日々、暮らしの中で考える。・・・・・・木もちeー暮らし

普通の暮らしの中で気がついたこと、考えたこと。またこのような生活の視点を通し、仕事で出合った方々のお話を綴っています。

反抗期とゴダールの映画

2011年04月09日 22時19分07秒 | サブカルチャー / 芸術
私の反抗期は中学2年生からはじまったように思います。

高校に入学すると、反抗のエネルギーがアートの世界へ向かいました。

当時は、ゴダールの映画に夢中になりました。


ゴダールの映画を一番最初に観たのは「カルメンというなの女」
当時、六本木WAVE 地下一階にある西武系のミニシアター「シネビィバン」の会員に入っていました。
映画を見た後に5階にあるアート系の本屋で立ち読みするのが大好きで
高校生でしたのでお金が無く、
本屋へいくとその場で暗記する勢いで
気合をいれて立ち読みしました。
迷惑な高校生だったろうな(笑)





ゴダールの描く情熱、パッション、官能美にはまりました。哲学的な台詞はまったく意味もわからず
哲学書と平行しながら、映画を理解しようとしてました。
意味がわからなくても映像だけではいっていけたんだと思います。






ゴダールのマリアはどんな内容か覚えていませんが、「カルメンという名の女」と同じくらい
強烈な印象でした。人物を映す光が甘美的で、どうやったらあんな光をつくれるのか不思議でした。




 
「気ちがい」「気狂い」「いっている」など
切羽詰まったスレスレの演技に引き込まれました。
これが反抗期ならではの感性にマッチしたのだろうか。




誰もがこのシーンだけは知っているのではないでしょうか?
映画「勝手にしやがれ」
単純にかっこよかった。








高校生の頃は、ゴダールを一緒に観る人はいなかったので映画は一人で観てました。
当時はアイドルのおにゃんこクラブが全盛期で
映画も「私をスキーにつれていって」という映画が人気だったかな?




詩人はランボーが大好きでした。
パッションそのものの世界というのでしょうか。
ランボー言葉は理解するものでなく身体で感じるものといった感じです。
国語の教科書に載っている文章を読むと、退屈で退屈でしょうがなかった。





放送部のMちゃんとよく遊び
彼女も漠然と美術系の進路を目指していたので
学校が終わると一目散に電車で30分かけアトリエへ通い
石膏デッサンや静物画を描きました。
10時頃に家へ戻ると
それから絵の宿題や好きな画家の模写をしていました。
寝るのがいつも明け方の4時。
美大や美術系の道を目指す人は皆そんな生活で、
野球でいえば1000本ノックのようなものです。
身体感覚でデッサン力を鍛えるとでもいうのでしょうか。








あの異様なエネルギーは一体なんだったんだろう。

若さか?

反抗のエネルギーか?

創作への憧れか?






ゴダールの映画を観ると、
何む向かっているのかわからないけど
夢中になって何かをつかみたかった自分を思い出します。