皆さん、明日から大型連休最大で9日間とか。一昔前ならGorden Weekと聞いただけでワクワクしましたが、最近は祝日や連休、プレミアムフライデーともう沢山と思えるほど休みが増え、込み合う事確実で価格も高い大型連休に出かける人は少ないのではと思います。特に今年は晴れの日が続きそうでお出かけプランも行く先選定に迷いそうで大変ですね。ジジはポケモン探すくらいです。最近レヴェル24に到達。
今日はバラの咲く季節だからブルガリアのバラ祭参加を含んだツアーの投稿です。
ブルガリア & ルーマニアへの旅(20060601-10)
ブルガリア・ルーマニア両国へ日本からの直行便はこの時はまだ無かった。今回の「阪神航空フレンドツアー」では「ブルガリアバラ収穫祭」を目玉に集客したらナント46名も応募したので、2組に分かれ青組はルフトハンザでフランクフルト、赤組はエールフランスでパリ経由となった。実はこれが災いの元になるとは…
6月1日関空を12時に出発したエールフランス機は同日17時30分頃シャルル・ドゴール空港に無事着き、ホテルで自由の身になったのがまだ明るい20時頃。いつもの旅ともSさんは「パリは35年ぶりよ」と言われるし、少々疲れがあるものの2時間余りシャンゼリゼ辺りを散策しようと地下鉄デフェンス駅に出かけました。
パリには何度か行っているので気軽に切符を買い地下の乗り場目指して降りたのが運の尽き?詳細は長くなるので割愛するが、私服警察か特別任務の公安官か素性は定かではないが、警察犬らしきものまで駆り出して大掛かりな検札をしている最中に出くわし、有無を言わさず手持ちのメトロ切符は不正で、ユーロ25をキャッシュで払え払えの一点張り。
と言ってもフランス語は皆目判らず、「今パリに着いたばかり、正規の切符売り場で買ったチケットがなぜ駄目なのか?」とつたない英語で抗議したが、最後には警察手帳らしきものまで見せジェスチャーでどこか他へ連れて行こうとしたので当時81才のSさんはおびえるし、万一留置でもされて明日からの行程に迷惑がかかってもいけないと思い払いました。
長年海外旅行をしていますがこんな目に出会ったのはハジメテ。狙われているのは無知な旅行者や若い有色人種ばかりみたいでその目的が成績を上げるためのごり押しだと本質が見え見えですが、フランス語の説明が十分わからず今でも思い出すと腹が立ちます。
疲れて早々にホテルに逃げ帰りましたが釈然とせず帰国してから理由を知りたくて駐日フランス大使宛に抗議文を送った所、後日パリ都市交通局からお詫び状らしきものと25ユーロ返却されたのでまあ許しましたが、これが有色人種への彼等の本音と肝に銘じ以後フランスには一度も行ってません。 (今ルペンさんが言ってる事あれが国際文化人を称するフランス人の本音)
6月2日7時にパリのホテルを出て10時発のエールフランス機で約3時間のフライトで先ずブルガリアの首都ソフィアに14時到着。日本との時差はサマータイムで6時間。90日以内はビザ不要。日差しは結構暑い。早速地下のローマ遺跡、大統領官邸、聖ゲオルグ教会、聖ニコライ教会、国会議事堂等市内観光に徒歩とバス移動で出かけ、両替も済ます。
公営住宅
ローマ地下遺跡
聖ゲオルギ教会
アレクサンダーネフスキー寺院
1レフ≒¥60、ホテルの飲み物以外殆ど買い物をしなかったので物価は判らないが、農産物以外はそんなに安くは無い感じ。日本円も両替できる。ブルガリアは第二次大戦時ドイツ側についたのでいわば間接的には日本の同盟国だった。戦後東側に組み込まれ共産党政権下にあったが、1989年に現在の体制になり2007年にはEUにも加盟したとか。
ブルガリアと言えばヨーグルトと琴欧州位しか知識が無く、今度改めて地図で位置を再確認。意外にもギリシャのすぐ北にあったがむしろトルコや旧ソ連の影響が強いように思われた。見た目は地下鉄や市電も走り、西欧風の立派な町並みを持つ首都ソフィアに今や戦争の傷跡は感じられないが、公営住宅はロシア同様手入れが十分でなく、資本主義経済下の矛盾を垣間見た思い。郊外には廃屋と化した旧国営工場や集団農場跡、貧しげな農家と対比されるように新興の高級住宅が建設されているのが散見された。
市内観光後は郊外の宿舎、ケンピンスキーホテルへ。夕方まで少しだけ近隣を散策、結構デカイいいホテルだ。夜は近くのブルガリア郷土料理店で民族舞踊を見ながら夕食。ダンスも長過ぎるしちょっと馴染めない味付けで今一つ箸が進まなかった。
大統領官邸前
ニコライ・ロシア教会
ケンピンスキーホテル
ホテル近くの小さな市場にて