旅と宝塚と写真好きジジ

現在、過去、未来の旅日記、花や風景写真、宝塚、相撲、ポケモン、ハリポタゲーム等について投稿しています。

ミヤンマー旅行記(20120123-29)1

2017-04-07 09:53:25 | 海外旅行

 5日振りの投稿です。ジジになると一旦体調を崩すと中々元へ戻りません。単なる風邪だと思い、主治医もその積りで処方してくれましたが、肺炎が気になるので3日に別のクリニック受診。レントゲンンを撮っても肺炎らしき兆候は無しとのご託宣。熱もないのですが今まで経験した事のないゼーゼー・ゴホンゴホンの咳で誰かに移すといけないから部屋で謹慎。

今日で抗生物質を飲み始めて4日目ですが効き目がやっと出始めたのか今朝は少し咳がましになりブログ記事を書こうと言う気力が出て来ました。一方抗生物質や咳止めに持病薬まで飲むと今度は胃がやられてまあ散々。年配のブロガーは身の回りの事や病気の事ばかり書くと嫌われそうと思いつつ最大関心事がどうしてもわが身と近辺の事ばかりになる悪い習性。

昨夜は結構強い雨で咲き始めの桜がどうなったか気になりますがまだ外へ出て見ていません。本当は昨日徳島の「八百万の神御殿」と言う山の中の桜並木を見に行く予定でしたが断念。2日に放映された宝塚月組公演も録画を全部見ていないので記事が書けません。フィギュアーは羽生・宇野クンワンツーフィニッシュで表彰台を飾って来年のオリンピックに期待が膨らみます。で今日は

ミヤンマー旅行記(20120123-29)。この旅の後ミヤンマーの民主化が一気に進み、ア・ウンサン・スーチー女史が実験を握ったものの民族の融和は一筋縄では解決が難しそう。単なる政党や政策の入れ替わりでなく宗教や宗派がらみになると益々混とんとして部外者には判りません。その点安倍さんは大人しい?く政治に無関心な国民に恵まれて益々嫌な方向へ進みそう。

行ってきました「ミヤンマー連邦共和国」へ。ご存知ですか?通称ミャンマー(Myanmar は、東南アジアの共和制国家。インドシナ半島に位置し、北東に中国、東にラオス、南東にタイ、西にバングラディシュ、北西にインドと国境を接する。首都はネピドー(旧首都はヤンゴン(ラングーン)。人口(2011推計)62百万、内ビルマ族68%、上座部仏教徒90%。

ミャンマーは北緯10度から28度の間に位置、南北に伸びる長い国土が特徴である。国土の大半が熱帯又は亜熱帯に属するが、気温や降水量は地域による差異が大きい。国の中央をエーヤワディ川(イラワジ川)が縦断しており、河口付近は広大なデルタ地帯を形成している。面積68万㎢(日本の1.8倍) 

ビルマでは10世紀以前にいくつかの民族文化が栄えていたことがうかがえるが、ビルマ民族の存在を示す証拠は現在のところ見つかっていない。遺跡からビルマ民族の存在が確実視されるのはパガン朝(11世紀―13世紀)以降である。ビルマ族は10世紀以前にはまだエーヤワディ川(イラワジ川)流域に姿を現していなかった。ビルマ族の起源は中国青海省付近に住んでいたチベット系の氏族と考えられている。

王朝時代の変遷を経て、1937年、インドから独立してイギリス連邦内の自治領となった。1942年、アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に戦いイギリス軍を駆逐し(ビルマ戦役の始まり)、1943年に日本の後押しでバーモウを元首とするビルマ国が建国された。

1948年から1974年までビルマ連邦、1974年から1988年まではビルマ連邦社会主義共和国、1988年から1989年まではビルマ連邦、1989年から2010年まではミャンマー連邦。通称は、独立以前から一貫してビルマ。1989年6月18日に軍事政権「国家法秩序回復評議会」は「ミャンマー」に改めた。2006年10月に行政首都ネピドーへの遷都を公表、現在に至る。

とまあ前置きが長くなりましたが、今回のご一行11名はこじんまりとした団体で慣れた方が多いせいか受付後一旦集合や出国の説明もなく各自でチェックイン,乗機し1月23日14時頃ヴェトナムのハノイ着。2時間後ミヤンマーのヤンゴンへ出発。時差は2時間半なので18時頃到着。ランドマークのシェダゴンバゴダのライトアップを鑑賞し、ビルマ風麺料理の夕食後、インヤ・レーク・ホテルに宿泊。 

1月24日4時起きでプロペラ機の国内線でヤンゴンから西北へ1時間20分、佛跡の街バガンへ。着後直ぐ世界三大仏教遺跡の一つと言われる「バガン」観光でシュエジゴンバゴダ、ティーローミンロー寺院、アーナンダ寺院と訪問。どこも裸足参詣なので長時間寺院内でいたせいか腹具合が悪くなった。

                ヤンゴン・シェダゴンバゴダの夜景              バガン・朝市  

バガン・ジュエジーゴンバゴダ 

 

バガン・テイローミンロー寺院 

ガバン タビニュ寺院

バガンの街並みはとても神秘的。見渡すと、総数2,000とも5,000とも言われるパゴダ(仏塔)が、あちらこちらからニョキニョキと突き出している。これらのパゴダが建てられたのは、10~14世紀のバガン王朝の時代。この時代に上座部仏教が伝えられて、釈迦の家であるパゴダが建てられるようになった。この時代、数万~数十万のパゴダが建立されたと言われている。やがてモンゴルが来襲するとバガン王朝は滅び、パゴダ建設も下火になった。しかし、人々の心から仏教が消え去ることはなく、現在もミャンマーの人口の9割が上座部仏教を信じている。

バガンの寺院と仏像とバゴダ 

イラワジ河畔での昼食後は漆工房やタビニュ寺院、イラワジ河クルーズ、夕食は操り人形や民族舞踊を見ながら野外での夕食。暖かい所と言う先入観でやって来たが矢張り冬季なので夜間は寒かった。イラワジ河畔のリフォーム直後のリゾート風ホテル「エイヤー・リバー。ホテル」は快適だったが、お風呂が有馬温泉金泉状態。そう、水が悪いんです。各ホテルでは1Lのボトルが2本ずつ供されるので飲料水には困らないが歯磨きもおそるおそるする始末。

イラワジ川夕景

 

コメント
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