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つれづれなるままに・・・・

長崎の夜

2011-04-12 | 
長崎の夜はどこへ行こうか迷うことなく新地へ。
平日ということでか、人は少ない。
いや、震災で自粛や外国人観光客が激減ということでした。



娘の仲良しの友人が長崎の出身なんですが
江山楼を勧められたらしく
行ってみたいというので行くことにした。
前回来た時はこちらのコース料理を食べたのですが
今回はチャンポンや皿うどん、トンポウロウなどをチョイスして食べた。
やはり長崎に来たらチャンポンと皿うどんは外せません。
実は大好きなので家でも時々食べるし
トンポウロウは時々冷凍の物を送ってもらいますが
やはり本場の味は出せません。
ちなみに次の日の昼も別のお店でチャンポン食べました^^;

長崎は西洋料理の発祥の地ということで
洋食屋さんも多かったです。
本当に食べたいものがたくさんありまして
いろいろ食べていましたら2kgも太ってしまいました><
中でもトルコライスと呼ばれる
ピラフやスパゲッティ、トンカツなどが盛られた洋食は
食べ応えがありました^^
まるでお子様ランチの大人バージョンです。



さて、長崎の夜といえばやはり稲佐山からの夜景。
今回は稲佐山にあるホテルに泊まったので
とても景色が良かったです。
部屋から見える長崎の夜景は本当にきれいでした。



長崎観光その2

2011-04-10 | 
2泊3日という短い時間でしたが
街が狭いのでいろいろと
いろいろと見て歩くことができました。
他にも見たい所がたくさんありましたが、
次回にお預けです。
基本的にのんびり旅行なので
あまり詰めすぎず・・って感じなんです。
なので一箇所観光したら
喫茶店やカフェでお茶・・・これ基本です。

↓大浦天主堂



さて、長崎に来たらぶらぶらするのがグラバー園。
ここは洋館がたくさんあって
港を見下ろしながらのんびり散歩できるそんな場所です。

↓グラバー邸

  

またここはイタリアのプッチーニ作曲した
オペラ蝶々夫人にちなんだ場所です。
グラバー夫人であったツルがモデルでは?と言われてますが
実際はどうなのでしょう・・・・
ここにはオペラ歌手三浦環さんの像やプッチーニの像、
今回は喜波貞子さんという戦前のヨーロッパで
活躍していたオペラ歌手の展示もありました。
そして、永遠のオペラ歌手マリア・カラスの植樹した
オリーブも木もあります。

  

グラバーと岩崎弥太郎はどんな話をしたのでしょう・・・
グラバー園からは三菱の造船所がよく見えます。
軍艦島へ行く時も思いましたが
長崎は三菱の街ですね。
かつては軍艦武蔵も建造したというし、
今も大型タンカーや大型客船、また護衛艦まで。

  

長崎での観光はまるで社会科見学でした^^
この日は天気がよかったので散歩途中
久々にチリンチリンアイス食べました。
長崎に来たらこれを食べないわけにはいかないでしょう。
100円という値段も魅力ですし
なんだかとても懐かしい感じがしました^^

お土産はもちろん長崎カステラ。
時々伯母に送って貰うのですがやはり美味しいです。
今回も伯母にお土産で福砂屋のカステラを頂きましたが
買って帰って欲しいと頼まれていたこともあり大量購入。
いろいろカステラを食べましたが個人的には福砂屋さんのが一番。
ザラメのシャリシャリ感としっとりした生地の感じがとても好き^^
帰りのPAでは大好きな博多の通りもんも買っちゃいました。
食べられるってことは本当に幸せなことですね^^







長崎観光その1

2011-04-09 | 
長崎は本当に坂が多い。
長崎の知人がいますが、
坂が多いので自転車に乗るのが苦手な人が多いとか。
それどころか自転車に乗れない人もいると聞きました。
なので、知人はこちらに来て自転車に乗る練習をしたと言ってました。

今回私がその坂でシンドイと思った場所は
亀山社中跡までの龍馬の道。
坂道ならまだよかったのですが、
急な階段が続いていて
普段運動不足の私には少々シンドイ龍馬の道でした。
でも、そこからの眺めはとてもきれいで
龍馬もこうやって街を眺めていたのかなぁと
想像したりなんかしちゃいました・・・



さて、大河ドラマが終わったとはいえ
こちらにはたくさんの人が訪れていました。
この場所でどんな話し合いをしていたんだろう?とか
想像は広がるばかりでした。
そうそう、龍馬を演じた福山雅治さんは長崎の出身ですね。
稲佐山に泊まっていたので失礼ながらご実家も見て来ました。







永井隆博士

2011-04-04 | 
子どもたちの希望で長崎の平和公園へ行きました。
前回来た時には行かなかったので、私は25年ぶりに訪れました・・・




そちらで写真を撮ってくださったボランティアガイドの方が
「どちらから来られましたか?」と聞くので
「島根県です・・・どこにあるのかわからない人が多いですが
ご存知ですか?」と言いました。すると
「わざわざ遠くからうれしく思います。
長崎市民の多くが島根のことを知っています。
なぜなら永井隆博士の出身地ですから」
そう言うと、ガイドの方は永井隆博士のことについて
説明を始めました。
本当に詳しいお話で
出身地の私があまりにも無知なことを恥ずかしく思いました。
そして最後に、
「ぜひ、記念館に寄って欲しい」と言われたので
近くの記念館(如己堂)へ行きました。



記念館の入口には島根県雲南市三刀屋町のシンボル
御衣黄桜が植えられていました。
記念館には博士の生い立ちや活動がわかりやすく
展示してありましたが、
私は同じ病院で生まれていて
また高校の大先輩であることを初めて知りました・・・
無知とは本当に恥ずかしいことです。

永井博士とは長崎の鐘、この子を残してなどの著者としても有名ですが、
長崎に原爆が投下された後、
自らも被爆したのにもかかわらず
多くの市民の救護活動を行なった。
しかし、実は放射線の医師として診療して放射線をたくさん浴びたことで
原爆投下前にはすでに白血病と診断され
余命3年と言われていたそうです。

そんな自分のことは省みず
人々のために博士は力を注ぎました。
そんな無理がたたってか、自らも病気が悪化し寝たきりとなりますが、
その後は、原爆の病気を研究したり
たくさんの本を書いて、
本の印税は長崎市の復興に寄付をしたそうです。
昭和天皇をはじめヘレンケラーなどもお見舞いに
来てくださったそうですが、
43歳でその生涯を終えたそうです。

平和公園でボランティアガイドの方に出会ったことが縁で
私は永井博士の功績を知ることが出来ました。
縁というのはとても不思議で
今回の旅はこの場所に導かれていたように思いました。
大地震で多くの被害が出ている東日本、
地震によって壊れた原発の為に避難している人
原爆によって被害を受けた人、
いろいろなことを考えさせられました。
普段からいろいろなことに興味や関心を持って生活しているつもりでしたが、
ここを訪れて平和ボケしている自分がなんだか恥ずかしくなりました。
如己愛人(自分を愛するように周りの人を愛しましょう)
この言葉が今でも心に響いています。

子供達も同じ気持ちになったようです。
博士の本は読んだことがあるそうですが、
詳しくは知らなかったので
早速本を借りてきて読んでいました。
娘はこのことを英語スピーチで発表することにしました。
どんな平和へのメッセージが出来るのでしょう。

写真は浦上天主堂です。
永井博士はキリスト教徒でしたので
如己堂からこちらを眺めていたことでしょう
また、桜も咲いていました。
このあたりの桜は永井千本桜と言われていて
原爆で荒れ野の果てになった浦上地区を
花咲く丘にしようと桜の苗木を博士が贈ったそうです。
多くは枯れたり代変わりをしてしまいましたが、
今でもそのように呼んでいるそうです。






軍艦島3

2011-04-03 | 
軍艦島の写真の続きです。

↓西側の社宅                 ↓25mプール

  


↓西側から東側を望む            ↓ベルトコンベアー

 


以下、西側の社宅群

 

 ↓左上に神社があります               ↓風化がすすんでいます

  

                          ↓学校を西側から望む

 

プールは海水で、当時海は石炭の影響で真っ黒だったという。
そのために造られたそうです。
社宅は西側に建っていますが、
こちらは波が高く、社宅で波から島を守る役目も兼ねていたそうです。
また、神社もありました。
人が亡くなった時は、隣の島まで小船で運び、
お寺で葬儀をしたそうです。
そのお寺はどんな宗派でも葬儀をしてくれたそうで
全宗のお寺といわれ、またそういうご好意から善宗のお寺と言われたそうです。
島全体には緑が少なく、島民の皆さんは
壁を緑に塗るなどして自然を感じたそうです。

とにかく上陸できて良かったです。
勉強になりました。