yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

言葉が分からない・・・

2011-01-16 22:36:58 | 独り言

言葉が分からない・・・

生きるために必要な物とは尋ねられてはいそうですかと 答える事の出来る人はそんなにいないのではないか。
「命でやしょうか」「金でしょうか」「空気でありやすか」「水でしょう」「連れ合いです」そんなに咄嗟に出てくるものではない。人それぞれに違った言葉を返してきた。ことば・・・と書いてはたと考えた。生きるために必要なものは言葉。人は一人では生きられないから言葉が必要だ。みんなが共通に使える言葉が、意思を伝える言葉ではなかろうかと気がついた。
 歳を取ると記憶の倉から引き出すのに時間がかかる様になる。分かっているがなかなか実像と言葉が重ならなくて間違った言葉を発してしまう事が多い。すんなりと思う言葉が出れば誤解も少ないが、言葉がうまく出ずに気まずい思いをすることもしばしばあるだろう。言葉はゆっくりと思い出すように喋ることにしている。書くことにおいては間違うこともなく言葉を選べ直ぐに頭に浮かぶのだが。
 生きるために必要なものとして言葉を選んだが皆さんはどうか。  何んと答えてもそれらはすべて正解と言うことなのです。
 言葉と同じで昔から心に引っかかる問題を抱えています。
 もう四十年も前の事でしょうか、私の住む倉敷水島は工場の煙突が数十本も林立し五十メートルの炎を一日中あげていたときの話です。その下では夜に新聞紙が読め私のところからは夜空が真っ赤に焼かれて毎日大火事の空を眺めているようでした。全国からオルグとして沢山の人たちが来ていました。彼たちはこれからどのように対抗する運動を展開するかを協議していました。参加した漁師の方は、
「排水溝にコンクリートでも流し込むしか方法はなかろう」
「むしろ旗を掲げてのデモじゃ」
「くそうてどうもならん魚を県庁の玄関と工場の玄関にばらまいたらどうじゃろう」
「署名運動はどうかの」
 この言葉に何の力もなかった。全然伝わらなかった。言葉は相手
に伝わらなくては必要なものにならないのだ。すったものだと言葉の応酬をしても平行線では言葉が生きていないということなのだ。それは突き詰めて言えば双方に言葉がなかったということなのだ。むなしいやり取りの言葉ほど疲れるものはない。
「知りません」「わかりません」という言葉がまかり通っている今の世の中は死語が行きかっているということでそれを容認している
社会は終末に近いということなのかもしれない。感情的な言葉のやり取りは言葉であって言葉ではないものになる。あるる思いと心の入っている言葉には程遠いものなのだ。それを言葉とは言いがたい。
 倉敷水島では次の会話にならない言葉のやり取りが続き、
「責任を取れ」「責任はない」との応酬がむなしく響いていた。
 そんな中、小さな支援グループの人たちと知り合った。都会から数人で公害反対運動をしている人たちであった。事務所を開き電話だけ引いた侘しいところだった。資金が潤沢ではないことはすぐにわかるところだった。大学生らしかった。学生運動の崩れたものであったろう。
「運動資金がなくなって困っています。どうかこの本を買っていただけませんか」と公害に関係した本を持ってきていった。
「明日運動に必要な電話を止められるのです。お願いです」細面の端正な顔つきの青年は言った。頭を下げることはなかった。そんなに困っているのならと思い言い値で買った。そのときが縁で読みもしない小難しい本を何冊か買う羽目になった。
 この土地の人たちが尻込みをして反対運動もしないのにわざわざ遠くから支援に来てくれていると思うとむげには断れなかったのだ。
 了解、納得には言葉が生きていて伝わったものだ。
「あの、売る本もなくなったので外にまたしている女を買って貰えませんか」この言葉には驚くと同時にあまりにも重過ぎた。
「そんな、そんなにしてまでこの水島の公害反対運動をする意義があるのですか」
「私たちがここへ来ているのは半端なものではないのです。使命を持ってきているのです」
「今のようでは使命も何もないのではないのではありませんか」
「だから女も男も体を売るのです」
「そこまでしても・・・なお・・・」
「ここでなくてもどこでも良いのです。実践の限界を試しているのですから・・・。何ができるのかをためしているのですいから、どれだけ人間は耐えられるのかという」
 この青年たちは女の子の売春によって運動を続けていたのだがいつの間にか消えていた。
 言葉が通じない社会になりつつある。とそのときにも思った。それは世代の相違でなく考え方の違いだった。売春しても電話代を稼ぎ運動を続ける、今になっては菩薩のようにも思われるが、操を売っても続けることに意義があったのかは疑問であるが・・・。
 また、大臣の名刺の裏にこの者をよろしくと書いたものを持って公害企業を訪ねあるきタクシー代を稼いでいた業界紙の人たちのことも言葉が通じなかった。
 いろいろのことばが氾濫していた時代、今もあまり変わらないが・・・。
 意味はわかっても言葉が通じなかったなと今も思っている。  

年寄りの冷や水

2011-01-16 00:56:08 | 独り言


年寄りの冷や水

「頭から水をぶっかけられたようで目が覚めた」
 何か良くないことを夢中でしていてそれに気づくことをそのように言う人が多い。年寄りには年寄りの冷や水と言う言葉がある。年寄りの冷や水とは歳を考えずに色々と出しゃばることらしい。
 今の年寄りは七十五歳くらいからか、それまで矍鑠とした年寄りが多い。昔の五十五歳ぐらいにしか見えないのだ。五十五歳で定年だったから後の時間をどのように生きたのだろうかと言っても今の様に長寿ではなかった。平均寿命が六十幾つという時代であった。その頃の人たちは戦争を挟んでいたからろくな物を食べていなかった。サツマイモでも食べられたらいい方で麦飯のお粥をすすりうどん粉を練っただんごを味噌汁に入れて食べていた。結核が死の病とされ、脚気やトラホームが多かった。栄養失調は慢性であった。
「飯食ったか」が挨拶言葉であった。
 そんな時代を一生懸命に仕事をし家族を支えたのだから老後は安穏に過ごせたかと言えばそうではなく僅かの年金で細々と生き六十歳を過ぎて逝った。
 そんな時代があったのかと思う人も多かろうがあったのだ。
 みんなが食えない時代の後、高度成長があり三種の神器を買えるようになり豊かになっていった。が、そこで日本人は大切な物を置いて成長したのだ。貧しかった頃には友を思う優しい友情があり、未来への夢が沢山転がっていたのだ。が、金を儲けるという裕福さだけを求めだしたのだ。自分のことしか考えない生き方を物にし出すと他人のことなどどうでも良くなり自分の利益にならない物は斬り捨てていった。学問を身につけることが財産をもたらする原点だとすると親はこぞって我が子を学校へ入れた。子供の言い分など聞かなかった。
「学校を出てなかったから出世もできなかったのだ。おまえだけは学校へ行き成功し金持ちになれ」子供の才能や学力を置いて行かせた。勉強について行けない子らはそこで挫折をした。先生達も教育の最高の環境ではなかったので見ているだけであった。
 行ってみればそれが今まで続いている。今の方が酷いかも知れない。自分の学力のことなど忘れて学校へ行きたがる子供達が増えたという点で。その程度の子が大学を出てもろくな就職口があるはずもなく挙げ句の果てにフリーターやニートになって失業率を上げているのだ。昔と違って親やが裕福だから親にぶら下がって生きている若者のなんと多いことだろう。
 他人はどうでもいいというのは、昔貧しかった頃の辛苦を供にした人たちをいとも簡単に遠避ける傾向がある。「なんとか賞」なる物を貰うと今までの仲間を捨てるのだ。つまり過去を分からなくするために自分の過去を知っている人は都合が悪いのだろうか。女たらしがばらされるとか、交通事故で子供を殺したとか、無学だったと言うことがばれるのが怖いらしい。自分の悪い噂を遠避けて守るのだ。これは教育でなく人間の有りのままの姿であるらしい。
 芸人は過去の貧しかった境涯を売り物にするしそれを創作する者がいるが、私のかつての友の絵描きや物書きは喋られたら困るらしい。
「良かったね。苦労が報われて本当に良かった」と逢ったら言おうとするが顔を背けられる。苦労をして賞を物にしたのなら少しは人間として成長しているかと思うがそうではない人たちが多い。なんと世知辛い世の中なのかと。そんな人間が文学賞をとっても後にろくなものを書けはしまいと思うのだが。その心の狭さで今審査員をしているのである。真実を読み取れるのか疑問である。これが世の中という物であることを知った元になっている。何が狂わせたのか、何か悪いことをしたというのかとこちらが心痛めるのだ。知識人ですらそのような現実なのだから外はおかしくなっても不思議ではない。親や先生の教育の所為ではなく文学的な生活をしなかったからなのである。 
 昔、私のいたころの東京は山の手線は朝夕の通勤時間を除けばがらがらで何時も吸われ寝過ごして一周することが出来たが、今はウイークディーの何時の時間でも満席で座ることすら出来ないのだ。それだけ親のすねを囓って生きている裕福な家庭の若者が増えていると言うことなのだろう。漢字も九九も分数も出来ず名前だけ書けば合格出来る大学がなんと増えていることか。そんな子らにもその子しか出来ないことがあるのだから大学へ行かすよりその路へ行かせた方がいいと思うが親としたらそうはいかないらしい。夜中にパートをしてそんな倅のために働いている親の姿を見るのも辛い。そんな大学が増えた分だけ教育助成金がみんなの税金で払われているのだと言うことを殆どの親や子も知らず親は自分が大学を出したと思っているのだから救われない。子も親が出してくれたおかげで大学を出ることが出来たと思い世の中に帰そうという気にはさらさらならない。中学校や高校を出て働いている若者から税金を取るなと叫びたい。かたや大学へ行き勉強もしないで遊んでいる学生は彼らが納めた税金を無駄遣いして遊んでいるのだ。おかしくないか、矛盾していないか、これは憲法違反ではあるまいか。大学を卒業する二十二歳まで若者は無税にすべきでではないか。中には國のために勉強してみんなを幸せにすると勉強をしている者もいるだろうが大半はそうではないのだ。子供手当で少子化がどうにかなるという物ではあるまいし高校無料化で高校生の学力が上がるとは信じがたい。ある基準に達している子に無償の奨学金を出し心おきなく勉強が出来る環境の整備こそが必要ではないか。待機児童の保育園や幼稚園があることがおかしい。子供手当で無料化のそれらを作るべきなのだ。ややこしい役所の権限を取り払えば直ぐに出るはずだ。
高校の無料化など高校までを義務教育にすればいいのだ。だが財政的に無理な子は夜間高校もあるし通信教育もある。大検もある。
 まず金儲けの大学を減らすこと。学校法人を減らし新しい法人は認可しない事なのだ。
 いままで沢山の人たちと演劇作りをしてきたが、第一義に人間教育を掲げた。演劇も教えたがまず挨拶を徹底的に仕込んだ。集団が出来ればそこには演劇が行われるのだ。演劇をする前に人間のなんたるかを知らないと表現が出来ないのだ。勉強もみんなで勉強をした。発生練習に九九を歴史年譜を化学記号を入れた。台本は子供達にも難しい漢字を多用して辞書で調べさせた。今それぞれに立派な社会人になってくれている。
 一芸の人もいる、漢字が読めなくても絵だけはうまいとか音楽的素養がある。手先の器用な子もいる、それらはそれぞれの路に進めばいいことなのだ。一芸の大学がある。その才能を見つける眼が現代の教育現場には失われていると言うことだ。
 これは悲しい現実ではある。
 昔こんな事ばかり書いて読者から抗議の投書を貰い水をかぶせられたのだが・・・。
さて、ここまで書いて頭から冷水をかぶって休むとするか・・・。