yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

悲しい歌が・・・。

2011-04-08 17:34:59 | 独り言
私はこの歌を読んで胸が締め付けられた。何をしているのかとしかられた気分がした。何を見ているのかと非難された気がした。何もわかっていなかったことに腹をたてた。同じ思いを抱けないのだと思った。家があり眠るところがあり食べる食事がある、幸せとは言えないがそれを持っていることに、人に優しく馴れると、いいえ、今は何もわからなくなりました。どのような言葉も今ははけない気がしている。

頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。
頑張ろう、頑張ろうって言うけど、 家が流されたんだよと、福島の兄に電話したら、言われました。
おまえ、ちゃんと分かってるの?
超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、
あの帰る家がね、全部流されたんだよ。
俺、もう、家ないの。
明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。
今日も疲れた-!ってドア開けてホッとするような所がね、
全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。
おまえ、家ないのに頑張れる?
服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。
よし、頑張ろう!って思える?
すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。
ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。
いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。
仕事もあるじゃんって。
おれ、船、なくなったんだぞって。 多分、漁師はもうできないと思ってる。
もう、なーーーんもない。 どう考えたら、今、頑張れるんだよ。
ちょっとでも頑張れる何かが、今、俺たちにあるのか?
「いや、今はこっちで頑張るから、おまえらは1年ハワイでゆっくりしてきな」 とか言われたい。
「おまえらが帰ってくるまでに片づけとくから。家も建てとくから」 とか言われたい。そしたら、俺だって頑張るよ。
毎晩、うなされるし、夜いつまでも眠れない。
流された人を何人も見た。 顔見知りも流された。 その頭にある映像を何回も思い出す。
そのたび、津波がこうくるって分かってたら、あの人を助けられたかも、とか。
時間が戻せたら、隣のおばあちゃんちに寄ってあげたかった、とか。
1人でも助けて英雄みたくなったら、まだやる気が起きたかな、とか。
俺、1人で逃げてきたわけ。 誰も助けなかった。おばちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。重そうなもの持ってる人とかもいたのに。
もう100万回くらい、100通りくらい後悔している。
4日目にやっと町に行っていいと言われて、 どっから手をつけていいかわからないどころか、
いっそもう何もしたくなくなるような町だった場所を見て、
ここを復興だなんて、微塵も思えない。今も。 蓋をしたい。見たくない。
町を見ると、死にたくなる。 自分の人生は、もう終わったなって思うよ。
こっからは、もう、どう頑張っても金持ちにもなれないだろうし、
家だって、もう、二度と持てる気がしない。
何も希望なんかないよ。
そんな俺たちがさ、避難所で、CMでアイドルや俳優を見てさ、
「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、
ああ、あの世界は自分たちとは、もう全然違ってしまったんだと思う。
家がある人の言葉だなーと。安定してるなーと。
そんなCMとかして充実もしてんだろうなーと。
家が流されてなくてさ、帰る場所があって、仕事があって、
地に足が付いてる人が、すげぇ神妙な顔で、お洒落な服で、こっち見て何か言ってるな、と。
おまえに言われたくないと。ほんとに。何も言わないでほしい。
大丈夫なわけがない。 おまえらに大丈夫だよ、とか言われても、大丈夫なわけがない。
どう見たら、この状況が大丈夫になるのか、胸倉つかんで聞いてやりたい。
も、怒る元気もない。やる気もない。
ボランティアや取材のやつらも来て、色々写真とか撮って、
「実際みると、テレビとかとは全然違いますね」とか言ってて、
数日たったら「元気出して頑張って!」とか言って、
自分たちの家に帰っていく。
正直、復興なんてクソ喰らえだと思うよ。
「何か、できることある?」 何を言っていいかわかんなくなって、兄に泣きながら聞いたら、
「正直、不幸になってくれたら嬉しい」 と言われた。
「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、
俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー」 と言われた。
「俺たちを想って歌とか作られても今は不愉快だから、
 東京も全部流されて、それでも「頑張ろう」って言われたら、
 頑張るよ。その人の歌なら聴く。
 知らないやつに、馬鹿みたいに「頑張って」とか「大丈夫」とか言われると、
 今は正直、消えてほしくなるよ。 募金は嬉しいよ。で、ボランティアじゃなくて、ビジネスで、仕事として、
 町を復興に来てくれた方が、こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。正直、ボランティアに「ありがとう」とか言うのも苦痛。」 と。
兄と電話で話してから、テレビを見てたら、すごくモヤモヤしてしまって、増田に書きなぐりました。

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