世間が騒擾で動揺最多の事態が発生し、昨日も今日も、又もや事件が発生している最中、又交番を襲撃する事件が起こった。本当に物騒な事件である。逮捕されて近郊の人々は胸を一応撫でおろしたであろうと思われる。何しろ奪った拳銃を所持したまま逃走していたからである。本当に容疑者の真意が、どうしても読み取れない事件なのである。全く嫌になって仕舞う社会になって仕舞った。と、思う人が多いと思う。曇りがちながら時に陽の差す今朝のお天気である。これから食事を摂り、何時もの健康維持の為の散歩に出掛けることとしようと思う。
本当に前向きで明るい記事が紙面を覆うようにならないかと、今朝も複数の新聞をさっと見終えた。確かに内容は報道に必要なものであり、世間の動向枯れ窺知出来よう。今朝は爽やかに晴れて太陽が家々の東面を照らし始めている。明るい陽射し、この中でこれから散歩をして来ようかと思う。昨日夜はこのパソコンの中の写真と言う写真を、スライドショウで約2時間程観察して仕舞った。長い時間のようだが、いろいろの思い出や貴重な写真が次々に出て来て、大変興味深かった。そんな思いが強い。
西や東日本から北日本でも大雨、明日朝迄降り続く予報、対策に大童だ。曇りで薄暗く不穏な天気で、明後日迄辛抱が必要か!と思われる。今日はこの大雨では散歩も断念した。約束した電話屋さんが来るので待とう、いろいろ当方の希望や注文を突き合わせて、満足のいく措置や使い安い電話を作業し、実現して貰おうかと思うと、楽しみである。唯お天気が一層荒れて、大雨が予想されるので心配である。3本の電話を一本にしたものの、メールやパソコンが廃止予定の電話に絡んでいるので、それらの扱いが問題である。息子と娘に相談してそれぞれ話しあって貰った。昔の機器の設置なので、簡単な一本化は困難らしい。息子が答えを出してくれて決着した。名義上の最古の電話とFAXとが無くなり、電話料も幾分安くなる予定である。皆で相談することは良い事であった。
昨日は快晴無風水無月の貴重な一日、早速朝から屋上へ行き来して敷布、寝間着、賭け綿布1枚、総じて4個の洗濯をして、他に掛布団一枚を朝から夕方まで約6時間屋上の物干しへ干した。屋上への往復は4回であった。聊か疲れたので午後8時半には床に就いた。気持よく敷布の膚触りがとても心地良かった。今朝は野菜を食べ様とほうれん草を煮て冷蔵庫に冷やして、他に大根の味噌汁を作った。斯様に細かい献立を作るのは、常日頃決まっているが今日は内容をも記述した次第である。空腹こそが最高の薬を実践し手ほぼ一カ月になるが、体重減少が少しく気付き、体が軽くなったような気がしている。サーカデアンリズムに則って生活が軌道に乗って来たような気がする。今日は薄曇りこれから徐々に雨模様になるとの事、昨日全部終えてよかったと思う。側庭に植えた香り良い百合、もう残りの花が3個になった。玄関に植えた柏葉アジサイも綺麗に咲き誇っている。玄関周りが綺麗になって良かったと思っている。今日はあsのうちに散歩をしてしまって帰宅してから朝食にしようかと予定を変更したいと思っている。
彼方此方で物騒な不可解な殺人事件などが発生している。当事者同士の因果関係は不明なれども如何してこれほど彼方此方でこんな事件が起こるのかそれらの理由がわからない。人間関係の蹉跌に因るものであろうと、推察できようが何とも不可解千万である。殺人までに至らない各種事件も数多発生している。社会が複雑化し人間関係が錯綜しているものと思われよう。昔は情報機関がこれほど加速して汎化し、情報が行き渡らなかった所為もあろうが、しかしこれ程迄毎日毎日事件発生が報じられて、社会の混乱が起きはしないかが心配である。犯罪者の心理が如何せん分からない。
世間をする騒擾する事変が余りにも異常に多い。このところ矢庭に多すぎる。これで良いのか令和時代の幕開け!と言う感じである。異変や事件を起こした事態や人に、責任があり、その責めをを負わせるのは当然ではあるが、事態は殺傷事件にまで増大する兆しさえをも見せている。自然詩に詠われた季節の移ろい花鳥風月など、現代は、何処かへ飛散し消滅して仕舞ったのかと思われるような、人々の暮らしになって仕舞った。事件に戸惑い、その多さと推移の速さに驚きの感覚を痛感している昨今である。政治経済をはじめ、落ち着いて物事を見つめ判断する暇も無いのが現状であろう。小川に小魚を眺め、団扇姿で夕空に蛍の飛び交う姿を団扇姿で見つめて、小鳥の囀りを遠く近く聞いて、生活のリズムを自然に同調してた過去には、もう来ないのであろうか! そんなことは感傷に過ぎないと一笑に付される時代になった仕舞ったのかと心残りである。春が来た!夏は来ぬ!など、の唱歌の内容が楽しく移って行く様は、心穏やかに自然であり、何時でも思い出深いものである。今日はもう6月の12日、水無月も半ばを過ぎんとしている。
ここ17年間もブログを書き続けていると、どうもタイトルが重複偏重しやすい。そこには日本語の数奇な歴史がある様に思われてならない。数限りしか覚えられ無かったり、5種の言語が恐らく誰しも十分に咀嚼されていないせいであろうと思われる。昨日の一日中の大雨、今日は曇り空ながら、これから斉れるようである。今日こそはお散歩して、脚や体力を維持回復しようと意気込んでいるところである。食事内容には配慮はしているが、中々にバランスの取れた完全栄養の食事は取れにくい。それが毎日の事だけに容易ではない。でも考慮した内容を考えて摂取している積もりである。今にして家内が62年間も、薪水の労を執って我が家のために尽くしてくれたことに、あらためて感謝いたしたい。お散歩コースは、東京でも田舎でも有るようで無いようで、中々に恰好な道は望めない。要は本人の意思次第であろうと思う
新聞やテレビでももう、時の記念日の活字は見当たらなくなってしまった。些細な人間生活の時間空間の時間を大事してにして行こうとの、人間の生活を自制し、他人との約束なども守って行こうとの、人間関係を大事にするような細やかな決まりを、自覚する日では無かったかのと思う。梅雨の最中なので一日中も大雨だそうで、当然だが今日は一日は終日雨降りの日のようである。誰しも気分が勝れず、行動もゆっくりとした時間を過ごしそうである。一昨日中玄関や狭い側庭に花木を植えておいたので、今日の長雨が、却って植木に格好な元気を与えそうで安心して、この雨を歓迎している次第である。植木たちも水遣りよりも自然の雨の方を喜んでいるように見える。外出も出来ないので終日家の中で整理や書き物をするより他は無いものと思っている。今は亡き淑子の父の命日である。遥か明治時代わが陸士の開校記念日でもあった。夫々に祈りを捧げた。
大雨の予定がすっかり快晴となった昨夕、約80年ぶりの二人の旧友同士が約2時間半会食を共にした。想い出多い数数の思い出に花が咲いて、留まるところを知らず、あっという間に夕食が歓談と共に楽しく済んだ。当時の県立中学は、エリート集団であり一市町村から大体一人しか入試に合格できなかったのである。卒業以来それぞれの道を歩み93歳の年齢を数えることとなった。古い70年前のクラス全員の名簿を持参したので、話題が話題を呼んで本当に楽しい二人だけの会であった。クラス会ももうとっくに解散して開かれておらず、死去した友人もほぼ80%に達している。また時折会って高齢人生を愉しもうと言って別れた次第であった。京都の娘が可愛がって育ててくれている二代目のわん子、元気で育っているので、この10月ごろまた会うのが凄く楽しみである。これから朝の食事である。
大きな交通事故、家庭内での子殺し、殺人、詐欺事件など。様々な社会を惑わせる様な事件が、連日と言って良いくらい生起している。残念至極だがこれらを未然に防ぐ人々の社会防御の仕組みは未完なのであろうか? 残念至極で予防も儘ならず、たまらず容赦ならない。これが世俗に成って仕舞わないうちに、予防策を仕立て上げねばなるまい。予防と言っても考えてみれば、被虐な事件は、夫々皆個人の誤った行動特性からの出発なのである。人間の生き様から、それらの余知予防などが、対策として講じられないことは無い筈だと思う。「何処まで続く泥濘ぞ」と思う。小さな箱庭を弄り植物やお花を植えて、わずかな時間を過ごす一時は、とても楽しく、また爽やかで清々しい。人生斯くあるべしと思うや頻りなのである。閑話休題。食事その支度や準備など、故人となった家内のご苦労を思いやる時、長かったその昔が偲ばれてならない、今日この頃の、静かなお話なのである。