1万9000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から1年・・・。
今日3月11日、釜石市主催の釜石市東日本大震災犠牲者追悼式が、釜石高校体育館を会場に営まれた。
私も、亡くなった友人や多くの犠牲者のご冥福を祈るため、式典に参列して参りました。
14時46分、ちょうど一年前の震災の時刻の時報が刻まれると、会場の全員で1分間の黙祷が捧げられた。
さすがに、胸を打つものがあり、目頭があつくなってしまった・・・。
式辞のあと、今回の被害状況と今後に向けた決意が述べられた。
式典の前、少し時間があったので、市内を歩いてみたが、
瓦礫は撤去され、町並みは整理されてきたものの
傷跡は、まだ深いと感じました。。
「心の瓦礫が取れない・・・」と言った、友人の一言が、とても印象的だった。
また、この日をひとつの区切りとしたいと言う反面
とても区切りには出来ないと言う方もいた・・・。
地元の方々の複雑な思いが交錯している。
駅前には、去年の12月31日に復興の鐘が、復興の風プロジェクトによって設置されている。
この鎮魂の鐘の前には、犠牲者の霊を慰めようと、長い列ができていた。
12時を過ぎた頃、駅から大勢の若者が大きなダンボール箱を掲げて駅前広場に現れた。
仙台から来たボランティアだった。
震災から1年の今日、地元や全国のボランティアも思い思いのイベントを組んで、この日を迎えている。
息の長い支援活動、本当に全国の方々のご協力に感謝したいと思いました。
そして
それ以上に驚いたのが、帰り際の、沿道の看板
これをみてビックリしました。
100メートル間隔で何枚もの看板が・・・。
地元の方々の支援者に対する感謝の気持ちと、将来への誓い・・・・そんな言葉が綴られていた。
こんなところにも、被災者や支援者の絆や結いの心を感じました。
震災は、とても悲しく辛い出来事でしたが
人々の暖かい心の通い合いを感じた瞬間でもありました。
「蘇れ東北、負けるな岩手・・・。」
式典終了後、鎮魂と復興の願いを胸に、釜石の地をあとにしました。
これからも一緒にがんばりましょう
また、来ます。
ありがとう、釜石・・・。
そして、ありがとう、みんな・・・。
本当に、来て良かった・・・。
照井
今日3月11日、釜石市主催の釜石市東日本大震災犠牲者追悼式が、釜石高校体育館を会場に営まれた。
私も、亡くなった友人や多くの犠牲者のご冥福を祈るため、式典に参列して参りました。
14時46分、ちょうど一年前の震災の時刻の時報が刻まれると、会場の全員で1分間の黙祷が捧げられた。
さすがに、胸を打つものがあり、目頭があつくなってしまった・・・。
式辞のあと、今回の被害状況と今後に向けた決意が述べられた。
式典の前、少し時間があったので、市内を歩いてみたが、
瓦礫は撤去され、町並みは整理されてきたものの
傷跡は、まだ深いと感じました。。
「心の瓦礫が取れない・・・」と言った、友人の一言が、とても印象的だった。
また、この日をひとつの区切りとしたいと言う反面
とても区切りには出来ないと言う方もいた・・・。
地元の方々の複雑な思いが交錯している。
駅前には、去年の12月31日に復興の鐘が、復興の風プロジェクトによって設置されている。
この鎮魂の鐘の前には、犠牲者の霊を慰めようと、長い列ができていた。
12時を過ぎた頃、駅から大勢の若者が大きなダンボール箱を掲げて駅前広場に現れた。
仙台から来たボランティアだった。
震災から1年の今日、地元や全国のボランティアも思い思いのイベントを組んで、この日を迎えている。
息の長い支援活動、本当に全国の方々のご協力に感謝したいと思いました。
そして
それ以上に驚いたのが、帰り際の、沿道の看板
これをみてビックリしました。
100メートル間隔で何枚もの看板が・・・。
地元の方々の支援者に対する感謝の気持ちと、将来への誓い・・・・そんな言葉が綴られていた。
こんなところにも、被災者や支援者の絆や結いの心を感じました。
震災は、とても悲しく辛い出来事でしたが
人々の暖かい心の通い合いを感じた瞬間でもありました。
「蘇れ東北、負けるな岩手・・・。」
式典終了後、鎮魂と復興の願いを胸に、釜石の地をあとにしました。
これからも一緒にがんばりましょう
また、来ます。
ありがとう、釜石・・・。
そして、ありがとう、みんな・・・。
本当に、来て良かった・・・。
照井