⚫︎「なぜ、本物のがんは治らないのか」(p.70~)運命はがん幹細胞で決まります。いくら科学が進歩しても、がん幹細胞が生まれた瞬間をとらえて摘むことは、人間にはできません。

数ヶ月前NHKで、がん幹細胞へ取り組む研究の紹介番組が放送されていた。残念ながら私の理解は伴っていないが、生まれた瞬間のがん幹細胞を摘むことはできなくても、ここで、この研究の存在に触れて欲しかった。

細かい点で疑問を抱いても意味がないのかもしれない。限られた知識と経験のもと、本を読んでの感想なので、間違っているところはあるかもしれない。

ひとつ確かなことは、患者やその家族には、可能な範囲で納得できる治療法を選択するための勉強が必要なことだ。うーん。さしあたって、信頼できる医師を探すこと、巡り会えることを祈ることだろうか。



秋晴れの日に

2013-10-27 | 日常

今日は雲ひとつない青空です。久し振りの秋晴れに私の心も軽く体の痛みが和らいでします。一人でも多くの人の体調が、少しでも良くなっていること祈るばかりです。

秋晴れの日に思ったこと

①計画を立てたいとは思いながら、キャンセルしなければならなくなることがを恐れて躊躇していた紅葉🍁を楽しむプチ計画、無理のない範囲で考えてみよう。

②この数ヶ月食欲の無さもあってかなりいい加減な食生活を続けている。食事のくふう本、ぱらぱらめくってみうよう。

③プチ断捨離少しずつすすめてみよう。中途半端でもいいから。

 

昨日嬉しかったこと

娘の友人のお祖母様が育てられた美味ジョナゴールド、お取り寄せしました。皮ごといただいています。

 


仮説 先生がフェマーラ副作用には触れない理由

2013-10-25 | 乳腺外科

夏の暑ささえ乗り切れば・・・と勝手に思っていたけれども、そうもいかなかった。何がいけないのかよくわからないけれど、首肩の痛みが頭痛になったり、手足の痺れのなったり、不眠を招いたりしている。

今週はこのところ2ヶ月おきに漢方薬を出してもらっている先生の診察があった。簡単に再発転移疑いで慌てたこと、眼科での検査のこと、首肩の痛みに鎮痛剤を服用していることを伝えた。すると、先生は、「肩凝りは年齢的にだれにもあることですから、鎮痛剤は胃の調子をみながら加減してくださいね~」と。

今の先生の診察は今年の6月からなので3回目。初回、前回はこれまでの経過も含めて、いろいろと聞いてくれていたけれど、クールな乳腺外科の先生なみに、結構スルーされた感じだった。

そこで私は考えた。
もともと肩凝り体質だしこれは仕方ないことだと、私自身が思っていること、先生は見抜いているんだろうな、と。
また、辛い症状について丁寧に聞いてもらうとホッとする部分もあるけれど、地味に辛い治療を続けなければならない感が私の中で増幅されるかもしれないこと、ご存じなんだろうな、と。

"私が普通に話している間は、スルーしておいた方が良い" と先生は考えている そんな仮説をたてて、納得することにした。


一人娘

2013-10-15 | 日常
現在乳がん2年生、ホルモン療法治療中の私です。
若い頃に卵巣嚢腫の手術後半年間、ホルモン治療をうけたことがあります。その時はの妊娠を希望しての治療でもあり、今とは身体的、精神的にずいぶん異なるものでした。治療の結果生まれたのが一人娘です。
その後、もう一人!と数年は頑張りましたが、子育てしながら出口の見えない治療に疲れ果て諦めました。

そのころ、私を救ってくれた友人の言葉がありました。
いつかは弟か妹をと思い続けているのではなくて、一人っ子でも閉じこもらず多くの人に愛される子供に育つよう、心して育てればいいんじゃないかしら、と。
彼女は、娘より2才年上の男の子を、一人っ子として素敵に育ててみえました。娘の初恋の相手たっだ?その子は、それはそれは優しくて力持ち素敵な感性を持った男の子でした。微笑ましいエピソードも幾つかあります。

幼児期の子育てと今は同じではありませんが、いつまでも見守っていけるわけではないと思う今、あの頃ことがじみじみと思い出されます。心して育ててきたつもりはあるのですが、ちょっと自信がありません。

余命宣告を受けた時には、"どうか、娘を遠くから見守ってください。よろしくお願いしますm(._.)m" と、会いに行く人リストを思い描いています。





不安感爆発

2013-10-13 | 日常
昨日、ほんの些細なことから私の中にたまっていたものが娘に向けて爆発した。2時間くらい泣きながら思っていることをぶつけた。支離滅裂な部分もあったけれども、悪かったという思いはあまりない。今伝えられることを伝えておかなきゃという思いが強い。

本来は娘ではなく夫に対してぶつけるべきかもしれないが。夫は乳ガン治療について何度か説明しても、あまり頭にはいらないなしく、的外れな言葉をいうことが多い。それでも、これまでに何度か伝えようと試みたが、それ以前の問題もあって、みのりはなかった。今の私には再挑戦のエネルギーがないので、相談したり支えあったりの夫婦関係は諦めてやりすごしている。自己防衛ストレス回避法といえるかもしれない。

20才になる娘だが、マイペースな性格?そんな年齢?私の思いに気が付いたりすることはまずない。昨日の私の爆発の後、言ってくれなければ全く気が付かない、と娘は言った。これまでも乳がんだからとは言わずに、何度か思いを伝えようとしてきたつもりだが伝わってはいなかった。まあ、育てた側にも問題があるだろうし、成人したとはいえまだ経験値蓄積中だろうとも思っている。仕方ないと思う反面、だからこそ焦る気持ちがある。いつまでも見守ってはいられないかもしれないからだ。今、娘に対して何も言わず踏ん張っていることはいけないことだと、しみじみ思った。

理由はふたつ
①私の気持ちを知らないまま私がいなくなった時、大丈夫だろうかという心配がある。少しずつ、私のぐちゃぐちゃな面をみることで、覚悟、納得ができるんじゃないかなと思う。
前にテレビ番組でDAIGOさんが話していた、がん再発を家族に伝えないでの闘病で亡くなったお母さんのことが頭の中で引っかかっている。彼が番組で全てを語っていたかどうかはわからないけれども、親が辛いこと苦しいことを我慢して隠したまま死んだ場合、残された子供の抱えるものは大き過ぎると思う。今はそう思っている。子供がその壁を乗り越えられると思えればいいのだけれども

②単純に私がさびしい恐い。時にはガス抜きして弱音を吐かないと、私が壊れてしまうと思う。私が壊れてしまって、一番困るのは娘だから。何とかして、壊れ切ってしまわないようにしたいと思っている。

"家族の支えがあってがんを乗り越えられました" という話を耳にすることがあるが、ひとそれぞれなかなか難しいことだと思う。ある程度の医学的知識を持って、客観的に思いやりをもって話をしてくれる存在が一番ありがたい。患者にとって新薬の開発に匹敵するくらい。こんな風に考える人多くないのかな。


眼科 フェマーラ副作用視力に?

2013-10-10 | 乳腺外科

フェマーラを服用すること1年。フェマーラががん細胞増殖阻止に励んでくれていることを願うばかりです。

酷暑の後涼しくなれば、体調もスッキリすること期待していたが、首肩腕のぎしぎし痛み、頭痛から解放してもらえそうにありません。フェマーラとはあと4年!!地味にきつい。でも、4年服用するということは無事を意味するわけで、それはそれで\(^_^)/

この数ヵ月、目の調子がおもわしくない 。近眼乱視メガネと遠視乱視メガネを使い分けているのだが、夕方疲れてくると近くも遠くも見えなくなる。

昨日、ぐずぐすと先延ばししていた眼科へいった。
検眼の時、まばたきをし気合をいれると見えるのだが、次の瞬間には画像がぼけてしまう。メガネの度数をあげても視力はでなかった。先生の診断は目の水晶体の濁りによって霧がかかったように見える"霧視(むし)"、おそらくフェマーラの副作用だろうとのことだった。目まで副作用が出るんだ~と思いながらも、ひとまずほっと。

目のピント調節機能を改善するための''サンコバ点眼液''が処方され、3ヶ月ごとに経過観察をすることになった。その目薬をクリニックで点眼してもらったところ、夕方の景色が久し振りにはっきり見えた。

 


内科 レントゲン検査の白い影

2013-10-04 | 内科・整形外科 ほか

乳腺外科の先生から、通常の健康診断は別に受診しておいてくださいね、と言われていた。まずは大腸ガン健診、これは問題なし。次に胃がん健診、ポリープが見つかり胃カメラで検査するも大丈夫でしょうと。その次に心電図、これは問題なし。

ところが、胸部レントゲンを撮ると白くもやっとした影がみつかり、手術痕の可能性も含めて、乳腺外科の先生への相談をすすめられた。

最初は、来月の定期受診でいいかなと思ったけど、すぐに乳腺外科に電話をした。すると看護師さん応対だと思っていたところ、先生が電話でてくださり、"いつだったら、外来まで来れますか?"に翌日を選んだ。
先生と話ができたことと翌日予約にほっとしたものの、時間がたつと逆に心配が膨らんできた。いろいろ考えても仕方ないと思いつつも、頭の中で最悪のシナリオがぐるぐるまわる試練の一晩だった。

結果は前横2方向からの胸部レントゲンを撮り、問題はないでしょうと診断され事なきを得た。診察室で全身の力が抜け、椅子から転げ落ちそうになった。念のため、来月CT検査を受けることになった。
後回しにしている子宮ガン健診もちゃんと受けなければ、帰り道に思った。


カミングアウトその後

2013-10-02 | 日常
カミングアウトした人に、体調について、どのくらい正直に話をするかはその時々迷うところである。

すれ違いざまに"元気そうじゃない!"と言われた時には、完全に固まってしまった。そんな時は、勿論、本当のことをを答えたりはしない。相手も明らかに何かを聞こうとしているわけではないと思う。もっとも、このタイプの人に、何かを聞こうとされてもそれはもっと困ることだ。

"ちょっとちょっと、◯◯さん、次の検査明後日なんだって~明日はもう来なくていいわよ!"と、いきなり離れたところから大声で言われた時には、ありえない!と思い、凹むを通り越した。自己防衛本能なのか彼女を客観視し、品のいいマダムだと思っていたけれどもわからないものだなあ、と。

心優しい友人には、旅行など何かの計画を立てるにあたって、必要に迫られて本当の体調を伝えることがある。今のところ、これが一番理想的だと感じている。心優しい友人には全て話してしまいたい気持ちはあるけれども、逆の立場を考えるとちょっと重いかと思ってしまう。

カミングアウトにあたって気がついたこととして、何人かの医療現場に近い友人にとても救われたことがある。医学的知識のもと、冷静に受け止めてくれるからだ。
ある時ごく自然な流れで、"途方にくれた時には、助けを求めるわね"と言うことができた。少し話したことのある彼女のご主人が緩和ケアにも携わる医師であることを知っていたものの、その言葉を自然にだせたのは、受けて止めてくれる空気感をもつ彼女のおかげだと思う。かなり重いひとことなのに、私の心はとても軽くなった。実際に何かをお願いすることのある無しにかかわらず、私にとって、大きなお守りのような言葉となっている。

カミングアウト

2013-10-01 | 日常
乳がんの告知を受けた時のことを思い出すと、当然のことながら気持ちに余裕がなく、記憶が断片的だ。
時間の経過の中、何度かのタイミングで乳がんのことを周りの人に伝えた。逆に、伝えない選択もした。

まず、検査の経緯から話をしていた友人がふたりいる。
これまで何かと力になってくれていた友人だが、カミングアウト以後、一層ありがたい存在だと心から思った。本当に感謝している。

乳がん診断と10年近く働いた会社の退職がほぼ同時期だった。乳がんとは関係なく1年以上準備してやっと実現した退職だったので、基本カミングアウトはしなかった。
ただ、個人的に親しかった2人には、彼女達に健診を受けて欲しいという思いがあり、乳がん疑いであることを伝えた。病気のことが無ければ、その後のおつきあいはあったかもしれないが・・・。

手術当時、その数ヶ月前から屋外スケッチの仲間入りをして、その後グループ展を控えていた。そのため、取り纏め係りに、カミングアウトする必要があった。これまでの友人とは異なり、絵を描くことが好きというひとつで繋がっている仲間、さりげなく暖かく聞いてもらえたことがとてもありがたかった。
MRI 検査を受け手術をすることが確定した日と月2回のクラスの日が重なっていたため、手術説明の数時間後には、取り纏め係と先生に状況を説明することになった。

今にして思うと、カミングアウトする必要&体調に合わせての参加を受け入れてもらえたこと、この流れにかなり救われたと思う。心身弱っている時に、ドタキャンありで好きなことに参加できる機会に恵まれたこと、そのありがたみは計り知れない。

逆に、入院直前、決まっていた食事会欠席を伝えなければならなかった知人に、カミングアウトするつもりで電話をしたところ、欠席を切り出した時の反応に唖然とし、急遽カミングアウトは見送った。以後、可能な範囲で会うことを避けている。

数年に一度のペースで会う、年上の友人がふたりいる。このふたりには伝えなければという思いが強く、受け取った年賀状から友人がまあまあ元気でいることを知った後、電話をかけて伝えた。こころが少し軽くなるカミングアウトだった。

その後、これまでに伝えたい人へのカミングアウトは終えたと思う。周りの人の多くにカミングアウトして楽になりたいと、悶々とした時期もあったが、今はちょっと変わった。

乳がんだと知っている人からのこころない言葉に、凹んでしまうことが結構多い。限られた乳がん知識に基づく年上の方からの励まし?の言葉にきついものが多い。目がてん、返す言葉がみつからないことがある。

一方、相手が乳がんのことを知らない場合は、何を言われても、まあ仕方ないと思えるので、あまり凹まない。

弱気になった時、こころ優しい人には、際限なく頼ってしまう恐れを感じている。うまく表現できないのだが、頼る気持ちが大きくなると、自分自身を失ってしまいそうな気がする。自己防衛本能からか、人と少し距離をおこうとするようになった。完全にほっておかれるのは勿論寂しい。理想的な微妙な距離を望むのは、ささやかな我儘かもしれない。

ピンクリボン活動に加わりたい思いは十分あるけれど、日常生活におけるカミングアウトを基本終了したいと考えている。ストレスレスな生活で身を守るために。






今日一日が素敵な日でありますように

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