yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

長くなる・・・。

2011-03-21 02:09:22 | 独り言
長期戦になる・・・。

 被災地への支援物資が届くようになった。がそれば十分ではなかろう。にぎりめし一個に比べたらよくなったという程度なのである。ガソリン、灯油が依然届いていないのだ。一番酷いのは原発の退避勧告で逃避してきた人たちがいる地域だ。支援物資やガソリンや灯油はくるのだがいわき市に入ろうとしない運転者が多いという。運転手を捜さなくてはならないらしい。これは風評差別である。もっとも起きてはいけないことなのである。菅が幾ら貝割れを食べたとて解決できる物ではなかったことがその査証であろう。
 私はこのブログで海へ客船や貨物船を待機させてはどうかという提言をした。二次津波を警戒していたのかそれはなされなかったが、今ようやく船によって救援物資が届くようになった。自動車や貨物列車とは比べものにならないくらいの物量が揚げられるのである。言ってみれば一番効率が良いのだ。間に合って良かったと思っている。飛行場もようやくその役目を果たせそうなのもうれしい。これから陸続と物資は被災地へ流れ込み被災者の手元に届くことは頼もしい限りである。
 今日がれきの中から八十歳のお年寄りと十六の少年が助けられたと言うことは大きな光である。まだ生存している人がいるかも知れないのであることを実感出来た。諦めずに救助に全力を注いで欲しいと思う。
 原発の事故で三号機へ向けての放水は焼け石に水だとか気休めだとかと言う声を聞くが何もしないよりした方がいい。素人考えでも信じてそれをして貰いたいと思っている。だが、なぜ、他のところからの送電線を引くことを早くやらなかったかと言う疑問である。重油の貯蔵庫が津波で流されてディぜールの発電機が使えないと分かった時点でなぜ送電線を引くということが思いつかなかったのか不思議なのである。電力のプロである、一番に思いつくのが当たり前なのではなかったろうか。いささか遅すぎるの感がある。現場も本社もこんな状態になるとは想定していなかったのではないか。現場の意見が吸い上げられなかったのは、現場に入っているのは東電の社員ではない、すべてと言っていいほど下請けの社員であったのだ。聞く話に寄れば東電は下請けの社員を差別していたと聞く。だから聞く耳を持たなかったと言うこともある。メーカーの東芝、日立の社員にすら差別的であったと聞いた。そう言う東電体質があった言うことはあ事実てあったらしい。悲しいことにそれを管理監督する保安院は素人団体であったことである。許可を出し検査をし認可をする人たちが素人とは何という組織なのであろうか。テレビに出て説明している人は一年半前は特許庁にいたと言うことである。
 放水が万良く事故を終息させてもそれからが大変なのである。炉の中の燃料棒と使い済み燃料棒を五年間は冷やし続けなくてはならないのだ。大きく壊れて壁も天井もなくなった三号機四号機は燃料棒の貯蔵プールがあるのでそこから放射能が飛散するのである。いかに冷やしても僅かであるが漏れるのである。ロシアではそれをコンクリートで固めたのであるが日本もそうしなければならなくなるのか、東京ドームのような物で覆わなくてはならないことになるのだ。使い済み燃料の貯蔵庫として建設中の青森の施設はまだ出来ていない。果たして今回の事故で大きな反対運動が起こり出来なくなるかも知れないのだ。そうなると使い済み燃料は香炉の建て屋の中に造らなくてはならなくなる。これはこの事故で立証されたように危険きまわりないものになるのだ。今になっても福島第一原発は廃棄とするが第二は大丈夫だから運転する気でいるのだ。まさに気が触れたとしか言いようがない。地震と津波はもう来ないという理論らしい、が考えても見てくださいもう四十年も稼働している炉なのである。そして監督しているのが素人の集まりの保安院では心もとなくて夜も眠られないのだ。保安院の上層部は天下りの人たちがひしめいているらしい、東電の幹部もこれまた天下りの温床なのである。責任を取らない団体なのである。
 ああここまで書いて何かむなしい感じがしている。寒さに震えている。
 自衛隊の方達、東京消防隊の方達、警察官の方達、それに東電の社員の命を捨てた行動には頭が下がりお礼の言葉もありません、が、東電の社員とは下請け会社の社員であるのです。現場に入っているのは東電の社員は僅かであとは安い賃金の下請けの社員なのです。危ない仕事は東電の社員はしないのです。そのことも認識しておいていただきたいのでする。無事に収まれば東電の社員の誉れになり、しくじれば下請けの社員がと言うことになるのです。大手のやりそうなことで、メディアはそのことをはっきりと報道しなくては下請けの社員は浮かばれません。
 いやらなったのでこの辺で辞めます。

 庭の薔薇が日に日に芽を出し大きく枝を広げだしている。遅い水仙もようやく花を開きました。時の巡りは確実に春なのです。そんな花を見ても悲しいのはなぜでしょう。みんなが春を喜ぶことが出来ないと言う現実を知っているからなのです。ありがとうと大きな声では言えません。見て少し頬を膨らませるだけ。
 起きテレビを付ける前に昨日よりは良くなっていますようにとスイッチを入れています。そんな毎日です・・・。心に大きな穴が開いているようなのです。
 これからの日本がどうなるのか考えています。広瀬隆さんは二千五十年には日本はなくなっているかも知れないと書いてあった本をもう十年くらい前に読みました。それが現実感を帯びてきたことに恐怖を感じています。
 だが、四季は色々の草花を咲かせて励ましてくれるでしょう。何もここで落ち込んでいられないのです。再生しかないのです、これからみんなが幸せになれる本当の国作りが始まるのです・・・。


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