二人のこれから

日常を、つれづれに・・・

叔父を見舞う 一筋の涙

2019-04-20 | 日記

叔父は阪神間にある有料老人ホームにおります。少し前に誤嚥性肺炎で他の病院へ入院していると連絡を受け案じていました。
ホームへ電話をすると、すでに退院して戻っている・・・とのこと。

気になりながら、案じていても始まらない!と、一人ででかけてきました。
朝8時すぎのJRに乗り米原経由で大阪へ、大阪から阪神電車で行きました。

慣れた道をとことこ10分ほど歩いて叔父が入居しているホームに到着しました。

 

 

同じホームにおじの奥さんも入居していますので、まずそちらの部屋へ、ご無沙汰をお詫びして叔父の容態を聞きました。

誤嚥性肺炎になったときに呼吸が苦しくなり、気管切開をするかしないか?と問われた時に叔母(叔父の妻)は痛みは抑えてほしいが、切ることはしてほしくない、なるべく自然にまかせてくださいと申し出たそうです。

そんな訳で現状は、すでに口から食べることはできませんが点滴で生かされています。ベットのそばに行き、「ゆめですよ」と話しかけると、まっすぐな視線を送ってきました。目に力があります。どうやら私を認識してもらえたようです。

手を握り・さすりながら話しかけると、ところどころにふんふんとうなづきます。
一緒に過ごした頃のことを話すと指に力が感じられる・・・言葉にはならないけれど、解ってくれたようです。

私が中学生の時、叔父は大学生でした。10歳の年齢差の叔父です。その時期に私はいろんなことを教わった気がします。
叔父に話しかけながら涙が溢れてきます。と、横向きで私に向き合っている叔父の目頭にも涙がたまって一筋頬を伝います・・・その涙を拭きながら、また私は泣けてきました。

正確には解らないものの、叔父のくやしさが伝わってきました。


3 時半をめどにホームを出て、来た道を戻りました。

 


途中の大きなお寺の横を通り、駅に着きました。 

ここから大阪へ出て地下街の雑踏のなかを大阪駅へ、米原で乗り換え3時間半、家に着いたのは19時半を回っていました。
どうしてやりようもない思いに気持ちの疲れた一日でしたが、行ってよかった・・・ 


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